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旋風と衝撃の狭間で  作者: みどー
禍ツ闇夜編
65/172

第11話「気づき」



 2015年11月2日 月曜日。


 朝起きて、スマホの画面を見ると、メールが2件入っていた。

 寝ぼけ眼のまま、メールをチェックとすると、一件は一ノ宮から、もう一件は新一さんからだった。

 一瞬躊躇ったが、一ノ宮からのメールを先に開いた。


『昨日はごめんなさい。ありがとう。』


 たったそれだけの内容だったが、それでもその気持ちは伝わってきた。一ノ宮は自分からはメールをしてくること少ない。以前、本人に聞いた時には、文字だけで言いたいことを伝えることが苦手だと言っていた。それなのに今回メールしてきたという事は、それほど昨日の病院での一件を気にしているのだろう。

 俺は返信画面を開き、返事を打ち込む。


『気にしなくても大丈夫だよ。俺の方こそ昨日は色々と勝手な事をしてごめん。また後でね。』


 そう打ち込んだ後、画面上の送信ボタンを押す。


「よし、送信っと。さて、次は――――」


 新一さんからのメールだが、こちらは読まなくても大体の予想がつく。


『昨日の件で色々と話を聞きたいから、弘蔵さんの所に行く前に、事務所に来てくれるかな?』


 メールの内容は、やっぱりというか、予想通りだった。

 新一さんとしたら、いや、新一さんだけでなく一ノ宮にとっても、昨日俺が如月学園にいたこと自体、予想外だったはずだ。新一さんは弘蔵さんから一ノ宮を迎えに行くように頼まれただけだと言っていたし、俺も如月学園に忍び込む事を誰にも話していない。来てみたら、一ノ宮だけでなく、俺もいた事に本当は驚いていたはずだ。何故、あんな場所にいたのか聞きたくなるもの当然な事だろう。

 丁度良い機会だ。新一さんにもちゃんと話しておいた方がいいだろう。あの噂が今回の事件に関係があるということを。


『今、起きました。これから事務所に向かいます。』


 そうメッセージを打ち込み返信した後、俺はすぐに着替えて居間に移動した。

 すると、そこで思いもよらない声をかけられる。


「よぉ! おはよう、一輝!」

「――――」


 居間に行くと、海翔がいた。手をあげ、元気のいい張りのある声で朝の挨拶なんかしてきていた。


「どうした? 鳩が豆鉄砲でも打たれたような顔をして」

「あ、ああ――いや、お、おはよう。珍しいな? 俺が起きてくる時間にお前がいるなんて?」


 そうなのだ。海翔はいつも俺が起きてくる時には、既に出掛けている事が殆どなのだ。それが今日に至っては、まだ居間にくつろいでいる。どういう風の吹き回しなのか?


「そうか? ま、たまにはいいだろ。それにさ、お前だって昨日俺が寝た後に帰ってきたんだろ?」

「あ、ああ、そうだけどさ」


 それとこれとは全然話が違うような気がするが、確かにこれまでの生活サイクルからすると、お互い珍しいことになった思う……あれ? なんか違わないか? 確か昨日は――――。


