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旋風と衝撃の狭間で  作者: みどー
禍ツ闇夜編
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第25話「集う者達」



 マンションから出た俺たちは、一ノ宮の屋敷に直行していた。

 34階が爆発し、マンションの周りには消防車やら救急車やら警察やらが集まりだしていたため、細心の注意を払いながらマンションから遠ざかった。もっとも――一ノ宮にはそんな事を気にしている余裕は一切無かったようだが――。


「だ、大丈夫でしょうかね? 誰にも気づかれなかったでしょうか?」


 前を走る一ノ宮を見ながら、俺は横を一緒に走っている新一さんに問いかけていた。


「ま、まぁ……たぶん。今はそんな事を心配している場合じゃないからね……」


 新一さんは困った表情をしながらも、そう答えた。


「それはそうなんですが……もし、誰かに見られていたりしたら――」


 間違いなく、俺たちはマンションを爆破したテロ集団と誤解されるに違いない。


「君が言いたいことはわかるけどね。今は聖羅君の方が大事だよ?」

「え、ええ。分かってます。急ぎましょう!」


 俺と新一さんは頷き合い、走る速度を上げる。気づけば、一ノ宮との距離がさらにあいていた。


「くそ! 一ノ宮のやつ、完全に冷静さを失ってるな。あんな全速力で走ってたらすぐに息があがっちゃうぞ……。新一さん、タクシーとかを拾った方が良くないですか?」

「だね。走るより断然速いだろうし……おーい! 怜奈くーん! ストップ! ちょっとストップだ!」


 だが、その新一さんの呼び止めにも一ノ宮はわき目もふらず、走り続ける。


「一ノ宮! 聞こえてるだろう! 止まるんだ!!」


 一ノ宮は俺のその言葉にやっと足を止めた。そして、こちらを振り向くと、その目は殺気立ち、ひどく恐い形相だった。それと同時に、その顔からは疲労が見て取れる。


「な、なんなよ! 早く向かわないと聖羅が!!」

「だからだよ。このまま走り続けていても、屋敷に着くのが何時になるかわからないだろう? タクシーを拾って向かった方がいい」


 気がはやっている一ノ宮に対して、新一さんは至って落ち着いた様子で彼女を諭す。


「け、けど!」

「君の気持ちも分かる。だけど、今は落ち着くんだ。君自身は気づいてないかもしれないど、君――今酷い顔色してるよ?」

「え……ぁ……」


 新一さんに指摘された途端、一ノ宮は足から崩れように態勢を崩す。


「一ノ宮!?」


 俺は一ノ宮が倒れる直前に抱き止めた。彼女の顔は青白く、疲労が色濃く出いていた。


「ご、ごめんなさい……私は大丈夫だから……だから早く屋敷に……」


 言いながら、俺を振り払おうとする一ノ宮を俺は肩を掴んで、引き寄せいた。


「え……」

「無茶言うなよ! そんな顔しているのに大丈夫なわけないだろ! 確かに聖羅ちゃんの事は心配だけど、その前に君が倒れた意味ないだろ? それだと、また俺が聖羅ちゃんにひっぱたかれちゃうしさ」

「ッ……」


 一ノ宮は俺の言葉に悔しそうに顔を歪める。だが、それも一瞬のことで、すぐに穏やか表情に戻った。


「……ごめん……なさい。そうよね……。間島――」

「ん? なんだい?」

「お願い。早くタクシーを……」

「ああ、分かっている。君たちはそこで休んでるんだ。すぐにタクシーをつかまえて戻ってくるから」


 そう言って、新一さんは走っていった。

 俺は一ノ宮を道の脇に座らせて休ませた。幸い人通りもなかったので、怪しまれることもない。


「一輝……」

「え……」


 休んでいると、突然一ノ宮が俺の名前を呼んできた。俺は驚いていた。一ノ宮の方から名前で呼んでくることなんて滅多になかったから。


「さっきは……ありがとう」

「怜奈……」


 恥ずかしそうにお礼の言葉を口にする一ノ宮に、俺は恥ずかしさ覚えながらも安心していた。殺気立っていた先程から比べると、ずいぶんと落ち着いて、冷静さを取り戻していた。けど――その拳は強く握りしめられていた――。



