第39話「喧嘩王」
入り組んだ路地を駆け抜ける。
既にエンドウの姿はどこにも見えなくなってしまっていた。どうやら、エンドウが辿ったのとは別の道に入ってしまったらしい。
「ったく、エンドウの奴! 臆病にもほどがあるだろう!」
後ろを走っている海翔がエンドウに対しての愚痴をこぼしている。こぼすと言っても、かなりの大声でだが。
「そう言ってやるなよ。あんなのに追われたら、誰だって逃げ出したくなるよ」
ちらりと後ろを見る。少し距離は取れているが、間違いなく奴らは追ってきている。
「そうかもしれねぇが、だからって自分一人で逃げることないだろ?」
「それだけ怖い目にあったってことだろうな……」
「怖い目ね……まぁ、アイツは元々そんなに気の強い奴でもなかったしな……」
「やっぱり、そうか……」
どちらかと言えば、あの言動だけ見れば気の弱い方に部類されるだろう。身なりとは裏腹だが、それもある種の防御手段にしかすぎなかったのだろう。自分を強く見せるための。
エンドウが気の弱い人間である事実は俺の予想をさらに裏付けるものだ。あんな気の弱い奴が突然人を殴ったり、おやじ狩りを指示するとは思えない。あれは――あの男の策略だったのだ。
「しっかし、どんどん増えてきてるな。この狭い路地までご苦労なこった」
海翔の声で再び後ろを見る。さっき見た時以上に追っては増えていた。おまけに距離まで詰められている。
「ちっ! 大神の奴、居場所が知れたらやっぱり早いな」
「あ? 大神だぁ? どっかで聞いた名前だな?」
「ああ、一昨日、原付で俺達を引こうした奴だよ。あの人たちを操ってるのはあの大神だ!」
「はぁ!? なんであの異常野郎が――とも言えねぇか……異常だと思ったが、そこまでとはな」
「ああ、お前の言う通り、あの男はピエロなんて生易しい存在じゃなかったよ。そんな事も気付けなかった自分が恥ずかしいぐらいだ!」
「だから言っただろ? お前は感覚が麻痺してんだよ!」
耳が痛いことを平気言ってくれる。確かに最近の俺は異常なことばかりを経験して麻痺していたかもしれない。
あるいは、大神にそう思わされただけなのかもしれない。ここまで展開は全て大神の想定内のはずだろうから。
どちらも、今となっては取り返しがつかない。今はこの状況を打破しなければ――。
「とにかく、こいつらを振り切って、新一さん達と合流するぞ」
「ちっ、仕方ねぇか!」
俺達は入り組んだ路地を利用して、何度も角を曲がった。そして、やっとの思いで追っ手を振り切った――かのように思われた。
「追っ手は――いないな。やっと撒けたみたいだな」
後ろを確認すると、既に追っ手の姿はなかった。どうやら、上手く撒けたようだ。俺はほっと一安心をして、走る速度を緩める。だが――。
「一輝、前!」
「え――」
海翔に言われて前方を見ると、そこには角を曲がってきた一つの人影があった。
「ま、まさか――」
振り切ったように思えていた。現に後方に追っ手の姿はない。だが、それは間違いだった。
考えれば当たり前のことだった。どんな手段かは知らないが、大神は操っている人々の目を通して俺達の位置を把握し、その場所に住人を集めている。
俺達は追っ手を振り切ったのではない。ここまでおびき寄せられたのだ。
「くそっ! どうしてもっと早く気付かなかったんだ!」
自分の至らなさに嫌気が指してくる。路地に奴らが入ってきた時点で――いや、俺たちが路地に入った時点でこうなることは必然だったのかもしれない。考えてみれば、街中の人間がおかしくなっているのにも関わらず、エンドウのみが正気を保っているのは不自然だ。あのエンドウすらも大神の策略の一つで、俺達を路地へと追い込むための材料だったに違いない。そんな事にもきづけなかったなんて――。
「どけ、一輝!」
海翔は前方の人影が追っ手だと分かると、俺を押しのけて、その追っ手に突っ込んでいく。
「お、おい、何する気だよ!?」
「心配いらねぇよ! 前に立ち塞がるなら、ぶっ飛ばすだけだ!」