「って! そうだ! 俺、昨日はいつも通りの時間に帰ってきたぞ。その時にお前がいなかったから、俺一人で如月学園に行くハメになったんだじゃないか!?」

「は? お前、昨日あの学園に行ったかの?」


 海翔は俺の言葉に驚いた様子で聞き返してきた。その表情は信じられないといった感じだ。


「あ、ああ」

「物好きだなー。まさか、あんな噂を気にして本当に夜の学校に行くなんて……俺の言った通り、何にもなかっただろ?」


 その言葉で昨日の出来事が脳裏を過ぎる。

 あれで何もなかったなんて言えるはずもない。あの噂は事実だった。おそらく、海翔が学園に行ったときには、あの野犬の群はいなかっただけなのだろう。


「な、なんだよ? 黙り込んで。ま、まさか――――」


 海翔は俺の顔を不安そうに覗きこんできた。おそらく、昨日の事を思い出したことで、信憑な面もちにでもなってしまっていたのだろう。


「ああ、実はな――――」


 事情を話そうとした時、時計が目に入った。もういい時間だ。後の予定も詰まっている。急いで事務所に向かわないと、後々の予定にひびくことになりそうだ。


「悪い、海翔!! この話の続きは帰ってからだ」

「はぁ? なんだよ、それは!? 思わせぶりなこと言っておいて、それはないだろ?」

「いや、だって、これから出掛けなくちゃいけないんだから仕方ないだろ? まぁ、付いてくるってんなら話は別だけどさ……」

「お? 付いていっていいのか? つって、どこ行くんだ?」

「新一さんの所だよ。そこで、昨日あった事を話すことになる思うんだけどな……」

「あの野郎の所だって?」


 新一さんの名前出した途端、海翔の表情が変わった。それまでは興味津々で目を輝かせていたくせに、今はもう眉間に皺をよせ、不愉快そうな顔をしている。

 嘘がつけないというか、気持ちが表情に出やすい奴だ。


「ああ。どうする? それでも付いてくるか?」


 俺の問いかけに海翔は黙り込んでしまった。

 まったく――困ったものだ。確かに、あの一件は新一さんが悪いとは思うが、そこまで嫌わなくてもいいだろうに。それに昨日も弘蔵さんの所に来る前に、どうやら新一さんと何かあったようだし。海翔の新一さん嫌いは筋金入りのようだ。


「で、どうする? 行くか?」


 俺は再度、尋ねた。もちろん、答えなど聞かなくても分かっているのだが……。


「いや、いい。帰ってきてから聞かせてもらう」

「りょーかい。それじゃあ、行ってくるよ」


 予想通りの素っ気ない返事が返ってきたので、俺も素っ気なくそう言って、玄関に向かう。後ろから「おお、また後でな。生きて帰ってこいよ」などと、やる気のない声で物騒な言葉が聞こえてきたが、それは無視して外に出た。



      *



「おはよーございます!」


 事務所のドアを開けると同時に俺は挨拶した。

 だが、事務所の中から返ってきたのは思いもよらない人物の声だった。


「あら? 一輝じゃない! おっひさ~」


 事務所の中から飛んできた声は、俺が良く見知った女性の声だった。


「か、かおりん!?」


 事務所にいたのは、俺の従姉にあたる人物だった。名前は真藤香里しんどうかおり。『かおりん』というのは、あだ名みたいなものだ。

 かおりんは警視庁に勤めている女性刑事だ。本来ならば、死ぬほど忙しいはずなのだが、ごく偶に間島探偵事務所に顔を出すことがある。こうして、会うのは荒井恵の一件以来だ。


「おはよう、一輝君。悪いね、忙しい所呼び出して」

「あ、所長。おはようございます。いえいえ、こっちこそ遅くなってすみません」


 新一さんからも声を掛けられ、それに応える。新一さんはいつもの所定の位置、所長の椅子に座っていた。

 すぐに本題に入りたい所だが、今はかおりんがいる。おいそれと昨日の事件について話をすることができない。と言うか、何故かおりんがここにいるのだろうか? 一体、何の用があって来たのだろう?


「どうしたのさ、かおりん? 月曜の朝から事務所に来るなんて珍しいね? 何か用なの?」

「用も何も……ちょっと聞いてよ、一輝!!」

「お、おわ!?」


 此処にいる理由を聞くと、突然かおりんが俺に詰め寄ってきた。何故か鼻息が荒し、顔は真っ赤だし、ぷんぷんと効果音が聞こえてきそうなほど怒っている。

 えーっと……俺、怒られてる? 違うよね?


「えっと、かおりん? 何をそんなに怒ってらっしゃるのでしょうか?」

「怒りもするわよ!! このバカ所長が私に何をしたと思う!?」

「えっ!!」


 俺は耳を疑った。いくら新一さんが無類の女好きだとしても、法律に反するような破廉恥な行為に及ぶとは到底考えられない。しかも、相手は一応刑事な分けだし……そう、思いたい、のだが……。


「ちょ! 何だい、一輝君!? その疑いの眼差しは!!」


 新一さんは慌てた様子で、僕にそう言った。

 どうやら、知らず知らずの内に、新一さんをそういう眼で見てしまっていたらしい。


「違うからね! 勘違いしないで!! 僕はそんないかがわしい事なんてしないから!!」

「そ、そうですよね……」


 新一さんの弁解に俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 いくらなんでも、新一さんがそんな事をするわけがない。それをちょっとでも疑った自分が恥ずか――――。


