第35話「生ける屍」
道場の戸を開けると、外にはありえない光景が広がっていた。
「な――なんだ、こいつら!?」
俺は目の前の光景にそう叫ばずにいられなかった。
そこには数え切れないほどの人間が、まるで道場を取り囲むように集まっていた。
いつの間にこんな多くの人間が集まっていたのか――いや、それ以前に何故この人たちはここにこうして集まっているのか。
「あ、あんたたち――」
「待ちなさい」
群衆に声をかけようとした時、弘蔵さんが制するように俺の前に出た。
「こ、弘蔵さん!?」
「この者たちをよく見てみなさい。正気なものではない」
「え――」
弘蔵さんに言われて目を向けると、そのすべての人間の眼が気味が悪いほど、こちらを〝黙って〟見ていた。その眼は皆一様に死んだ魚の眼のように何処か虚ろで、感情というものが感じ取れない。
「な、なんだ……こいつら……人間か?」
「どうだろうねぇ……だが――」
弘蔵さんが何かを言おうとした時、群衆から一人の男が前に歩みでた。
「い……い……生きた……人間……だ……生きた……奴……喰らう」
男は意味不明な言葉を呟きながら、こちらに向かってくる。
男の眼は血走ったのものに変わり、常軌を逸していた。
「こ、こいつ、何をする気だ!?」
俺はその男に対して身構えた。だが、それを弘蔵さんが手で制する。
「え……こ、弘蔵さん?」
「少し下がっていなさい」
「け、けど……」
「大丈夫だよ。少し確かめたいだけだから」
「確かめたい?」
俺は弘蔵さんの言葉を疑問に思いながらも、素直に従った。
「にが……にがさない! 襲う、喰らう、こ、こここ、ころす!」
俺が動いたことに触発されたのか、男は叫びながら両腕を前に突き出し、こちら向かって走り出した。
「やれやれ、逃げやしないよ。ちょっとお前を診せて欲しいだけさ」
弘蔵さんは落ち着いた声でそう言うと、道場から出て、男に向かって歩み出す。
弘蔵さんと男との距離は一気に縮まる。
「があああああ!」
男は雄叫びを上げると同時に、無造作に右腕を振り上げ、弘蔵さん目掛けて振り下ろす。それは一切思考がというものを感じさせない力任せの攻撃だ。
「ほ!」
弘蔵さんは当たり前のようにその腕を躱すと、その腕を掴んで捻った。すると、男はまるで紙切れのように浮き上がり、空中で一回転した後に地面に叩きつけられる。
「がぁ!」
男は叩きつけられると同時にうめき声を上げ、そして動かなくなった。
慌てて弘蔵さんのもとに駆け寄ってみると、男はだらしなく口を開け、白眼を剥いて、完全に気絶していた。
「倒した……?」
「ふむ、どうやらそうらしいねぇ。それにしてもこやつ、行動に道理が通っておらんな。まるで、人としての思考、意志が無いようだ」
「え……意志が? それって、まさか……人形?」
「いや、触れてみて分かったが、こやつの体は生きている。人間としてのは生体反応もあるようだ。言うなれば――〝生ける屍〟と言ったところか」
「い、生ける屍……? それって……」
弘蔵さんの発したその言葉に俺は聞き覚えがある。あれは確か――。
〝真夜中の如月町と皐月町には生きた屍が俳諧している〟
「そ、そうだ! あの噂だ!」
「ふむ……何か知っているようだねぇ?」
「え、ええ。如月町と皐月町に流れて噂に似たようなのが……まさか、これって大神の……」
「そういうことか……どうやら、先手を打たれたらしいねぇ。一輝君、その大神とやらの能力は何か知っているかい?」
「え? ええ、確か人を操る能力だとか――ま、まさか!?」
弘蔵さんから聞かれた事に答えている途中で、俺はこの目の前いる群衆の正体が何なのか気がついてしまった。
でも、そんなことがありえるか!?
「なるほどねぇ……どおりで見知った顔が混ざってるわけだ」
「そ、そんな……それじゃあ、こいつらは……」
「ああ、君の想像通りだろう。こやつらは、人形でも、生体錬成された生物でもない。この町の住人だよ」
弘蔵さんは表情一つとして変えることなく、確信を言葉にした。
だが――それではおかしい。栗栖女医の言う通りだとすれば、大神の能力は人が内に隠し持っている願望を膨らませて、理性を奪うものだったはずだ。けれど、こんな行動を取ることを望んでいる人間などいるようには思えない。
それじゃあ、これは大神の能力ではない? また、魔術の一種か何か?
