第32話「犠牲」・後編
「ば、ば……か……な」
「え――」
気づけば、男は姿を現していた。忽然とエールの目の前に現れ、立っていた。
ただし――胸から血を流し。
「気づくのがちょっと遅すぎたね、〝魔術使い殺し〟」
「て、てめぇ……アイツの……能力を?」
男は胸を片手で抑え、苦しげにエールに問いかける。
「ああ、その通りだよ――」
それはエールの言葉だった。そして、確かにエールの声だった。だが、それは今私達の前に立っているエールのものではない。どこか、別の場所から――。
「君の仲間の能力者を殺して、能力を〝略奪〟したんだ」
エールの声で、その声の主は暗闇から姿を現す。
「う、嘘……なんで……」
私が驚愕した。いや、もはや驚愕という言葉では言い表せない程驚いていた。
「エ、エールが……二人!?」
暗闇から現れた人物――それは、なんとエールだったのだ。
「同時多重存在――自身を複数の存在に分裂させ、同時刻に別々の場所に存在させることができる能力、だったかな?」
暗闇から現れたエールは不適な笑みで男にそう言い放った。
「て、てめぇ……オレの仲間の能力まで……ホント、魔会の……連中は……最低……だ」
男は振り絞るようにそう言うと、バタリとその場に倒れ、動かなくなった。
「ふぅ……なんとか間に合ったか……」
私の目の前に立っているエールは、深い息を吐きながらそう言うと、片膝をついた。
「エ、エール!」
エールのその姿を見た私はまだ自由に動かない体を無理矢理起きあがらせる。
そんな私に気づきエールは私の方に振り返り、優しい微笑みを向けた。
「大丈夫だよ、テレス。ただの時間切れだから」
「え……時間、切れ?」
エールの言っている意味が分からず、私はそう呟いたが、その意味はすぐに分かることになる。
私の目の前にいるエールの体は霧のように突如として消えた。
「え……なんで……」
消えたエールの姿に私は驚愕した。
「はは……大丈夫だよ、テレス! 能力が時間切れになっただけだから!」
驚いて硬直していた私に、離れた位置にいるもう一人のエールが笑いながら、そう言ってきた。
「そ、それじゃあ、そっちが本……物?」
「そうだよ? ま、この能力ちょっと特殊だからね。時間制限もある上、分裂する時に自分の持ってる力を振り分けなきゃいけないみたいでさ。さっきの僕には〝時間逆行〟の力、そして〝魔術〟の力を割り振っておいたんだ。おかげで僕の方は魔術も使えなくて、あの男を銃で撃つしかなくなっちゃったけどね。でも、上手く行って良かったよ!」
エールは淡々と笑顔のまま〝同時多重存在〟の能力の説明を行っていく。難しい事は私には分からないが、それでも分かった事があった。今のエールからは殺意や警戒心というべきものがない。終わったのだ。すべてが――終わったのだ。
エールの笑顔で私も安堵した。全部が終わったのだと分かり、全身から力が抜けていくのが分かった。
だが、その安堵が――私達にとって命取りとなった。
ガチャリと、銃器音する――。
「え――」
私とエールは音の方へと顔を向ける。
そこには倒れながらも銃を持ち、その銃をマリオに向ける〝魔術使い殺し〟がいた。
「はは……このまま……死ねるかよ」
男は苦しそうな声で途切れ途切れにそう言いながら、引き金を引こうとしていた。
「そ、そんな! あいつまだ!?」
「いけない! マリオ!!」
エールは叫ぶと同時にマリオのもとへと飛び出す。だが、本物のエールからでは私とマリオがいる位置まで距離がありすぎた。エールからでは間に合わない。もちろん、体が思うように動かない私にも無理だった。
そして――銃声は鳴り響いた――。
「え……」
その瞬間、私は呆然とした。いや、何が起きたのか理解するのに時間が必要だった。
エールが――倒れているマリオの前に立っていた。こちらを向いて、顔を俯かせて。
「エ、エール?」
私はエールに呼び掛ける。だが、エールは俯いたまま、何も喋ろうとしない。そんなエールに私は言いしれぬ不安に駆られた。
「エール? どう……したの?」
再びの呼び掛けに、エールはゆっくりと顔を上げる。その顔は、ほっとした表情で、とても優しくて、そして――辛そうな顔だった。
「エール、あなた――」
「う……」
その最中、マリオが小さな呻き声と共に目を覚ます。
「よかった……無事で……何よりだ、マリオ」
目を覚ましたマリオにエールは微笑む。
「エ……エール? 俺は一体……つ! 体が重い……」
