掌の中の彼女
岬の先には小さな家がある。
緩やかな傾斜の先にあるそのログハウスは、面積にすれば二十畳ほどで、二階は無し。
これは家だけでなく『彼女』がこしらえた小さな花壇のある庭なども含めた広さだ。
彼女が持つ力に対して、それはあまりにささやかで、見ている分には微笑ましささえ感じる、牢獄だった。
まず何故ここが牢獄なのか説明しておかないといけないだろう。
世界の裏には魔法師がいて、当然のように世界は魔法士を管理するために協会という組織を作り出した。
彼女は協会の定めた規則を破った。
それももっとも重い罪になる、因果を捻じ曲げるという形で。
世界にとってはあまりに些細で、けれど彼女にとってはとても重大な事。
非常に虚弱で、広い世界に憧れた小さな子供の「空を飛んでみたい」という夢を叶えた。
ただそれだけで、と思われるかもしれない。
しかし彼女の大きすぎる力はその子供だけでなく、人は飛べないという因果を捻じ曲げ、一時的に全世界で人が飛べるようになるという状態に陥った。
その後の処理に協会の業務は半年、滞った。
その責任を取って、彼女はこの封印処置に殉じている。
木製の扉をノックして、彼女の応えを待つ。
「いらっしゃいドゥーラ。頼んだ食料品を運んできてくれたんでしょう?どうぞ入って」
彼女、ウートの憂い、違うかしら。
気だるさ、そう気だるさを感じさせる美しい声を聞いて、木の扉を開ける。
ドアの中に入るとそこは玄関兼リビングで、私を美しく麗しい女性が出迎える。
ウート、麗しい彼女は遠めに黒、良く見れば深い濃さの紺色の髪を背中でひとくくりにして垂らして、手製のエプロンドレスを着込んでいる。
彼女は全体的に細く、同じ女の私でさえ触れれば手折れてしまいそうな印象さえ受ける。
しかしその印象とは裏腹に、彼女は趣味の園芸や裁縫仕事を精力的に行う。
声も気だるそうだけれど、そういう風に聞こえるだけで彼女はコレが平常なのだ。
「お待たせ。足りなくなった食材は無い?他にもご希望の布地があるなら発注する」
「そうね……紅茶用のベリーロップの種が欲しいの。今蒔けば夏の頃には丁度頃合だから」
「解った。明日には用意してくるね」
「あ、それとね」
「なあに?」
「今日も外のお話、聞いても良いかしら?」
「……機密に触れないことなら」
「ふふ、今でも律儀にそれを言うのね」
「規則だから」
くすくすと笑う彼女の笑顔は、少女のようにも見えるのに、細い顎を引いてふるふると肩を揺らす様はどこか気品がある。
……なぜ貴女はそんなに綺麗に笑えるの?
「そう、今度の新しい流行はサバイバル系なのね」
「サバイバル……いや、野外料理が流行りというだけなんだけど」
「でも焚き火から熾すんでしょう?それってサバイバルだわ」
「ただのキャンプじゃない」
「えっと、キャンプって言うのはきちんとキャンプ地として整備された場所でするもので、ドゥーラが話してくれた、森林に分け入っていって場所を作った上で調理をするのはサバイバルよ」
「材料持込でもそう思う?」
「んー……思うわ」
「お互い、少し認識の相違があるみたい」
「ええ、だからドゥーラと話してると楽しいの。誰かが居てくれるって、良く解るから」
「……ちょっと、席を外すわね」
「トイレ?」
「そういう事、言わないの」
顔を彼女から逸らして、急いで狭いログハウスの中の、すこし手狭なトイレの中で顔を覆う。
じんわりと、眼から涙が浮かんでくるのが解る。
何故なのだろうと思ってしまう。
彼女の性質はまったくの善性で、きっとここから出れば多くの人を助けるだろう。
なのに、たった一度の過ちで空間に関わる魔法を操る魔法士達に厳重に条件付けられ、彼女だけがこの岬の先端から出られない、見えない檻の中に居る。
協会が彼女の世話役に遣わす私と話す時だけ、彼女は世界に他人が居ることを確認できるという。
本来なら、能力封印と監視だけで処置が終わる所を、彼女はその力ゆえに封印処置を受けた上で、監禁され、孤独を味わう。
三年ほど彼女との付き合いはつづいているけれど、時が経つほどにその思いが強くなる。
何故彼女が、何故、何故。
できるなら解き放ってあげたい、自由に街を歩かせて、街の雑踏の中微笑む彼女の姿を見たい。
そう思ってしまうのだ。
そして、その一方で暗い喜びに震える私もいる。
私だけが彼女を世界に繋ぎとめている、綺麗な彼女、輝くような魂のウート。
そんな彼女を、浅ましく、薄汚い私が。
この悦びが私を責めさいなむ。
なんて卑怯で、卑劣で、ちっぽけな私。
惨めな私。
解っているのに、私はウートから離れられない。
ああ、もし神が居るのなら。
彼女ではなく私をこそ罰してください。
トイレの中でドゥーラが泣いているのを感じる。
その理由も。
ああ、ドゥーラ、泣かないで。
本当にかわいそうなのは貴女なのだから。
はじめてあった時は抜き身の刃物のような鋭利さを感じさせてくれたわね。
でもそんなものは、貴女が必死に作り上げた虚勢で、その奥には常に周囲の和を乱さないように、冷静さの皮をかぶって震える幼子のような本心を抱えている。
可愛い、可愛い、私のドゥーラ。
貴女はそんなに泣かなくて良いの。
協会の封印処置なんて、私の根源である因果を動かせば儚いものだなんて、貴女をここに遣っているご老人達は皆ご存知なのよ。
本当に可哀想なのは貴女。
植物の育成くらいしかできないありふれた魔法士から適当に選ばれた生贄の羊。
世界を変えられる私に直接触れるのを恐れた人々が選んだ体の良いパイプ役。
本当はこんな所すぐに出るつもりだった。
因果を弄って、全てなかったことにして知らない振りをしてもよかった。
でも貴女が現れた。
必死に頭を使おうとして、でも限界があるのが分かっていて、いつも一生懸命な貴女。
知ってるの、毎日私が貴女に話をせがむと解っているから、何時も話の種になる事は無いか必死に周りを見ているのを。
知っているの、貴女が私に同情しているのを。
知っているのよ、貴女が悦んでいる事を。
ああ、ちっぽけで、汚くて、なんて、愛すべき人。
必死に自分の顔を作っているとても人間臭い貴女が大好きよ。
ねぇドゥーラ。
ずっとこの関係を続けましょうね。
貴女はなにも知らずに、気づかずに。