海翔はそう言うと、追っ手の腹部めがけて、思いっきり拳を繰り出した。所謂、ボディブローだ。それをくらった追っ手はその場に足から崩れ落ちた。
「おいおい、大丈夫なんだろうな?」
「安心しな。ちょっと内臓を揺らして、動けなくしただけだ」
海翔は自慢げに笑っている。相変わらず、顔や性格とは裏腹に器用なことができる奴だ。これも、あの特異体質故なのだろう。だが、今回ばかりはそんな海翔が傍にいてくれて心強い。
だが、そんな安心感も次の瞬間には消え去ることになった。
俺は現実のあまりの非常に愕然とした。
「はは……まいったな……」
「あ? どうした一輝?」
「あれ、だよ……」
海翔に問われ、指さす。先程倒した追っ手が曲がってきた先を。そこには、数えきれない程の〝生ける屍〟が路地に溢れていた。
「おいおい、冗談キツイぜ」
海翔はその光景に顔を引きつらせながら苦笑いを浮かべている。
「くそっ! 路地を逃げ回るのはもう無理か……こうなったら――行くぞ、海翔!」
「い、行くってどこにだ?」
「ここから出るんだよ! 路地から大通りに出るんだ!」
「おいおい、正気か!? そんな事したら、また大群に襲われちまうぞ?」
「ここにいたって同じだよ。狭い分性質が悪い。挟み撃ちされたらお仕舞だ。どうせ逃げ回ることになるなら、広い方がまだいい」
それに、このまま路地を逃げ続けても新一さん達とは合流できない。近くまでは来ているだろうが、事務所を目指すなら、広い道に出るしかない。
「くそったれが! 分かったよ!」
俺達は反転して、来た道を引き返そうと走り出す。その途端、群れを成していた人々が追いかけてくる。
なるべく後ろを見ないようにして、全力で走った。もはや、気にしても始まらない。全力で逃げるだけだ。
来た道をただ引き返すだけでは、いずれ追っ手と鉢合わせることになる。俺達は大通りに出る道を見つけると、その道に入って、大通りに出た。
だが、その道に出た途端、早々に数人の人間と出くわした。
「ちっ! いきなりかよ! 下がれ、一輝!」
海翔は人の姿を確認すると、俺にそう言って、その数人に飛びかかった。
「う、うわ! こっちからも来た!」
海翔が飛び出してきた事に驚いたのか、その数人の内の一人が声を上げた。
え――喋った? なんで――それにこの声は――。
「下がって、香里さん!」
また別の声が飛ぶ。その声は聞き覚えのある男性の声だった。
その男性が前に出て、海翔の前に立ち塞がる。男の顔は暗闇ではっきりと見て取れない。
海翔は既に臨戦態勢に入っており、その男性に殴りかかろうとしていた。対して、その男性は右腕を顔の前に突き出す。その手は何かが握られいている。このままでは激突は必至。だが――。
「え……」
海翔の拳が、その男性の手に握られていた物が、互いの目の前に迫った時、時が止まった。目前で双方の動きが止まったのだ。
「お、お前――」
「君は――海翔君かい!?」
その男性は目の前の存在に驚き、海翔の名を叫んだ。その声と発言で俺もその人物が誰のかはっきりした。
「し、新一さん!」
その名を呼んだ時、その人物はさらに驚きの表情に変わった。
「か、一輝君!? 君までどうして!?」
「新一さんこそどうしてこんな処に? それにかおりんまで……」
「それは――」
「なんだぁ、一輝じゃない! それに海翔君も!」
新一さんが俺の問いに答える間もなく、かおりんが声を上げて俺達に駆け寄ってくる。
「やっぱり来たわね。ほら、だから言ったでしょ? こいつは絶対来るって。あんたは信じてなかったみたいだけど」
「え、ええ、そう……ですね」
かおりんにそう言われ、新一さんは少し困った表情を浮かべている。どうやら、新一さんは俺が来ることはないと思っていたようだ。
「ちょっとあなた達! 呑気にお喋りしてる場合じゃないわよ!」
そう女性の声で俺たちの会話に割って入ってくる。その声の方へと目を向けるとそこには来栖先生が立っていた。
「来栖先生も……一体何が――」
言いかけて、言葉を吞んだ。目の前のその存在に俺は愕然とした。来栖女医がいるさらに前方に、奴らが――〝生ける屍〟と化した人間の群れがいた。
