第7話「力なき者」
怪物は、俺達に向かって走ってくる。
俺は風の刃がかき消された様を見て、呆然としていた。
すると、一ノ宮は俺を横に突き飛ばし、彼女自身も逆側に跳ぶ。そして、その脇をスレスレで怪物が通り過ぎた。
一ノ宮は俺に視線を移すと、怒鳴り声に近い声を俺に投げてきた。
「どこかに隠れてなさい!」
「隠れてなさいって―――一ノ宮はどうするんだ!?」
「私の事は気にしないで!こいつを何とかするから!」
「何とかするって…風が効かないのにどうするっていうんだ!?一緒に逃げよう!」
「馬鹿言わないで!逃げきれるような相手じゃないわ。それに―――」
一ノ宮は俺とやり取りしている間に、俺から視線を怪物を移す。
怪物は俺達の方に向き直り、今にも再び襲いかかってきそうだ。
「とにかく、早くどこかに隠れてなさい!ハッキリ言って、あなたみたいな普通の人間がいると邪魔なのよ!」
「そ、そんな―――」
一ノ宮の言葉に俺はショックを受けた。
一ノ宮の言っている事は正しい。俺のような何の能力を持たない普通の人間がいれば、一ノ宮は俺を守りながら戦わなければならない。だが、誰かを守りながら、勝てるような相手ではないことは明白だった。
俺がショックを受けたのは、一ノ宮の言葉のためではない。一ノ宮にそう言わせるしかない自分の不甲斐なさに気づいたためだ。
俺では、一ノ宮を守ることはできない。逆に守れてばかりだ。あの時のように―――。
けれど、それは俺が弱いためだ。誰も守れない、誰も救えない。誰かに守れていなければ、生きていけないほど、弱いからだ。
それに気づいてしまった俺には、もうこれ以上、一ノ宮へ反論することはできなかった。
「―――分かった。校舎の中に隠れてる。ごめん!」
「いいのよ―――早く行って!」
その横顔は少し悲しそうだった。一ノ宮自身もあの言葉を言いたくなかったのだろう。その気持ちが痛いほど伝わってきた。
俺は自分の不甲斐なさへの悔しさから、痛くなるほど拳を握り締め、駆けだした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一輝は私の言葉を聞くと、駆けだした。
獣の怪物はその彼の動きに感づき、彼を追おうとする。
「行かせない!」
私は風の刃を発生させ、怪物に放つ。
それを敏感に察知した怪物は俊敏に飛び上がり、刃を躱す。そして、私から距離を取った場所に着地する。
その怪物の行動に、私は確信した。
「―――躱したわね?躱すってことは、当たりさえすれば、殺せるってことよね?」
獣に言葉は通じない。だが、この怪物は、おそらく私たちの言葉が分かっている。その証拠に、私の言葉に、一瞬目を細めるような仕草をした。
「それだけ分かれば十分よ」
周りを見る。既に一輝の姿は見えなくなっていた。
それを確認すると、私は深く息を吐き出す。
そして、意識を完全に怪物に向ける。
「アナタが獣の類で助かったわ。たとえ、人語が理解できたとしても、獣や怪物なら、何の気兼ねもなく殺せるから!」
その言葉が合図になったかのように、再び怪物はこちらに向かって走ってくる。
私もそれと同時に複数の刃を発生させ、怪物に向けて放つ。
「■■■■■■■■■――――――!」
再びの咆哮。それだけで、風の刃はかき消される。
その咆哮は、怪物の側にいない私でも、肌がビリビリするほどの音だ。
「あの咆哮は、もう兵器ね。近くで吠えられたら、流石に不味いか」
私は瞬時に咆哮の威力を見抜く。逆に言えば、目に見えて見抜けるほどの威力だということだ。
咆哮の後、こちらに向かってくる怪物から私は距離を取りつつ、怪物の側面に回り込む。
正面からでは、咆哮で刃は効かない。ならば、咆哮の範囲にない側面か、背後からの攻撃しかない。
