第6話「遭遇」
1月17日。木曜日。朝七時五十分。登校時間としては早い時間に俺は学校に来ていた。
普段ならこんな早くには登校しない。一ノ宮に早く会いたい、その気持ちが急いてこんな時間に来てしまった。
にもかかわらず、教室に入ってみると既に海翔がいた。もちろん、他には誰も来ていない。
「なんだぁ!? 海翔、お前にして早すぎるじゃないか? 熱でもあるのか?」
「がくぅ! いきなりそれかよ! なんか他にあるだろ? おはよう、とかよ」
「あー、そうだな。おはよう、海翔」
なんか面倒くさいので棒読みで挨拶する。
「はぁ……もういいよ。せっかくお前にすごい情報持ってきたのに……」
「すごい情報……? 情報って、あの通り魔殺人のか?」
「ああ、もちろんだ。聞きたいか?」
そう言う海翔は自信満々だ。
「うん、まぁ」
「じゃあ、それなりの誠意を見せてほしいんだが?」
どうやら、海翔はさっきの挨拶の事を根に持っているようだ。
「じゃ、いいや」
どうせ海翔のことだ。大した情報じゃない。それに、こう答えれば――。
「あ、あら…そ、そんなそっけない……。そんな事言わないでさぁ?」
「お前に頭下げるぐらいなら、そんな情報はいらん」
「そ、そんなぁ……そんな事言わず聞いてくれよぉ。ね? 一輝くぅん」
海翔は俺にすがり付いてきた。海翔はこういう奴だ。焦らせば自分から話すと踏んでいた。
けれど、この気色悪い口調と態度はいただけない。他の生徒に見られたら誤解されかねない。
「わかったわかった。聞いて欲しいなら初めからそう言えよ……。んで、なんだよ? そのすごい情報って?」
「あ、ああ。それがな……実は昨日一日、事件現場周辺で聞き込みしてたんだ」
「はぁ……昨日学校休んだと思ったら、やっぱりそんなことしてたのか。お前って奴は……」
「ははは。学校より捜査してる方が面白いからな!」
「何考えてんだか……」
まあ、そのおかげで、俺は一ノ宮と二人っきりで出かけることができたわけだが。
「まあ、それは置いといて。でよ、その聴き込みで凄い情報を手に入れたんだ」
「だから、どんな情報だよ?」
「あわてんぼうだなぁ、一輝君は♡」
「もういい」
俺は気色悪い言い方をする海翔をほっといて席に戻ろうと海翔に背を向ける。
「わわっ! 冗談だよ、話すよ」
「だったら、早く話せよ」
俺は海翔に向き直り、話の続きをさっさと話すように促した。
「ああ、それが実はな、聴き込みしてたら、事件が起きた時間帯に犯人らしき奴が路地裏から出て来るのを見たって奴がいたんだよ」
「なんだって!? それ、本当か?」
思ってもみない情報に俺は身を乗り出した。
「お、やっと食いついてきたな。その人の話じゃな、そいつの顔や性別は暗くてよく見えなかったらしいんだが、黒いロングコートを着てたらしいんだ。な? すごい情報だろ?」
海翔は自慢げに胸を張っている。
しかし、なるほど。それは確かにいままでに比べれば、有力な情報だ。
「ああ、そうだな。確かにすごい情報だ。やればできるじゃないか、海翔」
「へっへーん。どんなもんだい!」
胸を張って威張る海翔。よっぽど、俺に褒められたのが嬉しかったのだろう。
「しかし、黒いロングコートだけじゃ犯人の足取りを追うのは難しいぞ。いまは冬だし、黒いロングコートぐらい着てる奴は一杯いる……」
「ああ。そうなんだよな……。そこで一輝、お前の登場だ!」
「……え?」
「改めて、お前と俺で捜査に行こうって言ってんだよ。おれだけじゃ分からないこともあるからさ。この間みたく、何か分かるかもしれないだろ?」
「まあ、そうかもしれないけど……それって今日行くのか?」
「ああ、早いほうがいい。お前もそう言ってただろ?」
確かにそうだが、それはまずい。何故なら今日は――。
「すまん、海翔。俺、今日は塾があるんだ。だから、今日は捜査に行けない」
「なにぃ!? マジか?」
「あ、ああ」
「そんなのサボっちまえよ。それに学校終わってからなら、時間取れるだろ? 塾なんて後回にしすればいいじゃないか?」
「そうはいかないんだ。今日は模試があって、その後も授業だから……」
「かぁ! これだから真面目ちゃんはいやだねぇ!」
俺だって嫌だ。しかし、金を払っている以上、親の手前サボるわけにはいかない。
「すまない。そういうことだから……」
俺は海翔に頭を下げる。
「あー、わかったわかった。頭まで下げられたら無理やり付き合わすわけにはいかねぇよ」
「悪いな。明日なら大丈夫だから」
「ああ、了解だ」
海翔は俺が行けないと分かると、そっけない返事をして自分の席に戻った。
気づくと、既に教室には生徒がほとんど来ていた。時計を見てみると、後五分で授業が始まる時間だった。
俺は一ノ宮の席の方を見た。今日はまだ朝の挨拶をしてなかったからだ。けれど、彼女はまだ来ていなかった。
「どうしたんだろう? もうすぐ授業始まるのに……」
彼女に限って遅刻はないだろう。もしかして、休みなのだろうか?
