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クライヤー  作者: モグラ
4/7

図書館

あの日 午後五時


 終礼はいつも通り、時間ぴったりに終わった。


 騒がしくなる教室の中、僕は膝の向きをなんとか整えて、窓際一番奥の彼女の席に向かった。俯いた目線の先に、あの日プレゼントしたライトブルーのミサンガを巻いた、流れるような曲線を描く右手首が映り込んだ。


「あの、百鬼さん、今日は」


僕は顔を上げ、百鬼さんに声をかける。だが……


「ごめんなさい、今日は用事があるの。ちょっと、替えの効かない用事でね。明日はどうかしら?」


 勇気を振り絞って聞いた分、少し残念だったが、百鬼さんの顔は、本当に申し訳なさそうに影っていた。これ以上困らせたくなくて、僕は急いで口を開いた。


「ごめんね急に、気にしないでいいから」

「ううん、こちらこそごめんなさい。それじゃ、またね」

「あっ、うん、さよなら」


 スッと流麗に鞄を背負い、百鬼さんは早足で去って行った。いつもの蠱惑的な雰囲気とは打って変わって、今日の彼女は風のようだった。


「だっせー、えいゆうクン振られてやんの」

「ちがっ、そんなのじゃ」

「なーにが違うのかな~。顔が真っ赤だぜ、熱あんじゃねーの? クイーンに『おねつ』ってか!」


 足立の渾身のからかいで、クラスがどっと沸く。今日は僕にとってもこのクラスは危険領域らしい。席に駆け戻ってリュックを背負い、逃げるように走り去った。


 百鬼さんが吹き抜ける風なら、僕は吹きすさぶ烈風といったところだろう。真っ赤な顔から湯気でも上っていたら、汽車というのも近いかもしれない。ともかく、その位の勢いで、僕は居心地の悪い空間から逃げ出したのだった。


 校門を走り抜けた僕の頬を、秋冷えでキンキンになった風の束が殴りつけてきた。少し頭を冷やせよ。そんな風に言われている気がして、ついにはこの世界のあらゆるものに冷やかされている気がして、もう恥ずかしいのを超えて怖くなってきていた。


 最初の信号機まで猛ダッシュで駆け抜けたら、それだけで足が熱くなっていた。体力が無さすぎる。意気地がないのは、このひ弱な体も一役買っているのだろう。寒さで赤くなった自分の手を見つめていると、ひどく惨めな気分になった。


 ぼっーとそのようなことを考えていたら、信号機はいつの間にか青になっていた。僕の姿を見て、右折を遠慮していた黒のセダンに軽く頭を下げて、枯葉で橙色に染まったアスファルトを駆けて行った。特にどこまでとは考えないままに。



 そんな僕が百鬼さんの姿を再び捉えたのは、ほんの偶然だった。それでもこの偶然は、きっと運命みたいなものだったはずだ。そうとしか思えなかった。


 バスに揺られて十分。駅に着くにはあと五分程かかるのだが、窓枠に図書館が映り込むなり、唐突に本が読みたくなったのだ。それで僕は、いつもより二つ早くバス停を下り、図書館に向かった。


 この町には二つ図書館がある。一つは市が運営する図書館。もう一つは、とても大きな出版社「文護院」のビルの一階から三階までの間に設けられた図書館だ。正確には書店も兼ねているのだが、本を好きになってもらうため、自社の出版物で図書館を開いているらしい。


 建前はどうでもいいが、学生としては嬉しい限りだった。本の数は圧倒的に少ないのだが、自習に使うことの出来る机の数はこちらが上なのだ。おまけに無料とあって、ビルの入口付近はいつも制服姿の男女の往来で賑わっていた。もっとも、僕は本が読みたいわけなので、県営の図書館に行った方が良いのだろうが、この図書館の冊数でも十分に惹かれる本と出会える気はした。


 入り口で会員証を見せると、受付の女性はにこやかな顔で「どうぞ」と一言、エスカレーターを手で指した。そのエスカレーターに、特徴的な黒の長髪を湛えた女性が乗っていた。


「どうかされましたか?」


 声をかけられるまで、僕は自分が彼女をじっと眺めているのに気が付かなかった。


 漆黒の中に慎ましく金の装飾が散りばめられた美しい鞄、そこに提げられた小さなマスコット、なにより、僕が渡した淡い赤のマフラー。紛れもなく、百鬼さんだった。


「いえ、すみません。少し、ボーッとしちゃって」


 内心、少し動揺していた。替えの効かない用事が自習でしたでは、僕の勇気はなんだったのだという話である。その心配と、ちょっとの好奇心のせいで、僕の足は彼女の足取りを追いかけていた。


 エスカレーターで二階へ。もう一度エスカレーターに乗って三階へ。


 僕も、彼女に気づかれないように俯きながらエスカレーターに乗った。


 少しだけ顔を上げると、百鬼さんは三階の自習室へ足を向けていた。その一瞬、百鬼さんは、驚いたような、困ったような、悲しんだような顔をした。


 視界の端で僕を捉えたのだろうか。数秒立ち止まったか否か、彼女はまた凛々しい表情に戻っていた。その目はまっすぐ前を捉え、もう、その視界に僕はいないように思えた。


 僕が三階のワーキングスペースに入った時、軽く部屋を見回したが、百鬼さんの姿はどこにも無かった。僕は窓際に残った唯一つの角席に陣取った。


 良く磨かれたガラスには、後ろで参考書と睨めっこする難しい顔の学生達の姿がはっきりと写っていた。意図せずに選んだ席は、なんだか監視に良く向いている席である気がして、また自分に嫌気がさした。


「何をやってるんだろうな」


 ため息混じりに呟いた言葉は思ったよりはっきりしていたようで、隣で何かを頬張っていた少年は不思議そうに僕をチラリと見た。


 この時、もう一度恥ずかしさで逃げ出していれば良かったのかもしれない。そうしていれば、僕の身には何も起きなかったのだろう。


 もっとも、運命の神様は、そんな風に僕を逃がしたりはしなかっただろうけど。

謝謝。

(今更ですが、もちろん日本人ですよ?)

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