第36話「突破」
私と栗栖先生は三階の窓から同時に飛び降りた。
私は着地の瞬間、足下に風を発生させ着地の衝撃を相殺する。一方、一緒に飛び降りたはずの栗栖先生はというとその姿はどこに見当たらない。それに気づいてすぐに上を見上げると、そこには宙に浮いた栗栖先生の姿があった。それはまるでそこに地面があるように直立不動にしていた。
「さて……じゃあ、始めましょうか」
宙に浮いた彼女はそう呟くと、彼女の周りにはソフトボール大程の青白く光る球体が幾つも現れる。
見た瞬間に直感した。あれは魔術により作り出された弾丸だと。
「安心して。たとえ頭に当たっても死ぬことなんてないわ。そうね、脳しんとうを起こすくらいよ。と言っても――」
言い終わる前に、栗栖女医は右手の指をパチンと鳴らす。
すると彼女の周りに浮いていた球体が群衆に向かって一斉に降り注いだ。球体は群衆に当たると、けたたましい破裂音と共に青白い閃光が発する。
玉とその破裂に伴う閃光を浴びた人間はその場でバタバタと倒れていく。
「――自分の意識を持たないあなた達にそんな事言っても無駄でしょうけどね」
全弾打ち終わった栗栖先生はそう言うと、ゆっくりと私の隣に降りてきた。
「ふぅ……やっぱり宙に立つってのは無理があるわね。エールなら……まぁ彼のは能力だから比較はできないか……あら、どうしたの? そんな鳩が豆鉄砲でも撃たれたような顔をして。そんなに驚いた?」
降りてきた彼女は私と目が合うと不思議そうにそう尋ねてきた。
「いいえ……そういうわけでじゃないです。ただ、間近で魔術を使うところは初めて見たので……本当に、魔術使いだったんですね?」
「え? 信じてなかったの?」
「そういうわけじゃ、ないですけど……実際自分の眼で見ないと実感が持てなくて」
「ふふ、確かにそうかもね」
栗栖先生は納得したように微笑みながら頷いた。
「こらこら、二人とも! 暢気にお喋りしてる場合じゃないよ!!」
上から間島の声が聞こえてきた。
その声を聞いて、思い出したように私達は意識を群衆に向けた。見ると、群衆の中から抜け出すようにして二人の男がこちらに向かってきていた。
その存在に気づいた直後、二発の銃声が鳴る。いや、銃声と言うわりにはあまりにも小さく弱々しい発砲音だった。だが、その音が聞こえた直後にバチンと発砲音以上に大きな音がする。すると、こちらに向かってきた二人の男は体を小刻みに振るわせながら、倒れた。
「へー、本当に痺れたわね? すっごーい!」
緊張感のない声が上から聞こえてくる。真藤刑事のものだ。
「おみごとです、香里さん」
「そっちだって、結構やるじゃない!」
どっちが暢気にお喋りしてるんだか……ノロケなら余所でやりなさいっての。
「上の二人、遊びはここまでよ! 奴らもやっとやる気になったみたいよ!」
栗栖先生の声に私も、上にいる間島達も群衆に再び意識を戻す。
「キケン、キケン」
「ハイジョ、ハイジョ」
「キケン、ハイジョ」
感情の無い声で同じ言葉を次々と口走っている。それが異様な音叉となって木霊する。
そして、押し寄せるようにして群衆は向かってきた。
「一気に片つけようって気ね!」
「任せて!」
私は言うと同時に前に歩み出て、能力を解放する。
軽く人を吹き飛ばせるほどの突風を群衆に向かって発生させる。突風を受けた者達は吹き飛ばされ、散らばっていく。
だが、それでも群衆の勢いは弱まらない。こちらに向かって進撃を続けようとする。
「何て奴ら! まるでお構いなしね」
止まらない歩みに愚痴がついて出る。まさか、あの風を意に介さないとは。
「やっぱり厄介ね。意識がないから、思考もしない。思考しないから、恐怖も感じない。恐怖しないから、何が起ころうと前に進んでくる。まともにやりあったら、本気でやれないこっちが不利ね」
栗栖先生の解説は適切だ。まったくもってその通りだ。
こいつらはまさに〝生ける屍〟のような存在だ。自らの意志や思考など持ち合わせず、ただ直進するだけの木偶人形に過ぎない。
ただ――生きて実在する人間であるが故に、〝殺す〟という行為はできない。この群衆は大神の兵隊であり、人質ということだ
。
これでは戦いようがない。なんとかして彼らを正気に戻さなければ、どうしようにもできない。
そんな私達の弱みを知ってか知らずか、彼らはうめき声を上げながら前進してくる。それこそゾンビのように。
「くそっ! こうなったらこの辺一帯を吹き飛ばして――」