俺は昨日の別れ際の事を思い出し、嫌な考えが浮かんできた。
「待て待て! 俺は一体何を考えてんだ……」
俺はその嫌なイメージを振り払うように頭を振る。そんな事が起きるわけがない。起きているなら、とっくに大騒ぎになっているはずだ。単に遅れているか、何かの事情で休んでいるだけだ、きっと。
結局、その日、一ノ宮が学校に来ることはなかった。俺は担任にそれとなく聞いてみたが、担任も何も聞かされてないようだった。
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午後十時。俺は塾から出てきた。本来なら、九時に終わる予定なのだが、講師の勝手な判断で一時間延長になってしまったのだ。
「はぁ……疲れた……」
既に疲れきっていた。もう頭はパンク寸前だ。
近くのバス停まで歩く。皐月町にある塾なので、大抵夜はバスを使って帰っているのだ。
しかし、バス停までたどり着いた俺は愕然とした。
「え……この時間ってもうバスないのか?」
時刻表を見てみると、既に十時台にはバスはなかったのだ。
「マジかよ……」
こうなっては仕方ない。タクシーも近くを通ってないようだった。俺は嫌々ながら歩いて帰ることを決め込んだ。隣町といっても普通に歩いて帰れば、家まで一時間も掛からない。
俺は足早に自分の家に方に向かって町を歩いた。それはやはり、いま多発している通り魔殺人の影響もあってだ。
「うぅ……寒い。早く帰って温まろう」
まだ、一月。一番寒い盛りだった。だが、家まであと半分と来たところで、俺はまったく別の冷たさを感じたような気がして、ぶるりと体を震わした。
「な、何だ……? なんか気味悪いな……」
気づけば、電灯もあまりない。静かで薄暗い所だった。
「ここって、こんな感じだったかな……?」
そこは、昨日も一ノ宮と一緒に通った道だ。けれど、その時とはまるで様子が違っていた。それは、道を間違ったかと錯覚させるほどだった。
どんどん気味悪くなって、俺はさらに歩く足を速めた。
気づけば――そこはあの事件の第五の現場から近い場所だった。
その事実に気がついた俺は不意に事件現場に立ち寄ってみたくなった。犯行が行われたのは丁度いまぐらいの時間と言われている。犯行が行われた同時刻にその現場を見ておくことも、捜査の上では大切なことだ。
思い立ったら吉日。先程までの気味悪さもどこ吹く風で、犯行現場の路地裏へと近づいていく。
その時だった。静かなその場所で突然〝強風〟が吹いた。
「うわっ!」
その風は砂を巻き上げながら吹く旋風のようだった。
その直後だった。
小さな音が聞こえてきた。それは、何かが壁にぶつかった後、水溜りに落ちるような音だった。
「なんだ……?」
俺はその音が聞こえてきた方に向いた。そこには、狭い路地があった。それは第五現場の近くではあったが、別の路地だった。
俺はそこに何故か興味をひかれた。俺の目的は犯行現場の確認だ。音が聞こえてきた路地なんてどうでもいいことだ。それはわかっていたが、どうしても聞こえてきた音が気になった。
俺はその路地へと入っていった。
暗くてよく分からなかったが、そこには大きな水溜りと幾つかの少し大きめの石らしき物があった。
否――それは水溜りなのではない。
「え……」
否――それは石なのではない。
「う、うそ……だろ……?」
俺はそれが何なのか初めは分からなかった。
否――路地裏に入る前から俺はそれが何か知っていたのではないか――。
「……血……人……」
それを口に出して確信する。そう、それは水溜りなのではなく、血溜り。石なのではなく、バラバラにされた人。
否――それはもう人と呼べるには程遠い物になっていた。
初めて見る血溜り、初めて見る死体。それはバラバラにされ、人間の中に入っているあらゆる臓器が飛び出していた。
「う……うぐ……おぇ……!」
吐き気を催し、そして頭がクラリとして、その場に蹲る。
「……っ…うぐ……うぅ……ごほっ!」
耐え切れず、その場で吐いた。胃の中の物を全て吐き出した。それでも吐き気は止まらない。呼吸すらもままならない状態だ。
それは突然――いや、初めからそこにいたのか、すぐ側で足音が聞こえてきた。俺は遠くなりそうな意識の中で、それを見上げた。
それは――そいつはそこにいた。
クロのロングコート……? まさか……。
黒いロングコートの人間。薄暗いせいなのか、遠くなりそうな意識のせいなのか、俺はそいつの顔や性別が分からなかった。ただ黒いロングコートだけが目に入った。そして、そいつは俺に近づいてきて、口を開いた。
「まさか入ってくる奴がいるとはね」
それはこの場にそぐ合わない陽気な声だった。声だけでは男か女か分からない。
「……ぅぅ……ぁ……」
まずい。このままではまずいことになってしまう。
それは俺の直感だった。こいつが殺人鬼なのだと。いまここにある死体もこいつがやったのだと。
「君はただの人間かい? それにしてはよく結界を潜ってこられたね」
そいつは楽しげで、それでいて抑揚のない冷徹な口調だった。
ケッカイ……? ナニヲイッテルンダ、コイツ……?
