第19話「カラクリ」
僕は薄暗いフロア内の廊下を走っていた。
ここが何階なのかは分からない。フロアには階表示がなく、各部屋のドアについてるはずの部屋番号もない。
そして、僕の前方と後方には――あの訳の分からない〝アレ〟がいる。
「くそ! うじゃうじゃと! やばいね、これは……」
本当にイヤになる。さっきから〝アレ〟はどこからともなく現れる。そして、前方と後方から挟み込むようにして、僕に迫ってくる。
僕こと間島新一が、どうしてこのような目にあっているのかと言うと、それは遡ること五分程前のことになる。
*
ドアを開け部屋から外に出ると、すぐに異様な気配に気付いた。
「――――」
気配がした方に視線を向けると、僕のすぐ側で〝ソレ〟は鉈を振り上げていた。
「な――!」
僕に気付かれた〝ソレ〟は、何の躊躇いもなく鉈を振り下ろす。僕はそれを寸でのところで躱した。
「あ、危ないなー」
冗談じゃない。部屋から出た途端、襲われるなんて聞いてない。正気の沙汰とはとてもじゃないが思えない。それに――――。
「なんだ――こいつ……」
明らかに人間ではない。人型を象ってはいるが、〝ソレ〟には目も鼻も口もなく、のっぺらぼうのような顔だ。それに服も着ておらず、その裸体は人してのオウトツが一切ない。人間というよりは、どちらかと言えばマネキンに近いような気がする。
初撃を躱された〝ソレ〟は、再び鉈を振り上げ、次撃に移ろうとする。
「――って! 暢気に観察してる場合じゃないね、これは!」
僕は次撃を躱すのと同時に、〝ソレ〟の脇をすり抜け、エレベータに向かって走った。
逃げるしかない。あんな明らかに人間ではない――いや、生き物であるかすら怪しいものとマトモにやり合っても、勝てる気など一切しない。怜奈君ならまだしも、僕ではアレを倒すことはできないだろう。
エレベータまでは直線だが、フロアの端から端のため、かなりの距離がある。そこまでダッシュで行ったとして、後方から奴が追ってこないわけがない。追いつかれれば交戦はやむなしだが、勝てる相手とも思えない。だが、このままエレベータまでたどり着いたとしても、エレベータの中に入れなければ同じことだ。そんなタイミング良くエレベータが来てくれるなんて偶然あるわけもなく――――。
どうする――。どうする、どうする? やはり、ここで戦うしかないか――。
懐に忍ばせているものに意識が行く。
これは最後の手だ。しかも、ここには間違いなく普通の人間が住んでいる。もし、誤って被害が出るようなことになれば――――。
「ハハッ――」
自嘲の笑みをこぼすしかなった。
僕が誤る? コレに関しての扱いで僕が? 有り得ない事だ。幾らブランクがあったとしても、僕が〝外す〟なんて事は有り得ない。
幸いにして、エレベータの入り口にたどり着くまでに、敵に追いつかれることはなかった。
エレベータの『下へ』のボタンを押して、振り返った。案の定と言うべきか、当たり前と思うべきか、奴は僕を追ってこちらに向かってきていた。ただ、走ってこちらに向かってきているわけではなく、ゆっくりとこちらに歩いてきている。獲物が逃げようとしているのに随分と余裕だ。
当たり前か――エレベータはまだ来る気配がない。この状況でエレベータに縋った時点で獲物は自ら袋小路に入り込んだのと同じことだ。急ぐ必要など微塵もない。
「まずったね……非常階段で逃げるべきだったかな、これは……」
今更気づいても、もう遅い。敵は十字路を越え、まっすぐにこちらに向かってきている。
エレベータはまだ来ない。このままでは間に合わない。
「どうする……」
右手を懐に入れて、アレを手に取る。
迷っている暇などない。決断するしかない。そうだ――決断しろ!
僕は心の中で叫ぶのと同時に、懐から〝銃〟を取り出した――。
「――――」
銃を取り出し、敵に向けた瞬間、銃を握る自分の手が震えていることに気づいた。
なんと不甲斐ない。なんて情けない。元暗殺者の僕がこんなことに躊躇って――恐れてどうするというのか――。
僕は大きく深呼吸をすると、手の震えを無理矢理止めた。
幸いにして、廊下に住人の姿はない。それに念のためと思い、銃口にはサイレンサーを付けておいてある。たとえ、引き金を引いたとしても、音は最小限に抑えることができ、住人には気づかれないだろう。
銃口を向けられた〝ソレ〟は、こちらが反撃に出たと判断したのか、突如としてこちらに向かって走り出した。
「くっ――!」
躊躇っている暇などない。躊躇えば、今度こそ奴が持つ鉈の餌食になる。今、引き金を引かねばこちらの命がない。
引け――引き金を。引かねば死だ。引け、引くんだ。簡単なことだろう。昔はあんなに簡単に引けていたじゃないか!