痺れが切れた私は強烈な風を巻き起こそうと――。
「こらこら、いらつく気持ちも分かるけど、そんなことしちゃったら死人がでるわよ?」
栗栖先生は風を起こそうとする私を諫めようとしてくる。
「だ、だったらどうすればいいって言うんですか!? このままじゃまとも戦えも――しない!」
「しない」と口にすると同時に、襲ってくる〝生ける屍〟を風で凪払う。
「ふぅ……まったく感情的なんだから。誰も戦えなんて言ってない――わよ!」
栗栖女医も語尾を口にすると同時に、魔術の弾丸を奴らに撃ち込む。
風と魔術、全体への複数同時攻撃は生ける屍達にもそれなりに効果があるようで、体勢を立て直すまでの若干の猶予ができる。
「え……それってどういう……?」
「目的が違うでしょうに。こいつらを全て倒すことが目的じゃないでしょう? 聖羅さんを連れ戻すのがあなたの目的でしょ?」
「そうですけど……けど、こいつらを倒さないと学園に向かうことも……」
「だーかーらー! そんなの逃げちゃえばいいのよ!」
「に、逃げちゃえばって……そ、そんなこと……」
私は困惑していた。
栗栖先生の言うことは分かる。逃走も戦略の一つだ。特にこんな無量大数を相手取るならば、それも考えなくてならない。
だが、この状況はそれを許されていない。逃げると言っても、周りは取り囲まれていて、建物の中に入ることしかできない。再び籠城に戻るだけだ。それでは意味がない。
「言っておくけど、籠城はしないわよ?」
「え……籠城しないって……どうやってこの場から逃げるつもりなんですか?」
「そんなの決まってるじゃない。突破するのよ!」
「と、突破って……」
そんなの無理に決まってる。たとえ風や魔術で一時的に突破口を切り開いたとしても、この無量大数がその道をすぐに塞いでしまうだろう。突破できる時間なんてない。
「フライシュ、降りてきて! ここを放棄して、突破するわよ!」
「りょーかい! すぐに行くよ!」
栗栖先生の呼びかけに間島は応えると、真藤刑事を連れて三階の窓枠から姿を消した。
「どうする気ですか?」
「要は道ができればいいんでしょう? なら作ればいいのよ」
「だから、どうやって!? この数じゃ、道なんてすぐに塞がれてお終いじゃない!」
「落ち着きなさいって。私が言ってるのは塞がれないような道を作ればいいってことよ」
「塞がれないって……」
こいつらの動きを完全に封じない限り、そんな事できるわけがない。この人は一体何をやろうと言うのか……。
「お待たせ、テレス」
会話をしている間に間島と真藤刑事が建物から出てきた。
「それで? こいつらを前にしてどうするってーの?」
「いい質問ありがとう、香里。それじゃあ、説明するから三人ともしっかり聞いてちょうだい」
真藤刑事の質問に栗栖先生は微笑みながら応える。
既に互いにタメ口。この数時間の間に打ち解けたのか、完全に意気投合している。
「まず、怜奈さんはこれまで通り風での応戦に徹して。その間に私は詠唱に入るわ」
「詠唱? 何か大きな魔術でもやる気ですか?」
「ええ、そんなところよ。細かいことを説明している時間はないわ。今は黙って言うことを聞いてちょうだい」
「……わかりました」
腑に落ちないが仕方ない。だらだらと話している暇などないのだ。
「僕たちは――魔術の発動まで君を守ればいいんだね?」
「話が早くて助かるわ、フライシュ。お願いね」
「りょーかい! 香里さんもいいね?」
「ええ、オーケーよ!」
間島と真藤刑事は何の疑いもなく、栗栖先生の作戦に乗っかっていく。
彼らは彼女を完全に信用している。私は――いや、私だって信じていないわけではないが、この状況を打開できるか半信半疑にならざるおえない。
「それと、怜奈さん!」
「え――あ、はい!」
「あなたにはもう一つやってもらたいの事があるの。私が合図したら、奴らに向かって一点集中の突風を吹かせて。それこそ、一本の道ができるぐらいのね」
「――わかりました。やってみます」
私は頷き、応える。
今はこの人を信じてみるしかない。すこしでも早く聖羅のもとに辿り着けるならば、どんな方法だって構わない。
「それじゃあ、詠唱に入るわ。みんな、お願いね!」
その声掛けで、間島と真藤刑事は栗栖先生の周りを陣取り銃を構える。私は迫り来る群衆の前に一人立ち、迎え撃つ。
〝告げる――我は望む。神々が想像し、創造した万物。我はそれをも凌駕する存在となりて、万物を想像す〟
