第22話「咎人」
権藤の言葉には憎しみしか籠もっていない。ただひたすらに新一さんへの復讐を果たすことだけを望んでいるのが分かる。
「さあ、行け! 我が憎しみの化身よ!」
権藤が叫ぶと同時に三体の人形はこちら向かって、突進してくる。
「くそ! このままじゃ……」
全滅は免れない。一ノ宮の風の刃が防がれた時点でこちらに勝ち目などない。
「真藤君! ここは一旦退くわよ!」
「え……」
突然の一ノ宮の言葉に俺は驚いていた。まさか、一ノ宮の中に逃げるという選択肢があると思っていなかった。
「私が時間を稼ぐわ。その間に二人はエレベータへ!」
「時間を稼ぐったってどうやってだよ? アレには風の刃は効かないんだぞ!」
「こうやるのよ!」
一ノ宮が言うと同時に、一ノ宮の周りに渦巻いていた風はより一層に強まる。まるで、小型の竜巻のようだ。
竜巻は一つだけだったのが、そこから新たな竜巻が生まれ、そこからさらにもう一つ。気づけば三つの小型の竜巻が一ノ宮の周りをグルグルと回っていた。
そして、その竜巻はこちらに突進してくる人形に一斉に襲いかかった。
竜巻に覆われた人形は、脚を止める。いや――違う。止めているわけではない。前に進めないだけだ。強烈な風で前に進めないのだ。
人形は両腕、両足の刃をもがくように振り回している。だが、いくら強靱な刃を持っていようと、形を持たない風を切り裂くことなどできない。
「今よ! 行きなさい!」
「わ、わかった!」
俺は一ノ宮の合図とともに、後ろに向かって走り出した。来た道を引き返しエレベータに向う。
急がないとダメだ。いくら竜巻で脚を止めているからと言っても、それが何時までも続くとは思えない。その証拠にこの現状を見てもなお、権藤は余裕の笑みを漏らしている。
だが、l新一さんはそんな切迫した状況であるにも関わらず、動こうとはしなかった。
「なにしてんるですか!? 新一さんも早く!!」
そう声をかけても新一さんは俯いたまま動こうとはしない。何を考えているのか、その表情も読みとれない。一体、どうしてしまったのか――。
「こんな時に……。間島は私が連れて行くわ! あなたは早くエレベータへ!」
「く、くそ! わかった!」
俺は一ノ宮に言われ、後ろ髪引かれる思いをしながらも、エレベータに向かって再び走る。
エレベータまでの距離はさほどなく、すぐにたどり着けた。だが、問題はその後だ。エレベータは既に一階まで降りてしまっている。34階まで昇ってくるまでの時間がかかる。
「早く! 早く来てくれ!」
エレベータが昇ってくるのがやけに遅く感じる。焦燥感ばかりが増していく。
俺は振り返り一ノ宮の方を見た。一ノ宮は竜巻を操り、まだ人形を近づけさせないようにしている。
その光景を眺めていた権藤は賤しく笑い――。
「クク……逃がしはしないぞ!」
言いながら、再び両手を勢いよく合わせる。その手にはめられている手袋の刺繍が再びぼんやりと光り出す。
「なに? 今度は一体何をする気なの?」
一ノ宮は権藤の行動に注視している。次に何をしてくるのか、それがどんな些細なことでも見過ごすことなんてできない。
「物質構成変更――。
構成比率変更――。
強度変更――。
重量変更――。
強く――強く――。
重く――重く――。
物質構成固定!!」
権藤はまるで呪文のように呟くと、合わせていた両手が眩い光を発し、その後すぐにその光は消えた。
「なに? 一体、何をしたの?」
一ノ宮も権藤が何をしたのか分からない様子だった。それでも分かることは一つだけ。権藤がした事は余興、お遊びの類ではない。何か意味があることだ。
