第14話「珍客、現る」
2015年11月3日 火曜日。
朝、俺は間島探偵事務所に来ていた。
さすがに毎日、朝から晩まで弘蔵さんに稽古をつけてもらうわけにいかない。俺にも生活がある。新一さんの所で助手として働いて金を稼ぐ必要があるのだ。
そういうわけで、今日は稽古は午後3時からの予定になっている。
「それで、新一さん? 昨日はどうでしたか?」
「え? 何がだい?」
俺の問いかけに対し、新一さんは意味が分からないと言った表情で、問い返してきた。少し質問が急すぎただろうか。
昨日はあれから、海翔の友人のエンドウから聞いた噂について知る男の行方は、結局分からずじまいに終わってしまった。その他の有力情報も手に入る事もなかった。
新一さんが何か情報を仕入れてきているなら、聞いておきたかった。
「噂の件ですよ。昨日、あれから調べていたんですよね?」
「あ、ああ、あの事か。うん、調べてたよ」
「どうでしたか?」
「どうもこうも……色々なツテを使って、聞き込みしてみたんだけどね、まったくと言っていい程、何も分からなかったよ。噂が流れ初めて一ヶ月も経っているせいなのか、噂の内容が変化してるし、話す人でそれぞれで一貫性もなくなっている。正直、どこのマンションかを特定するのは手こずりそうだよ」
「そう……ですかぁ」
やっぱりという思いで、新一さんの話を聞いていた。新一さんならという淡い期待を持ってはいたが、その反面、新一さんでも無理だろうという諦めに似た思いでもいた。
やはり、噂の詳細を知るであろう男を逃してしまったのは痛かったか――――。
くそ! 昨日、あんな事さえなければ、その男から話を聞けたかもしれないのに!!
後悔しても仕方ないと分かっていても、悔やまれてしかたない。
「まぁ、焦って調べても仕方ないよ。この噂を流した人物が何を目的にしているのかも、現状では分かってないんだしね。結局は、こっちが尻尾を掴むのが先か、向こうが尻尾を出すのが先か、だよ」
「そ、それは……」
新一さんの発言には素直に頷くことができない。
こちらが尻尾を掴むなら良い。だが、相手が先に尻尾を出すような事になるのは望ましいことではない。それは、一昨日のように向こう側が何がしらの事を起こそうとする時だ。それでは、一ノ宮に危険が及ぶ可能性が高い。
「分かっているよ、一輝君。なるべく、先手を打てるようにするから」
俺の不安を読み取ったかのように、新一さんはそう言ってきた。
「え、ええ、お願いします」
今は新一さんに託すしかない。俺もまだ調査を続けてみるつもりではいるが、それに掛けられる時間の絶対数も能力差も違いすぎる。
「それじゃあ、早速出てこようと思うけど、一輝君にはお留守番を頼めるかな?」
「あ、はい。分かりました。お客さんが来たら、ご依頼内容を聞いておけばいいですよね?」
「ああ、そうして貰えると助かるよ」
此処数ヶ月で、接客方法はマスターしている。依頼内容を聞いて、後で新一さんに伝えておくことぐらいは造作もないことだ。最近では、依頼内容にも依るが、依頼を受けるか受けないかも、俺の方で判断していいと言われている。もっとも、最近はそれだけ依頼が減少して、ひっ迫しているという事なのだが……。
新一さんは外出の支度が整うと、外に出よう事務所の扉に手をかけた。その時だった。新一さんが扉を開ける前に、扉が開いた。
「あ、どうも~、こちら間島探偵事務所さんでしょーか?」
開いた扉の先から、何とも間の抜けたような男性らしき声が聞こえてきた。
新一さんが扉の前に立っているため、俺の位置からでは尋ねてきた人物の姿を見て取ることができない。
「え、ええ。そうですが……」
新一さんはその男性に返答を返した。
「ああ! よかった!! 実は御依頼したい事がありまして……」
尋ねてきた人物は新一さんの返答を聞くと、オーバーな喜びの声を上げた。
どうやら、新しい依頼人のようだ。一ノ宮以外で依頼人が現れるのは久々の事だ。
「えぇっと? もしかして、これから外出なさるところでしたか?」
新一さんの身なりが目に入ったのだろう、依頼人は不安そうな声で新一さんに尋ねている。
「いえいえ、大丈夫ですよ! 御依頼ですね? 御依頼内容をお聞きしますので、中にどうぞ!」
そう言って、新一さんは脇に避け、依頼人を中に招き入れる。
「そうですか? それでは、失礼しまー……ん?」
「え!?」
中に入ってきた依頼人は俺の存在に気づき、足を止める。俺の方もその人物の顔を見覚えがあり、挨拶するよりも驚きの声を先に上げてしまった。
事務所の中に入ってきた人物、それは――――なんと、昨日の原付ウィリー男、大神操司だったのだ!!