 新一さんは思いの外早く戻ってきた。もちろん、タクシーに乗って。

 俺たちはすぐにタクシーに乗り込み、一ノ宮邸に向かった。



             *



 一ノ宮邸の門の前にタクシーが止まる。タクシーから降りると、俺たちはすぐに異変に気づいた。

 電灯がついていない。誰もいないし、門も開いたままになっていた。


「聖羅!」


 一ノ宮はそれを見るとすぐに屋敷の方へと駆けだした。


「待て、一ノ宮!」


 一ノ宮は俺の呼び止めにも今度は聞かず、その足を止めることはない。


「ったく! こんな状況じゃ、何がいるか分かったもんじゃないのに! 俺たちも急ぎましょう、新一さん!」

「ああ、そうだね!」


 俺たちは一ノ宮の後を追うように走り出した。

 門をくぐり、一ノ宮邸の敷地内に入り屋敷に向かう道すがら、俺と新一さんは、その異常性に気づいていた。


「静か……すぎますね?」

「うん……それに人もいない。いくら夜中とはいえ、警備している人間がいないのおかしい」


 俺の言葉に同意した新一さんは、そう付け足した。

 邸内はあまりにも不自然な程静まりかえり、人の気配というものが一切ない。さらには、離れた場所に見える屋敷には電気がついていないように思える。まるでそれは幽霊屋敷のように思えた。

 気づけば、前を走っていたはずの一ノ宮の姿は既に見えなくなっていた。もう屋敷にたどり着き、中に入っているのだろうと、そう思っていた。しかし――。


「齋燈! しっかりしないさい! 齋燈!!」


 聞こえてきたのは、齋燈さんの名前を叫ぶ一ノ宮の声だった。


「どうした、一ノ宮!」


 一ノ宮の声を聞いて、俺たちは急いで屋敷の前に駆けつけた。そこには、驚くべき光景が広がっていた。


「さ、齋燈さん!!」


 そこには――屋敷の前で血だらけで倒れている齋燈さんがいた。その齋燈さんを一ノ宮は揺さぶりながら呼びかけている。


「うぅ……れい……さま?」

「さ、齋燈!? よかった! 意識を取り戻したのね!」


 齋燈さんは虚ろな目を彷徨わせながら、のぞき込んでいる俺たちを見渡している。


「み、皆さん……お戻りになられたのですね……よかった……」


 齋燈さんは苦しそうにしながらも、微笑んでみせてくれる。


「そんな傷だらけになってまで何笑ってるのよ! 一体何があったの!?」

「申し訳ございません……襲撃に遭い……無惨にも……」


 齋燈さんは本当に申し訳なさそうな顔で謝っている。


「やっぱり……それで相手は?」

「黒い外套に身を包んでいる者です。顔は……フードで隠しておりました。得体の知れない者で……数匹の黒い犬を使役しており……不覚にも……」

「く、黒い犬だって!?」


 俺は齋燈さんの口から飛び出した〝黒い犬〟という単語に驚かずにいられなかった。それは、あの如月学園に現れた犬の中にも〝黒い犬〟がいたことを思い出したからだ。


「ただの犬じゃありませんね? 齋燈さんが数匹の犬程度にそんな深傷を追うわけがない」

「……さすがは間島様……どうやらそのようでした。アレは使い魔の類かと……」

「だとしても、齋燈さんをここまでにするとは……」


 新一さんは難しい顔をして考え込んでいる。この状況に何か納得いかないようなことがあるのだろうか――。


「そんなことはどうでもいいわ! それでそいつは? 聖羅は無事なのようね?」

「聖羅……様? 聖羅様……そうでした! 聖羅様が奴に!!」

「な、なんですって!?」


 一ノ宮は顔を強ばらせ、顔面を蒼白させた。

 もう――聖羅ちゃんは権藤の仲間の手に――。


「ま、まだ間に合うはずです! ついさっき奴は聖羅様を連れて裏口の方に向かいましたから」


 え――ついさっき、だって?


「ということは、まだ聖羅は無事なのね!」

「おそらくは……」

「それなら――待ってて! 聖羅!」


 一ノ宮はそう言うと、駆けだし屋敷の中に入っていった。


「待て! 一ノ宮!!」

「お、お待ちください、お嬢様! 奴は――」


 一ノ宮は俺や齋燈さんの呼びかけに気づくことなく、屋敷の中に消えていった。

 おかしい――俺たちは権藤の罠にはまっている間、権藤と戦っている間、そしてここにたどり着くまでの間、かなりの時間があった。それなのに齋燈さんはついさっきと言った。一ノ宮が屋敷を留守にしていた時間はかなりあったのに、まるで俺たちがここに来るのを見計らっていたように。まさか――罠!?


