第26話「姉妹(前編)」
私の名前は一ノ宮聖羅。一ノ宮財閥の令嬢で、当主である一ノ宮蔡蔵とその妻、怜子の間に生まれた娘だ。
お父様は、いつも仕事で家を空けることが多かった。とても忙しい仕事をしているのだと執事の齋燈が耳にたこができるぐらい言われた。だから、お父様の迷惑にならないようにしなさいと――。
お母様は私が物心つく前に亡くなっている。病気で亡くなったのだと、これも執事の齋燈から聞かされた。
父も母もいない家庭だった。寂しくないと言えば嘘になる。でも、孤独ではなかったし、それほど寂しいとも思わなかった。だって、私にはお姉様がいたから。
私には四歳上の姉がいる。名前は一ノ宮怜奈。お姉様は私にとって憧れの存在だった。綺麗で、優しくて、凛々しくて。同じ女性で、しかも実の姉であるのにも関わらず、私はそんな姉に本気で惚れしまった次期すらあった。
そんなお姉様は私が幼い頃から何時だって私に優しく接してくれた。まるで、母親のように――。
それでも、父も母もいない日々に寂しいと思う時があった。小学生の低学年の頃なんかは、授業参観にいつも私の親だけがいなかった。授業参観だけに限らず、クラスの子の親が集まるイベントには、私の親だけがいない事に酷く寂しい思いをしたのものだ。
お母様がいないのはどうしようもない。亡くなっている以上、何を言ったところで、寂しがったところでどうにもならない事だ。けど、お父様は何故来てくれないのだろう――と、子供心によく思っていたものだ。
お父様は別に子供に冷たい父親だったわけではない。たまに家にいる時は私の事もよくかまってくれていた。家で見るお父様は優しい良き父親だった。
だからこそ――私は自分の寂しさをお父様に訴えることができなかった。子供だった私にもお父様がどれだけ忙しくて、大変なのか理解できていたから。
そんな時は決まってお姉様に泣きついていた。
「ねぇ……おねえさまぁ……」
「あら? 聖羅、どうしたの?」
自分の部屋で勉強しているお姉様は私の呼びかけに気づき、私の側に寄ってくる。
お姉様は腰を下ろし、目線を私に合わせ、微笑みかけてくれる。その微笑みがあまりにも優しくて、私は泣き出してしまっていた。
「ぐす……」
「どうしたの? 泣いてちゃ分からないわよ?」
「うん……あのね……」
「うん、なぁに?」
「どうしてお父様はいつもいないの?」
「うん……そうだね……」
お姉様は私の問いかけに少し困った顔をして、微笑む。
「私、寂しいよ……」
「そうだね……でも、私もいるじゃない? それに齋燈も。だからね? 寂しい時はいつでも――」
「違う! 違うの!!」
「え……」
「お姉様でも齋燈でもダメなの! お父様じゃないと……授業参観も運動会も意味がないの!」
「聖羅……」
子供の我が儘にすぎなかった。私はただ自分の寂しさのあまりにお姉様に八つ当たりをしているにすぎなかった。
それでもお姉様は――。
「ごめんね……聖羅」
「どうして……どうして、お姉様が謝るの?」
そう尋ねると、お姉様は少し悲しそうに、そして悔しそうに唇を噛みしめた。
「私がもっとしっかりしていれば、お父様のお手伝いできて、お父様も聖羅と一緒に居られる時間が増えるのに……私が頼りないばかりに……ごめんなさい」
「そんな……そんなことないよ!」
お姉様の悲しそうな顔を見ていると、そう言わざる負えなかった。
「聖羅……」
「お、お姉様はいつだって私と一緒にいてくれてるもん! だから、だから……えっと……なんだっけ……だ、だからね!」
「ふふ……」
何を言えばいいのか分からなくなって、シドロモドロになってしまっている私を見て、お姉様は微笑んだ。そして、私を引き寄せ抱きしめた。
「お、お姉様……?」
「ありがとう、聖羅。私の方が逆に慰められちゃってね」
「そ、そんなことないよ! わ、私の方こそ、我が儘言ってごめんなさい」
「ううん、いいの。あなたはもっとお父様にも私にも我が儘言っていいんだよ? 聖羅はとっても〝良い子〟だから」
「良い子? 私が?」
「うん。だから、ね?」
「う、うん! ありがとう、お姉様!」
この頃の私は何の疑いも持つことなく、ただお姉様の言葉をそのまま受け取っていた。だけど、きっとこの頃からお父様もお姉様も私に隠し事をしていたんだ。いや、きっと私が生まれてきてからずっと隠していたんだ。でも、それに気づくには私はまだ幼すぎた――。