「あ、あ、あ、アナタは!! な、なんで此処にぃ!?」
思わず声を上げてしまった。その声に大神も驚き、目を瞠る。
「えぇっと……んん? ああ!? 君はーー!!」
どうやら、向こうも俺の存在に気づいたようだ――――。
「……誰だっけ?」
「はいぃ!?」
大神のとぼけた台詞に、俺はなんとも間の抜けた声を出してしまっていた。
まさか、覚えてないとは……。あんな事があったというのに……。
「えぇっと……覚えてませんか? ほら、昨日の……」
俺は大神に近づき、顔を近づけ、自分で自分を指しながら、聞き直した。すると、大神はそれにつられるように、じっと俺に顔を見つめてくる。
「んんー!? おお! そうだ! 昨日の僕にひかれそうにそうになったボーイだぁ!!」
大神は嬉しそうにそう叫んだ。どうやら、思い出してくれたらしい。
なんで、嬉しそうなんだか……。あと、ボーイって言い方もどうかと思う。
「ええっと、一輝君? どういうことだい? 知り合いなの?」
新一さんは困惑した表情で、俺に尋ねてくる。もっともな反応だ。
「いえ、知り合いというわけではないんですが……」
俺は新一さんに昨日大神操司との間にあった事を話した。
「ふーん、噂の調査をしてたら、ウィリーした原付にねぇ……」
「え、ええ……」
まぁ、分かっていたことだが、新一さんからジト目を向けられる。自分の知らないところで、勝手に噂について調査をしていた事が気に入らないのだろう。
「ま、怜奈君が知ってるなら、別にいいだけどね。それにしても……よかったね、君。海翔君がいてくれてさ。いなかったら、間違いなく今頃病院行きだったよ?」
「ええ……ホント、助かりました……」
俺と新一さんは大神を見ながら、そんな会話をしていた。少なくとも、俺は大神を睨んでいる。
「えぇっとぉ……僕、一応お客さんなんだけどなぁ……」
すごく悲しそうな表情で大神はいじけていた。
「ああ、いえ、大神さんを責めてるわけではないので、お気になさらないでください。ただの内輪の話なので」
新一さんがそんな大神の態度に慌ててフォローを入れている。どんなお客でも優しく接客。間島探偵事務所のモットーみたいなものだ。
「そうですか! それなら良かった!! いやー、てっきり歓迎されてないのかなって思っちゃいましたよぉ」
「いえいえ、そんなわけないですよ。お客様にそんな失礼なこと致しません」
「そぉですよね!」
新一さんの言葉に大神は表情を一転させ、明るくなる。相変わらずというか、昨日と同じで表情が一瞬で変わってしまう男だ。
そんな大神も見て、さすがに新一さんも大神の異常性に気づき始めたのか、顔をひきつらせている。
「えっと、それで御依頼というのは、何でしょうか?」
新一さんは脱線してしまった話を本来の道に戻そうと、大神にそう尋ねた。
そうだった……色々あって、すっかり忘れていた。この大神は新一さんに依頼をするために此処に来たんだった。
「ええ、実はですね。ある事を調べてほしんですよ、これが」
「ある事?」
「はい。実は僕の方で取り扱ってるマンション……ああ、そうだ! まだ、ちゃんと自己紹介してませんでしたね! 実は僕、こういう者なんです!」
そう言って、大神は俺に渡したの同じ名刺を新一さんに差し出す。
「これはご丁寧にどうも……〝大神不動産〟……不動産経営をされていらっしゃるのですね?」
「ええ、そうなんです。それで、僕の方で扱っている物件について調べて欲しいことがありまして」
「マンションと言っておられましたね? 一体、どういう事の調査でしょうか?」
「はい……実はそのマンションに関して、今、街で不吉な噂が流れまして……」
俺と新一さんは大神の言葉を聞いて、互いに顔を見合わす。考えている事は同じらしい。
まさか、あの噂についての事だとでもいうのだろうか――――。
大神はそんな俺たちの様子を気にすることもなく、話の続きを喋っていく。