「これなら、どう!」
私は怪物の側面へ刃を放った。だが、流石は犬の―――獣の怪物と言ったところか、その反応速度も常軌を逸していた。いや、私の行動を読んでいたようにさえ思える。
まるで、刃が来るのが分かっていたように、その巨体は飛び上がり、刃を躱す。
あの巨体ではありながら、あの俊敏さ。そう簡単には終わらせてはもらえないようだ。
「これは思った以上に、長期戦になりそうね―――」
若干の焦り。能力者である私でも、こんな怪物とは戦ったことなどない。ましてや、あの咆哮だ。安易には近づけない。そして、その咆哮以上に恐ろしいと思うものをあの怪物は持っている。それは、あの牙と爪だ。
口から覗く犬歯は、もはや牙と言っても過言ではない鋭さを持っている。あれで噛みつかれば、確実に肉は裂かれ、骨を断たれるだろう。そして、足下から見える爪も同様だ。あんな物で引っ掻かれば、ひとたまりもない。
どちらも、私の刃以上に危険に思えた。近接戦闘は避けたい。だが、あの俊敏さと咆哮がある限り、風の刃を当てるのは至難なことのように思える。
もっとも―――牙も爪も当たらなければ問題ないし、近距離からの咆哮も防ぐ手だてはあるだが―――。
「はは―――ちょっと危険すぎるわね」
私は過ぎった考えを振り払うように、頭を振る。自分が考えたことが、余りにも無謀に思えたからだ。
だが、相手はこれ以上考える余裕を与えてくる気はないらしい。再び、私に向かって突進してくる。
私は怪物の斜線上から外れ、突進を躱す。そして、再び能力を解放する。
私は風を渦巻かせ、竜巻を発生させる。一つ、二つ、三つ。先程、犬を蹴散らした時と同じように小さいながらも、威力は極めて強いものしてある。勿論、前の時以上の威力だ。
その竜巻を怪物に放つ。竜巻は怪物に向かって三方向から真っ直ぐに向かっていく。一つは怪物の正面から、他の二つは、怪物の側面から挟み込む形で向かっていく。
逃げ道などない。竜巻に挟まれいる形になるっている。それに、たとえ躱したとしても、この竜巻はどこまでも怪物を追っていく。逃げ場などありえない。
だが、怪物は躱そうなどと思っていないのか、動こうとはしない。頭を左右に一度つづ交互に振り、竜巻を確認すると、正面の竜巻をキッと睨み微動だにしない。
「―――そう―――受けて立とうって言うのね。いいわ!その巨体がいつまで持ちこたえられるか、試してあげるわ!」
私は竜巻のスピードを一気に速め、怪物に衝突させた。
三つの竜巻は、怪物の巨体を呑み込む。その巨体は完全に竜巻に覆われてしまった。そして、三つの竜巻は怪物を呑み込むと同時に合わさり、一つの大きな竜巻へと姿を変えた。それこそ、巨大な怪物の体を完全に覆い尽くす程の。
竜巻は怪物の巨体を下から上と持ち上げようとする。それを怪物は鉤爪で地面をグッと捕らえ、体を持ち上げようとする力に耐えている。
「流石に我慢強いわね―――でも、これならどうかしら?」
私はさらに竜巻の勢いを急速に強くしていく。それはもはや、小さな竜巻から強大なハリケーンに変わっている。
流石の怪物も、そこまで強大な竜巻に耐え忍ぶのは至難の技だ。鉤爪で捕らえていた地面から徐々に引き剥がされていく。
その巨体が宙を舞うのもの時間の問題だった。だが―――。
「■■■■■■■■■――――――!」
再びの咆哮。その咆哮はこれまでで一番の大咆哮だった。頭を空に向け、まるで狼の遠吠えのように咆哮を放った。
その瞬間、竜巻の中心に大きな穴が空き、急速に竜巻は形を失っていく。それと同時に上へと巻き上げていく力も弱まっていく。
だが―――私にとって、それは全て予想通りの展開だった。
竜巻が完全に消え去った時、私は既に怪物の背後を取っていた。
