第17話「ニセモノ」
エレベータの扉が開くと、真っ赤に染まった物体が飛び出してきた。いや、物体という表現は正しくない。真っ赤な血に染まった人型をした『何か』だ。
ソレはこちらの存在に気づくと、顔をこちらに向けた。
「人形……ね」
顔を確認して、瞬時に判断できた。それは女性の姿をしていたが、目はくり貫かれたように窪み、そこから血を流している。そして、口元は笑っているようにつり上がっているが、そこからは乱杭歯のような異様な歯を覗かせている。明らかに、人間ではない。
「ア゛ラ? ガワイイゴネ? ゴッチノ方がオイジゾウ!」
その人形はまったくもって意味不明な言葉を呟くと、私に向かって走ってくる。
「イダダキマース!!」
叫ぶと同時に、人形は私に飛びかかってくる。だが――――。
「邪魔よ!」
「ア゛――」
私は瞬時に風の刃でその人形を切り刻んだ。
肉片に変わり、崩れ落ちていく人形。血を噴き出し、それはまるで本当に人間のように見える。
「だから、悪趣味だって言うのよ」
このくだらない人形遊びに吐き気がする。ここまで人間に近づけた人形を操る魔術使いなど、真っ当な精神を持ち合わせているとは思えない。
「れ、怜奈なのか!?」
「え――」
先ほど人形が飛び出してきたエレベータの中からよく聞き覚えのある声が聞こえきた。
エレベータの中を確認すると、彼がいた。それも異常な状態で。
「か、一輝!?」
私は驚き、すぐに彼に駆け寄った。一輝は血塗れになっていた。
まさか、さっきの人形にやらてしまったのか――。
「だ、大丈夫!?」
「あ、ああ、大丈夫だよ。これは返り血だから。怪我はしてないよ」
「返り血?」
「ほら、これさ」
一輝は手に持っていた物を私に見せた。それはナイフだった。
「これ、あいつが持ってたものだったんだけど、奪って、逆に刺し返してやったんだ」
「そ、そう……そういうことね……」
なるほど。だから、あの人形も血塗れだったのか。
「来てくれて助かったよ。俺一人じゃどうなっていたか……」
「そう……ね。怪我なくてよかったわ……」
何、この感じ? 何か違和感を感じる。今の状況に何か――――。
「そうだ! 新一さんは大丈夫かな?」
「え、ええ、私も心配になって、部屋に戻ろうとしてたところなの」
「そうか……部屋のドア開いてるみたいだね……行ってみよう」
「ええ、そうね」
私たちは辺りにゴロゴロと転がってる動かなくなった人形を尻目に廊下を突き進み、部屋の前まで来る。だが、すぐに部屋の中には入らない。中に何がいるか分かったものではない。
私はそっと部屋の中をのぞき込んだ。だが、部屋の中は明かりもついておらず、静まりかえっている。中に何かが潜んでいる様子もない。
「いいわ、行きましょう」
私の合図に一輝は頷く。そして、私たちは足音を忍ばせながら、真っ暗な部屋の中に入っていく。明かりをつけようにも、電気が来ていないのか明かりがつかない。
「誰も――何もいないわね……」
「あ、ああ」
部屋の中に先程のような人形の姿はなかった。それどころか、間島の姿もない。完全にもぬけの殻となっていた。
私は部屋の隅々まで調べてみたが、間島の足取りがつかめそうな手掛かりはなかった。部屋には〝何も〟なかったから。
「そうだ――ベランダ――」
ベランダの方はまだ見ていなかった。間島の事なので、25階のベランダなどという袋小路に逃げ込んだなんて事は考えられないが――。
私は窓に近づいて外を見たが、ベランダには誰もいなかった。窓から見えたものは、25階から見える街の夜景だけだった。
「間島のやつ、一体どこに――」
あの人形に襲撃され、どこかに行ってしまったとも考えられる。だが、外の人形はすべて倒されているようだった。ならば、逃げ出す必要はない。間島の人間性を考えれば、危険性が去った後に私たちを置いて逃げ出すとも考えられない。ましてや、この状況で一人で敵を追っていったとも考えにくい。だとしたら――――まさか、さらわれた?