「ふん! そうやって助手にまで疑われるのは、日頃から行いが悪い証拠よ!」

「うんうん」


 思わずかおりんの言葉に頷いてしまった。


「君たち――僕をいじめにきたのかい?」


 そう言った新一さんの顔は今にも泣きそうな表情だった。

 けれど、仕方ないのだ。だって、本当のことなのだから。


「はん! 人様を真夜中に呼び出しといて、よく言うわよ! おかげで、こっちは徹夜なんだからね!」

「だから、それはさっきから謝っているじゃないですか」

「謝るだけで済むなら警察はいらないつーの!!」


 なんだか無茶苦茶な口論になってきたな。いや、荒れているのはかおりんだけだから、口論じゃないか。新一さんは至って涼しい顔している。

 俺はそれよりも、かおりんがさっき口にした言葉の方が気になる。新一さんが、夜中にかおりんを呼び出したような事を言っていた。つまり、新一さんは俺達と別れた後、かおりんを呼んだということだろうか?


「ちょっと待ってよ、かおりん! 真夜中に呼び出されたってどういうことさ?」

「え? あんたもグルじゃなかったの?」

「はい?」


 グルとは人聞きの悪い言葉だ。一体、新一さんはかおりんに何をしたんだろう?

 それと、なんだろうか? その『ナイスだ! 一輝君!!』と言わんばかりの新一さんの表情は……。


「まぁいいわ。時間もないし、私忙しいから手短に説明するわよ?」

「う、うん」


 忙しいと言うわりに、なんだが無駄な口論をしていたように思えるが――――言ったら逆鱗に触れそうなので、言わないでおこう。


「この男はね、昨日の真夜中に突然私を呼びだしたのよ。しかも、あんたの母校、如月学園にね!」


 やっぱり、そうか――――。


「『とにかく早く来てくれー』なんて、今にも死にそうな声で言うもんだから、驚いてすっとんで行ったわよ。そしたら、こいつ、ピンピンしてるのよ!! どう思う!?」


 うん、それはあなた、騙されたに決まってるじゃないですか!?

 あの状況で――――あんな強面な黒服の男が一緒に付いているんだから、死にそうになるなんて事、絶対にありえない。もっとも、あの時のような化け物が現れたのなら別だが、それでかおりんを呼ぶのはどう考えてもおかしい。

 突っ込みを入れたくなったが、かおりんは立て続けに喋っていく。


「挙げ句に、学園に犬が迷い込んだから保護して欲しいとか言い出す始末だし!! 犬よ犬!? 保健所に言えって話しよ!!」


 説明とか言っていたはずなのだが、ほぼ愚痴なっている。どうも、かおりんは新一さん絡みになるとエキサイトしてしまうらしい。


「あー、それは大変だったね。そ、それでその犬を保護したの?」


 俺はかおりんを宥めつつ、聞きたい事を聞き出すように誘導する。


「ええ、したわよ。仕方ないからしてあげたわよ! 沢山の犬をね!! 『事件性があるかもしれないから』なんて、この男が言い出すから仕方なくね!!」


 事件性? どういうことだろうか?

 確かに、あれだけの野犬が学園内にいたのは事件に他ならないが、それは、魔術使いの仕業だと、一ノ宮も新一さんも言っていたはずだ。そうであるならば、警察なんかが出る幕ではないはずだ。


「どういうことですか? 新一さん?」


 俺はその疑問を新一さんに投げかけてみた。

 すると、それまで黙ってかおりんの愚痴を聞いていた新一さんが、にっこり微笑んで、口を開いた。


「それは、この先を聞けば分かると思うよ。香里さん、僕と一輝君に結果を教えてくれないかな?」


 結果? 結果とはなんだ?