権藤は一ノ宮の困惑ぶりを見て、再び賤しく笑った。
「さあ、進め! 我が、僕!!」
権藤がそう叫んだ瞬間、俺は絶句した。止まっていた人形の脚がゆっくりと前へ動き出した。
「そ、そんな!?」
一ノ宮も驚愕の声を漏らす。それほどまでに予想外の事態だった。
権藤がさっき何かしたのは分かる。だが、それでどうして人形があの竜巻の中を動くことができるようになったのか――。
「そんなに驚くことはないだろう? そいつらはオレの錬金術で生み出したんだ。オレの力で物質の構成を変えることなんて造作もないことだ」
言いながら、権藤はクツクツと笑っている。どうやら、今言ったことが俺たちが疑問に思っている事への回答なのだろう。
「まさか――竜巻の中でも動けるように重くしたって言うの?」
「ああ、その通りだ。ざっと1tはあるだろうな」
権藤は一ノ宮の疑問に隠すことなく嬉しそうに答える。まるで、自分の力を披露するのが楽しくて仕方ないみたいだ。
人形の足下見る。どうやら権藤が言ったことは確かなことらしい。人形が一歩踏み出す度に、廊下の床にひびが入っている。
「ま、まずい! 早く、早く来てくれ――」
焦燥感から俺はエレベータの入り口の上にある階表示を見てエレベータの所在を確認した。だが、その瞬間に凍りついた。
「な、なんで――なんでだよ! なんで消えてんだよ!?」
エレベータの階表示が消えていた。まるで、エレベータそのものが消えてしまったかのように――。
「フン! 当たり前だ。忘れたか? オレがエレベータを操作できるのを」
権藤は俺に軽蔑の眼差しを向けてそう言った。
「なん――だって!? それじゃあ……」
「ああ、今頃13階で止まっているだろうさ。あのゴーストフロアにな!」
そんな――それじゃあ、逃げ場がないじゃないか――。
「逃がしはしない。逃げようなどと思うな! お前たちには地獄の苦しみを味合わせてやる!」
言いながら、睨みつけてくる権藤。その眼は寒気がするほど、常軌を逸している。
前には一ノ宮の風の刃すら効かない人形、後ろは閉ざされたエレベータの扉。俺たちには決して逃げ場などなく、かと言って戦うにしても勝てる相手ではない。
だが――そんな絶望的な状況の中、一人一歩前へ踏み出た人物がいた。
「何故だ――何故、僕だけを殺さない? 悪いのは僕だけだ。この子たちは関係ないだろう?」
力なき声でそう口にしたのは新一さんだった。
「何してるの、間島!? さがりなさい!!」
ふらふらと前へ歩み出ていく新一さんに、一ノ宮は声を荒げて制止を求める。だが、それでも新一さんはその声が耳に入っていないかのように、人形の方へと向かっていく。
「もう――やめてくれ。お前が恨んでいるのは僕だろう? だったら、僕だけを殺せばいい。この子たちには何の罪もない! 間違いを――罪を犯した僕だけを裁いてくれ! だから、もう――やめてくれ!」
やめてくれ、と――うわ言のように繰り返す新一さん。自分が犯した罪への罰は甘んじて受けようとでも言うのか――。
「ハ――ハハハハハ……」
権藤は新一さんの言葉を聞いて、笑っている。だが、その笑い声には感情と言うものが感じられず、空笑いのように思える。
「まったく――とことん勝手な男だな、お前は……十年以上も自分が犯してきた罪に目を背け、逃げ続け、今になって責め立てれば今度は殺せばいい、か――」
それは侮蔑の言葉に他ならなかった。権藤は新一さんの発言に心底呆れている。
