第37話「相棒」
夜、オレは主のいない部屋で何をするわけでもなく、部屋の中央に配置されているソファに寝そべり、シミ一つない天井を眺めていた。
オレは今、暇を持て余している。
この部屋の主は昨日の夜から帰ってきていない。もしかすると今夜も帰ってくることはないかもしれない。
特に何もすることがなく、話し相手もいないこの状況にうんざりしていた。
「ったく、一輝の奴! 一体何してやがんだ!!」
起き上がって、この部屋の主への怒りを声に出してみるものも、いない人間に対して怒ったところで何の意味もない。
それに気づいて虚しくなり、深い溜息を吐いて、またソファに寝転がり天井を眺める。
「あー、うー、ホントひまだぁー」
退屈のあまりうめき声のような声を発してしまった。きっと端見れば、子供っぽく見えただろう。
「しゃーねぇ……テレビでも見るか……」
いつもなら見もしないテレビをつける。
オレはテレビが嫌いだ。テレビを見る行為自体に意味が見いだせない。テレビを見て、時間を浪費するぐらいなら、睡眠時間にあてた方がまだいいとさえ思えてしまう。
まあ、それでもここまで暇ならテレビをつける他にない。
『昨日皐月町で発生したマンション爆破事件について続報が入りました』
テレビをつけた途端、気になる情報が耳に入ってきた。
皐月町、マンション爆破、その続報――か。
オレはソファから体を起こし、テレビに見入った。
別に事件自体については初耳なわけじゃない。今日の昼間の段階で事件については知っている。というか、気になって現場まで見に行った程だ。もっとも、現場に入ることはできず、遠目からマンションの外観を見ることしかできなかったが。
オレがこの事件について気にしている理由――それは一昨日、この部屋の主であり、そしてオレの昔からの親友である真藤一輝と皐月町で不吉な噂になっているマンションを探していたからだ。
そんな直後のマンション爆破事件。気にならない筈がない。
『爆発直後にマンションから出ていこうとする複数の怪しい人物が監視カメラに映っており、警察はその映像を公開。情報提供を呼びかけています』
なんだ……監視カメラに映るなんて馬鹿な爆弾魔もいたもんだ。
アナウンサーから映像が切り替わり、画質の荒い映像が流れ始める。
ちょうど正面玄関の自動ドアを斜め上からのアングルで撮っている。
映像が始まってすぐに三人の人影が映りこんできた。
オレは荒い映像ながらもその人物たちの顔を見極めようとテレビ画面にかじりつき――。
「――んん!? え、え? な、なんじゃこりゃあ!?」
オレはその三人の姿を見て、驚きのあまりに叫び声を上げていた。
映り込んでいた三人の姿――それは間違いなく、一輝とあのクソ探偵、そして一ノ宮怜奈だった。
「ど、どんなってんだよ、こりゃあ!? な、なんでアイツ等が……」
既に頭の中は大混乱だ。映像がアナウンサーの姿に切り替わると、オレは頭を抱えた。
あいつ等が――一輝が爆弾魔? いやいや、そんな馬鹿な! そんなことあり得るはずがない。
『警察はこの三人がなんらかの事情を知っているものとして、現在も行方を――』
「え――」
突然、テレビから放送が聞こえなくなった。テレビに視線を戻すと、テレビの電源は切れていた。いや、テレビだけではない。気がつけば、部屋の電気すらも消え、真っ暗になっていた。
「おいおい……ブレーカー落ちたのか?」
いや、違うか。まともに動いていた家電はテレビだけだ。それだけでブレーカーが落ちるわけがない。これは――停電か?