自分の置かれている状況に戸惑うマリオ。当たり前の反応だ。気づけば、目の前に仲間がいて、体も自由に動かせない。こんな状況をすぐに理解できるわけがない。
だが――マリオはすぐに気がついた。エールの異常に。
「エール……お、お前、それ……」
エールの姿にマリオは目を見開き、愕然とした表情を浮かべていた。
エールの胸からはじわりと真っ赤な染みが広がり始めていた。
「はは……まいったな……しくじちゃった……な……」
エールは弱々しく呟くと、その場に崩れ落ちた。
「エール!!」
倒れたエール見た瞬間、私は叫んでいた。そして、思うように動かない体を引きずり、エールの側へと寄る。
「はは……ざ、ざまぁ……み……」
銃を撃った〝魔術使い殺し〟は、エールのその姿を見て、薄ら笑みを浮かべて、そう呟いた。
「〝魔術使い殺し〟!! き、きさまが――」
マリオは〝魔術使い殺し〟の存在に気づき、男に殺意を向ける。だが、その殺意は直ぐに立ち消えることになった。
男は――〝魔術使い殺し〟は既に事切れていた。
そして、エールは――――。
「エール!」
エールの傍らで、私は彼に呼び掛ける。
「や、やぁ……テレス。ちょっと……失敗した……みたいだ」
「エール、あなた……」
「はは……やっぱり……フライシュの……ようには……いかないなぁ……」
自嘲気味に苦笑いを浮かべるエールのその声は途切れ途切れで弱々しかった。
血は滴り、エールを中心に池のように広がっている。
「なんでだよ……なんで、なんで俺なんかを庇ったりした!?」
エールの傍らで、マリオは叫ぶようにしてエールに問いかける。
マリオは戸惑っていた。そして、恐らくはエールに怒りすら感じていたのだろう。エールはフライシュを――仲間を一度は自らの手で切り捨てた人間だ。それが、何故、自分を助けたのか、と。きっとマリオはそう思わざるおえなかったのだ。
だが、エールはその怒りに、微笑み返す。
「そ、そん……な……の……」
エールはそこまで声に出した後、困った表情を浮かべた。そして、彼は私の右手を握り、私に向かって何かを囁く。それはもはや唇が動いているだけで、声になっていなかった。
「え? 何? どうした――」
問い返そうとした時、私は全てを察した。
もう――エールには喋るだけの余力が残っていないのだと。そして、彼と会話をするためには、私の能力で互いの意識を繋げるしかないだと。
「お、おい、テレス、なんだよ……どうしたんだよ?」
マリオはそんな私やエールの様子に戸惑う。
「わかったわ、エール!」
溢れそうになる涙を私は拭う。そして――。
「マリオ、手を出して。私の手を握って」
マリオに左手を差し出す。それにマリオはさらに戸惑った表情を浮かべる。
「な、なんだよ、急に! 一体、なんだって――」
「いいから早く! 早くしないと……エールの最期の言葉が聞けなくなるわ!」
「さ、最期って……」
私の言葉にマリオは絶句した。信じられないとでも言いたげな表情だった。けれど、それが現実だと理解すると、彼は深刻な面持ちで頷き、私の左手を握った。
物理的な接触――これでより深く互いの意識を繋げることができる。心の奥深くの気持ち。そして、記憶すらも。それをエールは知っている。
つまりは――これからエールが私達の意識に語りかける言葉は、彼の〝遺言〟なのだ。
『ごめんね、二人とも。最期がこんな形で』
最初に私達の意識に流れ込んできたのそんな言葉だった。それは本当に申し訳なく思っている謝罪の気持ち。意識深くで繋がっている私達の間では、もう嘘はない。ここで語られるのは全てが真実なのだ。
『これから君たちに見せる僕の記憶はすべて真実だ。本来なら君たちに教えるのはもっと先になるはずだったんだけど、僕がこんな状態だ。仕方ないね。きっとこのまま伝えないままでいるよりはいいと思うから』
そこまでエールの心が声が聞こえてきた後、私達の意識にエールの記憶が流れ込んできた。
まずは、フライシュが生きているという事実だった。エールはフライシュを殺さず、彼の逃亡を手助けしたのだと、この時私達は初めて知った。彼が今までこの事実を隠してきたのは、私達とフライシュを思えばこそだった。
彼は私達の仲間意識がフライシュを追いつめることになると知っていたのだ。私達がフライシュが生きている事を知れば、きっと彼を追いかけるであろう事、そして、それが組織に知られ、逃亡者であるフライシュが生きているという事実が明るみになり、彼に追っ手がかかるであろう事をエールは知っていたのだ。