そんな最悪の事態を想像していると突然後ろからバタンという音が聞こえてきた。驚いて振り返ると、一輝が部屋のドアを閉じ、鍵を締めていた。
「何を……しているの?」
「え? 何って、ドアを閉めただけだよ。危険だろ? また、あんな奴らが入ってきたらさ」
「そう――だけど……間島は……」
筋は通っていた。だが、その行動に私は納得がいかない。何よりも彼らしくない。
間島はこの部屋にはいない。どこに行ったのかも分からない。マンション内にはゾンビのような人形が蔓延している。そんな危険な状況下で、知人が消えたというのに、探しに行こうともせず、部屋に閉じこもろうとするなど、彼らしくなかった。
「なんだよ? どうかしたのか?」
「う、ううん。なんでもないわ……」
私は一体何を考えているのだろう。一輝に不信感を抱くなんてどうかしている。彼だってこんな状況になって、気が動転していることだろう。自分の事しか考えられなくなっても仕方がないことだ。
私は一輝に不信感を抱いてしまった事に恥ずかしくなってしまった。彼を疑うなんて恥ずべき行いだ。そんな自分が恥ずかしくなり、私は彼を直視することができず、また窓から見える夜景に視線を移し――――。
「――――」
窓から外を見た瞬間、私の疑念は決定的な確信に変わった。
「ねぇ……一輝?」
「え? 何だい?」
私の声に反応しながら、彼は一歩私に近づいてくる。後ろを向いていた私には足音しか聞こえてこないが、私に近づいて来ているのは分かった。
「今回の事、どう思う?」
「どうって?」
また一歩、近づいてくる。
「あの外の連中のことよ……あれの狙いはなんだと思う?」
「……さあ? 俺にはよく分からないよ」
また一歩。
「そうよね――まともには答えられないわよね?」
「――どういうことだよ?」
そして――私のすぐ後ろに彼は立った。
「だって、あなたは〝真藤君〟じゃないでしょ?」
その言葉ともに私は彼の方に振り返った。
「な――に?」
彼はびっくりしたように目を見開いていた。だが、その手にはしっかりとナイフが握られていた。
「なるほどね――スキをついて、それで私を殺すつもりでいたの?」
「な、何を言っているんだよ、怜奈! そんなわけないだろう? こ、これはいつ敵が押し入ってきてもいいようにと思って――」
「そんなくだらない嘘、私が信じると思う? あなたは一輝じゃない!!」
「な、何を――何を言ってるんだよ、怜奈! お、俺は一輝だよ! 本当に真藤一輝だよ!!」
「あら? 知らなかったのね? 普段私たちはお互いを名字で呼び合っているのよ? 互いの名前で呼び合うなんて事、滅多にしないわ!」
私のその言葉に彼は顔色を変える。驚き、愕然としている。信じられないと言った表情だ。
「そ、そんな! そ、そんな事あるわけがない! 〝あの時〟真藤一輝はお前の事を怜奈と呼んでいたはずだ!!」
「――――やっぱりね。あなた、一輝じゃなかったのね!」
「く!!」
私の前にいる男は、自ら瓦解した。自分では完璧な変装と演技だと思っていたのにも関わらず、それを看破され、余程焦ったのだろう。まだ、言い逃れは幾らでも出来たのにも関わらず、自ら嘘をばらしてしまった。
「お粗末ね? 焦りすぎよ。もうちょっと慎重に行動を起こすべきだったわね?」
「ち! まさか、互いの呼び名を間違うなどという初歩的なミスをするとは……」
一輝の声でソレは忌々しげに言葉を吐き捨て、一輝の顔でこちらを見てくる。
「ちなみに聞いておこうかしら。〝あの時〟って、もしかして、学園であの化け物と戦ってい時の事かしら、魔術使いさん?」
「う、うるさい! そんな事はどうでもいいだろう!!」
どうやら、図星だったらしい。確かにあの時、一輝は私を〝怜奈〟と大声で呼んでいた。それを聞いたのだろう、この魔術使いは。
そう――あの時、あの場にいた私と一輝以外にあの時の事を知っているとすれば、それはあの化け物を操り、私たちを監視していた魔術使い以外に考えられないのだ。
「残念だったわね? なかなかの演技だったわよ。もう少しで騙されるとこだったわ。でも、もうお終い。消えなさい!」
「フ――フフフ」
彼は突然妖しく笑い出した。まるで、こちらをあざ笑うかのように。
「何がおかしいの?」
「いや――君の短絡的な思考がおかしくてね」
「なんですって?」
「確かに俺は真藤一輝ではない。だが、それは意識の問題だ。この体が真藤一輝ではない保証などどこにもないぞ? それでも、お前は俺を殺せるかな?」
「まさか――彼を操っているって言うの? あの犬みたいに――」
「驚くことはない。これまでの事を考えれば可能だろう? 俺はお前たちが探している魔術使いだからな!」
「そ、そんな……」