 俺の疑問を余所に新一さんは楽しそうに、さあさあと、かおりんに話を促している。

 かおりんはかおりんで、それまでとは表情を一変させ、少し神妙な面もちに変わった。


「――――悔しいけど、あなたの言った通りだったわ。あれは野犬なんかじゃなかった。調べてみたら、しっかりとした飼い犬だったわ。しかも……中には警察犬も混じってたわよ」

「け、警察犬!?」


 俺は驚愕のあまり声を張り上げていた。


「何よ? 一輝? そんなに大声だして……驚くのは分かるけど、驚きすぎじゃない?」

「あ、ああ、そうだね。ごめん」


 驚きもする。単なる野犬と思っていた犬が、飼い犬や警察犬だったなんて思いもしなかった。確かに、野犬にしてはガタイの良い犬がいるとは思っていたが、あれは警察犬だったのか。


「まったく、妙な話しよ」

「妙?」


 かおりんの言葉に俺はオウム返しのように聞き返した。

 どうやら、話の続きがまだあるらしい。


「ええ。今朝になって飼い主が犬がいないことに気づいて騒ぎになったみたいなの。警察犬もいなくなってたから、結構な騒ぎになったよ」


 それはそうだろう。飼ってた犬が――しかも、訓練されている警察犬までもが朝起きたらいなくなっていたんだから。それ自体、妙な事とは言えないのではないだろうか。


(ん? 待てよ。今朝になって?)


 俺はかおりんの説明に不振な点があることに気がついた。

 だが、その疑問を口にする前にかおりんがその疑問を代弁してくれた。


「普通、ありえなくない? 自分が飼っている犬がいなくなった事に朝まで誰も気づかないなんてこと、あると思う? しかも、中には家の中で飼うような小型犬までいるっていうのに」


 そうなのだ。俺が学園に忍び込んだのは、午後10時過ぎ頃だ。その時間の前には、あの犬たちは学園内にいたことになる。そんな時間に飼い犬が消えたことに、どの飼い主も気づかないなんて事あるだろうか?

 それに、どうやって街中から飼い犬をあの学園に連れてきたのだろうか? 

 誰にも気づかれず、連れ去って学園内に放つなんてこと、とてもではないが出来るとは思えない。

 今回の件、あまりにも不自然な事が多すぎるような気がする。まるで、それに敢えて気づかせようしている意図を感じる。


「香里さん、ありがとう。とっても参考になったよ」


 俺の疑問が深まる一層の中、新一さんは微笑み、かおりんにお礼言っている。どうやら聞きたかった結果が得られたようだ。


「べ、別にあんたに頼まれたからじゃないわよ。事件性があるなら調べるのが警察の仕事ってだけよ!」


 かおりんは顔を新一さんから背けて、そんな事を言っている。だが、その顔が少しだけ赤らんでいるように見える。

 お礼言われて、照れるくらいなら素直になればいいのに。なんだかんだで、この人、新一さんの事が気になっているんじゃないだろうか?


「――っと、そろそろ仕事に戻らなくちゃ! 間島! 今回の件は警察が預かったから、これ以上は前みたく余計な事しないでよ!」

「はいはい。わかってますよー。ご心配なく」


 新一さんはニッコリ微笑んだまま、返事をしている。


「ったく、本当かしら?」


 はっきり言おう。それは嘘だ。そんな事、かおりんの前で言うと、またややこしい事になるから実際には言わないでおくが。


「まぁ、いいわ。あ! それと今回の件、貸しだからね? 真夜中に呼び出したんだから、今度何か奢りなさいよ!」

「はいはい、それもう。分かってますよ、香里さん!」


 珍しい。貸しとはいえ、かおりんが新一さんを誘うなんて……どうやら、俺が知らない間に、この二人の関係は微妙に変わってきているようだ。

 新一さんも顔には出してないが、きっと大喜びしていることだろう。


「あんたもよ! 一輝!!」

「え!? 何で俺も!?」

「あったり前でしょ? あんたはこのバカ探偵の助手なんですから。それに、この男と二人っきりで呑みに行くなんて、まっぴらごめんよ!」


 無茶苦茶な言い分だ。あと、前言撤回。この二人の関係は何も変わっていないようだ。

 横目で新一さんを見ると、ひどくうなだれている。どうやら、かおりんに誘われたと思っていたようだ。


 その後、かおりんは事務所から颯爽と出て行った。事務所には静けさが戻り、俺と新一さんだけになった。

 嵐の前の静けさならず、嵐の後の静けさと言ったところだろう。


「まったく――――かおりんは、まるで台風だな。そう思いませんか? 新一さんも――」

「へ? 何だい? 何か言ったかい?」


 またか。いいかげん、かおりんがいなくなると魂の抜け殻のようになるのはやめて欲しい。

 慰めてもいいのだが、そこはスルーして、会話を前に進めるのがお決まりなので今回もそうすることにしよう。


「それよりも新一さん? さっきかおりんが話してたこと、どういうことでしょうね?」

「へ? ああ、あれね。それは後で詳しく話すから」

「後で?」

「うん。もう少ししたら来ると思うから、その時にね」


 来る? 来るとは、これから誰かが此処に来るということだろうか? 誰が来るのだろう?

