第5話「デート」
放課後。俺は一ノ宮と並んで歩いていた。向かうは隣町の皐月町だ。
俺は待ち合わせを学校の外にしていた。いくら彼女が近寄り難い雰囲気を纏い、クラスで孤立していようとも、彼女は美少女の部類に入る。海翔のような隠れファンもおり、それなりに有名人なのだ。そんな彼女が男と一緒にいるところを見られると、一騒ぎ起きかねない。
ちなみに、お嬢様というのは帰る時にはリムジンか何かで迎えに来られるものばかりと俺は考えていた。が、実際はそうではなかった。一ノ宮は登校も下校も歩きだそうだ。何故かと聞くと、彼女はハッキリと言い切った。
「だって、他の人は自転車や徒歩で来ているのに、自分だけ車で来るわけには行かないじゃない?」
この時、俺は一ノ宮が結構型破りなお嬢様なのかもしれないと思った。
「ところで、真藤君。これからどこに行くの?」
「……え?」
しまった……。一ノ宮が誘いに乗ってくれたことに浮かれて、どこに行くかまったく考えてなかった。どうしよう……。
「……?」
一ノ宮は不思議そうに小首を傾げ、こちらを見ている。やばい。なんか視線が痛い。
こんな時どこに行けばいいのかなんて、全然考えたことがない。そもそも俺は女の子と並んで歩いたことすらない青少年なのだ。分かるはずもない。
「もしかして……行くところ考えてなかった?」
「え!?」
最悪だ。気づかれてしまった。
一ノ宮は怪訝そうにこちらを見ている。
「い、いや、まあ……うん……実はそうなんだ……」
一ノ宮の疑いの眼差しに耐えられず、俺は白状してしまった。
すると、彼女はクスクスと笑い出して、
「ホント、変な人ね! 君の方から誘ったのに、行く場所も決めてないなんて……」
なんてダメ押しの一言をお見舞いしてくれた。
「め、面目ない……」
グサグサとナイフで刺される感じ。針のむしろとはこのことか。かなり恥ずかしい。いっそのこと、このまま介錯をお願いしたい気分だ。
そんな風に俺が落ち込んでいると、彼女のほうからフォローしてくれた。
「それじゃあ、私が行きたいところでいいかしら?」
「え?」
「ダメ?」
「いや、そんなことないよ。でも、行きたい所って、どこ?」
俺が尋ねると、一ノ宮は迷いもなく答えた。
「ファミレス」
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俺と一ノ宮は皐月町にあるファミレスに来ていた。
一ノ宮は、ファミレスは初めてだと言っていた。なんでもそういう所は庶民の行く場所だと、親に入ることを禁じられていたらしく、今までに入ったことがなかったそうだ。
だから、俺は彼女にファミレスのシステムを一から教えた。オーダーの仕方、ドリンクバーの取り方等々だ。どうやら、俺の説明を理解したらしく、なるほど、と頷いていた。
俺たちはオーダーを済ませ、料理が出て来るまで雑談することにした。
「でも、いいの? 親との約束破っちゃって?」
「え? ああ、いいの。バレることないから。今まで入らなかったのは他に理由があったの」
「他の理由って?」
「うん……一人で入るのが恥ずかしかったのよ」
一ノ宮は頬を少し赤くしながら答えた。
「ああ、ね。なるほど」
俺は話しながら、彼女のそんな、ちょっとした表情の変化に心を躍らせていた。今朝までは、こんなこと考えられなかったことだ。
「でも、意外だな」
俺がそう言うと、彼女は、「何が?」と聞いてきた。
「いや、一ノ宮さんって学校ではなんだか近寄り難い雰囲気だから……」
「……そう、かしら?」
「あ、気を悪くしたかな?」
「いいえ。でも、なぜそう思うの?」
「え? うん……だって、いつも一人でいるし……」
少なくともクラスからは完全に浮いた存在だ。クラスの誰とも話しているところを見たことがない。どう考えてもその孤立具合は半端ないものだ。
「そう……そうね。私、普段は習い事とかいろいろあるし……今日はたまたま休みだけど。放課後、友達と一緒に遊ぶことなんてないから。疎遠になったかもね……」
なんだろう。一瞬だけだけど、一ノ宮は少し悲しそうな顔をしたような……?
それに――習い事あるってのも、おかしい。だったら、せめて学校にいる間だけでもクラスに溶け込むべきだ。あの様子では、彼女自身にその気がないとしか思えない。でも、だとしたら、いまの彼女は……?
「で、でも、こうやって話してるには普通だなって思うよ。やっぱり俺の単なる先入観だったみたいだね」
「そう? そう言ってくれると、嬉しいわ」
そう言って、また彼女は微笑んでくれた。
その後、俺たちは軽く食事をして、ファミレスを後にした。一ノ宮はファミレスの料理を食べて、「中々美味しいわね」、と言っていた。結構、高評価だったようだ。
俺たちは、ファミレスを出た後、それなりの時間になっていたので、雑談しながら帰宅路を歩いていた。
「へぇ、二人姉妹なんだ?」
「ええ。妹の名前は聖羅っていうの」
「セイラか……いい名前だね。でも、姉妹揃って響きも似ているし、名前もいいと思うよ」
「そう? ありがと」
そんなことを話していると、ふと俺は思った。周りから見れば、俺たちって恋人同士に見えるだろうか? そんなこと、一ノ宮に聞くわけにはいかないけれど。
「どうかした? 真藤君」
「え!? い、いや、なんでもないよ」
「そう?」と不思議そうに顔を向けてくる彼女。その顔を直視できない俺。ちょっと意識しただけでこれでは、きっと告白なんて夢のまた夢だろうなと俺は思った。
そうこうしていると、突然女性の大きな叫び声が聞こえてきた。
「キャアア! ひったくりぃ! 誰か捕まえてええ!」
そんな女性の助けを求める声だった。
「な、なんだ?」
後ろから聞こえてきた叫び声に、俺は振り向くと、まっすぐとバイクがこちらに向かって来ていた。しかも、ものすごいスピードで。
「おらぁ! どけどけぇ!」
バイクに乗っている人物から、そんな声が聞こえてくる。そのバイクは既に俺たちのすぐ近くまで来ていた。
ヤバイ! もう、避け切れない……!
