第30話「バースデイ」・後編
夜、誰もが寝静まる時刻に僕は組織の施設から抜け出した。
組織を抜け出し、僕は施設近くにある森に一直線に向かった。その森の中に入ってしまえば、組織の者にすぐに見つかるおそれはなかったから。
僕は誰にも見つかることなく、その森の入り口にたどり着いた。だが――その入り口に立つ人影がそこにはあった。
「待っていたよ、フライシュ。そろそろ来る頃じゃないかと思っていたんだ」
「お、お前は――エール!!」
そこに立っていたのはエールだった。
エールは任務の時と同じ武装で僕の前に立っていた。
「お、お前……どうして……」
「どうして? 決まっているじゃないか。組織から逃亡しようとしている君を止めにだよ」
「……そうか……けど、止めるのに……説得するのに武装する必要はないだろ?」
「……そうだね……さすがはフライシュだ。相変わらず良い洞察力だ」
「馬鹿言え……それはお前が分かりやすくしてくれてるからだろ?」
「……はは……そんな事も分かっちゃうところが凄いって言ってるんだよ」
エールは称賛の言葉を贈っているが、そこに笑みなどない。そこにあるのは任務の時に見せる魔術使いとして、暗殺者としての冷酷な顔だ。
「……僕を……殺しにきたのか?」
「ああ……その通りだよ。そう命令されてる。もし、君が組織から抜け出すような事があれば、殺せってね。仲間を殺せ、でなければお前達の命もないとも言われてるよ」
「やっぱり……か」
想像できていた。エールから真実を聞いた時から、いつかはそうなるのではないかと思っていた。僕はエール達を、エール達は僕を、そうやってお互いに監視させるために僕達は同じチームにさせられたのだ。どちらかが逃げたり、裏切ったりした時に始末をつけるために。
「エール、見逃してくれないか?」
「……僕の言ったこと聞いてたかい? 君を逃がせば、僕らは――」
「分かってる! けどさ、僕は知ってしまったんだ。僕自身がどう生きたいか、君の言った〝僕の生き方〟ってやつを見つけたんだよ! だから――」
「見逃して欲しいって言うのかい? すごいな……勝手にもほどがあるだろ? その君の望みの為に僕達に死ねって言うのかい?」
「そ、それは……」
その言葉に返す言葉見つからなかった。何よりも僕の言葉にエールは怒っていた。その怒った表情が今までに見たことがないほど恐かった。
けれど、エールは溜め息をつくとともに、すぐに元の冷酷な顔に戻った。
「フライシュ、もうよそう。君はここで僕に殺されるんだ。それで全て終わる」
「ま、待ってくれエール! 何か――何か他に手だてがあるはずだ! お前だって、僕を殺すことを望んでいるわけじゃないだろう?」
「確かにね……望んじゃいないよ。けど、それ以上にテレスやマリオ、そして自分自身の命も大事だ! そのためなら――」
「そ、そんな……そんなのエールらしくないだろ! どうしちゃったんだよ、エール!!」
「くどいよ、フライシュ! 生きたいなら覚悟を決めることだ!!」
一喝にも似たその言葉に、僕にはもうどうしようもない事を思い知らされた。僕に残された選択肢は二つしかないのだと知った。
一つは、エールの言うとおりに、僕がエールに殺されること。
もう一つは――僕がエールを殺して、この場を逃げ切ることだ。
二者択一。どちらを選んでも、僕にとっては地獄でしかない。
それでも――僕は僕自身の生き方を曲げたくなかった。やっと自分自身で見出した物なのだ。簡単に投げ出すことなんてできない。
「エール、わかったよ。けど、僕も譲れないものがあるんだ。だから――」
僕は決断し、忍ばせていた銃を取り出し、エールに向けた。
「――絶対に死ねない! たとえ、お前を撃ってでも僕は生きる!!」
それが僕が下した決断だった。
銃を向けられたエールは目を大きく見開き、驚いたような、関心しているような表情を見せた。そして――微笑んだ。僕が良く知っている優しい笑みで。
「え、エール?」
「良かった。君が答えを見つけてくれて僕は本当に嬉しいよ。これで僕は心置きなく、魔弾の射手を永遠に葬ることができるよ」
そこには満面の笑みがあった。敵意などどこにもなく、本当に嬉しいそうな顔がそこにはあった。
「お、お前、何を……」
「光よ」
「え――うわ!」
エールの短い呟きと共に、周りが光に包まれる。あまりの眩しさに僕は目を閉じた。