エールが私達にフライシュを自らの手で殺したと言ったのは、私達からフライシュへの思いを断ち切らせ、私達とフライシュを守るための演技だったのだ。
そして、もう一つの真実。それは今回の襲撃について。
エールは今回の襲撃について、事前に知っていた。それは、この襲撃そのものが魔会のごく一部の一派が計画したものだからだ。
私達がいた組織施設は、魔会の所有物ではあったが、それを利用していたのは、魔会の内のある一派だった。その一派はある時、能力者一掃という恐ろしい計画を打ち出した。そして、その計画の要となるのが、私達のような魔術と能力を兼ね備えた人間だ。
その一派は、幼い頃から能力者を徹底的に管理し、能力者をコントロールし、計画を遂行することにした。そのために、わざわざ私達の親を殺し、私達を孤児にした上で、引き取るという回りくどいやり方をして。
そして、私達はその一派の思惑通り、魔術使いとしても、能力者としても、利用できる存在となった。
だが、それを知った魔会の別の一派の幹部は、その計画に激怒した。私達が属していた一派が、能力者を利用してまで能力者狩りをする強硬派ならば、その一派は能力者討伐には魔術使いの手でと考える保守派と言っていいのだろう。その保守派は、強硬派の危険な計画に知り、その強硬派そのものを抹消することを目論んだ。
それが、今回の襲撃だ。ただ、その襲撃に保守派の魔術使いは一切関わっていない。魔会が魔会の一派を、同じ魔術使いを殺害するなど、そんな事実はあってはならない。それが彼らの考えだったらしい。そして、白羽の矢が立ったのが、今回の襲撃者、〝魔術使い殺し〟だった。彼と、そして彼の仲間は、実は傭兵のようなものだったらしい。保守派は、結果的に能力者を能力者に殺させるという、信じられない蛮行に出たのだ。
その事実は知ったエールは、自分達がどうすべきかを考え、そしてある計画を立てた。私達が自由になるための計画を――。
「俺達が自由に……?」
マリオはエールの記憶を垣間見て、戸惑っていた。〝自由〟の意味が、エールの立てた計画がなんであるかを理解できないでいたようだ。
『この襲撃を利用して、僕達も死んだ事にできないかと考えたんだよ。フライシュの時と同じようにね』
エールの意識はマリオの疑問に答える。
それは、私達が魔会という組織から抜けるという選択だ。
エールはずっと気に病んでいた。私達が、自分達が組織に利用され続けることになるという事実に。だからこそ、彼は私達に何も告げずに決断したのだ。
『でも、自分が死んだら元も子もないよね、ホント。はは……』
力なく笑うエール。その声は、その言葉は私達にとってあまりにも辛いものだった。
「馬鹿……野郎! 馬鹿野郎!! なんでだよ! なんで、そこまでして俺達を守ろうとするんだよ!!」
マリオの叫びが意識の中で木霊する。その叫び声は既に涙声だった。
『はは……マリオ、そんなの決まっているじゃないか。仲間だからに決まってるじゃないか。それにね……約束したから』
「約……束?」
それは何を意味しているのか、私には分からなかった。意識が繋がっていても、その意味が私達には伝わってこない。それは――もう彼の意識が消えかけている証拠でもあった。
「約束――まさかお前、フライシュとの、あの手紙に書いてあった……」
「え? あ――」
マリオの言葉を聞いて、私はやっと気がついた。
約束――それはフライシュが組織から抜ける際、私達に宛てた手紙の中にエールに向けて書いてあったこと。
〝エール、こんな事頼めた義理じゃないけど、お願いがある。あの二人を、テレスとマリオをどうかこれからも守ってやって欲しい。たぶん、君じゃないとできない事、なんだろう? これは僕からの最後のお願いだ。〟
エールもあの手紙を読んでいたのだ。そして、彼はその約束を頑なに守ろうとしていたのだ。
「そ、そんな……そんなことって……俺はそんな事も分からず、お前につらく当たって……」
『気に病む……事じゃ……ないよ、マリオ。君の……せいじゃ……ない……僕が……』
意識の中ですら、エールの声が途切れ途切れとなっていく。もう、彼は――。
「待ってくれ! エール!! 俺は――」
『あり……がとう……マリオ……ごめんね……』
「ダメだ、エール! 逝くな!!」
「エール!! 死んじゃイヤァ!!」
マリオと私はエールに呼び掛ける。彼を死なせたくない。その一心で。けれど――。
『ありが……とう……ふたり……とも、生き……て……』
その言葉と共に、エールは微笑みながらゆっくりと眼を閉じる。