「それで、その噂のせいで住人も不安に駆られてるようですし、どうにもマンションの売れ行きも伸び悩んでいるんですよ」
「ふむ……それはお困りですね」
新一さんは慌てることなく、依頼人の心情を察するように、悪魔で冷静に接客を行っていく。
だが、それが裏目に出たのか、大神の独特な性格のためか、大神の言葉に熱が帯びてくる。
「そぉなんですよぉ!! まったく、ドコのドイツがあんな迷惑な噂を流したんだか!? 営業妨害で訴えてやりたいぐらいですよぉ!!」
「まあまあ、落ち着いて。それで、私どもに調べて欲しい事とは、その噂を流した人物ですか?」
「おおっと、これは失礼! いえ、僕が調べて欲しいのは、その噂の実態なんですよねぇ」
「噂の実態?」
「ええ。正直、噂を流した人間の事なんて、どうでもいいですよ、これが。寧ろ、商売をしている僕にとっては、その噂が事実か嘘なのかって事の方が重要なんでね」
なるほど……商売人らしい考え方だ。この男にとっては、噂が流した人間よりも、噂の真偽の方が死活問題なのだろう。
「そういうことですか……それでは、その噂についてお聞かせ願いますか?」
やっと新一さんが、もっとも重要で必要な事の質問をしてくれた。それが聞きたくて、俺は先程うずうずしていたぐらいだ。
「あ、そうですよね! それが分からないと話になりませんよねー。えぇっと、確か〝マンションの住人に三年前の殺人鬼がいる〟って噂ですね」
「え……」
俺は耳を疑った。それと同時に、背筋が凍る思いがした。
なんで、このタイミングであの殺人鬼の事が出てくるのか――――。
「いやぁー、ほらね? なんとも物騒で不吉な噂でしょう? あっはっはっは!」
何が面白いのか、大神は笑っている。相変わらず、掴めない男だ。
だが、今はそんな大神の言葉は俺には届いていなかった。
「一体、どういう事なんでしょう?」
俺は不安な思いから、小声で新一さんに尋ねていた。
「心配いらないよ。おそらく、噂が変化したんだ。殺人鬼の噂も一緒に流れているからね。混ざったんじゃないかな?」
「でも、噂の元になったマンションですよね? そこが変化するってのは、おかしくないですか?」
「いや、元になっていても、出元とは限らないよ。回りに回って、変化した噂が流れてきたのかもしれない。いずれにせよ、新たな噂ってわけじゃないと思うよ」
なるほど。確かに昨日調べただけでも、噂は流動的に変化していた。たとえ、噂の元になったマンションの関係者だとしても、それを知った時期によって、噂の内容も変わってしまっている事は考えられるのか。
「あのー……」
大神が不安そうな表情で、声をかけてきた。俺と新一さんの密談が依頼の受領の相談であるかのように映ったためだろう。
それに気づいて、新一さんは慌てて取り繕う。
「ああ、いや、これは失礼! こちらの話なのでお気になさらず。ところで、この事は警察にはご相談されたのですか?」
「ええ、まあ。ただねぇ……」
「相手にされなかった?」
「そぉなんですよぉ!! 聞いてくださいよ!! こっちは情報提供のつもりで話したのに、やつら取り合ってくれさえしなかったんですよぉ!! あの税金泥棒どもめ!!」
いや、それは明らかに言い過ぎだろ。寧ろ、取り合わなかった警察の方が正しい。単なる噂レベルでは、警察は動かない。いや、おそらくは警察でなくとも、笑って流してしまうだろう。
だが、今の俺たちは違う。少しでも、情報が欲しい時なのだ。
「わかりました! その御依頼お受けします!」
新一さんは悩むことなく即断し、大神にそう告げた。
「ホントォですかぁ! よかったぁー!! もう、断られたら、どうしようかと思っていましたよぉ」
大神は飛び跳ねるように喜んでいる。オーバーすぎるように思えるが、それでも喜んでもらえれば、こちらとしても嬉しい。新一さんも営業スマイルで微笑んでいる。
(ん? 営業スマイル?)