「一輝君、考えるのは後だ。どうやら、一人やられたことでざわつきだしたようだ」
「え――」
弘蔵さんに言われて、群衆に目を向けると、確かにざわざわと騒ぎ出している。
「やられた」
「シンダ?」
「餌、ウゴク」
「キケン」
「エサ、喰う」
「喰う、そして、ナカマ、フヤス」
「危険、排除」
「そうだ、ハイジョだ」
「キケンはハイジョ、エサはクウ、ナカマフヤス」
「ソウダ、ソウダ!!」
「ソウダ――キケンはハイジョ、エサはクウ、ナカマフヤス」
まるで意思統一を図ったかのように群衆は声を揃う。そして、その意思統一が終えると、群衆はこちら向かって行進し始めた。
その人間の言葉とは思えない言葉に、その行動に、俺は戦慄した。
弘蔵さんの言う通り目の前の人間達からは人らしい意志や感情が一切感じ取れない。だが、間違いなく俺達を狙い、襲おうと行動を起こしている。
群衆は、ただ一つの目的の為に動き出している。
「く、くそ! こんな数に一気に襲われたんじゃ……」
逃げ出すこともできない。ましてや、一ノ宮のもとに向かうなんて事、不可能だ。この場から抜け出す方法を見つけない限り。
けれど、戦うことは論外だ。これだけの無量大数を相手して勝つも負けるもない。踏み潰され、蹂躙されて終わるのみだ。それに、迫ってくる群衆はこの町の住人だ。殺すことは疎か、傷つけることですら気が引けてしまう。
「やれやれ……厄介な連中だねぇ……」
「え……弘蔵……さん?」
弘蔵さんはさも当然のように進み出て、迫り来る群衆の前に立つ。
「一輝君、こうなっては致し方ない。誰も傷つけることなく、この場を凌ぎきることなどできないよ」
「こ、弘蔵さん……け、けど……」
「心配しなくても大丈夫だよ。私なら、誰も殺さずにこの場から君を逃がしてあげられる」
「え……逃がすって……一体、何を考えているんですか?」
「何を? そんな事、君はもう分かっているだろう?」
弘蔵さんは俺に背を向けたまま、俺の問いに答える。
その老いた背中は、どこにでもいる老人のもののはずだった。だが、今は違う。その背中からは何者も寄せ付けない、威圧感が溢れていた。
俺はこの威圧感を知っている。これは、一ノ宮と同じものだ。まさか――。
「風よ――」
静かに――だが、すき通った声でハッキリと弘蔵さんはそう言った。その瞬間、弘蔵さんの周りに風が吹き荒れ始める。
「風の――能力!?」
忘れていた。今まで一度たりとも使っているところを見たことがなかったから、意識すらもしていなかった。弘蔵さんも一ノ宮と同じく風の能力者だったんだ。
「吹き飛べ」
弘蔵さんがその言葉を発すると同時に、突風が群衆に向かって吹き荒れる。
突風を受けた住人は吹き飛ばされていく。そして、突風が通った後を証明するかのように、群衆の中に道ができた。
「す、すごい……」
俺は絶句していた。先程まで絶望的な状況だったのに、たった一瞬、ひと吹きの風で、状況を一変したことに。
これが――一ノ宮家前当主の本当の力なのか。
「関心してる場合ではないよ! 道が閉じてしまう前に早く行きなさい!」
「え……行けって……弘蔵さんはどうするんですか!?」
「この者達を放っておくことはできまい。君がこの場を突破できるまで足止めしよう」
「け、けど、流石にこの数に一人じゃ危ないですよ!」
「黙って走りなさい!!」
一喝――それと同時に閉じかけた道に再び突風流れ込み、再び道が開ける。
「自分の目的を見失っていけないよ! 自分が何がしたいのか、何を守りたいのか、それを見失っていけない!」
「弘蔵さん……」
「あの二人を……頼むよ」
そう言う弘蔵さんの眼は真っ直ぐ俺を見据えていた。その眼は「君が怜奈を守るんだ」と語っていた。その眼を見て、俺は心を決めた。
「――はい!」
俺は声を上げると同時に走り出した。
開けた道は再び夥しい数の〝生ける屍〟よって閉じかけようとしていた。だが、突風が俺の横をすり抜けるようにして吹き荒れ、ソレを道から弾き出す。
俺は開いた道を駆けるが、風から逃れた幾人が襲いかかってくる。
「どっけぇえええええ!!」
俺は立ちはだかる者達を持っている木刀で凪払い、〝生ける屍〟の群の中を駆け抜けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
陽は沈み、外は暗闇に包まれ、刻一刻と運命の時が近づく。