 それを聞き返そうとしたが、新一さんは机の上に突っ伏していた。

 これほど、落ち込んでいるのは珍しい。少しは励ました方がいいだろうか?


「あ、あの新一さん? そんなに落ち込まなくても大丈夫だと思いますよ?」

「え? 僕は落ち込んでなんかいないよ?」


 新一さんはむくっと起き上がり、平然とした顔でそう言った。


「あれ? 違うんですか? てっきり俺はかおりんにフられて落ち込んでいるのかと……」

「待った。僕は振られてなんかいないよ? 二人で呑みに行くのはイヤだと言われただけだよ?」

「……」


 いや、それを世間一般ではフられたと言うのではないでしょうか?


「じゃ、じゃあ、どうしたんですか? 机の上に塞ぎ込んだりして」

「あ、ああ。そりゃあ、徹夜明けだからね。眠くもなるさ」


 ああ、そいうことか。あの後、色々とあったのだろう。警察からも事情聴取されたりしたんだろうから、徹夜になりもするか。

 そんな事を考えていると、事務所のドアが開く音が聞こえてきた。俺はドアの方に振り返り、事務所に入ってくる人物を確認する。


「い、一ノ宮!?」

「やあ、やっと来たね? 待ってたよ」

「悪いわね。お待たせして」


 事務所に現れたのは、なんと一ノ宮だった。

 俺は驚きを声に出さずにはいられなかった。だが、新一さんは当たり前のように彼女を受け入れている。

 あれからまだ数時間しか立っていないのに、出歩いたりして大丈夫なのだろうか?


「だ、大丈夫なのか? 出歩いたりなんかして……」

「ええ、大丈夫よ。心配かけたわね」


 一ノ宮は俺の問いかけに、平然と答える。

 だが、その顔色から疲れを読みとることは難しいことではなかった。昨日ほどではないが、まだ顔色は悪い。まだまだ、本調子ではないようだ。


「ふむ。あまり長話をしている余裕もなさそうだね。手短に本題を話すとしますか」


 新一さんも一ノ宮の体調に気づいているようだ。彼女の体調を気遣い、早々に本題に入るつもりらしい。


「と、その前に、怜奈君にもさっきの話をしておいた方がいいよね。一輝君、彼女に話してあげてくれるかい?」

「あ、はい」


 俺は一ノ宮にかおりんがしてくれた話を手短に説明した。一ノ宮はその話を黙ったまま聞き入り、途中で話を止めることもしなかった。


「どうだい? 君はこの件、どう思う?」


 俺が話し終えると、新一さんは一ノ宮に尋ねた。


「私が蹴散らした犬たちは、どう考えても操られていたわ。で、あれば、犬を操って学園内に連れてきたってことなんでしょうけど……問題は飼い主の方ね。野犬ならともかく、飼い犬となると、人間にまったく気づかれずっていうのは難しいと思うわ」

「だろうね。僕も一輝君も同意見だ。でも、それは普通に考えたらだよね?」

「ええ、普通ではありえない。でも、今回は普通じゃないわ。何たって魔術使いが絡んでるですもの。たぶん、その飼い主たちも操れていたんじゃないかしら? それなら納得いくわ」