そこまで考えが至ると、オレは窓から外を見渡した。見事に外には明かり一つない。この辺り一帯が停電してるのだ。
「このタイミングで停電か……意味があるのかないのか……」
ないとも言い切れないが、あるとも言い切れない。
どちらにしろ、あれだけの放送だと一輝達がマンションを爆破した爆弾魔という事になる。
「嘘か、ホントか……確かめるしかねぇか」
決断するの早かった。オレは上着を羽織ると、すぐに部屋から出て暗闇の外に飛び出した。
「――な、なんだよこれは……」
外に出た途端、オレは周りの異常に気がついた。
音が消えている。あまりにも静かすぎる。
突然の停電のはずなのに、誰一人として騒ぐ者もいない。それどころか、人の気配すらしない。
静かなら静かで、普段聞こえないような音が聞こえてくるのが普通のはずだ。例えば、お隣の生活音とか、外を走る車の音とか、赤ん坊が泣いている声とか。
そういう音が一切せず、人の気配も感じられないなど異常に他ならない。
「気味悪すぎだろ……」
あまりの気味悪さに寒気を感じる。一秒たりともこの場にいたくない。
あるいは、テレビなんかつけずに部屋で寝て過ごしていたなら、この気味悪い夜をやり過ごしていられたのかもしれない。
だが、オレは知ってしまった。気がついてしまった。その時点で、もうやり過ごすという選択肢を無くしてしまっていたのだろう。
「仕方ねぇ……会いたくもねぇが、行くしかねぇだろ」
オレは寒気を振り払うと、走り出した。間島探偵事務所を目指して。
走り出して気がついたが、いないと思っていた人をちらほらと見かける。人の気配がしないと思っていたのは、一輝のマンションの近くだけだったのかもしれない。
ただ――すれ違いざまに見る表情が妙に虚ろのようなが気がして、また若干の寒気を感じた。
「気の……せいか?」
オレは不安を振り払う。それに今はそんな些細な事を気にしている暇などない。早く一輝達がいるであろう場所に行かなければならない。
だが、そんな急いでいるオレに捨て置けない事態が目に飛び込んでくる。
「おいおい……マジかよ? ったく、こんな時に!」
それは数人の若い男達が中年男性を取り囲んでいる。いわゆる、おやじ狩りの現場だった。
見過ごせずに割って入ろうとした瞬間、オレは信じられない光景を目にした――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は力の限り全力で走っていた。いや、正確に言えば逃げていた。
弘蔵さんの力添えで道場から抜け出した俺は追われていた。無論、〝生ける屍〟にだ。
道場に集っていた頃よりは数は減っているが、奴らは逃げ出した俺を追いかけてきていた。もちろん、数が減っているとはいえ、一度に相手できるほどの数なんかじゃない。無量大数ではなくなっただけで、それでもぞっとする数だ。
しかも追ってきている奴らは普段と変わらないような速さで走っている。とても意識を奪われているとは思えないほどだ。
「くそっ! このままじゃ、追いつかれる!」
後ろを顧みて、俺は差が詰まっている事実に焦りを覚えていた。
追ってきているのは普通の人間だが、あの数に一気に襲われれば、対処などできない。最悪、殺されることも考えられる。けれど、逃げ続けるのも限界がある。
腹を括るしかないか――。
ちらりともう一度背後を見る。
先頭集団は五人程。中でも一番背が高く、がたいの良い男が突出している。
やれる――追われている身ならば、〝あの戦法〟で戦える。
右手に持っている木刀をぎゅっと握りしめる。
相手との間合いとタイミングが勝敗を分ける。攻撃のチャンスは一度。一発必中、そして一撃必殺の攻撃が求められる。
もう一度後ろを見る。
先頭を走っている追っ手は後続との差を広げ始めている。
だが――まだだ。まだ、その時ではない。もっと間合いが詰まってからでないと、こちらの攻撃が空振りに終わる。
ドクンと心臓が脈打つのを感じる。
落ち着け――落ち着いてやればできる。学園では犬相手にやってのけたのだ。落ち着けばできるはずだ。
さらにもう一度後ろを見る。
追っ手はすぐ後ろにまで迫ってきていた。既に腕を振り上げ、攻撃態勢にはいっている。
間合いはドンピシャだ。あとはこちらのタイミング次第。その一歩を踏み出せる時に躊躇わず実行に移すしかない。
そして、俺は意を決して、その一歩を踏み出した。
「ここ――だぁ!!」
急速反転。俺は追っ手の方へと体の向きを変える。その瞬間、追っ手との距離は限りなくゼロに近づく。
追っ手は攻撃態勢に入っていたたものの、突然の俺の行動に対処できず、振り上げた腕をすぐに振り下ろすことできない。
だが、俺はこの瞬間だけを狙っていた。一気に間合いが詰まる間に――振り向いている間に俺は木刀を横一文字に振るっていた。
「ガ――ハ!」
短いうめき声と共に木刀は追っ手の腹部にめり込む。
俺はそれに構わず、木刀を振り抜いた。
追っ手は後方に弾き返され、後続を巻き込みながら転げ倒れる。
上手くいった。これで先頭集団はこのチェイスからは脱落だ。
だが、気を抜いている暇などない。すぐ後ろには後続の集団が迫っている。
「くそ! もう一度だ!」
俺は再度体を反転させ、全力で走り出す。
もう一度、追っ手を一人一人引き寄せてから一撃を喰らわせて、後続を断ちきるしかない。
走り出してから、後ろを見る。案の定、集団で追ってきている。このまま走り続ければ、また一番脚の速い追っ手が飛び出してくるはずだ。その時が攻撃のチャンスとなる。
だが――それは思いも寄らぬ形で裏切られる。
確かに集団から飛び出してくる者はいた。だが、それは一人ではなかった。飛び出してきたのは二人の男だった。しかも、その二人はほぼ同じ速度で走っている。
二人同時――どうする? どうすればいい? 二人同時に相手はできない。たとえ二人を倒せたとしても、その間に後続に追いつかれて集団で襲われることになりかねない。
だが、このまま逃げきれるわけでもない。
「覚悟……決めるしかないか……」
後ろを見て、木刀を持つ手に力を込める。
こうなってはやぶれかぶれだ。やってみるしかない!
