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旋風と衝撃の狭間で  作者: みどー
禍ツ闇夜編
56/172

第3話「ジョーカー」



「あー、なんだ、その…悪かった」


 道場での片隅に座って氷袋を頭に当てていた俺に海翔が苦笑いしながら謝ってきた。


「いいよ、別に。俺の不注意だからさ」

「そうよ、石塚君が謝る必要はないわ」

「い、一ノ宮!?」


 一ノ宮は俺の前に立ち、俺と海翔の会話に割って入ってきた。


「まったく、本当に何考えているかしら!?稽古の途中で余所見をするなんて、集中していない証拠よ!」

「うぅ…面目ない…」


 一ノ宮は先程以上の剣幕で怒っている。

 どうも最近、怒りっぽくなっているような気がするが、それの大半が俺のせいなので、何も言えない。


「はぁ…まあ、いいわ。少しそこで休んでなさい。稽古は痛みが引いたら再開するから」

「わ、分かった。悪いね」


 一ノ宮は俺の返事を聞くと、道場から出て行った。道場には弘蔵さんもいない。おろらく、隣の弘蔵さんの家にいるのだろう。


「なあ、一輝?一ノ宮さんってあんな人だったか?」

「え?ああ――そうだな、昔と比べると随分雰囲気変わってるかもな」

「ふーん。それでもってやつか?」


 海翔はニヤニヤしながら、意味不明な質問をしてくる。


「は?何がだよ?」

「いんや、べっつにー。ただ―――」


 ふっと、海翔から笑みが消え、真剣な眼差しが向けられる。


「な、なんだよ?」

「いや―――いい。お前がそれで良いって言うなら、俺は何もいわねーよ」

「は?ったく、なんだよ?さっきから意味分からないぞ」

「気にすんなって」


 海翔はそう言うと、ケラケラと笑いだした。そこには先程の真剣な眼差しはもうなかった。

 俺は海翔が結局何が言いたかったのか良く分からず、首を捻るばかりだ。


「それよりも、お前、なんでこんな所で、剣道なんてやってんだ?」

「え?ああ、あれは剣道じゃないよ」

「剣道じゃないだって?」


 海翔は俺の言葉に訝しそうな顔して、聞き返してきた。


「うん。まぁ、話すと長くなるけど―――」


 俺はこれまでの経緯と、一ノ宮と弘蔵さんとで何をしているのかを海翔に手短に話した。


「―――って訳なんだ」

「なるほど―――それで、大学も休学か。どおりで、俺が帰ってくる時間には、ぐうすか寝ているはずだ。こんな事やってんじゃあ、体が保たねーもんな?」

「まぁな――って、お前が帰ってくるのが遅いだけだろ?俺はいつも通りの時間に寝てるっての」

「あれ?そうなのか?」


 そう言って、海翔はまたケラケラと笑い出す。

 まったく―――一体、何を考えているのか―――。


 今、俺と海翔は賃貸マンションの一室で一緒に住んでいる。

 一ヶ月前、海翔が突然俺の部屋に転がり込んできた。話を聞くと、どうやら父親と喧嘩して、実家を飛び出してきたらしい。

 家業を継ぐと宣言しておいて、その舌の根も乾かない内に、実家から飛び出してくるとは、一体何を考えているのかと当初は思いもした。けれど、他人の家庭の事情まで口出しするのもどうかと思い、海翔を俺の部屋に泊めることにした。

 それから、一ヶ月、未だに海翔は俺の部屋に寝泊まりしている。寝泊まりしているのだが、何故か俺が起きた頃には、もう既に起きてどこかに行っており、俺が寝た後に帰ってくるという、何とも忙しい時間を送っている。