狙いを定める。撃ち抜く場所は決まっている。胸や頭を撃ち抜いても意味がない。狙う場所は――。
「引け!」
声に出すのと同時に指先に力を入れた。想像よりもたやすく〝銃〟の引き金は引けてしまった。
銃口から弾丸が飛び出す。サイレンサーで小さな音しかしない。だが、確かに弾丸は飛び出し、狙いの場所にゆっくりと向かっていく。
「――?」
ゆっくり? なんで、こんなに弾丸がゆくっり飛んでいくんだ? いや、弾丸だけじゃない。こっちに向かって来ている敵すらも止まって見える。全てがゆっくりで、時間の流れがゆっくりになってしまったようだ。
この感覚、覚えがある。そうだ――初めての任務で人を撃ち抜いたあの瞬間に似ている。弾丸が標的の頭部に当たるまでは一瞬だったが、そこから標的が倒れまでがやけにゆっくりに感じた。あの瞬間に――。
そうか――僕は久々に手に取った銃に極度の緊張状態になっているのか――。
そう自覚した瞬間、時間の流れは元に戻り、撃ち出した弾丸は高速に狙った場所に向かっていき、命中した。
「チッ――こんな簡単なことを……」
技術云々ではない。精神の問題だ。自分が銃を使うことに決意が足らなさすぎた。今と昔では違うということか――。
弾丸は狙った通り、敵の足の付け根、人間で言う所のちょうど左の股関節に命中した。
敵は弾丸が命中したにも関わらず、意に介さずこちらに向かって走ってこようとしてくる。おそらくは、痛覚と言うものがないのだろう。
だが、たとえ痛みと言うものがなくても、体の構造が人と同一である以上、あの場所を撃ち抜かれれば、走ることなどできない。〝ソレ〟は足がもつれるようにしてその場に倒れた。
「――やはり、人形――か」
撃ち抜かれた場所からは血が出ている様子はない。それどころか、僕を目指してなんとか前進しようと立ち上がろうとしてくる。
「これじゃあ、たとえ頭を吹き飛ばしても向かってきそうだね……」
できて足止めどまりだろう。だが、今はそれでいい。
立ち上がろうとする人形に、僕はさらに二発目の銃弾を撃ち込む。二度目以降からは、さっきの現象は起こらない。むしろ、ずっとこの銃を使ってきたように手に馴染んでいる。厄介なものだ――十年以上のブランクがものの数秒で取り戻してまうなんて。最近は考えないようにしていたが、やっぱり僕は――――。
頭を振って、考えを打ち消す。そして、敵に視線を戻す。
人形は再度撃ち込まれて、倒れ込んでいる。だが、それでも立ち上がろうと、前に進もうとしている。
「まったくしぶといね……けど、ここまでのようだよ?」
チンという音と共に後ろの扉が開く。そう、エレベータが来たのだ。
僕はすぐに後ろに後退りながらエレベータに乗り込み、〝1F〟のボタンを押す。
エレベータに乗り込み、逃げようとしたせいか、人形は立ち上がり、鉈を振り上げる。そして、その鉈をこちらに向かって投げ飛ばした。
鉈がこちらに向かって飛んでくる。回転しながら、目の前に迫ってくる。だが、鉈が僕の目前に迫った時、エレベータのドアが閉まった。
「ふー、なんとか間に合ったかぁ」
なんとかギリギリ逃れることができた。これで、あの訳の分からない人形に追われることもなくなるだろう。ほっと一安心だ。
エレベータは25階から1階に降りていき、階表示している電光板の数字も減っていく。そして、電光板の数字は〝1〟となりエレベータは止まり、ドアが開いた。
「――――」
その瞬間、僕は自分の眼を疑った。
エレベータのドアが開き、見えた光景は1階のエントランスではなかった。そこは、25階のフロアと外見は大差ないフロアが広がっていた。違う点と言えば、フロア内に電灯がついておらず、薄暗いことぐらいだ。
「な、なんで――ど、どうなってるんだ?」
訳が分からない。1階に降りてきたはずが、なぜこんなどの階かも分からないフロアでエレベータが止まっているのか。
もう一度、エレベータの電光板を見てみる。どう見ても〝1F〟の文字が表示されている。エレベータはここを1階と認識しているらしい。
「一体、何がどうなっているんだ?」
分からないながらも、ここが1階ではない事は分かる。
僕はエレベータから出ることをせず、試しに2階のボタンを押してみた。だが、エレベータのドアは閉まらない。
「くそ! 本当にどうなっているんだ! エレベータまでおかしくなったってことなのか?」
エレベータのドアを閉じようとしても、うんとすんとも言わない。