竜巻が咆哮でかき消される事は、予想済みだった。問題は、竜巻が消された直後だ。竜巻に覆われている間、怪物の動きを封じることができる。だが、それと同時にこちらも手出しはできない。ならば、その竜巻が消え去った後が重要だ。正面や側面のように怪物の目が届く所からの攻撃では、躱されてしまう。ならば、背後を取り、攻撃に転じるしかない。
背後を取った私は、右手を手套の構えすると、風を集め、収束させる。そして、その手套は鋭利な刃物のようになっていく。
竜巻がかき消された瞬間に、私は右手の手套を怪物の背後から切りつけようとした。
完全に死角からの攻撃。しかも、その直前まで動きを封じられ、大咆哮という大技まで使った直後だ。そんな直後だけに、瞬間の対応には遅れが出る。外しようもないし、躱しようはないはずだった―――。
「え―――」
切りつけようした瞬間、横から細くて鋭い黒い影に、私の体は払われた。
「ぐ―――!」
払われた瞬間、体全体に衝撃と痛みが走る。そして、私は弾き飛ばされる形で、地面を滑り転げる。
痛みはあるが、すぐに起きあがり、怪物に向き直る。追い打ちが来ることを予想していたが、怪物は咆哮を放った場所から動いておらず、こちらに向き直って、睨んでいるだけだった。
だが、その背後に、黒くて長い物体がゆらゆらと揺れていた。
目を凝らしてみるれば、それが何なのかすぐに分かった。
「尻尾―――」
私が攻撃しようとした瞬間、私の体を払ったのは、あの怪物から生えている尻尾だったのだ。
「まさか、尻尾とはね―――まいったわね。こちらの行動は完全に読まれているってわけね」
たとえ、尻尾があったとしても、背後から攻撃を来ると知っていなければ、対応などできない。行動が読まれていたか、それとも、それを知る手だてがあるのか、そのどちらかでない限りは。
「―――――」
そういえば―――と思い出す。この学園には魔術結界が張られていることを。
つまり、この場所には魔術使いがいる可能性がある。
そもそも、こんな怪物が自然発生するわけがない。これまでの経緯から予想すれば、この怪物は魔術使いが使役している使い魔だと仮定するのが自然だ。
だとすれば、この学園内のどこかに結界を張った張本人である魔術使いが潜み、あの怪物に指示を送っているとすれば―――すべて辻褄が合う。
「まずいわね―――これじゃあ、下手な行動もとれない―――」
打つ手がない。姿無き監視者により、こちら行動はすべて監視され、怪物に筒抜けだ。これでは、怪物に近づく事は不可能に近い。だからと言って、風の刃だけでは応戦はできない。
どうすれば、この怪物に一太刀でも浴びせることができるか―――。
答えの出ない思考を繰り返す。だが、その時間も終わりを告げる。
「■■■■■■■■■――――――!」
大気を震わせる程の咆哮。その後、怪物が再び向かってくる。
私は威嚇のために風の刃を放ちながら、怪物から一定の距離を取りつつ、逃げまどう手しか今は思いつかなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
俺は校舎の中に逃げ込んだ。勿論、野犬がいない方の校舎にだ。
校舎に逃げ込んだ俺は、外の様子を伺った。一階からではグラウンドの方の様子は見て取れなかった。
「くそ!ここからじゃダメだ!」
俺は一階からでは、一ノ宮の様子が分からない事が分かると、すぐに二階へと走り出した。
二階に駆け上がり、渡り廊下へと通じる廊下へと入った瞬間、先程までと様子が違うことに、気づく。
「なんで―――」
あの怪物に出会った直後に逃げ込んだ時には、確かにいなかったはずの野犬が二匹、廊下にいた。
野犬は俺の姿を見ると、真っ直ぐにこちらに向かって走ってくる。
どうする―――。
決まっている、逃げるしかない―――。
でも―――逃げてどうする?