「あ、操られていたって……魔術使いは人間も操ったりできるか?」


 俺は一ノ宮の発言に信じられない思いで問いかけていた。だが、一ノ宮は俺の意に反して頷く。


「ええ。魔術使いなら、それくらいの事は可能よ。ただ――――」

「ただ?」


 どうしたのだろう? 一ノ宮にしては歯切れが悪い。どう説明したものか、悩んでいるようだ。

 すると、新一さんがその先の説明を引き継いだ。


「一輝君、君はテレビとかで催眠術を見たことがあるかい?」

「え? 催眠術ですか? ええ、何回かありますけど……それがどうしたんですか?」

「ちょっと違うけど、魔術にもそれと似たようなものがあるんだよ。他人の意志を操るための術が」

「な、なるほど……」

「じゃあ、ここで質問だ。君はテレビで催眠術を見て、催眠状態になったことがあるかい?」

「え――そんなこと――」


 あるわけない。そもそも、催眠術自体を信じていない程だ。あれはテレビの演出だと思っている。だが、もし、催眠術が本当にあるとして、それがテレビで流れたからといって、それを見た人が催眠状態になるなんてことありえない。そんな危険なものをテレビに流すわけがないだから。というか、それが可能ならその映像を録っているカメラマンや、その他のスタッフ、出演者も催眠術にかかってしまうことなる。


「そうだね。そんなことあるわけない。まぁ、催眠術自体、真偽は問われるけど、それが電波に乗った時点で、もう効果はなくなってしまう。つまり、催眠術は間接的には掛けられないし、その範囲も限定されてしまうってことさ。それが魔術にも言えるんだよ。対象を絞れば、操ることは可能だけど、広範囲に渡っては術をかけることはできないのさ」


