僕の残念会(5)
今回でようやく酒場シーンが終わります。
次回でようやく予備校が登場です。
『シダス王国王立冒険者学校入試対策予備校』は旧市街の一画を占める僭主館の跡地に建っているらしい。
旧い建物を使用するか、新たに建設したかはチラシに書かれてないが、昨年の冬に王都に来た際は工事など行われていなかったので恐らく後者だろう。
それにしても『シダス王国立冒険者学校入試対策予備校』って名前が長すぎだな。略称とか無いんだろうか。面倒なのでとりあえず『予備校』と呼ぶことにする。
「僭主館か。小さな頃はスーミィと二人、忍び込んで遊んだよね」
「小さな頃どころか、王都に来る度に不法侵入してないかい?」
「ふふふ。かくれんぼの延長みたいなものさ」
「微笑ましい思い出にしないで欲しいねぇ。何度管理人に捕まりかけたことか。
御爺様に知られたらゲンコツどころじゃ済まないよ?」
「あれは、ちょっとお尻に手が当たったくらいでスーミィが大騒ぎするからだろ?」
「ちょっと手が当たった?どの口がそんなこと言うのかなぁ?」
怒りのためか、羞恥のためか。眉間に皺を寄せつつもほんのり頬を染めるスーミィ。
しまった!口が滑った。事故とはいえ、あの時モミモミしたスーミィの尻はあまりにも甘美であった。なので、思い出してつい興奮してしまった。
「思い出したら腹が立ってきたねぇ」
あちらも思い出して興奮してしまったらしい。別の意味で。
スーミィのジト目が本気モードに移行する。
ゴゴゴゴゴ。と空気が震え出した。
ヤバいな。
どうやって逃げよう。
「そのっ! お取り込み中すまんが、儂は外国人でな。僭主館とはなんじゃ?」
ありがたい!
ドワーフにしては会話スキルの高いベレンの言葉に、僕は飛び付いた。
「僭主館ってのは観光名所でね。王様の前にこの地を治めてた領主の館だよ」
そのまま僕は観光ガイドよろしくシダスの歴史を語り始める。
僭主館とは、シダスが自治領であった頃の城館みたいなものだ。
シダス王国は20年ほど前に建国された若い国である。
ウィレン家より自治権を継承した冒険者ルドヴィクが、ルドヴィク一世を名乗りシダス王国を宣言したのが始まりだ。
近年は大迷宮の発見とその解放により大陸の注目を集めているが、
それ以前は権力者や富裕層の保養地・観光地として、ただ歴史の脇役を務めるだけの地方都市だった。
王都シダスは古い街である。王都と呼ばれる遙か昔より、自治領の中心として栄えてきた。
シダス遺跡の遺構を最大限利用して整備された都市であり、城壁の内側…現在『旧市街』と呼ばれるエリアは、600年前には概ね現在の形になっていたらしい。
シダス建国以前、シダス遺跡一帯は帝国の特別自治領『ウィレン自治領』であり、ウィレン家が代々管理してきた。
そのウィレン家が執務に使用していた屋敷群が『僭主館』である。『僭主館』と呼ばれるようになった経緯は定かでない。
もっとも100年以上前にウィレン家は城壁の外、新市街に拠点を移したため、それ以来、僭主館は観光地として有料で公開されている。
全ての建物が公開されている訳ではないが、敷地が広く、地元住民は無料で入場できることもあり、いわば公園のようなものだ。
なので、一般に売却することなく自治領時代と同じく王国の迷宮課が管理していたように思う。
政策の転換でもあったのだろうか。
シダス王国の国庫にはかなりの蓄えがある筈なので、お金に困って売却。の線は考え難い。
「と、こんな感じかな。ベレン殿!ご質問は?」
「ふむ。田舎貴族のボンボンの割に博識じゃのう」
「試験対策で郷土史は一通り学んだからね」
見なおした?と僕はベレンに胸を張る。
「むむ、スーミィ嬢が言った不法侵入とやらが気になるのぉ」
「ああ、それは」
僕はスーミィを見た。
スーミィは頷いた。軽くなら話していいだろう。
「祖父の屋敷。今は叔父の屋敷だけど。それが僭主館跡の隣にあるんだよ。
僕の祖父は以前ウィレン家に仕えていてね。自治領が王国になって、しばらくしたら引退して領地に引っ込んじゃったけど」