「あ、あぁ! ダ、ダメだ!! 目を開けろ!! お願いだよ、エール!! エール!!」
マリオは何度も何度もエールに呼び掛ける。けれど、彼から返事が返ってくることはない。エールはもう――。
「マリオ!」
「テ、テレス、エールが……エールの声が聞こえない!」
ボロボロと涙を流しながら、マリオは私に懇願するようにそう言ってきた。そんな彼に私は頭を振り、涙を流しながら答える。
「エールは……もう……」
「え……」
私の言葉にマリオは表情を凍りつかせた。そして――。
「そんな……そんな……エール……なぁ、エール! 返事、してくれよ、エールゥゥゥゥゥゥウウウウ!!」
ただ虚しく、マリオのエールを呼ぶ声が木霊していた。
エールは――エールは微笑んだまま、安らかに息を引き取っていた。
*
その後、エールが死んで間もなくして、事態の収拾を図るべく魔会の本隊が到着した。そして、私達はその本隊によって保護された。
結局、私達は魔会から抜け出すことはできなかった。エールが望んだ結果とはいかなかった。
ただ、私達が生き残り、魔会に保護された事により変わるものもあった。
私達を保護した魔会の本隊を指揮していたのは、穏健派と呼ばれる一派の有力者だった。穏健派とは、強硬派とも保守派とも違う思想の一派だ。能力者討伐を掲げているのは同じだが、その理念に大きな違いがあった。
まず、危険性のない能力者に対しては一切の手出しを行わない。もちろん、能力者血族だからといって、殺すこともありえない。討伐を行うのは、人間に危害を加えたという事実がある能力者のみだ。
そして、穏健派が他の一派とは何よりも違う点、それは能力者を理解しようとする姿勢だった。能力の研究、そして、魔術と能力の平和利用への研究、つまりは能力者との共存を目的としていた。
そんな穏健派に保護された私達の口から強硬派と保守派が行った非道が漏れ、明るみになることで、穏健派はその二派の勢力を押さえ込むことができた。強硬派と保守派の有力者は失脚し、二派とも弱体化させることができたのだ。
そして、私達は穏健派によって暗殺という任務から解放されることになった。
私達は能力者として穏健派が行っている能力の研究に協力せざるおえなくなったが、それでも彼らは私達をあくまでも人間として扱ってくれた。私達には一介の魔術使い同様の自由が与えらることになったのだ。
そんな彼らに私は感謝し、積極的に彼らに協力を行うようになった。彼らはそんな私を迎入れ、私に対して研究施設の一角を与えてくれた。そうして、私はエールの死を忘れようと魔術と能力の研究へと没頭していった。私にとってはそれは充実した日々でもあった。
だが、マリオは――彼はエールの死を直視し続けた。
マリオにとってエールの死は深い心の傷になっていた。彼は、エールが死んだのは自分に力が無かったためと、自分を責め続けていた。私はそれを何度も否定し、彼に言い聞かせ続けたが、彼は聞く耳をもたなかった。その自責の念が彼をより強い力を求める亡者へと変えていった。
マリオは自身がより強力な魔術使いとなるべく、様々な魔術の研究を行い、修得していった。そして、彼は魔術使いとしても道を踏み外す。決して手にしてはいけない禁術に手を染めたのだ。
そして、いつしか、彼の自責の念と力を求める心がエールが死ぬ背景となった魔会と能力者に対しての復讐心へと変わっていった。
そうして、あの日――エールが死んで丁度三年が経過したあの日、彼は――――。
「待ちなさい、マリオ!」
「テレスか……よくここが分かったのものだ……」
私の背後からの呼び止めに、マリオは振り向きもせず、感情のない声で応える。
「あなた――魔会を抜ける気?」
「抜ける? 馬鹿を言うな。禁術に手を出した時点で、俺は魔会から除名されている。それに、抜けると言うならば、俺はあの日、あの時点で抜けている。俺は俺自身の意志で奴らを利用していたにすぎない」
「マリオ……それがあなたの答えなの? それがあなたが見出した生き方とでも言うの?」
その私の問いかけに彼はやっと私の方へと振り向いた。だが、そこには昔の面影など一片も残っていない冷たい表情があった。
「俺に――私に生き方など必要ない。私は力を求め、力を手に入れ、力を振るう。振るうべき相手に。それだけにすぎない。それだけの存在だ」
その冷たい声と言葉に私は何も言えなくなってしまった。
そんな私を見て、彼は無表情なまま踵を返し、私の前から去っていった。
エールが死んで丁度三年、マリオは私の前から姿を消した。