私が疑問を持ち始めたのは、それから数年後のことだった。
お姉様が高校生になってから、お姉様の様子は少しづつ変わり始めた。
それまではお姉様は普通に高校生活を満喫していたように見えた。学校で友達ができたらしく、いつも嬉しそうに高校に行っているように見えた。
けれど、数ヶ月後、お姉様から笑顔が消えた。
一体、何があったのか私には分からなかった。ただ、学校で何かあった事だけは確かだった。その頃から、お姉様は学校に行くことに前向きとは言い難かったから。
何があったのか聞きたかった。けれど、私が踏み込んでいいことなのかどうか、それはお姉様を見ていれば分かった。決して、私が踏み込んでいい事ではないのだと理解できた。
それでも、何も話してくれないお姉様に寂しさを覚えていた。
それから、一年と数ヶ月後、ちょうど如月町と皐月町に連続猟奇殺人が起きていた頃、私がお父様やお姉様に疑いを持つ決定的な出来事が起こった。
殺人鬼が彷徨くという不安な夜をおくる中、お姉様が一晩中帰ってこないという事態が起きた。それを知った私はその夜は心配で寝ることができなかった。
ここの所、お姉様の様子がおかしい事は気づいていた。ううん、お姉様だけじゃない。お父様もそうだ。それも、殺人事件が起きてから以降から。今回の事件とお姉様と関係あるとでもいうのだろうか――。
そんな不安を抱えたまま丸一日が過ぎた頃、お姉様が大怪我をして、入院したとの知らせ入った。私は大慌てで、病院に向かった。
「お姉様!!」
病室のドアを開けるとすぐに私はそう叫んでお姉様の姿を探した。
「聖羅……」
お姉様はベッドの上にいた。上半身だけを起こし、こちらを見ていた。その姿はこれまで見たこともないほど弱々しかった。
「よ、よかった……無事だったのね!」
「ええ……心配かけたわね。ごめんね」
「ううん、ううん! 謝らないで! お姉様が無事だったんだから……本当に良かったわ」
「ありがとう……」
そう言うとお姉様は弱々しく微笑む。
「でも、どうして怪我なんて……」
「そ、それは――」
私の質問にお姉様は口を閉ざす。
何故かは分からないが、怪我した理由を言いたくない様子だった。
「……私には話せない事?」
「う、ううん! そうじゃないの! そのね……ちょっと余所見しながら歩いてたら、バイクに当たっちゃって……」
「バイク……に?」
「え、ええ……」
そんなの嘘だ。お姉様は嘘をつくのが下手だ。すぐに分かってしまう。それでもお姉様が私に嘘をつく理由。それが何なのか私には分からない。姉妹なのに、どうして嘘をつかなければならないのか……。
「あのね、お姉様――」
「ごめん、聖羅……今は一人にしてもらえないかな?」
本当の事を聞きたかった私にとって、それは拒絶の言葉に他ならなかった。この件に関して何も話したくないという表れだった。
「そう……だよね。お姉様だって、今はつらいよね……うん、私、今日はこのくらいにして帰るよ」
「ごめんね……聖羅」
「だから、謝らないでって言ってるしょ? また、明日来るね!」
「ええ、ありがとう」
私は手を振って、病室を後にした。
結局、肝心なことは何も聞けないままだった。いや、話してもらえなかったと言うべきだろう。
ずっと感じていた。お父様も、お姉様も、私に隠し事をしているのだと。いつも私は蚊帳の外で、何も知らされないまま、ただ一ノ宮家の娘として生かされているだけなのだと――。
その後、お姉様は退院すると、高校を転校した。そこは全寮制の女学院だったため、お姉様はすぐに屋敷を出ることになった。
たまに屋敷に戻ってくることはあったが、さほど会話することはなかった。けれど、お父様とは良く会話されていたが。もっとも会話とは言い難いものが大半だった。お姉様とお父様は良く言い合いすることが多くなっていたから。
そして、お姉様はこれまで以上に笑うことが少なくなっていった。いつも厳しい目つきで、辛そうな顔をしていた。
結局、肝心な事は何も聞けないまま、私は屋敷に一人取り残された――。
*
お姉様は高校を卒業後、屋敷に戻ってきた。けど、すぐに屋敷を出ていくことになった。
