バース・デイ
三日後
「起立。さようなら」
「「 さようなら 」」
終礼が終わると、教室はわっと騒がしくなる。僕は喧騒には交じらず、いそいそと帰りの準備を整えた。
―― ねぇ、聞いた? また火事だって! 土曜日、昨日と続けて今日もだよ
犯人はまだ捕まってねーとか、マジでやべーヤツじゃん、コレ
テロとか、学校に爆弾とか仕掛けられちゃうんじゃね? ――
喧騒の中に、何か引っかかる言葉が聞こえたような気がした。だが……
「今日はそれどころじゃないんだよ」
リュックを背負って、肩掛け鞄を提げる。恐る恐る鞄の中を覗いたが、紙袋に異変は見受けられなかった。
「よし」
何食わぬ顔で、開きっぱなしのドアから廊下へ踏み出す。暖房の無い廊下の空気が頬を撫で、少しひりりとした。
「急がなきゃ」
僕は廊下を駆ける。階段を駆け降りる。下駄箱から靴を取り出して履き替えるまで、ものの五秒。速攻だ。
校門を出て辺りを一度見回す。そして、いつもの帰り道とは違う道を歩き出した。
視力は良い方だから、ターゲットを見失うことは無い。なんてことはない、ただ、周りに誰も居なくなる時を待てば良いのだから。
「まだ……か」
目の端に捉えた知人の姿。すれ違う同じ高校の制服。頃合いは中々やって来なかった。というか、家から徐々に遠ざかって行くのも少し不安だった。
帰りはどうしようか。まぁ、帰る時になってからで良いだろう。
ターゲットはそのまま右折。人気の無い日没後の暗い公園へ入っていった。
今がチャンスだ。なんて、どうやら甘かったようだっだ。
「おいで。学校から、ずっとつけてたでしょう? ストーカー紛いのことなんかしないで、話しましょう?」
どうも、バレていたらしかった。というか、彼女の指摘で気づいたが、自分は相当まずいことをしている。
秋風が頭を冷やす、その温度差で、熱くなった顔からは火が出そうに感じた。
「ごめん! 百鬼さん。やましいことをしようとかじゃなくて……」
「あら、英君だったんだ」
百鬼さんは意外そうな顔をして、目を丸くしていた。どう弁明しようか必死で思考を巡らす僕をよそに、百鬼さんはクスクスと口に丸めた手を当てて笑い始めた。
「なーんだぁ、英君だったんだ。なら安心、ちょっと怖かったんだよ?」
「ごめんなさい……、その」
「ふふ、良いの。それで、どうして私の後なんてつけたの?」
顔が更に熱くなる。でも、言わなきゃダメだ。今からしようとしていることより、よっぽどやってはいけないことを既にやらかしたじゃないか。今更この位、何だっていうんだ。自分を叱咤激励するも、手も膝も、ふるふると震えるのを止めてはくれなかった。
「えっと……ね」
百鬼さんはほんの少し首を傾げ、僕に柔らかく微笑んでくれていた。それがまた可愛らしくて、だから余計に恥ずかしくて、肩掛け鞄の鍵を上手く外せなかった。
それを見て、百鬼さんはまた笑う。きっと、今、僕の顔は真っ赤に違いない。唐辛子よりも血色の良い顔をしているのだろう。
恥ずかしくて死にそうになりながら、僕はなんとか紙袋を取り出した。
「えっと、ハッピーバースデー、百鬼さん。今日、誕生日だったよね? どうしてもこれを渡したくて」
絞り出した声は今にも裏返りそうな位弱弱しかった。この位、なんでスマートに出来ないのか、自分の初心さに嫌気がさした。それでも、渡すことが出来ただけでも、一応、御の字だろう。
「覚えててくれたんだ、私の誕生日。嬉しい、ありがとうね、英君。中、見ても良い?」
「う、うん、どうぞ……」
百鬼さんは目をキラキラさせて喜んでくれた。ように見える。少なくとも、予想以上に嬉しいリアクションだった。頑張ってよかった。間違いなくそう思えた。
だが、中に何を入れたのか思い出してハッとした。しくじったかもしれない。もし、何か聞かれたら……。
「マフラーと、これはミサンガ? ありがとう! もしかして、手作り?」
「えっ、あっ、うん……。ごめん、流石に気持ちが悪いよね……」
既製品にしておけば良いものを、手先の器用なのを試してみたくて頑張ってみたのが悪かった。案外はまってしまって、自分で作ろうかなんて発想が何一つ違和感なく思いついてしまったのだ。
手作りマフラーなんて、今時、女子ですらやらないのではないだろうか。しかも赤。恋愛とかには疎いので、何がスタンダードなのか分からないが、多分やり過ぎた。
今度は、気味悪がられるのではないかという焦燥が僕を襲い始めた。
「そんなことないよ? 器用なんだね。頑張って作ってくれて、ありがとう。こんなに暖かいプレゼント、私、初めてだよ」
「あ、え、うぅ」
真っ直ぐすぎてどうしたら良いか分からない。返答に窮すなんてダサすぎる。少女漫画じゃあるまいし。なのに、気の利いた返事の一つも浮かばなかった。
「ありがとう、英君。でも、今度は何も言わずに追いかけたりしないでね?」
「それは、その、本当にすみませんでした……」
「次からは教えて。私、一緒に帰るくらいなら、恥ずかしくないから、ね?」
とても綺麗で済んだ瞳に、僕の考えの奥底まで見透かされてしまいそうだった。もう、きっとバレている。恥ずかしさでどうしようもないのに、百鬼さんの瞳は、いつまでも眺め続けたくなるような魅惑的な色を据えていた。
家に帰るまでのことは、もう何一つ覚えていない。帰り道もずっと、ずっと、百鬼さんのことで頭が一杯だった。あの公園で交わした言葉は、頭にくっきりと焼け付いて、忘れるなんて出来そうになかった。薄れることすらない気がした。
そして、今日に至る。僕の身に起きたことは、正直、あの公園での出来事より、ずっと奇跡的だったのかもしれない。
僕は火事に巻き込まれたのだ。そしてそこで、放火魔を、その正体を見てしまったのだ。
謝謝。