考えてみれば、昨日から私はこんな役回りばかりだ。それができる力を持っているのだから仕方のないことなのだが、損な役回りに嫌気も差してくる。
「ま、どう思ったところで仕方ないわね。目の前に敵がいる以上、やらないわけにはいかないわけだし。いいわ、来なさい。だけど、一人たりとも後ろには通さない!」
私は再び能力を解放して、群に向かって暴風に近い風を吹かせる。
〝想像と創造――神々だけに許された秘術。我が血肉を以て再現す〟
それでも、前列の人間を盾にするようにして後ろから次々と〝生ける屍〟は這い寄ってくる。
「チィッ! これならどう!?」
私は暴風を吹かせながら、小型の勢力の弱い竜巻を幾つも発生させ、それを群衆の中に突っ込ませる。
そこまでしてやっと群としての進軍が止まる。だが、それはあくまでも群としてのだ。群からはずれ、こちらの抵抗もすり抜けた者も少なからず出てくる。
〝我は欲する――神々ですら創造しえない、神々を凌駕する力を〟
だが、そんなごく少数にかまってはいられない。無量大数を相手にしている以上、少数には目を瞑るしかない。
「――って、そんな事も言ってられないわね!」
慌てて抜け出してきた少数に対して突風を起こす。だが、意識の大半を大群に向けているため、コントロールできる風も限られる。竜巻から抜け出してきた者全てを抑えることができるはずもなかった。
だがそれでも、生ける屍が私達のもとに辿り着くことはない。そう――守り手は私一人ではないのだ。
私の攻撃をすり抜けて真っ直ぐ向かってくる敵は次々と失神して倒れていく。それは間島達のショックガンによるものだとすぐに気づけた。
「ま、間島!?」
「漏れた奴らはこっちで処理する! 君は目の前の大群だけに集中すればいい!」
「そうよ、一ノ宮さん! 気にしないで全力でやっちゃいなさい!」
間島に続いて、真藤刑事の声援が飛ぶ。
いや、有り難いが、全力はダメだ。死人を出すことを一番心配していたのはアナタだろうに……。
一輝と違って、真藤刑事はどうも感情的な面が目立つ。まあ、だからこそ刑事として単独行動をした末に私達と一緒にいることになったわけなのだが。
けれど、そんな刑事だからこそ安心して任せられた。それもまた彼とは違う点だった。
〝神々が夢見た幻想の産物を今此処に具現化する――〟
詠唱が途切れる。いや、詠唱が終わったのだと直感した。何故なら、空間そのものの雰囲気が突如として重苦しいものに変わっていたからだ。
魔術が――発動する!!
「怜奈さん、今よ!!」
待っていた合図が来る。
「吹き飛びなさい!!」
私は待ってましたと言わんばかりに、一気に解放するにように風巻き起こし――群衆に向かって、突風を一点に集中さえて放つ。
突風の斜線軸上の敵は次々と風に飛ばされていく。そして、それは群衆を突き抜け、一本の突破口となった。
だが、それは一瞬の事だ。すぐに群衆によってその形をなくすことになる――はずだった。
「秘術・想像具現――決して崩されない壁!!」
魔術の真名が告げられ、発動の引き金が引かれる。
その瞬間、突破口となった一本の道、その両側を七色に輝く壁が覆う。
「こ、これは――」
それは間違いなく、昨日マンションの爆発時に私達を守った壁と同一のものだった。
唖然としていた。その壁は場の空気にそぐわない程あまりにも綺麗で、現実味のないものだった。
なんて綺麗で美しい色。こんな綺麗なもの見たことがない。
私はその壁に完全に魅入られていた。
「三人とも何ぼさっとしてるんの! さっさと走り抜けるわよ!!」
「え――あ、はい!」
栗栖先生のその言葉で正気に戻れた。私達は七色の壁に覆われた道を駆け抜ける。
駆け抜けている途中で、壁から透ける外側の様子を見た。
群衆は壁によって私達に近づくことができない。ある者は壁を叩き壊そうとし、またある者は壁にへばりつく。だが、壁は一つとして傷つくことはない。
だが、後ろから追ってくる者はいる。当たり前だ。道への入り口がある以上仕方のないことだ。
私達は出口にもたかっていた一部の敵を蹴散らして、七色の道を抜け出した。
その途端、道を作っていた壁が割れるように崩れた。
「チッ――これだけ長い壁だと保っても数秒だったか」
栗栖先生は後ろを振り返りながら、忌々しげにそう呟く。
「十分だよ、テレス。その数秒で僕たちは助かった。ありがとう」
呟きが聞こえていた間島は彼女に微笑みながらそう返した。