「そうさ。お前が言うとおり僕は勝手でどうしようもない人間さ。いつかはこんな日が来ることを分かっていたくせに安穏とした日常に身を置いてきた。自分の犯した罪に耐えきれず、ただひたすらその日常に逃げ続けたんだ! だけど――もう、それも終わりだ。お前には僕に罰を与える――僕を殺す権利がある。だから、殺すなら僕だけを殺してくれ!!」
それはすがるような言葉だった。それはもう僕の知っている間島新一の言葉ではない。過去に大きな罪を犯した咎人の心の叫びに過ぎなかった。
その心の叫びが権藤にどのように聞こえたかは分からない。だが、その言葉を聞いた権藤の表情は、さらなる増悪に染まっていくのが見て取れた。
「殺すだけなら僕だけを――か。フフ――フフフ――アーッハッハッハー!! フザケルナ!!」
「な――」
「まったく――どこまでも――どこまでもどこまでもどこまでも勝手な男だ!! 何一つとして、自分が犯した罪の大きさというものを分かっていない! お前を殺すなど当たり前のことだ!! そんな当たり前の事をしても復讐になどなりはしない。そんな事では、オレの気持ちはおさまりはしない! お前とって大切な者の命をお前の目の前で奪ってこそ、オレと同じ苦しみを味わえるというものだろう!!」
「そ、そんな……」
新一さんは権藤の言葉に愕然としている。それは俺も同じだった。まさか、権藤に取り憑いた憎しみがこれほどまで大きなものに膨れ上がっていようとは――。
「だが、いいだろう。お前の望み通り、先にお前を殺してやる! その後で、そこの二人だ! さぞ、心残りなことだろうなぁ? お前は死に、仲間がどうなるかも分からないまま消えていくんだからな!」
「お、お前……」
その言葉は既に人としてものではなかった。復讐に取り憑かれ、復讐鬼となり果てた者の言葉。人としての心を失った者の言葉だ。
「お前をそんな風にしてしまったのも僕の責任……か……」
新一さんはちらりと俺の方を見る。その目は――何かを訴えかているように思える。
なんだ――? 何を――。
〝君たちは逃げろ〟
その目はそう語っているように思えた。
そして、新一さんは権藤の方へ向かって歩き出す。
「ダメだ! 新一さん!」
俺の呼び止める声に新一さんは立ち止まることなく進んでいく。その背中は別れを告げているように見えた。
「潔く死を選ぶ――か。いいだろう! 死ぬがいい!!」
権藤の言葉ともに、一体の人形が新一さんに向かって走り出す。
そして、刃となった片腕を振り上げ、新一さんを斬りつけよう振り下ろした――。
俺は走り出していた。ただ、無我夢中で新一さんのもとに走っていた。新一さんを助けたい一心で。だが、遅すぎる。どんな走っても、俺からではもう間に合わない。
もうダメだと思った瞬間、新一さんと人形の間に割ってはいる人影がそこにあった。
「一ノ宮!?」
それは一ノ宮だった。一ノ宮が新一さんの前に立っていた。
「ダメだ、怜奈君!」
新一さんは一ノ宮の存在に気づき、彼女の前へと割って入ろうするが、もう遅い。止まることのない刃は一ノ宮の顔面に振り下ろされ――。
「え――」
俺はその瞬間に起こったことに絶句とした。
「な、なんだと!?」
それは権藤も同じだったようだ。驚きの声を上げると共に、絶句していた。
人形の刃は、一ノ宮の顔にあたる直前で止まっていた。だが、決して人形が寸止めをしたわけではない。その証拠に権藤も驚きを隠せずにいるし、何よりも今もなお人形の刃はカタカタと震えている。
よく見れば、刃と一ノ宮の顔との間に小さな気流のようなものが渦巻いている。あれは――風、か?