「やばいぞ、一輝! こっちからも来たぞ!」
海翔の声に目をやると、俺達が通ってきた路地からも奴らは迫ってきていた。
「ちょっと一輝! あんたら、余計なの連れてくるんじゃないわ!」
かおりんから非難の声が飛ぶ。それは、かおりんからすればもっともな言い分だろう。
「仕方ないだろう! こっちだって、アレから逃げるのに必死だったんだから!」
「だからって、何も私達の所に連れてくることないでしょ! 全く、いつもいつも余計な事しかしないんだから!」
ひどい言われようだ。何もそこまでいわなくてもいいものを。こっちの気も知らないで……。
「無駄口叩いてる場合じゃないわよ、香里! さっさと応戦する!」
「分かってるわよ!」
来栖女医の言葉にかおりんは持っている銃を迫ってくる群れに向ける。
「な、何してんだよ、かおりん!? 銃はまずいだろ!」
「大丈夫よ、これは。本物じゃないから」
「え……本物じゃないって……」
そう言っている間に、かおりんは銃の引き金引いていた。その途端、群れの最前列の一人が体を震わせ倒れた。
「大丈夫だよ、一輝君。殺したりなんかしないさ。ただちょっと眠ってもらってるだけだから」
「そう――ですか」
新一さんがそう言うからには、大丈夫なのだろう。俺はほっと胸を撫で下ろす。
「ちょっと、かずきぃ? 何? 刑事の私が言うこと信じてないわけ?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「ふん! まぁいいわ。それより、あっちの方を心配した方が良くない? 彼の方がよっぽど危険よ」
そう言って、かおりんが指さした先には海翔がいた。
海翔は――路地から出てくる人々を次々と素手でおもっきり殴っていた。
「ちょ、海翔! やりすぎるなよ!」
「心配すんな! 心得てるよ!」
そう言って、さらに拳を振り回す。海翔の勢いは凄まじく、誰もその周りに近づけでいない。
「はは……さすがだな」
海翔の心配は無用だ。俺なんかよりも、よっぽどこういう事に慣れているし、心得だってちゃんとある。
それよりも今は気になることがある。いるべきはず人間の姿をまだ見ていない。
俺は木刀で応戦しながらも、その姿を探す。だが、その姿はどこにも見当たらない。
「新一さん! 怜奈は――一ノ宮はどこですか?」
「――先に行ったよ、学園にね」
え――なんだって!?
「僕達は、こいつらの足止めを買って出たんだ。彼女を先に行かせるためにね」
そんな――それじゃあ、一ノ宮は一人であの大神のもとに行ったってことじゃないか。
「ま、まずい! 学園に入る前に追いつかないと大変なことになる!」
「え? それはどういう意味だい?」
新一さんは銃を撃ちながらも、俺の発言に驚いて、聞き返してきた。
「奴の所に一人で行かせちゃダメだ! 奴の能力は危険すぎる!」
「大丈夫よ、真藤君。彼女の意志はそんな弱いものじゃないし、何よりも彼の能力は、彼女そのものをどうこうできるものじゃないわ」
来栖女医が俺と新一さんの会話に割り込む形で、俺に言い聞かせるようにそう言った。だが、それは彼女の認識が間違っているからこその発言だ。
「違う……」
「え? 何が違うって言うの?」
「違うんですよ! 奴の能力は人の欲望を膨らませるとかそんな事じゃないんだ!」
「な、何を言っているの……それは彼自身が私に言ったことよ! 間違いなんて――」
「それは来栖先生が子供の頃の話ですよね? きっと、その頃は奴自身も自分の能力が何なのか分かっていなかったんだ。だから、あなたにも間違った情報を教えてしまったんですよ」
「そんなバカな……じゃ、じゃあ一体何の能力だって言うの?」
「それは――〝音〟、ですよ」
「音……ですって!?」
来栖は俺の発言に驚愕した。今の言葉だけで彼女にはそれが何を意味さすの理解できてしまったのだろう。
「なんてこと……そんな事って……」
「どうしたんだ、テレス! 一体どういうことだ!?」
来栖女医の様子に新一さんは疑問を投げかける。
「ま、まずいわ……あの子が危ない! 早くしないとあの子も――」