もし、彼の言うことが正しければ、今私の目の前にいるのは、本物の真藤一輝ということなる。彼が〝本物〟であるならば、私には彼を傷つけることなどできない。
「そうだ。これは真藤一輝だ! お前はこいつを殺すなんてことできないだろう? だが――俺はお前の事を何の気兼ねもなく殺せるんだ!!」
その言葉と共に、彼は私に襲いかかってくる。ナイフで私の心臓を狙ってくる。
私はそれをヒラリと躱し、彼の後ろに回り込み――――。
「ガハッ!」
私は突風を放ち、彼を窓ガラスに叩きつける。そして、彼はそのまま、床に倒れ込んだ。
「ば、バカな!! き、貴様、この男を殺すつもりか!?」
「フ――フフフ、アハハハ!!」
「な、何を笑っている!? 気でも狂ったか!!」
「い、いいえ。狂ってなんかいないわ。ただ、あなたがまだ私を騙せてるって思ったらおかくしってね!」
「な、なんだと!」
私の言葉に彼は驚愕し、顔を強ばらせた。
「あなたは――いいえ、その体は一輝のものなんかじゃない。それは、単なる人形でしょ?」
「ば、バカな事を……何を根拠にそんな事……」
「根拠ならあるわ」
「なん……だと?」
「一輝がこのマンションを出たのは買い出しのためよ。にも関わらず、あなたがエレベータにいた時、何も持っていなかった。もし、あなたが帰ってきた一輝を襲い、彼の意識を奪って操っているなら、疑われないためにも、普通持ってくるわよね? 買い物袋ぐらいは――ね?」
そう――彼がエレベータから降りてきた時の違和感は、それだったのだ。あの時、エレベータの中にも何もなかった。そして、彼の手に握られていたのは今も持っているナイフだけだ。
一輝に似たソレは、私の指摘に黙り込んだ。そして――――。
「フフ――フフフ、フハハハハ!! まさか、そこまで見抜かれているとはな! 畏れいったよ。なるほど――流石は一ノ宮の次期当主と言ったところか」
彼は愉快そうに笑いながら、体をゆっくりと起こす。
「何を企んでいるの?」
「フ――そんなもの教えるわけが――――ないだろう!!」
彼は言い終わる前に、私に向かってナイフを突き出しながら、突進してくる。
「そう――なら、後ろの夜景と共に消えなさい!」
私は突風と共に幾数もの風の刃を発生させる。
「な゛!!」
彼は私の言葉に驚いた表情を浮かべながら、短い断末魔を上げ、バラバラに切り刻まれた。バラバラになったそれは窓ガラスに再び叩きつけられ、窓ガラスは音を立てて割れた。
「終わりね……ぁ――」
一瞬、今の現状に目眩がして、その場に跪く。
人形とはいえ、一輝の姿と何一つ変わらないものを自らの手でバラバラにしたのだ。気分が良いものではない。
「ホント、最低……こんな、こんな事……絶対に許さない!」
私は魔術使いへの怒りを露わにせずにはいられなかった。こんな人の感情を弄ぶようなやり方、絶対に許すことなど出来ない。
私は立ち上がり、バラバラになった人形を見る。そこには既に、先程まで一輝の姿をかたどった人形の姿はなかった。そこにあったのは、バラバラになったマネキンのような人形だった。
「魔術による容姿変更と生体機能の埋め込みまで……あの犬の化け物と同じね……」
先程までのやりとり、そして、この人形。これで間違いなく、如月学園の時と同じ魔術使いが関わっていることは確定だ。そして、先程まで私とやり合っていたものが、その魔術使いだ。会話できていた事も考えると、人形に意識を繋いで動かしていたのだろう。そうだとすれば、本体はそんなに離れた場所にはいないはずだ。
「いるわね――間違いなく、このマンションに。探さないと。でも、その前に――」
私は割れた窓に近づいて外を見る。
「思った通りね……」
窓から見える景色は私の予想通りの光景だった。
「全部分かったわよ――このマンションのカラクリがね!」
全て理解できた。何故、突然住人が人形と入れ代わったのか。そして、このマンションの本当の姿に。そして、魔術師がどこにいるのかも――――。
「――って、いけない! そんな事をゆっくり考えている場合じゃなかった! 一輝と間島を探さないと」
このマンション内は魔術使いのテリトリーだ。おそらくは、二人にふりかかっている出来事も私と似通っているはず。急いで助けに行かないと。
間島の現状はまだ分からないが、一輝はまだ無事なはずだ。その証拠に、私の前に現れた人形は完全に一輝に変装できていなかった。つまり、一輝は魔術師の手に堕ちていないという事だ。
私は部屋の外に飛び出した。だが、そこには先程まで廊下に倒れていた人形たちがいた。起き上がり、こちらに向かってきている。
「なるほど――ね。そう簡単には行かせないってわけね!」
私は風の刃を放ちながら、人形の群の中に飛び込んだ。