それは、これから始まるであろう戦いに思いを馳せ、心を落ち着かせようと精神統一を行っていた時だった。気づけば、私達のいる事務所の周りには夥しい数の人間達に取り囲まれていたのだ。
「何よこれ? 一体何が起きてるの?」
ビルの三階の窓から外の異常な光景を眺めつつ、同じく外を覗いている間島に私は問いかけた。
「僕にも、何が何だか……けど、外の人たちがマトモじゃない事だけは確かだよ」
「そんな事は言われなくても分かってるわよ。アレ、何だと思う? 人間……かしら? それとも人形?」
私の質問の意図を察した間島は難しそうな顔をする。
「ここからじゃ分からないな……けど、魔術の気配はしない、だろう?」
「ええ……確かにね。なら、人間と仮定する方が自然ね。だとしら、これは奴の……」
そう――このタイミングで、こんな事態が巻き起こっている以上、あの男が、大神が関わっていないわけがない。これは間違いなく大神の仕組んだ事だ。
そう考えれば、眼下に広がる大群は全てが人間で、しかもこの町の住人であり、そして大神の能力で操られているという結論に至る。
だが、そこである疑問が浮かぶ。
「だとしても、おかしいわね。大神の能力は恐怖を引き金にしているはずよ。それなのに突然こんな大勢を操るなんて……」
「ええ、そうね。確かに変だわ」
私の意見に同意する声が後ろから聞こえきた。振り向くと、栗栖先生と真藤刑事が立っていた。
「テレス、下の様子はどうだった?」
間島は栗栖先生をテレスと呼び、そう尋ねた。
「とりあえず、問題ないわ。入り口と裏口は鍵を閉めた上でバリケードも張ったから、そうそう入ってこれないでしょ」
「そうか……」
間島は溜息をつき、ちらりと真藤刑事を見る。
「何よ、間島? 何か言いたい事があるなら言いなさいよ!」
「あ、いや、その……すみません、こんな事になってしまって。あまり危険な目に合わせないつもりだったんですが……」
「何言ってんのよ、今さら。そんなのこっちはとっくに覚悟できてるわよ」
真藤刑事は呆れた表情で、間島に言い放った。
この人、案外肝が据わっている。女性刑事なだけはある。
「それでもやっぱり、僕は香里さんを危険な目に合わせたくなかったんですよ」
「はん! そんな事言ってポイント稼ごうとしても無駄よ。男ならちゃんと女性を守っていいとこ見せなさいよ! ま、私はアンタなんかに守られるつもりないけどね」
「ハハハ……流石、香里さんですね……」
心中複雑なのか、間島は苦笑い浮かべている。その表情はちょっと悲しそうに見えた。
そんな間島を見ながら栗栖先生はクスクスと笑っている。
「フライシュも大変ねぇ……ま、そんなことよりも今はさっきの話の続きをしましょう」
栗栖先生がそう言うと、一気に場の空気が元の緊張感に包まれた。
「ええ、そうですね。栗栖先生、大神の能力はあんな大勢を操ることができるのですか?」
私の質問に栗栖先生は複雑な表情を浮かべ、考え込んだ。
「どうかしら……あんな大勢を操ったとこなんて見たことないし、分からないわね。でも、そもそもあれだけの数に恐怖を植え付ける事自体難しいわ。それに言ったでしょう? 本人の意思と無関係な事はさせられないって」
「やっぱり……だとしたら、これは奴の能力ではないのかしら……」
再び思考が逆戻りする。下の大群の正体が人間で、この町の住人だと仮定しても、それを操っているのが魔術なのか、能力なのか分からなければ対処ができない。
例えば、魔術ならばこれだけ大勢を操るとなると、それぞれに催眠魔術をかけるのは、まず不可能だ。だが、特殊な結界か何かで、その中にいる人間を催眠状態にしてしまう事も考えられる。その場合は、結界を壊してしまえば、この場を収める事も可能だ。
そして、能力ならば、その能力を操る能力者を止めない限り、彼らの催眠状態が解かれることはない。つまりは、大神を倒すしかないということだ。
だが、現状ではどちらもあり得ないような気がする。
魔術にしては規模が大きすぎる上、その痕跡が感じ取れない。大神の能力だとしても、その能力の範疇を超えているように思える。
「この際、それはもう考えない方がいいだろう。今の材料だけでは判断できないよ。むしろ今は、この状況をどう判断するかの方が重要だ」
考え込んでいる私と栗栖先生に向かって間島がそう意見してきた。
「どういう意味?」
間島の意図が理解できず、私は尋ねた。