「これは……マンション内に閉じこめられたってことでいいのかな?」
僕は観念して、エレベータから出た。そして、そのまま真っ直ぐのびた通路を歩いてく。
構造は25階と全く変わらない。そうであるならば、非常階段があるはずだ。エレベータが動かない以上、階段を使って1階に降りるしかない。
僕は十字路の所まで来て立ち止まり、右と左どちらに非常階段があるかを確認する。
その時だった。左側の通路からカツーンという足音が聞こえてきた。
「誰か――いるのか?」
目を凝らして、左側の通路の先をじっと見つめる。
薄暗い中に、確かに人影が見える。しかもその影の輪郭が徐々にはっきりとしてくる。こちらに近づいて来ているのだ。
その人影を気にしながらも、右も通路の先も目を凝らして見た。その先にうっすらとドアが見える。非常階段に出るドアだ。
再び人影の方に視線を移したとき、僕は戦慄した。
人影は三つになっていた。しかも、近づいてきたせいか、その人影が何なのかはっきりと見て取れた。
「人形……」
それは先程僕を襲ってきたのとまったく同じ人形だった。それが真っ直ぐこちらに向かって歩いてきている。
「くそ! やっぱり、ここは噂通りのマンションだったってことだね!」
しかも、それは予期していた以上に危険で異常だった。銃だけでは、とてもではないが交戦できる相手ではない。
どうやら、判断違いをしていたらしい。あの時、一輝君と怜奈君から離れるべきではなかった。僕も一緒に行けば、おそらくはこんな事にはならなかっただろう。
今は戦うのは得策ではない。逃げるべきだ。
そう思い、僕がゆっくりと後退ろうとした時、人形たちは突然こちらに向かって走り出したきた。
「くそ!」
僕は銃を構え、先程と同じように人形の動きを止めるために、足を狙って引き金を引く。
銃弾が当たり、倒れる人形。その脇を走り抜けこちら向かってくる人形も同様に処理していく。
三体の人形を撃ち抜き、すべてが倒れたのを確認するとすぐに反転して非常階段を目指して走った。
だが、その直後だった。非常階段に出るドアが開いた。僕は走り出していた足を急停止させた。
ドアがゆっくりと開く。何が出てくるかで、今後の対応が大きく変わる。僕はじっと開くドアを見つめた。
ドアから出てきたのは――――。
「やれやれ……最悪だね、これは……」
明らかに人間ではない。非常階段のドアから出てきたのは人形だった。
後ろを振り返る。先程銃弾を浴びた人形も起き上がり、こちらにゆっくりと向かってきている。さらにその奥には新手がさらに一体が現れていた。
「くそ! うじゃうじゃと! やばいね、これは……」
完全に挟み撃ちにあってしまった。前方にも一体。後方には四体。完全に多勢に無勢。普通の人間ならこの状況に卒倒しかねないだろう。
「普通の人間なら……ね」
そう――普通の人間ならそうだろう。この状況に諦めてしまうだろう。だが、僕にとってはこの程度の状況なら、まだなんとかなると思えてしまう。それはそれで異常なような気がするが、それでもこんな経験は過去に何度もしてきていることだった。
「よし、久々に本気になってみますか」
冷静さを失わず、即断、即決。それが僕が組織にいた頃から、教育されていることだった。作戦で予期せぬ事態が起こっても、それを実行する事だけを心がけてきた。それは間島家の養子になってから唯一褒められた点でもある。
僕は非常階段から出てきた人形めがけて銃を構えながら、突っ込んでいく。
人形の手には鉈が握られている。まずはその手を撃ち抜き、武器を落とす。そして、次に両足。さらに両腕。一発も外すことなく、前進しながら撃ち抜く。
全て撃ち抜いた頃には、人形まで目前に迫っていた。人形は態勢を崩し、前のめりに倒れ込もうとしているところだった。
「くらえ!!」
その倒れ込もうとしている人形の頭部をめがけて、僕は脚を振り抜いた。頭部を蹴り上げたのだ。
見事にクリーンヒット。接合部分が弱いのか、頭部は胴体から離れ、まるでサッカーボールのように吹っ飛んでいった。
僕はそのまま倒れた胴体を通り過ぎ、非常階段に出た。
目指すのは1階のエントランスだ。そのままダッシュで階段を駆け下りていく。
今何階ぐらいにいるのかは分からないが、かなりの高層階にいるのは確かだ。その証拠に非常階段の窓から見える外は、高所から見える夜景だ。