そして、光が消えたのを感じて目を開けた時、僕は驚愕した。
僕は――空を飛んでいた――。
「な、なんだこれ!? どうなってんだ!」
僕はあまりにも突然のことに驚き、身じろぎして足をばたつかせた。
「こ、こら! 暴れるんじゃない! 落としちゃうだろ!?」
「え――」
良く聞き覚えのある声が頭上から響いた。
僕は驚いて見上げると、僕の頭のすぐ上にエールの顔があった。
「まったく! 君ときたら、僕が運ぼうとするたびに暴れるね? 落ちたら冗談抜きで死ぬって分からない?」
「え、エール!? なんで――どうなってるんだ!?」
本当はどうなってるもこうもない。エールが僕を抱えて空を飛んでいるのだ。けれど、驚きのあまり、僕はそう言わざるおえなかった。
「はいはい。まだ施設からそんなに離れてないんだから、そんなにでかい声出さないの! 気づかれちゃうだろ?」
そう言って、怒ったように頬を膨らませるエール。その顔にはもうさっきまでの冷酷な顔はどこにもなかった。
「な、なんで……なんで、僕を抱えて空を飛んでるんだ?」
「そんなの決まってるじゃないか? 君を組織の目の届かない場所まで運ぶ為さ」
エールはあっけらかんとそう言い放った。その言葉に僕は開いた口がふさがらない程驚いた。
「組織の目の届かない場所までって……お前……」
「僕が本気で君を殺しにかかるなんて、できると思うかい? そんな事できるわけないじゃないか!」
「え……でも、さっき……」
「それは君の覚悟の強さを計るためのお芝居さ。あーでもしないと君の本心が分からないと思ったから」
「僕の……本心?」
「ああ、君が本当に望んでいるものが何か、それが知りたかったから。もし、自分が犯してきた罪の意識から死を望んでいたなら、本当に僕の手で殺してもいいと、僕は思ってた。でも、もし自分の生き方を見出して、それに向かって生きていく事を本気で望んでいたなら、君の助けになろうと決めていたんだ」
「え、エール、それ本気で言ってるのか!? そんなことしたら、お前は――テレスやマリオだって!」
僕がそう言うと、エールは気にすることもなくケラケラと笑い出した。何がそんなにおかしいのか僕には分からなかった。少なくとも、今している話は笑いながらするものなんかではない。
「はは! 鋭いくせに肝心な事には鈍いなぁ、フライシュは。僕がそんなヘマするわけないじゃないか!」
「は? どういうことだよ、それは……」
僕がそう聞き返すと、エールは再びケラケラと笑い出す。どうやら、僕の質問が間の抜けたものだったのだろう。
「心配しないで、フライシュ。さっき僕が言ったことは半分は本当だから。君にはちゃんと死んでもらうよ。永遠にね」
「な……なんだって!?」
僕がその言葉に驚愕すると、エールはさらに笑った。そんなに笑える話とは思えないのだが……。
「だーかーら、君は僕が殺したってことにするって事だよ! 察し悪すぎだよ、フライシュ?」
そう言って、エールは苦笑した。
僕を殺した事にする――つまりは僕が死んだように偽装すると言うことだ。
「あ、ああ! そいうことか! なるほどな……って! そんなことできるのか!?」
納得しかけて、気がついた。それは組織を騙すという事だ。そんな事、バレでもしたら、命がない。いや、バレる確率の方が大きい。
「心配いらないよ。ちゃんと考えがあるからさ。だからさ……」
「え……」
突然、エールの声の調子が変わった。酷く声が震えている。
「だから……君は何の気兼ねもなく……しっかりと人間として生きてくれ」
「エール……」
それはエールからの僕へと宛てた祝辞でもあり、決別の言葉でもあった。それを裏付けるように、エールは泣いていた。
「ごめんよ……最後はちゃんと笑って送り出すつもりでいたんだけど……やっぱりダメだった」
「いや……そんなことないよ。僕の方こそ……辛い役目をさせてごめん……」
気づけば、僕も泣いていた。男二人して、空を飛びながら泣いていた。もし端から見る者がいれば、なんとも不思議な光景だっただろう。
エールと僕はそこで言葉を交わさなくなった。そして、組織の施設から遠く離れた場所まで飛んでくると、エールは僕を降ろした。
「フライシュ、銃を置いていってくれるかい?」
「え? なんで……」
「それはもう君には必要ないのものだろう?」