「さっきから変だと思っていたんだが、奴らは襲ってこない。いくら、バリケードを張ったからと言っても、あの大人数に一気に攻められたら一溜まりもないよ。なのに、奴らは襲ってこない。じっとこちらを伺っているだけだ」
「確かにそうね……一体、何を考えているのかしら?」
「この場合、僕たちが出てくるの待っていると考えのが普通かな」
「私達が? なんでよ? 出てくるの待ってなくても、襲うつもりなら攻め込んでくればいいじゃない?」
「まぁ、この大群を用いて敵を討つことが目的ならそうだね。けど、足止めするためと考えたらどうだろう?」
「足止めか……確かにそれなら奴らの行動も頷けるわね……」
足止めが目的ならば、無理に襲ってくる必要はない。これだけの大群で迫って来られれば、誰も打って出ようなんて思わない。籠城してしまうことだって変なことじゃない。
敵の目的がもし私達に籠城させて、足止めさせることなのだとすれば――。
「これは単なる時間稼ぎってこと!?」
私が確信に触れると、間島は黙って首を縦振った。
「なら、打って出た方がいいわね。このままじゃ、マリオの思うつぼよ。見たところ奴らは普通の人間っぽいから、一人一人の戦力はないに等しいはずでしょ? なら、突破することも無理な話じゃないわ」
栗栖先生は下に群がっている人間達を見ながら、そう言った。
その提案には私も賛成だ。このまま此処にいても何も始まらない。ならば、こちら側から動くしかない。
間島も同意見だったようで、頷いている。
「ちょっと、待って! 打って出るの賛成だけど、ちょっと問題があるわ!」
誰もが打って出ることを考え出した中、真藤刑事は静止を求めてきた。
「なんですか、香里さん? その問題って言うのは?」
間島が真藤刑事に尋ねた。
「あの人達はこの町の住人でしょ? 殺すことは絶対できないわ。いいえ、できることなら、なるべく傷つける事も避けたい程よ。それなのにどうやって突破する気なの?」
「そ、それは……」
考えていなかった。間島は主に銃が武器、栗栖先生は魔術、私は風の能力、どれも威力がありすぎるものばかりだ。これでは下手すると殺してしまいかねない。
考えもしていなかったことに戸惑っていると、間島はそんな私とは正反対に微笑んでいた。
「何よ、間島? 何か考えでもあるの?」
私が尋ねると、間島は頷いた。
「うん、そうだよ。取って置きなのがね」
間島はそう言うと、事務所の隅に置かれている段ボールの中をごそごそと漁りだす。そして、段ボールから何かを取り出した。
「これを使えば、問題ないよ!」
そう言って、間島は取り出した物を私達に見せた。
それは、見たところ普通の銃だった。
「ちょ、ちょっとそれ銃じゃない!? どういうつもりよ!!」
「落ち着いて、香里さん。これは本物の銃じゃないよ。モデルガンだ」
「モデルガンですって? で、でも、それでどうするって言うのよ?」
「実はコレ、ちょっと改造してあるのですよ」
「か、かいぞぉ? 何それ? どんな改造してるって言うの?」
真藤刑事がそう尋ねると、間島は得意そうにフフンと鼻を鳴らし笑う。
「なんと、コレはショックガンになってるんです!」
「しょ、ショックガン!?」
「ええ、まぁ、この銃自体はモデルガンですがね。秘密は弾の方にあるんですよ」
「え、弾?」
そう言うと、真藤刑事は間島から銃を受け取り、マガジンを取り出した。そのマガジンの中には小さな黄色い弾が入っていた。
「その弾は当たると弾けます。それと同時に弾の中に溜めておいた電撃魔術が発動して、対象を痺れさせるようになってるんですよ」
「それも魔術……か。アンタ、ホントに魔術使いって奴なのねぇ……」
真藤刑事は戸惑いながらも関心していた。
「モデルガンは二丁しかないから、僕と香里さんが。悪いけど、怜奈君とテレスは、加減しながら戦ってくれるかな?」
間島の奴、平気な顔して結構とんでもないことを言ってくる。
加減して能力や魔術を使うのは本来難しい事だ。だが、今はそんな文句を言っている場合ではない。
私と栗栖先生は顔を見合わせて、頷きあった。
「分かったわ、間島」
「難しい事、言ってくれるわねぇ……ま、なんとかなるでしょ」
準備は整った。後は実行に移すのみだ。
大丈夫だ。これならば必ず突破して、如月学園にたどり着けること出来る。
待ってて、聖羅。必ず、あなたを助けに行くから。
私は決意を胸に大群の前へと歩み出た。