「うむ?それではやはりハル殿は貴族なのでは?」
ベレンは頭を捻る。
「王国になる前、自治領時代のシダスには貴族制度が無かったからね。他の地域なら男爵クラスかな」
「ほぅ。よくわからんのぅ。男爵なら男爵で良いではないか」
「ウィレン地方じゃ爵位や家名は出さないのがマナーってことになってるんだよ」
「ふむ。だからハル殿は母方の性を名乗っておるのか」
ベレン、意外にしっかりしてるな。
最初の自己紹介の中身をちゃんと覚えてるみたいだ。
侮れない。というか、商売人の血かもしれないけど。
「それはちょっと色々あって」
「ややこしいのぉ」
そう、ややこしいんだ。
もっとも僕の血筋はそんなにややこしくない。一族の誰かが妾に産ませたのを引き取ったとからしい。祖父が詳しい話をしてくれないのが気になるが。
「この土地に住んでたら慣れるよ。誰が誰と縁続きか。どの血脈に連なるのか。それを利用しているか、していないか。面倒だけど、だからこそシダスは平和だと言える」
ちょっと遠い目をしてみる。
「ただ、それも終わりつつある。時代は変わった。今の王国政府には派閥が存在して、あからさまな対立が…」
と、そこで。
「ハル君。明日の話をしてもいいかなぁ」
スーミィがストップをかけた
「わはは。男の子はこういう話が好きじゃからのぅ」
ベレンはうんうんと嬉しそうに笑い、腰を上げた。
店員を呼び、飲食代の他にリコが壊した椅子の代金を支払う。
あれは帝国銀貨か。真新しいな。
「予備校の場所は覚えたからの。今日はこれで引き揚げるわい」
「分かった。ベレン、また明日」
僕は立ち上がり、ベレンと握手を交わした。
硬くてゴツい。浪漫の詰まった漢の手だ。
ひらひらと手を振るスーミィに見送られ、ベレンは店を出た。
「ふぅ」
僕はコップに残っていた火酒の水割りを飲み干した。
対面にはスーミィ。
何を考えているのやら。ジト眼で僕を見つめている。
「なぁスーミィ。冒険者の店ってさ、」
「ん。」
「出会いがあるんだね」
「ははは。そうだねぇ」
スーミィは少し嬉しそうに笑った。
「小さい頃、ハルが読んでくれたご本の中の…」
彼女は少し溜めて、
「お話しみたいだったねぇ」
もう一度笑った。
言外の何かが含まれているのだろうか。
例えそうであっても今の僕には分からない。
女の子は不思議なことを言うものだ。増してや彼女は魔女である。
「じゃ、そろそろお開きにしよう」
「ん。」
店員を呼ぶ。
今日は結構食べたな。
スーミィは先程のお姉様方に手早く挨拶を済ませる。
僕は女給さんにおおよその代金を支払い、席を立った。
「ふぁぁぁ」
ちょっと眠いな。フラフラする。
「なんだい。危なっかしいねぇ」
スーミィが身を寄せて支えてくれる。
恋人みたいだ。
そのまま二人で階段を登る。
僕の部屋の扉の、鍵を開ける。
ランプが一つ灯っただけの薄暗い部屋に入る。
僕は上着を脱ぎ、ベッドで横になった。
スーミィはローブ姿のまま、窓際に立つ。
視線が鋭い。街路の様子を伺っているようだ。
異常は無かったらし。
カーテンを引いて、こちらを見る。
「また寝ゲロでも吐かれたら困るからねぇ」
数年前にやらかした失敗を、彼女は酒を飲むたび持ちだしてくる。
今日も、僕が眠るまで様子を見ていてくれるらしい。
意地悪な台詞を吐きながらも、微笑む彼女の横顔は美しい。
「なんだか母親みたいだな」
「ハル君にお母さんなんていたっけ?」
スーミィが笑う。
「どうだったかな……僕には…スーミィがいるから…」
「よく言うよ」
とさっ…とスーミィがベッドに腰掛けた。
柔らかい手が僕の頭を撫でる。
彼女は
「おやすみなさい」
と静かに囁き、そのまま眠りの呪文を唱え始める。
小さな唇の紡ぐ心地よい詠唱に身を委ねながら、
僕は深い深い夢の中に沈んでゆく。
お読みいただきありがとうございます。
登場人物の性格が少しずつ見えてきました。
10話まで達したら、全体を見直してみる予定です。
ご意見、ご感想などいただければ幸いです。