「一輝様、間島様……私は大丈夫です! それよりも、怜奈様を追ってください! 奴に正面から挑むのは危険だ」

「ど、どういう意味ですか?」

「奴には……私の渾身の突きが効きませんでした。確実に当たっていたはずなのに……それが私が負けた要因です」

「え……当たったのに? なんで……?」

「分かりません……それに……」

「まだ、何か?」

「……分かりません……だが、奴が私の前に現れる直前、我が精鋭たちが同士討ちを始めるという事態が起きました……これも奴の仕業としか……」


 あの黒服の精鋭たちが同士討ちを始めた? なんだそれは――そんな事ありえるのか? あの統率された精鋭たちがそんな事を始めるとは、とても思えない。


「同士討ち……だって……」

「え? 新一さん?」


 呟いた新一さんの顔を見ると、呆然とした表情していた。


「そんな……いや、まさか……」


 新一さんは独り言を言いながら、頭を振った。


「私のことは気にしなくて結構です。それよりも早くお嬢様たちを!」


 齋燈さんをこのままにして置いていくのは正直不安だったが、齋燈さんのその目は懇願していた。俺は新一さんの方へと視線を向けると、新一さんは頷いた。


「分かりました! 一ノ宮と聖羅ちゃんの事は俺たちに任せてください! 行きましょう、新一さん!」

「あ、ああ!」


 俺と新一さんは、一ノ宮の後を追って土足のまま屋敷内に入り、そのまま廊下を駆け抜けた。そのまま、俺たちは裏口から外へと出る。


 外に出ると、そこには一ノ宮の後ろ姿があった。


「よかった! 無事だったか、いちのみ――」


 言いかけて言葉を飲み込む。一ノ宮は相対していた――黒い外套に身を包み、フードで顔を隠している人物と――。


「こ、こいつが齋燈さんが言っていた……」

「やっと来たか……真藤一輝」


 外套の人物は俺の姿を見ると、そう囁いた。


「なんで……俺の名前を……?」

「フ――不確定要素となり得る存在ぐらいは知っておいて当たり前だ。私は権藤と違ってお前を軽視するつもりはないのでね」

「ど、どういう……」


 奴の言っている意味がさっぱり分からない。俺が不確定要素? なんで――。


「もっとも――今はお前よりもそっちの方を警戒すべきか」

「え……」


 外套の人物は、俺の横を指さす。もちろん、そこにいるのは新一さんだ。指さされた新一さんは驚いた表情をしていた。


「へ、へぇ……怜奈君や一輝君じゃなく、僕とはね……」

「当たり前だ。権藤をやったのはお前だろう。それに魔弾の射手の恐ろしさよく知っている」

「な……に?」

「いや、魔弾の射手という呼び名は正しくなかったな――〝フライシュ〟」

「な――な、なんで、その名を――」


 〝フライシュ〟と呼ばれた直後、新一さんは硬直してしまった。その名で呼ばれた事が信じれない様子だった。


「フ――まだ気づかないのか? いや、認めたくないだけか?」


 言いながら、外套の人物はその身に纏う外套のフードに手をかけ――。


「それはそうだろうな。お前にとって〝私たち〟は忘れ去りたい存在だろうからな」


 そう言うと、外套の人物はフードを外した。


「え――そんな――あ、あなたは――」


 外套の人物の素顔が明らかになった瞬間、俺は自分の目を疑った。


「そ、そんな……お、大神さん!?」


 そう――フードの中から現れた人物、それは髪型は変わっていたし、頬に切り傷の後があったが、間違いなく大神操司、その人だった――。


「大神……いや、その頬の傷は……まさか、本当に……」


 新一さんは大神の顔を見た途端にさらに動揺していた。それは、権藤から真意を聞かされた時以上に動揺しているように思える。


「そうだ、フライシュ。私……いや、俺だよ。〝マリオ〟だ」

「マ……リ……オ……」


 一体その名が何を指し示すかは俺には分からない。だが、大神が言った〝マリオ〟という名を新一さんは反芻している。それでも、その心は此処に在らずと言った感じだ。それはまるで、本当に幽霊でも見たかのように驚愕している。