その時はさすがに理由を尋ねた。どうして出て行くのか、と――。
「ごめんね、聖羅。でも、私は私のやりたい事のために家を出るの。だから……許して」
「そっか……それなら仕方ないよね。寂しいけど、私は大丈夫だから。もう高校生になるんだし、一人でも大丈夫だよ」
「ありがとう……聖羅……いつも、ごめんなさい」
お姉様は最後まで謝ってばかりで、そして最後まで私には本当の事を語らないまま、屋敷を出ていった。
*
それから数ヶ月後、お姉様はある一人の男性を連れて、屋敷に戻ってきた。
その人の名前は真藤一輝。お姉様が初めて屋敷に連れてきた知人であり、男性だった。
私は無性に腹が立った。どこの馬の骨とも知らない男がお姉様の側にいるという事実が。そして、何よりもその男がお姉様にとって、ただの友人ではないという事が見ていて分かってしまったから。
お姉様がその男に見せる微笑みが全てを物語っていた。優しく、安心しきった微笑み。それは昔、私に見せてくれていた微笑みに似ていた。ここ数年、私には見せてくれていない笑顔だ。
その笑顔を取り戻させたのが私ではなく、この男だった事に私は愕然し、そして許せなかった――。
そして――この男は私の知らないお姉様の真実を知っているのだと気がついた。
どうして、この男なのか――。
何故、私ではないのか――。
たった一人の妹なのに、私はお姉様の事を何も知らない。何もお姉様にできない――。
私はなんて無力なのか――。
『知りたいか? 真実を』
「え――」
それは突然、頭の中で響いた声だった。
『欲しいか? 姉を取り戻す力を』
「だ、誰?」
『望むならば与えよう。お前は欲するものを』
「私が欲しいものを?」
声はそこで途切れ聞こえなくなった。その声に私は自然と恐怖を感じなかった。そして、その声がきっとお姉様が私に隠している真実に導いてくれると確信した。
私が欲しいもの――それは――。
そして――あの人は私の前に現れた。
「何も知らぬ一ノ宮の娘よ。私はお前に真実を教えにきた。お前の父、姉、執事すらがお前に隠している真実を――お前が欲する真実を」
すぐに分かった。この人の声は、私の頭の中に呼びかけてきた声の人だと――。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
聖羅ちゃんは一ノ宮を拒絶した。そう断言できるほど、はっきりとした拒絶の言葉だった。
「せい……ら? なに? 一体どうしちゃったの?」
拒絶された一ノ宮は困惑した表情で、再び問いかける。それは、聖羅ちゃんの言っていることの意味が理解できていないようだった。
「……だから、どうもしてないよ」
「うそ! あなたが私にそんなこと言うなんて――」
「は? 何言っているの、お姉様? 私だったらそんなこと言う訳ないなんて、どこからそんな自信がくるの?」
「え……」
一ノ宮は表情を硬直させ、固まっている。聖羅ちゃんの口から出たと思えない程の冷たい言葉に、一ノ宮は愕然としている。
あまりにも今までの聖羅ちゃんとは言動が違いすぎる。一ノ宮に向ける言葉も視線も冷たいものに変わっている。
「なんで――なんでそんな事……言うの?」
それは絞り出すような声だった。未だに信じられないのだろう。一ノ宮は聖羅ちゃんに恐る恐る問いかけている。
「なんで? それを私の口から言わせるの? お姉様は……本当に最低だよ……」
「さ、最低って……聖羅、あなた――」
「でも仕方ないよね。うん、いいよ。全部話すね」
聖羅ちゃんはそう言うと深く息を吐き、一呼吸おいてから、冷たい微笑み浮かべながら再び口を開いた。
「ねえ……お姉様。私、知っちゃったの。お姉様の力と一ノ宮家の秘密を」
「え――今、なんて……」
「もう、しら切ってもダメだよ? さっきの全部見てるし」
「そ、そんな……」
それはあまりにも冷たい微笑みから出た言葉だった。それを聞いた瞬間、一ノ宮から血の気が引いていった。
一ノ宮の力、それは間違いなく彼女の風の能力の事だ。そして、一ノ宮家の秘密とは、その能力を使って昔から能力者狩りを行ってきたという暗部の事を指している違いない。
「そんなに驚く事じゃないよね? 私はお姉様の妹だよ? 知ってて……当たり前のことじゃない。それなに……それなのに……お姉様は私を騙し続けてきた!」