「そ、それはそうだけど……」
僕が持っていたのは、僕が愛用していた銃だった。その銃は僕が初任務の時からずっと身に付けてきたもので、ある意味お守りのような物でもあった。いくら、もう銃とは無縁の人生を歩む覚悟を決めたとはいえ、その銃を手放すことに抵抗感があった。
「ごめんね……でも、君の愛用している物だからこそ、必要なんだ。君が死んだと思わせるには……」
「――そういうことか……わかった。持って行ってくれ」
エールの意図が読みとれた僕は迷わなかった。銃をエールに差し出した。
「ごめんね……それと、ありがとう」
エールはそう言って、僕の銃を受け取った。
銃を渡したことで、そしてエールのその言葉で、別れが近いことが分かった。だからこそ、言わざるおえなくなった。言ってはならないと分かっていても。
「エール……お前も……お前も一緒に来ないか?」
その言葉に口にした瞬間、僕は後悔した。やはり口にするべきではなかったと思い知らされた。
エールは酷く悲しい顔した。答えは聞かなくても分かっていた。けれど、エールは僕を真っ直ぐ見て、断言した。
「それはできない。僕はあの二人と共に生きると決めているから」
「……そうか……」
馬鹿な事を言ったと後悔するしかなかった。聞かなくても分かり切っていたことなのに――。
「でも……できることなら……君とも一緒に生きたかった。それは本当だよ……」
「エール……ありがとう……それから、ごめん……」
そうとしか返せなかった。その言葉が嬉しかった。そして、それ以外の言葉を言う権利は僕にはないこと知り、哀しかった。
僕は――エールを、テレスを、マリオを、仲間を〝裏切った〟のだから。自分の自由のために――。
「それじゃあ、僕は戻るよ……元気で、そして……さようなら」
「ああ……さようなら」
互いに別れの言葉を口にすると、エールは再び浮き上がる。
そのまま飛んでいくと思っていた。振り返ることなく、僕の前から消えるのだろうと。けれど、エールはそうしなかった。
エールは振り返った。そして、満面の笑みを浮かべ――。
「ハッピーバースデイ、フライシュ! これからは人として良き人生を!!」
エールは僕に向かってそう叫ぶと、今度こそ振り返ることなく空の彼方に消えていった。
「ありがとう……エール! 本当に……ありがとう!!」
聞こえているかは分からない。けれど、僕は泣きながらそう叫んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
新一さんは自分の過去をまるで懺悔するように告白していた。
俺達はそれを黙って聞き入るしかなかった。
新一さんにそんな壮絶な過去があったなんて知らなかった。一ノ宮が以前言ってた、新一さんが〝一ノ宮家以上の罪人〟という意味がやっと分かった。
「その後、無事組織から逃げきった僕は間島家に拾われ、間島新一という名前を手に入れた。けれど、驚いたよ。その間島家が能力者の一族である一ノ宮家に関わりがあったんだからね。運命――というべきかな? それとも、これは自分に与えられた罰か……とも考えたよ。君に出会ってそう思ったよ……」
そう言って、新一さんは一ノ宮を見つめていた。
言われた方の一ノ宮は少し戸惑っていた。新一さんの話には一ノ宮ですら知らない話があったからだろう。
「僕の話はここまでだ。これで満足かな?」
新一さんはそう言って、栗栖女医に向き直った。
「ええ……そうね。そこまで話してくれれば、私もその後の事を話しやすくなったわ……」
そう応える栗栖女医はどこか悲しそうに見えた。新一さんの話に何か感じるものでもあったのか。それとも、これから話すことにそれだけ辛い事実があるのか。
「教えてくれ。あの後何があった? エールに何があったんだ?」
新一さんは栗栖女医に再び問いかけた。自分の過去を話す前にした問いかけを。
「エールは……死んだわ」
「え……」
栗栖女医のその短い言葉に、新一さんは愕然としていた。
「死んだのよ……エールは……あなたのせいで……」
「なん……だって!?」
栗栖女医が新一さんを責めるように言った言葉に、その言葉に新一さんは酷く狼狽していた。
「話してあげるわ。エールが何故死んだのか。全部ね……」
そう言って、栗栖女医は語り出した。
その後の彼女たちの経緯を――。