「フフ――驚きのあまり言葉を失ったか? まぁ、それはそれで助かるがな」


 その新一さんの様子に大神はあざ笑うように微笑む。その口調、その笑み、それらは俺が知っている掴み所のないピエロのような大神操司とは全くと言っていいほど違う。言葉には感情と言うものがなく、笑みも冷たいものだ。姿形は大神操司だが、それは既に似て非なるものだった。

 これは――本当にあの大神操司なのか? いや、それよりもさっきから〝フライシュ〟やら〝マリオ〟やら言っているが、それも一体何のことなのか――。


「さっきから聞いてれば……何勝手に話を進めようとしてるのよ! 私の質問にさっさと答えなさいよ!!」


 突然、一ノ宮の怒気を孕んだ言葉が新一さんと大神の間に割って入った。

 大神はその言葉に冷たい視線を新一さんから一ノ宮へと移す。


「やれやれ……戦友との感動的な再会といきたかったのだがな……せっかち者だな、一ノ宮の娘」 

「黙りなさい! 無駄口叩いてんじゃないわよ! こっちは聖羅をどうしたかって聞いてるよ!!」


 一ノ宮は大神を睨みつけ、怒鳴り声に近い声で詰め寄る。だが、大神は至って涼しげな顔をしたまま、冷徹な笑みを浮かべる。


「聖羅? ああ、お前の妹の事か。さて、ね……どうなっただろうな? 私も知りたいところだ」


 大神はやれやれと頭を左右に振る。その仕草は何ともわざとらしかった。


「ふざけてんじゃないわよ!! 聖羅を一体どこにやったのよ!!」

「フ――随分とあの娘の事を心配しているのだな?」

「当たり前じゃない! あの子は私とって大切な――」

「妹……か? 笑わされる。その大切な妹にお前は何をしてきた?」

「な……なにを……」

「何を? それは自分でも分かっていることだろう? お前はその妹をどれだけ欺いてきた?」

「黙れ……」


 欺いてきた――それは何のことなのか。一ノ宮が聖羅ちゃんを欺き続けてきた事、それは――。

 黙れと言う一ノ宮。だが、大神の口は止まることはない。


「お前は――いや、お前たちは次女であるという理由だけで、一ノ宮家の黒い真実から遠ざけ、欺き続けて――」

「黙れって言ってるでしょ!!」


 一ノ宮が叫んだ瞬間、一ノ宮の周りに猛烈な風が渦巻きだした。それは怒りに伴うものだとハッキリと分かった。


「フ――そうだ。それでいい。お前たちはそうやって都合の悪いものに蓋をし続けてきた。お前の父がそうであったようにな」

「その口を――閉じろぉおおおお!!」


 叫ぶの同時に猛烈な風はさらに勢いを増す。既に一ノ宮には誰も近寄れなくなっていた。


「ま、待つんだ、一ノ宮!」


 一ノ宮は完全に冷静さを失っている。大神の挑発に完全に振り切れてしまっている。これでは、奴の思うつぼだ。齋燈さんも言っていた――奴に正面から突っ込んではいけないと。奴の挑発は一ノ宮にそれをさせるものに違いないのだから。

 だが、一ノ宮は俺の制止を聞くことなく、怒りまかせ風の刃を放った――。


「フ――安い挑発に引っかかる娘だ」


 不敵に笑う大神。だが、決して動こうとはしない。風の刃は既に目前に迫っているのにも関わらず、避けようすらしない。


「な、なんで!?」


 避けようとすらしない大神に一ノ宮は愕然としていた。殺す気で放った刃ではある。だが、これを躱せない奴ではないという考えもあったはずだ。それが避けることもしないとは――。


 そして――風の刃は大神操司を切り刻んだ――。

 崩れ落ちる大神の体。バラバラとなって地に落ちる。


「ハァハァ……呆気ないものね……」

「や、やった……のか?」

「マ、マリオ……」


 一ノ宮も俺も新一さんですら、大神の死を疑わなかった。それぐらいまで、大神の体はバラバラになり、夥しい血が流れていた。だが――。


「なるほど――怒りに任せて力を奮う……か。〝彼女たち〟もそれなりに効果があったという事か」

「え!?」


 この場にいる全員が驚愕していた。聞こえてきた声――それは大神操司そのものだった。

 そして、愕然としている俺たちの前でさらに驚くべき事が起きる。


「そ、そんな馬鹿な……」


 新一さんですら、目の前で起きている事が信じられないようだった。それほど、衝撃的な事だが起きていた。

 バラバラとなった大神の体が、それぞれゆっくりと動き出し、組み合わさり、元の形を形成していく。切り刻まれた部分は繋がり、元通りになる。そして――大神は立ち上がった。