上の階に逃げても野犬はいるかもしれない。下の階に逃げたとしても、この野犬は追ってくるだろう。
どうすればいい―――。
「■■■■■■■■■――――――!」
あの怪物の咆哮が聞こえてくる。離れてはいるが、それでもハッキリと聞こえてくる。
一ノ宮は戦っている―――あの怪物と戦っている。
一ノ宮の様子が気になる。あの怪物相手に無事でいるだろうか―――。
だが、今は他人の心配よりも自分の心配をすると時だ。早く逃げなければ―――。
「―――ダメだ。逃げてばかりじゃ―――」
そうだ―――逃げてばかりでは、何かを守るなんてことはできない。自分の命すらも。それでは、いつまで経っても守られる人間のままだ。
俺が弘蔵さんに稽古をつけてもらっていたのは、ただ自分の命を守るためだけじゃない。一ノ宮や弘蔵さんはそう思っていたかもしれないが、俺は違う。
俺は、誰かを―――一ノ宮を守れる男になりたかった―――。
それを思い出したからには、ここで退くわけにはいかない。この程度の相手に背中を見せて逃げるわけには―――
「いかないんだよ!」
俺は自分を奮い立たせて、木刀を強く握り締める。そして、野犬に向かって走る。
俺が向かっていったことで、野犬との距離は一気に縮まる。すると、先頭を走っていた野犬が飛びかかってくる。
俺から距離を縮めたことが功を奏したのか、野犬が完全に加速する前に野犬の間合いに入ったことで、飛びかかってくる野犬の速度もそれほど早くなかった。
俺は身を低くして、飛びかかってくる野犬を躱すと同時に、野犬の腹をめがけて、木刀で胴払いを打ち込んだ。
「ギャン!」
野犬の呻き声が聞こえると同時に、飛びかかってきた野犬が吹っ飛ぶ。
俺の木刀は、野犬の腹に見事クリーンヒットした。飛びかかってきた勢いも相まって、胴払いは野犬の腹にくい込み、木刀を振り切ることで弾き返した。
弾き返した野犬は廊下に叩きつけられ、すぐには起きあがらない。だが、もう一匹の野犬は、そんなこともお構いなしで俺に飛びかかってきた。
俺は一匹を仕留めるために全力で木刀を振るっていたため、すぐには反応できなかった。俺は飛びかかられて、態勢を崩し、廊下に倒れ込む。
野犬は俺に覆い被さり、噛みつこうする。俺はそれを木刀を横にして野犬の口に差し込み、牙が届かないように必死に抵抗する。
それにも怯まず、野犬はもの凄い力で木刀を押し返そうとする。
「くっそ!フザケんじゃ―――ねぇ!」
俺は力の限り、野犬の腹を蹴り飛ばした。それに怯んだのか、一瞬噛みつこうする力が弱まる。
俺はその瞬間を見逃すことなく、口に差し込んだ木刀で力の限り押し返す。それにより、野犬はよろけ、俺の上から退いた。
俺は態勢を整える暇がないと判断し、起き上がりざまに、木刀を下から上へ切り上げる。それが野犬の顎にヒットし、さらに野犬はよろけた。そのおかげで、俺は態勢立て直す時間が確保ができた。
「これで―――終わりだあああ!」
態勢を立て直した俺は、振り上げていた木刀を思いっきり振り下ろし、野犬の頭部に叩き込んだ。
「ギャウン!」
野犬は呻き声を上げ、その場に崩れ落ちた。口からは泡を吹いている。
「はぁ、はぁ、はぁ……やった―――のか?」
俺は周りを見渡し、先に弾き返した野犬に目を向ける。見れば、その野犬も口から泡を吹いていた。
「はは―――な、なんとか、なるもんだな」
俺は膝をつき、その場にうずくまる。気づけば、息が荒くなっていた。どうやら、野犬が倒れるまで息を止めていたらしい。いや、息をする暇もなかったと言った方が正しいか。
だが、今はそんな疲労よりも、安堵の方が勝っている。
どうやら、俺は自分一人ぐらいの命は守れるほどの力はあったようだ―――。
「■■■■■■■■■――――――!」