「せ、聖羅、待って! 私は別に騙していたつもりじゃ――」
「そうだよね。私に黙っていたのは規則だもんね。でもね、そんな事私は知らないよ! 私は――私はお姉様をずっと信じてきた! 憧れてきたの! それなのに……人殺しだったなんて……」
「ち、違う! 私は――」
「違わないよ! それとも何? 能力者とか魔術使いとかいう人は人間じゃないとでも言うの!?」
「そ、それは――」
一ノ宮は答えられない。聖羅ちゃんに言い返す言葉がない。彼女が言っていることも真実だから。能力者も魔術使いも人間だ。それは俺たちとどこも変わらない。それを殺すという事は人殺しに他ならない。
だが、それでも、一ノ宮家が――一ノ宮がしてきた事が間違いばかりとも言えない、と俺は思っている。そもそも、一ノ宮だって好き好んで能力者を殺そうしてきたわけじゃない。紅坂命の時も、荒井恵の時も、彼女は心を痛めていた。苦しんでいた。止むに止まれずの行為だったにすぎない。
それを聖羅ちゃんにも知ってもらえれば、きっと彼女だって分かってくれるはずだ。
「待ってくれ、聖羅ちゃん! 一ノ宮は――」
「真藤さんは黙っててください! あなたの言葉なんて聞きたくありません!!」
「そ、それでも聞いてもらわないと困るんだ!」
「は? 困る? 一体何が困るって言うんですか? あなたはただお姉様に気に入られたくて、お姉様の肩を持ちたいだけでしょ!」
「な――」
「聖羅!!」
一喝するように一ノ宮の声が飛ぶ。聖羅ちゃんはその声に一瞬ビックリとした表情をしたが、すぐに落ち着きを取り戻し、一ノ宮に視線を戻した。
一ノ宮は聖羅ちゃんを睨んでいた。その目は本気で怒っている。今まで聖羅ちゃんにそんな目をする一ノ宮を俺は知らない。
睨み合う二人。誰もが声をかけづらい状況だった。
「何よ……その目……そう、そんなにお姉様もこの人の事の方が大事ってことね」
「ち、違う! そういうわけじゃないわ! 私にとってあなたの方が大切よ!」
「嘘よ!」
「嘘なんかじゃ――」
「嘘よ! 嘘よ嘘よ嘘よ! じゃあ、なんでお姉様は私には微笑んでくれさえしないの! その男には笑って見せてるくせに!」
「え――」
聖羅ちゃんの思いも寄らない指摘に一ノ宮は驚きに似た表情に変わる。俺ですら思いもしなかった。一ノ宮が微笑む事は滅多にないが、それでも無表情ではなかったし、満面の笑みとは言えないが、笑って見せてくれる事だってあった。それが俺にだけ向けられたものとは思っていなかった。
「そうよ――お姉様は私の事なんてどうでもいいのよ!」
「ちが――」
「違わない! だってそうでしょう? その男は全部知ってるんでしょう? お姉様のお気に入りで、お姉様の事全部分かってて……それじゃあ、私がつけいる隙なんてどこにもないじゃない! どうして……どうして、私じゃないの? なんで、この男なのよ……」
「聖羅……」
それは悲痛の叫びだった。聖羅ちゃんは一ノ宮の事がきっと誰よりも大好きで、愛していたのだろう。それが裏切られたと思った瞬間、彼女の中で何かが壊れてしまったのだ。それは一ノ宮への想いや家族としての信頼が。
一ノ宮はそんな聖羅ちゃんになんと声をかければいいのか分からないでいるのか、彼女の言葉に何も言えないでいた。
「何も――何も言ってくれないんだね? いいよ……もう。お姉様とこれ以上話しても無駄だね……」
「ま、待って、聖羅!」
聖羅ちゃんが会話を打ち切ろうして、一ノ宮は焦って聖羅ちゃんの方に駆け寄ろうとした。だが、そこにある人物が目の前を阻んだ。
「そこまでにしてもらおう。答えは出た。彼女はお前のもとには帰らない」
一ノ宮を阻んだ人物、それは言うに及ばず大神だ。
「そこをどきなさい!」
「叶わない願いだ」
「退かないっていうなら――」
一ノ宮は焦りに駆られて、風を発生させる。
「フ――また、私を切り刻むか? 構わんが、その場合、後ろにいる妹も巻き添えをくうぞ?」
「な、なんですって?」
そう言われて、大神のすぐ後ろを確認すると、いつの間にか聖羅ちゃんが大神のすぐ後ろにいた。
「さて、どうする?」
「ひ、卑怯な……」
一ノ宮は悔しそうに唇を噛みしめる。
でも、何故聖羅ちゃんは大神の後ろにピッタリとついているか――まるで、あれでは大神につき従っているようだ。