「そ、そんな……」


 そのあまりにも衝撃的な光景に一ノ宮ですら呆然としていた。

 だが、まるでそんな事はお構いなしという感じで大神は不敵な笑みを漏らし、口を開く。


「目的を達成できなくとも、〝彼女たち〟もムダではなかったと言うことか……」

「彼女……たち?」


 さっきから大神は一体何を言っているのか? 彼女たちとは一体誰の事を言っているのか――。いや、まさか――。


「紅坂命は〝命〟の尊さを知りながらも、自らを傷つける存在の排除を願った」


 え――紅坂命――だって?


「それと同時にもっとも仲の良い、そして最も憎むべき友に殺される事を望んだ。そして、お前はその望みを叶えた。それと同時にお前は自らの生存本能と人を殺す術を知った」

「な、何を言っているの?」


 意味を分からない。こいつは一体何を言っている?

 一ノ宮も訳が分からないのだろう。先程の怒りは既に完全に消えてしまっている。


「荒井恵は、自らを閉じこめる籠からの脱出を願った。それと同時に、外の世界の恐ろしさを知り、拒絶し、時澤叢蓮の狂気のための人形となり果てた。そして、彼女の願いはいつしか叢蓮と共に消えることに変わった。その望みをお前は自らの力で叶えた。それと同時にお前は人の狂気を知り、人を殺す躊躇いを捨てた」

「ま、まさか……あんた……」


 一ノ宮は口元を震わせている。言葉が言葉にならいほど。それは衝撃的な事実を知ったことによる驚きか、それとも怒りによるものか――。いや、この場合、そのどちらもだろう。