 なるほど――――つまり、魔術だけでは人や犬を大量に、しかも同時には操ることができないということか。


「って! じゃあ、どうして今回みたいな事が起こるんですか!?」

「そう――そこが問題なのよ。あれは魔術だけでは不可能なはずよ」


 一ノ宮は言葉で、俺と新一さんは黙ってしまった。おそらく、俺や新一さん、そして一ノ宮ですら同じ考え至ってしまったからだと思う。

 今回の件、能力者が関わっているのではないか――――。


「今ある情報だけじゃ、何とも言えないわ。もっと調べてからじゃないないと。それにあの場に結界が張られていた以上、魔術使いが関係していることは確かな事よ」


 一ノ宮はその考えを振り払うかのように、そう呟いた。そして、新一さんもそれに同意した。


「そうだね。君の言うとおりだ。ということは、僕の出番ってことになるのかな?」

「ええ。お願いするわ。一ノ宮としても、今回の件を見過ごすことはできないからね」

「了解。その依頼、引き受けるよ。それじゃあ、まずは関係者への聞き込みからだね」


 そう言うと、新一さんは俺に視線を向けてきた。気づけば、一ノ宮も俺に視線を向けてきている。


「え! 俺ですか?」

「当たり前じゃない。真藤君、あなたどうして昨日はあんな所にいたの?」

「う……そ、それは……」


 一ノ宮は俺に疑い眼差しを向け、問いつめてきた。

 当たり前の疑問だ。あの時、どうして俺が如月学園なんかに行ったのか。それはあの噂が関係しているからだ。

 本来なら、新一さんだけに打ち明けて、一ノ宮には内緒にしてもらうつもりだったのだが、こうなっては致し方ない。


「じ、実はですね……」


 俺は話し出した。今回の件の切っ掛けとなった噂について。そして、それを元に如月学園に忍び込み、あの事態に遭遇したことを。


「――ということなんです……」

「なるほどね。やっぱり、海翔君に調べてもらった噂の件だったか。しかし……君も無茶をするねぇ。そんな噂のある夜の学園に一人で忍び込むなんて」

「まったくよ!!」

「は、反省してます……」


 新一さんからはやんわりと、一ノ宮からは厳しく怒られてしまった。自業自得なので、素直に謝るしかない。


「それで? その噂は、他には具体的に何があるの?」

「ああ、それについては海翔が纏めてくれたものがあるから、それを読んでくれた方が早いよ」


 俺は慌てて、バックの中から資料を取り出そうとした。


「あ、それってこれのことだよね、一輝君?」


 俺がバックから資料を取り出すと同時に、新一さんが紙の束を机からつまみ出し、俺の方に見せていた。それは紛れもなく、海翔が噂について纏めた調査報告書だった。


「あ、あれ? なんで新一さんがそれを持っているんですか?」


 俺は自分が持っている報告書と新一さんが持っている報告書を交互に見ながら尋ねた。


「あー、海翔君がコピーを置いていったんだよ。僕は興味がなかったから、読まなかったけどね」

「……」「……」

「な、何だい? 二人とも、その『信じられない』みたいな眼は?」


 一番最初に今回の件を知り得た人物が、最後に知るっていうのはどうだろうか……。正直、ここまで適当な人とは思わなかった。


「はぁ……まぁいいわ。真藤君、それ見せてくれる?」

「え? あ、ああ……うん、いいよ」

「何よ? どうかした?」

「い、いや、なんでもないよ」


 俺は一ノ宮に報告書を差し出す。一ノ宮は「そう?」と言いながら、不思議そうに俺が見ながら、それを受け取った。

 一瞬、一ノ宮に報告書を渡すことを躊躇われた。この報告書には、〝あの殺人鬼〟の噂についても記載してある。今の一ノ宮に見せて、余計な心配事を増やしたくなかった。けれど、新一さんが同じ資料を持っている以上、こっそりその部分だけ抜き取ることもできないので、ここは正直に見せるしかない。


 一ノ宮は、報告書を受け取ると上から順に黙々と目を通していく。新一さんも同様だ。

 俺は一ノ宮の反応が気になっていた。彼女が最後ページを読んだ時、どんな反応をするか、正直言うと、気が気でなかった。

 そして、一ノ宮は報告書の最後のページを開き、目を通していく。途端に、顔色が変わった。声は出さなかったが、大きく目を見開き、明らかに驚愕していた。

 それはそうだろう。一ノ宮にとってもきっと忘れられない忌まわしい過去との対面なのだから。きっと信じられない気持ちだろう。

 だが、一ノ宮から発せられた第一声は俺が予期したものとは違っていた。


「なるほどね――この噂だけ現実味を帯びさせたわけね……」


 それはとても落ち着いた声だった。いつもの一ノ宮となんら変わりないように思えた。


「ど、どういう意味だ?」


 俺は恐る恐る一ノ宮に尋ねた。

 すると、一ノ宮は報告書から目を離し、俺の方に眼を向けてきた。その眼が印象的だった。

 俺はあの噂を隠している事をてっきり怒られると思っていた。だが、一ノ宮は怒るどころか、優しい眼差しを俺に向けてきている。

 どうして、そんな眼をするのだろうか?

 俺はすぐに尋ねたかったが、一ノ宮がすぐに話し始めてしまったために、尋ねる機会を失ってしまった。


「言った通りの意味よ。現実に起きそうな噂をわざわざ紛れ込ませて、うまく利用しているのよ」

「わざわざ? 利用?」

「ええ。他の噂はどう考えても現実味のないものよ。個々の噂だけじゃ、誰も興味を持たず、すぐに立ち消えるでしょうね。でも、実際はそうはならなかった。一ヶ月もの間広まり続けている。それは、過去実際に起こり、今後も起こり得そうな真実味のある噂が一緒に流れたからよ。だからこそ、他の噂にも、みんな興味を抱くようになった。この噂を流した人間はそれを狙って、この噂を紛れ込ませているんでしょうね」

「ちょ、ちょっと待てよ! それじゃあ、まるでここに書いてある噂は同じ人間が広めたみたいな言い方じゃないか!?」

「みたいじゃないわ。間違いなく、同じ人間――いえ、昨日あの場にいた魔術使いが噂の出元だと私は思うわ」


 一ノ宮ははっきりと断言した。

 魔術使いは人間の心理まで操っているということか……とてもじゃないが、信じられない。だが、相手は魔術使いだからこそ、一ノ宮の推理は飛躍しすぎていない。俺達が相手にしているのは、常識から逸脱した存在なのだから。


「そしてね、真藤君。他の噂はともかく、三年前の殺人鬼の噂、そして如月学園の噂、これらは対象を絞っているとしか思えないわ」

「対象を……絞るだって?」

「ええ――――三年前の事件に深く関与し、そして如月学園との縁が深い人間に興味を持たせるように仕組まれているように思えるの」

「――――」


 もう、その先は聞かなくても理解できた。

 いや……俺は初めから気づいていたように思える。如月町と皐町に流れている不穏な噂はすべて――――。


「そうよ、真藤君。これは私やあなたを誘い出すための噂よ」


 俺達は見事に〝敵〟の術中に嵌まっていたようだ。




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