脱落論
本編とは関係のない話です。このシリーズ世界での出来事です。
目を覚ましました。
わたしは欠伸をひとつ大げさにして、ベッドから降りました。
時計の針は午後一時を指していました。
リビングには誰もおらず、隣に面したキッチンから水滴のたれる音が規則的に聞こえてきます。
キッチンから食パンを一切れ持ってきて、ソファの上でそれを食べました。
テレビはもうしばらく観てません。点ける気も起きなければ、理由もありませんでした。
わたしはテレビというものが嫌いです。ヴァラエティー番組なんて特に。特別観ていて面白いものでもないし、なによりテレビを観ていると自分というものがひどく薄っぺらに感じるからです。
しかし今日は少しだけ観てみようと思います。なぜかはわたしにも分かりません。とにかく、テレビを点けて、昼ドラでも観てやろうと考えました。
テレビを点けたはいいものの、何とも不思議な映像が流れていました。どのチャンネルに変えてみても映し出されるのは風景ばかり。しばらく観ない間にテレビ業界は人間を映すことをやめてしまったのでしょうか。
昼ドラは出演者不在の背景のみがパッパと切り替わっていくだけです。会話も何も、人間らしいものは何も聞こえてきません。ただ風の音や、それに揺らされた木々のざわめきだけが聞こえてくるだけなのです。まったく不思議な放送事故です。
わたしは無性にこのことを誰かに伝えたくなりました。思い立ったが吉日という言葉に従って、着の身着のまま家から飛び出しました。
またしても何とも不思議なことにぶつかりました。町中いくら歩き回っても、誰とも遇わないのです。
公園に行っても、商店街に行っても、駅に行っても、人っ子一人見つかりません。
私一人を除いて、全人類が消えてしまったのです。
私はひどく恐ろしくなって、その場に座り込んでしまいました。
ひとりは寂しく、孤独です。敵もいなければ味方もいません。なにをしても咎められることはありませんが、なにをしてもよいということは何もできないのと同じです。
わたしがわたしであるという証明はわたしにはできません。わたしが誰かを見て、誰かがわたしを見たとき、はじめてわたしはわたしであるということをようやく理解しました。
そんな簡単なことに今更気付いたのでした。
ふと気が付くと足元にスケッチブックとペンが落ちていました。
それは風も無いのにパラパラとひとりでにめくれ、あるページを開きました。
『あなたは今何が見える?』
そこには文字が書かれていました。
その文字は唯一、わたしをわたしと認めてくれるものでした。
わたしはその文字にすがりました。
「誰もいない。たすけて」
震える手でわたしは書きました。
瞬きをすると、スケッチブックには新しい言葉が浮かび上がっていました。
『いなくなったわけじゃない。あなたが見なくなったのです』
ほっとして、思わず涙がこぼれました。わたしは急いで返事を書きました。
「どういうことですか」
瞬きをすると、そこにはやはり新たな言葉がありました。
『私は今、あなたの目の前にいます』
急いで顔を上げましたが、やはりなにもありません。手を伸ばしても空を切るだけです。
『私にはあなたを見ることができる。しかし他の人にあなたを見ることはできません』
『あなたが今ここに存在することができるのは、私があなたを認識しているからです』
「どうしてわたしはあなたを見ることができない?」
『自身に聞いて下さい』
「分かりません」
『あなたは他人と関わることを諦めてしまったからです。そして周りの人間もあなたを見ることをやめてしまったからです』
「どうすれば、また見えるようになりますか?」
瞬きをしましたが文字は浮かび上がってきませんでした。何度か瞬きしてやっと浮かび上がりました。
『方法はありません』
『一度諦めてしまえばそこでおしまいです』
絶望的な宣告をされたにも関わらず、どうしてか涙は出ませんでした。
「これからわたしはどうすればいいでしょうか」
『今から書く住所まで行きなさい。そこはあなたと同じ、自分以外を認識しなくなった人々の集まる施設です』
『そこにはたくさんの置手紙があるでしょう。初めはそれに従って生活しなさい。誰もいないように見えるかもしれませんが、そこにはたくさんの人がいます。きっと、あなたの生きる手助けをしてくれるでしょう』
最後にわたしは書いた。
「あなたのお名前を教えてください」
『津々浦真吾』
わたしは今、津々浦真吾に導かれた施設で生活している。
そこにあるのは無数の置手紙。
彼らは私を読み、私もまた彼らを読む。
私はまた置き手紙を書いた。いつかここにいる誰かが読むだろう。今こうしている間にも誰かが読んでいるかもしれない。
それがわたしのわたしである証拠。
読んで頂きまことにありがとうございます!
津々浦はこんなこともしていますよ、という紹介文的な話になっております。
本来、この話は載せる気も作る気もありませんでした。しかし、本編を続けていくにあたり、会話が増えるのでクッションとして、この話を載せるに至りました。
二話目に、タイトルを変更すると公言しましたが、本編の内容がまだそこまで進んでいないので、あえて変更しませんでした。
本編の内容が進み、ストーリーに見合ったタイトルにすべく努力しております。