なんだろう? 新一さんの笑顔がいつもと何か違うような気がする。笑顔なのに、どこか無機質というか……温かみに欠けているというか……。
一抹の不安――――と言うほどでもないが、この小さな違和感がどうしても気になって仕方なかった。
「それでは、大神さん。調査の上で、お願いしたい事があるですが、よろしいですか?」
気づけば、新一さんはいつもの表情に戻り、仕事の話を進めていた。
「はいはい! 調査のためなら、なんなりと!」
「ありがとうございます。では、できればでいいのですが、そのマンションの一室を何日かでいいので、我々に貸していただけないかと」
「おお! なるほど!! 潜入捜査というわけですね?」
大神は目を輝かせて、身を乗り出して尋ねてくる。
「え、ええ、まぁ、そんなところです……」
さすがの新一さんも大神の言動にはタジタジになっている。どうやら、俺や海翔だけでなく、新一さんもこういった人物は苦手なようだ。とういうか、得意な人はいないだろうな。
「わかりました! では、すぐにお部屋を準備いたします!!」
「よろしくお願いします。それでは、部屋の準備ができましたら、ご一報いただけますか? それから、御社の方に鍵を受け取りに参りますので」
「いえいえ! 直接マンションの方にお越しください。僕が案内しますので」
「わ、わかりました……では、その際はよろしくお願いします」
新一さんは若干引きつった笑顔を浮かべながら、応対していた。おそらく、必要以上に大神と長く一緒にいることを避けたかっただろう。その気持ちは痛いほど分かる。
こうして、俺と新一さんは思わない形で噂の有力情報を手に入れることができた。マンションの場所に関しても、大神に住所とその場所を地図で示してもらった。噂のマンションは半年前に建設が終わったばかりの新築マンションで、噂の通りの高級高層マンションだった。
その後、マンションの場所まで分かり、とりあえずの先だった用件はなくなったはずなのだが、大神はすぐには帰ろうとしなかった。関係ないことをベラベラとハイテンションで喋りつくした。結局、それから一時間以上も事務所に居座り続けて、やっと帰って行った。
大神が帰った後で気が付いた事だが、おそらく、昨日エンドウが言っていた男は、大神操司の事だったのだろう。あの喫茶店から、大神に遭遇した場所からでは、そんなに距離があるわけではない。それに喫茶店の店主も長々と話しかけられ続けて、迷惑したとも言っていた。丁度、今の俺たちのように……。
「あー、疲れたぁ……」
さすがの新一さんも、大神のテンションに着いていけず、疲れ切っている様子だった。
「はは、お疲れさまです。珈琲でも煎れましょうか?」
「あ、ああ、すまないね。お願いしていいかい?」
「ええ、大丈夫ですよ」
俺は返答するよりも早く、事務所の給湯室へ入って行っていた。
「しっかし、何だい、あの男は? ちょっと異常すぎないかい?」
そんな新一さんの声が、給湯室に聞こえてきた。
「はは……海翔も似たような事言ってましたよ。存在自体がありえない――って」
「ああ、それは彼らしい表現の仕方だ。そう言いたくなるのも分かるような気がするよ」
どうやら、新一さんも海翔の言い分に納得しているようだ。ピエロだと思った俺の方が感覚として間違っているという事だろうか?
些細な事ではあるが、若干、自分の直感というものに疑問と不安を覚えてしまった。まあ、人それぞれの感覚の話だ。些細な事には変わりない。あまり気にしないでおこう。
その後、大神から連絡が入ったのは、正午を過ぎてからの事だった。思った以上に、部屋の準備が早かったので驚いたが、早いに越したことはないので、新一さんはすぐに出掛けると言い出した。
「えっと……やっぱり、俺もついて行っちゃあダメですか?」
「え? でも、君、午後から弘蔵さんに稽古つけてもらう予定なんでしょ?」
「え、ええ……それはそうなんですが……」
稽古以上に今はこっちの方が気になるわけで……。
「はぁ……まったく、君も仕方ないねぇ……」
新一さんは溜め息混じりでそんな事を言っている。
「えっと……?」
俺は新一さんの言葉の意味が理解できずにいた。
すると、新一さんはスマホを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。
「あ、怜奈君かい? うん、そう、僕だよ」
い、一ノ宮だって!? 新一さんは一ノ宮に何を話すつもりでいるのだろうか――――。
「ちょっと悪いんだけど、一輝君を午後からも借りたいんだけど、いいかな?」
え――――。
「え? あ、うん、そう。例の件で人手が欲しいんだ。え? 大丈夫だよ。危ないことはさせないから。
うん、うん、それじゃあ、弘蔵さんによろしく言っておいておくれよ。悪いね」
そうして、新一さんは電話を切った。そして、こっちに振り返り――――。
「これで、いいかい?」
なんて事を笑顔で言っている。
「はは! ありがとうございます!!」
ちょっと一ノ宮や弘蔵さんには悪い気がしたが、それ以上に今は新一さんと一緒に調査に出れることの方が嬉しかった。
今はとりあえず、新一さんに感謝だ。
 