「―――」
先程よりもハッキリと怪物の咆哮が聞こえきた。すぐに近くまで来ていること指し示している。
「一ノ宮!!」
俺は立ち上がり、急いで渡り廊下に出た。
渡り廊下から下の見下ろすと、そこには、あの怪物と一ノ宮がいた。
一ノ宮は怪物から一定の距離を保ちつつ、風の刃を放っている。だが、怪物は俊敏な動きでそれを躱すか、大咆哮で打ち消している。幾度か直接的に攻撃を加えようと近づきもするものも、その俊敏な動きと鋭い爪と牙に阻まれ、容易に近づくことができない。
それどころか、その爪の攻撃が一ノ宮の体のスレスレを空振り、ひやりとする場面さえある。
一ノ宮は明らかに攻め倦ねている。いや、むしろ追い詰められている。
このままでは、あの怪物の鋭い爪か牙の餌食になるのも時間の問題だ。
「くそ!どうすれば―――」
「■■■■■■■■■――――――!」
再びの耳を塞ぎたくなる大咆哮。一ノ宮の刃は完全にかき消される。
だが、俺は見た―――。
怪物が咆哮を発する時、奴はその巨体を一瞬静止させている。動きながら咆哮を発するのではなく、発した後に動いている。
怪物にとって、あの咆哮は至近距離ならば、強烈な衝撃波にも似た武器であり、一ノ宮の風の刃から身を守るための防御膜でもある。
だが、あの咆哮―――決して、完全な防御膜というわけではない。咆哮を発する方向にしか効果はないようだ。その証拠に、真上にいる俺にはなんの影響もない。
「―――――」
木刀を握り締める。
俺にやれるだろうか―――。
その一瞬を見逃さず、やりきれるだろうか―――。
一ノ宮を見る。今もなお必死に怪物の攻撃を躱しながら闘っている。
必死に闘っている―――俺を守るために―――。
“もう―――守られるだけじゃ嫌なんだ!”
もう一度木刀を強く握り締める。
心は決まった。決死の覚悟はできた。
後は、その一瞬を見逃さないようにするだけだ。
鼓動が高鳴り、息が荒くなる―――。
すぐに近くのはずが、すごく遠くことのように見える―――。
アツイ―――アツイ―――。
緊張から、体温は上昇し、汗が吹き出てくるようだ。
息苦しい―――だが、意識はハッキリしている。思考もクリアだ。
酷く緊張状態のはずが、頭の中は冷静だった。
今までにない不思議な感覚に俺は戸惑いながらも、怪物を目で追う。その一瞬を決して見逃さないように。
そして―――その時は来た。
一ノ宮が風の刃を放つ。そして、怪物の動きが―――止まる。
“今だ―――!”
「うおおおおおおぉぉぉぉ!」「■■■■■■■■■――――――!」
考えるよりも早く、思うよりも早く、体は動いていた。
俺は二階の渡り廊下から飛び降りた。
俺は普通の人間だ。一ノ宮のように能力を持っているわけでもなく、戦闘訓練を受けてきたわけでもない。普通で、無力な人間だ。守られるだけの存在なのだ―――。
だが、一ノ宮が―――怜奈があの時、自分の秘密を打ち明けた時に見せた涙が、彼女もまた普通の人間であること裏付けていた。
どんな強くとも、どんなに人間離れしていようとも、彼女は人間で、一人の女性なのだと知った以上―――もう二度と彼女から離れたくないと、彼女にあんな想いは二度とさせたくないと思った。
だからこそ、俺は彼女に守られるのではなく、守るのだと決意したのだ。
そして―――脆弱な人間の決意は、今ここに花開くことになる。
俺は、二階の渡り廊下から、怪物の頭部めがけて飛び降りた。
怪物までの高低差はそんなにはない。おそらくは3メートルほどだ。元々、怪物自体が巨体であるため、ほとんど高さがなくなっている。
だが、勢いをつける高さとしては十分だった。
怪物からすれば、完全に意表をつかれる形となった。風の刃を打ち消すため、大咆哮を発しいる最中に、上から人が降ってきたのだから。