「くらえぇぇぇえええええ!」
体を急速反転させ、木刀を振るう。
振るった木刀は二人の内一人をとらえて横っ腹にめり込んだ。
倒れ込む一人。そして、その間にもう一人は俺に襲いかかってきた。振るわれる腕。それを素早く木刀で受け流す。
ここまでだ。これ以上の攻撃には意味がない。一人を倒したのだから、もう一度距離をとってから、再度もう一人の方を相手にすべきだ。
俺は距離をとるため体を反転させようした。だが、残った追っ手は俺の服を手で掴み、それを許しはしなかった。
「くそ! 放せ――よ!」
木刀を顔面に向けて振るう。木刀は顔面にヒットしたが、それでもその手が放されることはない。
「くそ、なんでこいつ――」
男の顔を見た瞬間、息をのんだ。男は既に意識などなかった。木刀で顔を叩かれているせいか、顔を歪ませて気を失っている。にもかかわらず、男は手を放していないのだ。
「ツカマエタ」
「モウニゲレナイ」
「コンドコソオワリ」
俺をあざ笑うかのように、感情のない声が次々と聞こえてくる。
群衆は足を止めていた。もはや追う必要がないと言わんばかりに。
マズイ――このままでは――。
「くっそ! 放せって言ってん――」
無理矢理引きはがそうとした瞬間、背後に違和感を感じた。すぐ後ろに誰か――。
「しま――」
まさか、背後にも敵がいたなんて思いもしていなかった。追ってくる奴らに気を取られ、待ち伏せに気づかなかったなんて。
俺は慌てて後ろを振り返ったが、時既に遅し。豪腕から繰り出された拳が俺の顔のすぐ真横をすり抜けて――。
(え――?)
なんで横をすり抜けるんだ? 一体何が――。
そう思っていたのも束の間、近くで鈍い音が聞こえたかと思うと、俺の服を掴んでいた男が吹き飛んだ。
吹き飛んだ男の顔面にはクッキリと拳の痕が残っている。それが俺の顔の横をすり抜けた拳によるものだと気づくのに少しの間が必要になった。
俺はその拳を繰り出したであろう人物に目を向ける。そこには――。
「よお、一輝! 無事か?」
「お、お前――」
馴れ馴れしく、しかもでかい声でそう語りかけてきたその人物、それは俺がもっとも信頼を寄せる〝相棒〟だった。
「――海翔!」
突然現れた相棒の姿に驚き、俺はその名を叫んでいた。
「ハッ――なんだよ、その嬉しそうな顔はよ! そんなに俺に会いたかったか?」
「ば、馬鹿言え! お前に会えて嬉しいわけあるか!」
「あぁ? 助けられておいて、そんな事いうのかよ? あ、それとも照れちゃってるのかな、一輝ちゃんは?」
「お、お前なぁ~!」
出くわした瞬間から互いに憎まれ口を叩き合う。それがまるで当たり前かのように。それだけ俺に心の余裕が戻っていた。海翔が側にいるだけで心の持ちようが変わっていく。
「しかし――相変わらず、お前は危険な目にあってんのな?」
「相変わらずは余計だ」
「そうかよ。けど、こんな大勢に追われるなんて、早くも懸賞金でも賭けられたか?」
「は? 懸賞金? なんだそれ?」
海翔の言っている意味が分からない。懸賞金って何の話だ?