間島の言う通りだ。この人の魔術がなければ、あの群衆の中を抜け出すこともできなかった。
「嬉しいこと言ってくるわね? でも、助かったって思うのはまだ早いんじゃない?」
「え――」
栗栖先生の指摘に後ろを振り返る。振り返った先を見て、ぞっとした。生きた屍の群は私達を追ってきていた。しかも、すぐ後ろにまで迫ってきていたのだ。
「何て奴らなの――まだ、追ってくるなんて!」
後ろの群れに気づいた真藤刑事は戦慄していた。人の群に追われる、その光景が恐ろしかったのだろう、ぎょっとした表情だった。
「マズイな――思ったより脚が速い。このままじゃ、追いつかれる」
「ええ、追いつかれたらまた取り囲まれて、今度こそ打つ手がなくなるわ。その前になんとかしないとね」
「だね……どうしたらいいと思う?」
「どうしたらって……それを私に聞く? アナタなら――〝フライシュ〟ならどうすべきか分かっているでしょう?」
「……君は相変わらず厳しいなぁ」
間島と栗栖先生は横に並んで走りながら、何やら相談している。その内容からして、この状況を打開する手段を話し合っているようだが……。
「いいのかい? 君だって危険なのは承知だろう?」
「フフ、危険は昔からでしょ? それにあなた達に関わると決めた時点から覚悟してたわよ」
「――ありがとう。助かるよ」
その言葉を最後に、間島と栗栖女医は走っている足を止めた。
「な――何してるの!?」
二人の行動に驚き、私も足を止め、呼びかける。
「怜奈君、君は先に進むんだ! ここは僕たちが何とかする!」
「な、なんとかするって……バカじゃないの!? 無理に決まってるでしょ! あんな数に襲われたら――」
「無理は承知だよ。けど、このままじゃ全滅しかねない。誰かが元を断たない限り。僕はそれを君に託す!」
「ば、馬鹿言ってないで、私も一緒に戦うわ!」
間島の言うことなど聞く耳持てない。あんな数に相手にたった二人でなんとかなるわけないがない。
私は二人のもとに駆け寄ろうとした。だが、もう一人の言葉によってそれも拒まれる。
「行きなさい、怜奈さん! あなたの目的は私達を助けることじゃないはずよ!」
「け、けど、それじゃあ、先生達は!」
「私達の心配なんていらないわ! こんなのあの頃と比べたら容易いものよ! そうでしょう、フライシュ?」
「ああ、その通りだよ!」
間島は笑顔で答えた。その笑顔は作り笑いだとすぐに分かった。容易いなんて、真っ赤な嘘だ。
「怜奈さん、目的を履き違えないで! あなたの望みは何? 妹さんを救い出すことでしょう?」
私が救う――聖羅を? 私があの子を傷つけたのに? そんな資格があるのだろうか――。
「……はい」
「だったら、迷わず進みなさい! ここからはあなたの戦いよ。あなた自身のための」
「私自身の……?」
「そうよ! 戦いなさい、自分のために! そして、あの子を暗闇から救ってあげて。それはあなたにしか出来ないことよ!」
そうだ――それは私にしか出来ないことだ。あの子を傷つけたのは私だ。なら、私自身があの子に示さなければならない。
私があの子の事をどんなに想っているかということを――。
「――わかったわ!」
私は決意した。今は振り返らず、前に進むことを。二人を信じて、私が今すべきことをすることを。
「真藤刑事、ここは二人に任せて行きましょう!」
私は真藤刑事に手を差し伸べる。だが、彼女は首を左右に振った。
「私もここに残るわ。刑事として、このままにしておくこともできないしね」
「危険――ですよ?」
「あら? 私だってあなた達に関わると決めた時から危険は覚悟の上よ? 今さらそんなの脅しにもならないわ。それにね、私はここにいなくちゃいけないの」
「え……」
真藤刑事はちらりと間島の方を見る。
そういうことか――なら、私がとかやく言う事じゃない。彼女の選択を尊重しよう。
「あと、これはオマケだけど、誰かがアイツも待っててやらないと可哀想でしょう?」
「え……アイツって……?」
「私は従姉だから、信じて待ててやるの。だから、一ノ宮さんにも信じてもらいたいな、アイツのこと」
「そ、それは……」
それは無理と言うものだ。彼がここに来れるはずがない。来るわけがないのだ。けれど、もし来たら、私は――いや、そんな事を考えるのはやめよう。
「……行きます。お気をつけて」
「一ノ宮さんもね」
「はい」
私は自分自身に答えを出すことなく、走り出した。如月学園を目指して。ただ一度も振り返ることなく。