その夜景を尻目に僕は階段を駆け下りていく。だが、そのまま何事もなく1階にたどり着かせてもらえるほど、敵は甘くはないらしい。
こちらに向かって階段を昇ってくる人影見える。否、人ではない。人形だ。
「チッ! ここでの交戦は避けたいんだけどね……」
地形が悪い場所での交戦は避けたい。だが、まだこちらに分がある方だ。こっちは相手よりも高所にいる。おまけに飛び道具がある分、劣勢な状況には立たされない。ただ一つ、懸念材料があるとすれば、相手が人間ではなく、人形。そして、不死身という点だろう。
今度の人形は手にナイフが握られている。姿勢を低くして、階段を駆け上がってくる。
先程までの人形とは違う。運動性に長けているのか動きが俊敏だ。
銃で狙い定めるが、動きが早いために定まらない。
「くそ――!」
引き金を引いて乱射する。狙いは定めているが、その俊敏性からなのか当たらない。
「いや――違うのか――」
銃弾は当たっている。だが、行動を抑止する箇所に当たっていないだけだ。人形は銃弾の軌道を読んで、行動不能になる箇所に当たらないように動いているのだ。
人形は目前に迫り、ナイフを僕めがけて突き出してくる。
「――甘いよ」
僕はナイフを躱し、その突き出された腕を掴むと同時に後ろに回り込み、人形の腕を後ろに回して、そのまま組み伏せた。
「いい線いってたけどね。残念。相手の力量を計り損ねたね!」
組み伏せたまま、間近で銃弾を撃ち込む。
死ぬことがない人形だ。いくら撃っても無駄が、行動できないようにすることは可能だ。ナイフも奪い、その腕もねじ折る。
「さて、これで動けないだろう」
人形は細かく震えるようにしてなんとか動こうするが、既に四肢は機能しておらず、まともには動けない。
僕はそれを見届けると、再び階段を駆け下りようと――。
「ん……? なんだ? 今のは――」
下りようした時、窓から見える夜景が目に入った。だが、その夜景が僕には一瞬揺らいだように見えた。
僕は気になって、窓に近づき、外の様子を見てみる。そこには、先程見た時と変わらない夜景が見える。だが、確かに一瞬だったが外の様子が揺らいだ。あれは一体――――。
「何だっていうんだろうねぇ……」
僕の見間違いか。それとも、敵の新たな仕掛けか何かか――。
「仕掛け……? ま、まさか――」
僕は慌てて窓ガラスを調べた。一つずつ念入りに。
「見つけた――」
それは、弾痕だった。先程の銃弾が逸れた時についた傷だろう。だが、あり得ないことだ。銃弾が当たってちょっとした傷しかつかないなど、強化ガラスでもないかぎり――。
僕は銃口からサイレンサーを外す。この銃に取り付けたサイレンサーは、音量を減少させ、精度も上がるが、威力は低下する。だが、外せばこのガラスを割ることなど造作もないことだ。
僕は窓ガラス向けて、銃を乱射した。次々と割れていく窓ガラス。辺り全てのガラスが割れた。
そして、僕は割れた窓から外を見た。
「やっぱり――そういう事だったか。僕は大きな勘違いをしていたんだね」
割れた窓から見えた外は、夜景などではなかった。そこから見えたのは、真っ黒な壁だった。
窓ガラスはスクリーンだったのだ。外の夜景を映し出すための。
つまり――今いるのは、上層階などではなく、地下――――。
そう――噂の正体は、この地下施設に住まう人形の事だったのだ。
「やれやれ、すっかり騙されたね。まさか、地下にこんな施設をつくっているなんて。目指すのは下ではなく、上だったってことだね……」
要するに、僕はエレベータで地下に連れてこられたことになる。
だが、ここで大きな疑問が出てくる。この地下施設は、後から造られたということは考えづらい。建設段階からここに地下施設が造られていたことになる。
「あー、なんとなく分かってきたよ。こんな仕掛けを作ったのが誰なのか、そして魔術使いが誰なのかもね」
もはや疑う余地などない。このマンションの建設に関わっていた人間など、たかが知れている。そして、その人物が今もこのマンションにいて、あの人形共を操っているというなら、もうあの人しか考えられない。
「決まりだね。それじゃあ、早速行ってみますか。どうやら、彼は僕に用があるようだしね」
僕がこのマンションに入った時から感じていた殺気も、その人物のものである事も間違いないだろう。ならば、こちらから出向くしかない。そして、なんとしても彼の真意を聞かなければ――。
僕は決意を胸に階段を駆け上がった。




