魔の森へ
「闇が広がった。ルシエル様、これは一体……」
「分からぬ。ただ、あの方向には確か、魔の森というものがあったな。行ってみよう」
それを聞いたソウシさんは、青ざめた顔でそれを止めに入りました。
「いけません! 魔の森に行くだなんて、危険です! あそこには、闇の住人が住んでいるのでしょう!?」
(闇の住人……?)
どういった人物のことを示しているのか、僕とサノには分かりませんでした。このふたりは、僕らとは違う、別世界に住んでいるような感覚です。そもそも、この世界に「聖域」というところがあるなんてことも、僕たちは知りもしませんでした。
「そうは言っても……行くしかあるまい。ようやくはっきりとした行き先ができたんだよ? 行かなくてどうする」
確かに、これまで闇雲に世界中に手がかりを求めて散らばっていましたが、今回ようやく、方向が定まりました。その、魔の森とかいうところに何の手がかりがなかったとしても、ここから向かって、北方に何かがあることは、はっきりしました。
それでもなお、ソウシさんはルシエルさんがそこに行くことを拒みました。ルシエルさんはレイアスの兵士であり、ソウシさんはラバースの兵士です。接点はないと思うんですけど、どう見てみふたりは顔見知り。それも、ソウシさんはルシエルさんの身を、必要以上に案じているように思われました。
「それでも、あなたを行かせるわけにはいきません。もしものことがあったら、どうするおつもりなのです!」
ふたりが口論している様子を、僕はただ黙って見ていたのですが、いつの間にか起き上がっていたサノが、ふたりの間に口を挟みました。
「私が行こう。魔の森ならば、場所も知っている」
その言葉には、違和感がありました。サノが「魔の森」なんていうものを知っているとは、想像していなかったからです。「魔」という文字から「魔術」を連想することは、確かにできます。魔術士の中では、特別に珍しいところではないのでしょうか。
「それなら、僕も行きますよ、サノ。ふたりで行きましょう」
ソウシさんにとってもその方がいいでしょうし、僕らにとっても、これはラナを助けるための大きな一歩となるはずなので、喜んで行けますから、利害の一致です。何の問題もなく当然決まると思っていたのですが、意外なことに、ルシエルさんが拒みました。
「駄目だ。君たちはここにいなさい」
「何故? 私たちが行くのが一番よい。剣士に魔術士。どんなことにでも対応できるではないか」
サノの言うことはもっともです。物理的攻撃が必要であれば僕の剣で。それが通じないのであれば、サノの魔術で打開すればいいのですから、まさに最高のコンビだと思われます。
それなのに、どうしてルシエルさんは反対するのでしょうか。
「駄目だと言っているだろう」
「納得のいく訳を、話してください」
ルシエルさんは、そっとラナの方に視線を向けました。
「君たちにもしものことがあったら、彼が悲しむ」
ラナが悲しむ? そりゃあ、そうかもしれませんが、どうしてルシエルさんがそんなことを気にするのか、不思議でした。レイアスはラナのことを昔から酷く嫌っていました。それなのに、レイアスの兵士である彼が、どうしてラナのことをここまで心配しているのでしょうか。やはりこれも、愛弟子であるカガリさんのことを思ってのことなのでしょうか。
「もしものことがなければいいんでしょう? 大丈夫ですよ。用心しますから」
「駄目だと言っている」
「私たちを止める権利など、あなたにはないはずだが?」
サノの言うとおり、僕たちはルシエルさんの弟子でもなければ部下でもないので、言うことを聞く必要なまったくといっていいほど、ないんですけどね。
「もしも行くというのならば……力ずくでも阻止する」
それを聞くと、さすがのサノも体を一瞬硬直させました。ルシエルさんに敵うはずがないと自覚しているからでしょう。たとえ僕とふたり掛かりでかかったとしても、勝てる見込みはありません。ラナの師匠であるカガリさんでさえ、傷ひとつをつけることすらできないのですから。力の差は歴然でした。
「ソウシ。魔の森へは私が行く。いいね?」
また、ソウシさんにとってルシエルさんとは絶対的存在のようであり、これ以上、口出しする余地はないと判断したのか、不本意ながらもそれを了承しました。
「分かりました。ですが、必ず無事に帰ってきてください」
「勿論だよ」
そう言うと、ルシエルさんは指笛を吹きました。すると、森の奥地から一頭の馬がこちらに向かってきました。魔術で転移という移動も彼はできるのですが、それはかなりの精神力と体力を使うらしいので、こうやって馬で移動する手段を選んだようでした。
「では、行って来る」
「……頼む」
サノでした。ルシエルさんに向かって、深々と頭を下げていました。それを見たルシエルさんは、ふっと笑みをこぼしていました。
「あぁ。心配しなくていいよ。すぐに帰ってくる」
馬のわき腹を軽く蹴ると、そのまま走り去って行きました。僕たちはその様子を、しばらく見守っていました。
願わくば、皆が無事に戻りますように。
世界に、再び平和が訪れますように……。
そう、願わずにはいられませんでした。