遠くなりそうな意識をなんとか持ちこたえさせ、俺はそいつの言葉を必死に聞こうとしていた。
けれど、そんなことしている場合ではない。早くこの場から逃げないと――。
――コロサレル……!
しかし、体に力が入らない。立ち上がる事も、声を出すこともできない。
その時、俺は一ノ宮との屋上での会話を思い出した。
『そうそう、もう一つ忠告よ。あまり何がしら興味本意で首を突っ込まない方がいいわよ。いいわね?』
あの時、彼女は忠告してくれたのに……。何故、俺は忘れてしまっていたのか。
「ぁぁ……ぅぅ……!」
助けを呼ばないと。でないと、殺されてしまう。なのに、声が出ない。
「クク。もう声も出せないのか。どうやら、ただの人間のようだね」
陽気な声でそう言うと、そいつは手を振り上げた。
「ま、君が普通の人間であろうがなかろうが、見られた以上死んでもらうよ。クク、心配しないで。そっちの仏さんと同様、楽に死なせてあげるから」
笑いながら酷く残忍な言葉を吐き、そいつは手を振り下ろそうとした。
その手が振り下ろされたからといって、俺を殺せるはずはない。バラバラにできるはずはないのに、俺はそいつの手が振り下ろされたその瞬間にバラバラにされると直感していた。
ダメダ! ヤラレル……!
俺はそう思って目を閉じた。その瞬間だった。
後ろから突然〝風〟が吹いた。それは背中を押されると思ったぐらいの強い〝風〟だった。けれど、それだけだった。何も起こらない。
イキ…テル……?
俺はゆっくりと目を開けてみると、そいつはまだ手を振り上げたままだった。
「チッ……! 運のいい奴だ」
そいつはさっきとは明らかに声の調子が違っていた。苛立ち、憎悪さえ感じる。
「君、きょう……かい……ね。ま……あお……」
何を言っている? 何を話している?
既に意識は混濁していた。
そいつがなんと言ったのか分からなかったが、それを最後に奴は俺に背を向け、何処かに行ってしまった。
助かった……?
そう思った瞬間、俺はその場に崩れ落ち、意識は闇に落ちていった。
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次に目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。そこには、家族はもちろん、かおりんと警察の人たち数名、そして医者と看護師がいた。
なんでもあの後、巡回していた警察官に俺は発見されたらしく、すぐに病院に運ばれたらしい。ただ、発見がやけに早かったのは、同僚を探していたからだそうだ。つまり、あのバラバラにされていたのは警察官だったのだ。但し、頭部は持ち去られていたとのことだ。
その後、警察とかおりんに根掘り葉掘り聞かれたが、俺は黒いロングコートの人間としか答えることができなかった。実際、顔も見ることができなかったのだから。
ただ、俺には一つだけ疑問があった。何故あの時、犯人は俺を殺さなかったのか……?
かおりんにそのことを話すと、呆れたように言い放った。
「そんなの決まってるじゃない。あんたが殺すに値しなかったってことでしょ」
確かにそうかもしれない。けれど、何か違うような気がする。去り際、あの犯人は何かに対して敵意を向けていたような――。
それを話そうとした時、かおりんが鬼のような形相で俺を睨んできた。
「あんたねぇ! 殺されそうになったこと、ちゃんと分かってんでしょうね? これに懲りたら、もう探偵の真似事なんてやめなさい! 分かったわね!」
「う……わ、分かったよ……」
結局、疑問に答えが出ないまま、俺はかおりんに散々説教をされた後に家路についた。