「〝来なさい、聖羅〟」
「はい」
大神に言われ、聖羅ちゃんは素直に返事をすると大神の隣に寄り添うように並ぶ。
「せ、聖羅? 何してるの!? その男は――」
「知っているよ、お姉様。この人は魔術使いで、私に真実を教えてくれた人。そしてね、〝私の大好きなお姉様〟を取り戻してくれる人なの」
「い、一体何言って……」
理解に苦しむ聖羅ちゃんの言葉に一ノ宮は動揺していた。その言葉は間違いなく、これまでの聖羅ちゃんものとは違う。まるでそこには感情がこもっていない。
「聖羅、ここでの目的は達した。帰るとしよう」
「え、なんでですか? お姉様はどうするのですか?」
「心配いらん。明日にはお前が望む〝お前の姉〟が帰ってくる」
「はい。わかりました」
そんなやり取りが大神と聖羅ちゃんの間で交わされると、大神は外套で聖羅ちゃんを包み込む。
「き、きさまぁ!」
その行為に一ノ宮は殺意を灯らせる。だが、側に聖羅ちゃんがいる以上、手出しできない。
「慌てるな。妹を返して欲しければ、明日の夜に如月学園に来るがいい。そこで決着をつけてやる」
「か、勝手なことを! このまま逃げきれると思っているの!」
「逃げる? フフ――まあいい、そういうことにしておうこう。では、さらばだ。明日、会える事を楽しみにしている」
そう言うと、大神は聖羅ちゃんを外套で覆ったまま、身を翻す。
「待ちなさい!」
その後を追おうと一ノ宮は駆け出す。だが――。
「追うことは許さん。いや――無意味だ。お前の足止めは〝彼ら〟で十分だからな」
「か、彼ら?」
大神の言葉に困惑していると、茂みからの黒服に身を覆った男がかなりの人数現れ、一ノ宮の前に立ちはだかった。
「あ、あなた達!?」
一ノ宮はその者たちを見て驚愕した。それは間違いなく、一ノ宮家の精鋭達だった。
「〝足止めをしろ〟」
一ノ宮家の精鋭達に向けて大神はそう言った。
「は! 了解しました!」
大神の言葉に呼応して、精鋭達は何の迷いもなく返事をする。
「あ、あなた達まで……」
精鋭達の様子に一ノ宮は愕然としている。当たり前だ。信用に足るはずの精鋭に裏切られて、ショックを受けないわけがない。
大神はそれを見届けると、立ち去ろうとする。
「待て、マリオ!」
立ち去ろうとする大神をそう呼び止めたのは、それまでずっと事の成り行きを見守っていた新一さんだった。
「なんだ、フライシュ?」
「お前、一体何が目的なんだ?」
「目的か……そうだな、今回はこの娘を手中に入れる事と、お前に挨拶をしにと言っておこうか」
「……僕に?」
「ああ。だが、正直なところガッカリした。お前の力ならば、私だけを撃ち抜けるはずなのにな。それすらもしようとしないとは……失望した」
「くっ!」
後ろを向いたままの大神の言葉に新一さんは悔しそうに顔を歪めた。
そして、大神はそんな新一さんに目をくれることもなく、立ち去ろうとする。
「待ちなさいって、言ってるでしょ!!」
立ち去ろうとする大神を一ノ宮は後を追おうとする。だが、それを精鋭達が阻む。
「そこを――どけえええええ!!」
一ノ宮は激情に駆られ、風を巻き起こし精鋭達を吹き飛ばしていく。その風は勢いが強すぎて、俺たちですら動けなくなっていた。砂埃は巻き上げられ、前すら見えない。その砂埃で、既に大神も聖羅ちゃんの姿も見えない。
「い、一ノ宮!」
俺の呼びかけにも反応することもなく、一ノ宮は風を暴走させる。完全に一ノ宮は冷静さを失っていた。
「聖羅をかえせぇええええ!!」
その叫びと共に精鋭達をすべて吹き飛ばす。そして、大神を追おうとした時――。
「そ、そんな……」
大神と聖羅ちゃんの姿は見えなくなっていた。
一ノ宮はその場に立ち尽くし、呆然としている。
「返して……返しなさいよ……」
それは小さく呟くような声だった。そして、一ノ宮は大神の後を追おうと、前に進む。
「返して……私の大切な家族を……」
その足取りはふらふらとおぼつかない。まるで全身から力が抜けてしまっているようだ。
「聖羅を……妹を……返して……」
そして、その言葉とともに一ノ宮は前のめりに倒れた。
「一ノ宮!!」
俺は急いで一ノ宮の側に駆け寄った。
抱き起こし時には完全に意識を失っていた。そして、一ノ宮の目からは涙が流れ、頬を濡らしていた。