無論、突然のことで反応などできるはずもない。
俺は怪物の頭部に着地するよりも早く、木刀を怪物の右目に突きいれてた。
「ギャオオオーーーーーーン!!」
それまでの咆哮とは違う雄叫び―――いや、悲鳴だろうか。右目を潰され、その痛みで、怪物はのた打ち回る。
「か、一輝!?」
一ノ宮は突然上から現れた俺に驚愕していた。唖然としながらも、その様子を見守っている。
「く、くそ!大人しくしろ!」
頭を振り乱す怪物から振り落とされまいと、俺は木刀を強く握り締め、さらに突き入れようと力を入れる。だが―――。
「■■■■■――――!」
それまでの咆哮よりは明らかに弱々しかったが、その咆哮を境に怪物はさらに激しく頭を振り乱した。
俺は咆哮の音の大きさに、木刀に入れていた力が一瞬弱まり、振り落とされる。
「く―――!今だ!怜奈!!」
俺は振り落とされ、宙舞いながらも、一ノ宮に叫ぶ。
「ハァ!!」
一ノ宮は右手を手套に構え、その手套に風を集め、圧縮させる。そして、怪物に突撃する。
怪物は咆哮が間に合わないと悟り、その鋭い爪で応戦しようと、足を振り上げ、一ノ宮に向かって振り下ろす。
だが、それも一歩遅かった。右目を失ったことで、その反応が遅れたのだ。
振り下ろされた怪物の足は、一ノ宮の刃に似た手套によって、切り捨てられた。
「ギャオオオーーーーン!」
怪物は叫び声を上げると共にその場に倒れ込んだ。
俺はその間に、地面に叩きつけられた。
「ぐ!っ~~~」
叩きつけられた瞬間、痛みが走るが、それも堪えられるものだ。さほど高い場所から落ちたわけではないからだろう。
「一輝!大丈夫!?」
一ノ宮は慌てて、俺の方に駆け寄ってくる。
「あ、ああ―――大丈夫だよ。たいした怪我はないみたいだ」
「そう―――よかった―――」
一ノ宮は安堵した表情を見せた。本当に安心しきったような表情だった。その目は少し潤んでいるようにさえ思える。
だが、それも一瞬のことで、すぐにその表情は厳しいものになる。
「何故、あんな無茶をしたの!」
「そ、それは―――い、一ノ宮!後ろ!」
「え―――」
そこには、右目から、右足から夥しい血を流しながら、悠然と立ち上がっている怪物がいた。
「こいつ―――まだ!」
「一ノ宮!」
俺が呼び止めるよりも先に、一ノ宮は再び怪物に向かっていく。
そして、怪物の高さよりも高い位置に跳躍する。
「何をする気だ!一ノ宮!」
怪物は一ノ宮の方に頭を向ける。三本の脚だけでその場に踏ん張るようにして立つ。それは、一ノ宮に大咆哮を発するための態勢だった。
「マズい!避けろ、怜奈!」
「■■■■■■■■■――――――!」
俺の言葉が一ノ宮に届く前に、大咆哮は発生させる。
だが、その瞬間、一ノ宮の回りに風が渦巻く。まるで竜巻のように、その風は渦巻き、一ノ宮の体を厚く覆い尽くした。
そして、大咆哮の衝撃波がその風を消し去ると同時に、咆哮も威力も消えていた。
「残念だったわね?アナタだけじゃないのよ!相手の攻撃を無効化できるのは!」
怪物は一ノ宮に大咆哮を見せすぎた。その弱点と効果時間を知られてしまった事が、結果的に最後の敗因となった。
「これで―――」
一ノ宮はそのまま怪物の右目にめがけて腕を伸ばし、右目に突き刺さったままの木刀を掴む。
「終わりよ!」
そして、そのまま真下に押し込んだ。無論、木刀だけでは、怪物の頭部を切り捨てられない。木刀に風を集め、木刀を鋭い刃に変えていた。
一ノ宮は木刀を無理矢理振り切り、地面に着地する。
「ギャオオオオオォォォォオオオン!!」
怪物は断末魔を上げ、その場に倒れ込んだ。
今度こそ、怪物の息の根は完全に止まっていた。