「そうだ――あの二人の願いを叶え、お前に差し向けたのは私だ」


 その衝撃的な事実が大神の口から放たれた瞬間、一ノ宮は大神に向かって駆けだしていた。


「あんたが――あんたがああああああ!!」


 それは哀しみの、怒りの叫びだった。一ノ宮は我を失ったように殺意を剥き出しにしていた。

 だが、それが裏目に出ていた。冷静さを欠いたその行動は、この男の前では命取りになる。


「やめろ、一ノ宮!!」


 その言葉も虚しく響くだけで一ノ宮の耳に届かない。そして、その刹那、大神の足下から黒い染みが浮き上がり、一ノ宮に襲いかかっていた。黒犬だ――。


「避けろ! 怜奈!!」


 その言葉に意味などない。一ノ宮の速度は今更止められるものではない。黒犬の牙から逃れる術を彼女は持ち合わせていない。


「ぁ……」


 大きく開かれた黒犬の口が視界に入った時、一ノ宮は小さな悲鳴をあげていた。黒犬の牙は完全に一ノ宮を捉えていた。


 もうダメだと思った。誰もきがっと。だが、その瞬間――それは起きた。


 七色に輝く壁が一ノ宮と黒犬の間に割って入るようにして、突然現れた。


「ギャウン!」


 先に壁にぶつかったのは黒犬の方だった。弾かれた黒犬は黒い染みへと戻って消えた。


「きゃ!」


 一ノ宮も壁にぶつかり、弾き返された。


「そこまでよ! 二人とも大人しくしてもらうわ!」


 後ろからの突然の女性の声。だが、それは俺にとって聞き覚えのある声だった。


「この声――まさか――」


 振り向いた先に、彼女は立っていた。


「あ、あなたは!?」


 そこに立っていたのは、一ノ宮の主治医、栗栖蛍女医だった。

 それは予想外の人物だった。確かにあの声は、〝あの時〟に聞いた声と同じだが、栗栖女医の声のものではなかった。だが、確実に彼女を栗栖女医本人だ。

 今、俺の目の前にいるのは、栗栖女医なのか? それとも――。


「やっと現れたか――久しいな、〝テレス〟」


 大神は突然現れた栗栖女医に驚きもせず、怪しげな笑みを浮かべながら、彼女を〝テレス〟と呼んだ。


「テ、テレス……だって!?」 


 大神のその発言を聞いた新一さんは驚愕の声を上げ、栗栖女医を食い入るように見る。


「そ、そんな……彼女が……ありえない!」


 新一さんは愕然とした表情でそう言うと、頭を振った。


「フ――昔の仲間の事も分からないとは、相変わらず薄情な男だ」

「くっ――」


 大神の言葉にどういった意味があるのか俺には分からない。だが、その言葉を聞いた新一さんは苦悶の表情を浮かべた。


「彼が分からなくても無理ないわ。私はあなたや彼に分からないように、顔を変えて、偽名まで使っていたんですから」


 大神の言葉を否定するかのように栗栖女医はそう言って、前に歩み出る。

 そして、俺の脇を通り過ぎようとした時、栗栖女医は微笑みながら囁いた。


「だから言ったでしょ? 近いうちに会うことがあるかもって」

「え!?」


 栗栖女医が小声で俺にだけ聞こえるように言った言葉に俺は驚愕した。なぜなら、その声が俺の知る栗栖女医の声で、しかも〝あの声〟と同じ台詞を言ったからだ。

 間違いない――信じられない事だが、彼女は栗栖女医本人であり、〝あの声〟の主だ。


 俺の横を通り過ぎた栗栖女医は、倒れている一ノ宮の横に立つ。


「なるほどな――そうやって一ノ宮家に紛れて、私を追っていたというわけか」

「いいえ、それはちょっと違うわ。私は私の約束と任務のために彼女の主治医になっていただけよ。あなたとは関係ない」

「約束と……任務か……なるほどな」


 大神はそう呟くと、フッと笑みを漏らす。それは今までの怪しげで不敵な笑みとはどこか違う。


「栗栖……先生……?」


 一ノ宮は自分の横に立つ栗栖女医を見上げている。


「さっきは乱暴な止め方して、ごめんなさい。立てる?」


 栗栖女医はそう言って、優しい微笑みを浮かべながら一ノ宮に手を差し出す。一ノ宮は躊躇いながらも、その手を取る。


「先生……あなたは一体……」

「詳しいことは後よ、怜奈さん。今はそんな事よりも先決な事があるわ」


 栗栖女医はそう言うと、大神に視線を戻す。


「随分と恐い顔をしているな?」

「当たり前よ。こんな事をしでかしておいて、私が怒らないとでも思う? いい加減しなさい、マリオ! 彼女の妹は何の関係もない子よ。今すぐ解放しなさい!!」

「フ――いい加減にしろ、か。そういうところは昔と変わらんな。だが、今と昔とでは全てにおいて違う。お前は私の敵で、あの子は私のターゲットだ。解放しろと言われて解放することはできない」

「そう――なら、力ずくになるわよ?」


 睨み合う二人。互いに一歩も退くことはない。

 だが、その均衡を破ったのは大神の方だった。


「だが、まあ、いいだろう。昔のよしみだ。今回はお前の頼みを聞き入れても構わん」

「え――」


 突然の大神の軟化に誰もが驚いた。一ノ宮に関して言えば、大きく目を見開いている。


「もっとも――彼女がそれを望めば、だが」

「なんですって?」


 大神の不可解な言葉に栗栖女医は疑問を漏らす。

 だが、その時、奥の茂みからガサッという音と共に一人の人物が現れる――。


「聖羅……」


 その人物の名を呟いたのは一ノ宮だった。茂みから現れた人物は聖羅ちゃんだった。

 突然現れた聖羅ちゃんに誰もが驚いていた。俺は自分の目を擦り、その事実を疑いさえした。だが、間違いなくそこにいるのは聖羅ちゃんだった。


「お姉様……」


 聖羅ちゃんの一ノ宮の方を見ながら、そう呟いた。


「聖羅!」


 聖羅ちゃんの言葉にはっと我に戻った一ノ宮は彼女の名前を叫び、駆け寄ろうとした。だが――。


「来ないで!!」

「え――」


 拒絶の言葉を叫んだのは聖羅ちゃんだった。それは姉である一ノ宮に対して言ったものだと、はっきり分かった。


「せい……ら? 一体、どうしたの?」


 拒絶された一ノ宮は意味が分からず、聖羅ちゃんを呼びかける。


「どうもしてないよ……私は――お姉様に近寄られたくないだけ!」


 それは先程以上のはっきりとした拒絶の言葉だった。彼女は一ノ宮を完全に拒絶していた――。




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