そう思った瞬間、俺は隣にいた一ノ宮を道路の脇へ突き飛ばしていた。それは、 無意識のうちの行動だった。
「キャッ!」
突き飛ばされた一ノ宮の小さな悲鳴が聞こえたが、それを気にする余裕はもはや俺にない。
俺とバイクの距離は既に後5m。もう、俺は避けることはできない。
ダメだ、はねられる……!
そう、思った瞬間だった。
突然、立っていることも難しい程の横風が吹いた。
その直後、けたたましい音がした。スリップ音と衝撃音。その瞬間、俺は何が起きたのか分からなかった。だが、どうやら自分が無事であることは分かった。
ゆっくりと目を開けてみると、俺は無傷だった。ハッと、我に返って俺は一ノ宮の方を見た。
「い、一ノ宮! 大丈夫か!?」
彼女は道路脇でへたり込んでいた。酷く驚いた表情のまま顔を硬直させていた。だが、声をかけたことで我に返ったのか、その表情が不安そうなものに変わる。
「う、うん……だ、大丈夫。私よりも真藤君の方は?」
「俺の方も大丈夫、かな。なんだか知らないけど助かったみたいだ……」
良かった。俺も一ノ宮も無事のようだ。
「一体どうなったんだ?」
そんな疑問を口に出して、周りを見回してみると、なんと俺から数メートル離れたところに、バイクが横倒しになっており、ひったくりの犯人らしき人も、そのバイクの近くに倒れていた。
どうやら俺が跳ねられそうになった瞬間吹いた突風でバイクがスリップしたようだ。俺はというと、その瞬間に座り込んでいたようで、姿勢を低くしていたおかげで、突風の影響を受けることはなかったようだ。
バイクはボロボロになっていたが、犯人に命の別条はないらしい。犯人は怪我の痛みのせいか、のたうち回っている。
「ふぅ……どうやら、みんな無事みたいだな。よかった……」
「え、ええ。本当にそうね……」
そう言いながらも一ノ宮は震えていた。涙ぐんでさえいるように思えた。
「う、うん……怖い思いさせちゃったね。ごめんよ」
彼女のそのいまにも泣き出してしまいそうな表情があまりにも印象的で俺は謝る事しかできなかった。
その後、警察やら救急車やらがやってきて、犯人を連れていった。俺たちは、たまたま通りがかった通行人として、軽く証言を取られただけで、怪我も特になかったのですぐに返してもらえた。後で聞いた話だが、あの瞬間風に煽られ、バイクは横倒しになり、俺の横スレスレを滑って行ったそうだ。間一髪だったらしい。
「けど……あの風は一体なんだったんだろう……?」
あの風は普通ではなかった。俺はそんな疑問を持っていたが、警察の聞き込みや一ノ宮の事もあったので、それ以上のことを考えている暇はなかった。
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もう、日が暮れて真っ暗になりかけた頃、俺たちは如月町に帰ってきていた。
「なんだか、とんでもない日だった気がする……」
「そうね。でも、楽しかったわ。ありがとう」
そう言って、一ノ宮は微笑んでくれた。
あの後、一ノ宮はすぐに落ち着きを取り戻した。震えも止まっていたし、表情も明るい。
あんな酷い目にあったというのに、楽しかったと言ってくれるのは、彼女なりの気遣いなのだろうが、それが俺には堪らなく嬉しかった。
「うん。そういって頂けると誘った甲斐があったよ」
俺たちは暗くなった夜道を歩きながら、そんな話をしていた。そうして、交差点で俺の家と一ノ宮の家との方向で分かれ道になった。
「家まで送っていくよ」
俺がそう言うと、一ノ宮は横に顔を振った。
「いいえ、ここまででいいわ。後は一人で帰れるから」
「え? でも……」
最近の夜は物騒だ。一ノ宮の家はここからまた結構歩くはずだ。それなのに女の子一人で歩かせるなんて心配だ。
「大丈夫よ、真藤君。これでも私、護身術くらいなら学んでるから」
俺の考えを読み取れたのか、彼女はそんなこと言う。それは俺を安心させるために言ったことだということは明らかだが、嘘を言っているようにも見えなかった。
「だから、今日はここで別れましょう。今日はとても楽しかったわ。ありがとう。また誘ってね?」
「え……」
それは俺とって思わぬ言葉だった。
今日の俺は失敗ばかりだった。デートプランは考えていなかったし、窃盗事件にも巻き込んでしまった。俺なんかの誘いには、もう乗ってくれないと思っていたに……。
「いいのかい? また誘って?」
「ええ、もちろんよ」
彼女はにこやかに答えてくれた。
「うん、わかった。必ずまた誘うよ!」
「ええ。それじゃあ、ここで。また明日学校でね」
「うん、また明日。さよなら」
「さよなら」
互いに別れの挨拶を済ますと、彼女は自分の家の方角へ歩いていった。俺はそんな彼女を見送りながら、幸せな気持ちで一杯だった。
けれど、俺はそんな気持ちに浮かれて、彼女がしてくれた忠告を忘れてしまっていた。それが俺の命運を分けることになったのだ。