「なんだお前、知らないのか? お前等――」
海翔は途中で言葉切る。それは前方から迫ってくる者の気配を察したからだ。
「フエタ」
「ジャマモノ、フエタ」
「ジャマモノ、ハイジョ」
「ソウダ、ジャマモノはハイジョだ」
生ける屍の群が迫ってくる。気味の悪い言葉を吐きながら。
「こいつらも普通じゃねぇな?」
「こいつらも?」
海翔の言葉には含みがある。それをすぐに察することができた。
「その話は後だ。まずはこいつらを蹴散らすぜ!」
「け、蹴散らすって……本気か!?」
無謀とも思える発言に俺は驚き、問いかける。だが、その問いかけに海翔は行動で答えを示してみせた。
海翔は群の中へと自ら飛び込んでいた。
「オラァアアアア!」
その雄叫びと共に、海翔は生ける屍達を次々と蹴散らしていく。繰り出される拳はまるで暴風の如き勢いだ。
その余りにも常識外れな行動と勢いに俺は呆気にとられていた。
「――す、すごい……って、感心してる場合じゃない! 馬鹿野郎! 正面から突っ込む奴があるか!」
俺は海翔の周りに群がっている奴らを木刀でなぎ払いながら、海翔に近づく。そして、側まで寄ると、海翔の腕を掴んで、思いっきり群の外へと引っ張る。
「ちょ、一輝! 何すんだよ!?」
「バカ! こいつら全部を相手にできるわけないだろ! 逃げるんだよ!」
「マジか!? せっかく良いところだったのに……」
いいところって……最後の言葉は聞かなかったことにしよう。こいつもこの異常な状況に変なテンションになっているようだ。
俺は海翔の言葉を無視して、腕を掴んだまま再び駆けだした。
幸いな事に少しの間だけでも海翔が暴れ回ってくれたおかげで、屍の群は先程までの勢いを無くしており、すぐには追いかけてはこなかった。
「よし、これなら振り切れるぞ!」
「みてぇだな! それじゃあ、これからどうする?」
「とりあえず、曲がり角とかを使って、完全に奴らを振りきる。それからどこかに一旦隠れる方がいいな」
「りょーかい! そんじゃあ、どっかの路地に入って隠れるか?」
海翔の提案に俺は首を縦に振って賛成した。
その後、俺達は曲がり角や分岐路を何度も使って追っ手を振り切り、路地へと入った。
「ハァハァ……や、やっと……振り切ったか……」
「ああ、みてぇだな」
息切れ切れの俺に対して、海翔は平然な表情をしている。さすがと言うべきか、体力バカと言うべきか。俺からすれば、あれだけ走ったのというのに信じられないことだ
「げ、限界だ……少し、ここで休んでいこう」
「わかった。休んでろよ。オレが周りの警戒はしてやっから」
「わ、悪いな……」
「いいってことよ!」
そう言うと、海翔は親指を立てて見せる。本当にこういう時には頼りになる奴だ。
「しっかし、今夜はホント気味の悪いことばかりだぜ」
「え……なんだよ突然?」
海翔の突然の発言が気になり、俺は聞き返した。
「いや……さっき程のことじゃないけどな。突然街中が停電したり、おやじ狩りにあってた奴を助けたら、いきなりそいつに襲われそうになったり、マジ勘弁だぜ」
停電まで発生してたのか。しかし――。
「停電はともかく、助けた奴に襲われたって……なんだよそれは?」
「ああ……そもそも、そのおやじ狩りしてた奴らも変だったんだよ。突然、そのおやじに噛みつき出したりとかしてよ。ケッコーあぶねぇ奴らだったよ」
「噛みつきって……それはなんつーか……って、ちょっと待て」
「何だよ、突然?」
海翔は突然俺が話を止めに入ったことに不思議そうな顔をしている。
「その人がお前を襲ってきたのって、噛みつかれた後……だよな?」
「あん? そんなの当たり前だろ」
やっぱりか。しかし、噛みつかれて人を襲うなんて、それではまるで――。
「まさか、街中の人間がおかしくなったのって――」
「待て、一輝! 静かに!!」
海翔の静止の呼びかけに息をのんだ。まさか、見つかったのか?
「向こうに誰かいる」
「え――」
海翔が指さす方向に恐る恐る視線を向ける。
その先をじっと見据えると、そこには路地にうずくまっている人影があった。