「ば、バカな!? ま、まさか、風の防護膜か!?」
権藤はその気流の正体にいち早く気づいたようだった。それを聞いた一ノ宮はほくそ笑み、答える。
「ええ。風を一点に集中させて自信を守る防御の一つ。思った通りね。これなら、その刃でも通らない。そして――」
一ノ宮は右の掌に風を集め出す。その風は凝縮され、掌の上でまるで台風のような乱回転を始める。
「――これなら、どんなに重くても吹き飛ばせるわ!!」
一ノ宮はその言葉とともに、その掌を人形の腹部に叩きつけた。
その瞬間、人形は回転しながら凄まじい勢いで吹き飛んでいく。権藤の横を通り過ぎ、廊下の端まで吹き飛んでいった。
権藤はその光景に呆然としたまま、かたまっていた。
「はぁはぁ……くっ!」
一ノ宮は人形が吹き飛び、動かなくなったことを確認すると、その場に膝をついた。
「一ノ宮!!」
俺は一ノ宮のそばにすぐに駆け寄った。近くにで見る一ノ宮の顔は汗を流し、顔色も青い。
「だ、大丈夫か? 顔色悪いぞ……どこか怪我でも……」
「い、いいえ。大丈夫よ、真藤君。あれは結構集中力がいるから、ちょっと疲れただけよ」
「そ、そうか……ならいいんだけど……」
「ええ、それよりも今は――」
そう言って、一ノ宮はキッと新一さんを睨む。
「れ、怜奈君……」
睨まれた新一さんの目はどこか虚ろで、生気というものが感じられない。生への渇望というものがないように思えた。それを見た一ノ宮は――。
「この――バカァ!!」
「つっ!」
思いっきり新一さんの頬をひっぱたいた。突然の痛撃に新一さんは顔を歪ませる。
「ふざけんじゃ……ふざけんじゃないわよ!! あなたは自分の罪を償えてそれで満足かもしれないけれどね! 私たちからすればそんなの後味悪いだけなのよ!! こんな所で全部投げ出すなんて、私は絶対許さないわよ!!」
「れ、怜奈君……違う、違うんだ。僕はただ……」
「違わないわよ!! あなたはただ逃げてるだけよ! 現実から、事実から、自分のしてきた事から。そうやって、逃げ続けて一体何になるっていうのよ! 逃げたって……あなたが人を殺した事実は消えないでしょう! 逃げて――死んで楽になろうなんて、絶対許さないんだから!!」
声を荒げ、まくしたてるように言う一ノ宮の言葉に、新一さんは俯いた。一ノ宮の言葉に反論なんてできない。この人は、自らの命を権藤の復讐のために捧げようしたのだから。
「新一さん、俺も一ノ宮と同じ意見です。俺は新一さんがどんな罪を重ねてきたのか詳しくは知らない。けど、死んで償おうするのは間違っています! 人は――罪を犯したなら、生きている限り、その罪を償い続けるべきだ。死んで償うなんて、それは単なる逃げでしょう?」
「一輝君……」
「あなたは以前俺に言いました。〝現実から目をそらす行為は愚かな行為〟だと。目をそらさないでください! 確かに、新一さんは権藤の家族を殺してしまったのかも知れない。だからって……だからって、今、権藤がやっている事は許されることじゃないはずだ!」
「……僕は……」
新一さんは何も応えない。俯いたまま、ただ一点を見つめている。
「間島。あなた、三年前に私に言ったわよね? 組織から抜け出して、間島家に拾われて、一ノ宮家に関わっている人生を微塵も後悔してないって。あれはあなたの本心でしょう?」
「そ、それは……」
新一さんは一ノ宮の言葉に小さく頷いた。
「だったら、ここですべき事は何? あなたのすべき事はあの男の復讐に付き合うこと? 違うでしょう! 一ノ宮家専属探偵、間島新一としてやるべき事をしなさい! それとも何? その懐にいれている物は単なる飾りなわけ?」
「――――」
新一さんは一ノ宮に言われて、自分の懐に手を当てる。
「一ノ宮の言うとおりですよ。探偵なら復讐なんて事、許しちゃダメですよね、所長?」
そして、俺の言葉に新一さんは懐の物をぎゅっと握りしめた。
「は――ははは……まったく、君たちときたら……まさか、僕が君たちに説教される立場になるなんてね……」
新一さんは微笑みながら、そう言った。そこには先程までの虚ろな目はもうなかった。