そこまで言いかけて、来栖女医は、はっとした表情に変わった。
「――ま、まさか……彼の目的はそれなの?」
「え――」
その言葉を聞いた瞬間、俺はぞっとしてしまった。その意味が理解できてしまったから。
一ノ宮が危ない。早く追いかけなければ。幸い、学園の方向には敵はいない。だが、走ったところで振り切れはしない。上手く学園まで辿り着けたとしても、この敵の群れまで連れていくことになる。それでは更なる混乱となる。
「くそっ! どうすればいいんだ!」
木刀を振るいながらも、苛立ちが口から言葉となって出る。こんな事をしている場合ではないのに――。
「ちっ! 仕方ねぇなぁ!!」
突然、海翔が俺の傍まで寄ってきて、背中合わせに立つ。
「お、おい、何だよ?」
「……行けよ」
「え……」
「行けって言ってるんだ! ここはオレが引き受けてやらぁ!」
「む、無茶言うなよ! この数相手じゃ、いくらお前でも――」
「はぁ? 何言ってんだ、一輝? オレを誰だと思っていやがる」
「そ、それは……け、けど、それはもう昔の事だろ!」
そうだ。海翔が〝喧嘩王〟なんて呼ばれていたのは、中学生の頃の事だ。海翔は高校生なってからは喧嘩をしなくなった。スポーツも格闘技もしてこなかった。そんなブランクがある状態では――。
「バカ野郎、オレにはそんなの関係ねぇよ。だからこそ、オレは何時だって居場所が無かったんだからな!」
「お、お前……」
それは海翔にとって、とても虚しくて、悲しい体験から来る言葉だ。自分の力が忌むべきものだからこそ出る言葉だ。それを俺は知っている。
「バカ、勘違いするなよ? 確かにこの体質に嫌気がさすことはあったけど、今は感謝してるぐらいだ」
「え……なんでだよ?」
「そんなの決まってるだろ? これのおかげでオレはお前のような奴と親友になれた。そして、その親友のために今オレは体を張ることができるんだからさ」
「海翔……」
「行けよ。助けたいんだろ? お前にとって大切な人を」
「……ああ、助けたい!」
「なら、決まりだ!」
背中合わせに、互いに木刀と拳を振るいながらの会話。お互いの顔を見て取ることはできない。それでも、どんな顔で、どんな想いでその言葉を口にしているかは、手に取るように分かった。
新一さんとかおりん、そして来栖女医の順に視線を向ける。三人とも微笑み。頷いた。それは後の事は任せて行ってこいというサインだった。
「それじゃあ、久々に立ち戻ってみますか、昔の自分によ!」
そう言うと、海翔は迫りくる群れの中へと単身突っ込んで行った。
だが、その瞬間、奴らは海翔を取り囲み、覆い尽くした。
「海翔!」
その光景に思わず叫んだ。だが――
「この程度かよ? なめんじゃ――ねぇ!!」
その声が聞こえた瞬間、折り重なるように海翔を覆っていた敵が弾けるように吹っ飛ばされていく。
そして、そこには目をぎらつかせ、まるで笑っているように口元を吊り上がらせた海翔の姿あった。その表情に俺は見覚えがあった。それは、俺達が出会ったばかり頃、海翔が喧嘩している時に見せていた顔だ。こうなった海翔はもう誰にも止められない事を俺はよく知っている。
「さあ! 次はどいつだぁ!」
その後も、海翔は次々と周りの敵を蹴散らしていく。それはまるで竜巻そのものだった。その勢いは止まることを知らない。
「す、すごい……まさか、ここまでなんて……」
海翔が戦う姿に俺は茫然としていた。数の上では圧倒的に不利なはずなのに、海翔はそれをものともしていない。
その海翔に続くように新一さん達も群れに向かって前進を始める。新一さんとかおりんは銃で、そして、来栖女医は魔術で次々と敵を倒していく。
「感心している場合じゃないよ、一輝君! 君は早く怜奈君を追いかけるんだ!」
「は、はい!」
新一さんに言われて、俺は我に戻った。そうだった。急がなければ、一ノ宮の身が危ないのだ。
そこまでの様子を見届けて、俺は彼らに、海翔に背を向けて走り出した。
ありがとう、みんな。
ありがとう、海翔。
絶対に聖羅ちゃんも連れて、三人で戻ってくるよ――。