 結果、俺がこうして海翔とまともに話をするのも一ヶ月ぶりだったりする。


「って、お前の方こそ、どうしてこんな所に来たんだよ?俺、お前にこの場所教えた記憶ないぞ?まさか、本当に道場破りにきたわけじゃないよな?」


 俺は海翔がこの道場に現れた事自体気になっていた。

 昔の海翔ならば、本当に道場破りをしかねないが、それは昔の話だ。今の海翔は、そんなことするとは思えない。


「あ、ああ、そうだった。それはだな―――」

「真藤君!そろそろ、始めるわよ!」


 突然、一ノ宮が現れ、俺たちの会話に割って入ってきた。一ノ宮の手には竹刀が握られており、それを俺に差し出している。


「え!もう!?」

「もう――って、十分以上は休んだでしょ?」

「十分って――それじゃあ、休んだことにならないよ!それにまだ頭の痛だって引いてないし」

「はいはい。言い訳はもういいから、さっさと始めるわよ」


 一ノ宮は俺の話を一切聞こうとせず、俺を立たせて竹刀を握らせようとする。

 見れば、道場の中央には、既に弘蔵さんが竹刀を持って立っていた。


「はは!完全に尻に敷かれてんな、一輝!」


 俺と一ノ宮のやりとりを見ていた海翔は、何がそんなに可笑しいのか、ケラケラと笑っている。


「か、海翔、お前人事だと思って楽しんでないか?」

「あん?そんなことねーよ」

「嘘付け!」


 否定はしてはいるが、嘘であることは間違いない。その楽しそうな顔を見れば明らかだ。


「ったく、仕方ねーな。そんじゃあ、ちょっと休ませてやりますか」


 海翔はそう言うと、一ノ宮が持っていた竹刀をかっさらい、道場の中央へと歩いていく。


「ちょ、ちょっと!何をする気なの!?」


 一ノ宮は、海翔の突然の行動に驚き、慌てて海翔を止めようとする。


「あん?何って、もちろん、あの爺さんと一太刀交えてみようと」

「は!?何言ってるの?あなたがお祖父様となんて、相手になるわけないじゃない!」

「相手になるかならないかは、やってみないとわかんねーだろ?」

「あ、あなたねー…」


 一ノ宮は半ば呆れた顔して、海翔を睨んでいる。

 海翔はそんなことを気にすることなく、話を勝手に進めようとする。


「なあ?爺さんもいいだろ?どーせ、一輝もまだ動けそうにないしよ。暇潰しにオレに稽古つけてくれよ?」

「やれやれ、仕方ないね。こちらに来なさい」


 弘蔵さんは海翔の(失礼な)申し出に、笑顔で了承してくれた。


「よし!これで問題ないだろ?一ノ宮さん?」


 海翔はウィンクをして、一ノ宮に問いかける。


「か、勝手にしなさい!どうなっても知らないから!」


 一ノ宮は海翔から顔を背け、顔を真っ赤にして怒っていた。



 海翔は道場の中央に立ち、弘蔵さんと向かい合い、竹刀を構える。

 俺は頭を冷やしながら、一ノ宮の横で、二人の打ち合いを見守ることにした

 静粛―――二人とも、一ノ宮の合図を待つ。

「始め!」


 一ノ宮の合図と共に、俺は弘蔵さんが動くと思っていた。だが、動くどころか、弘蔵さんも海翔も、構えたまま動こうとしない。


「―――驚いたわ」

「え?何がだ?」


 一ノ宮は動かない二人を見て、感嘆の声を漏らしていた。それに俺は問い返した。


「石塚君よ。様になってるもんじゃないわ。まるで、有段者を彷彿させるほどの完璧な構え。まるで隙がない」

「ああ――そういうことか。そう、だろうね」

「え?どういうこと?」

「まあ、見ていれば分かると思うよ?」


 俺がそう言うと、一ノ宮は訝しげな顔した後、視線を弘蔵さんと海翔に戻した。


「お前さん、素人ではないな?」


 向かい合ったまま、弘蔵さんは海翔に問いかける。


「そうでもないさ。中学の時にちょっとかじった程度だよ」

「ほー、かじった程度で、それ程の構えができるとは思えんがね。お前さん――何か秘密があるな?」

「―――さて、ね。オレからしてみれば、爺さんの方がよっぽど秘密が多そうだけどな。爺さん、一体何者だ?オレはアンタみたいな爺さんを始めて見るぜ?」

「そうかい?まあ、打ち合えば、お互いの事がわかるかもしれないよ?」

「ハ――、漫画でもあるまいし、んなもんで分かるかよ!」


 互いの押し問答。竹刀が振るわれることは未だなく、互いの言葉のみが行き交う。だが、それでも、構えを崩すことも、相手から視線を切ることもない。

 見ていれば分かる。海翔は相手に打ち込む取っ掛かりが掴めずにいる。対して、弘蔵さんは海翔が打ち込んでくるのを待っている。弘蔵さんの方が余裕があるのは明らかだ。


「打ち込んで来ないなら―――こちらから行くぞ」

「チッ!!」


 先に動いたのは、やはり弘蔵さんの方だった。

 目にも止まらぬ打ち込み。おそらくは俺のような初心者では、それだけで一本を取られてしまうだろう。

 だが、海翔は違った。その打ち込みに反応し、自分の竹刀で、弘蔵さんの打ち込みを払う。そして、その勢いのまま、胴払いにはいる。

 けれど、海翔の竹刀は空を切る。先程の打ち込みのために前に出たはずの弘蔵さんは既に、その場所にはおらず、海翔の竹刀がギリギリ届かない位置まで下がっていた。


「やっぱ、はえーな」


 海翔は口惜しそうに呟いた。


 弘蔵さんの打ち込みは速かった。だが、その打ち込みに反応し、その竹刀を打ち払った海翔の反応速度もかなりのものだった。

 そして、その後の行動も俺からすれば、かなりのスピードだ。俺であれば、間違いなく胴払いを受けていただろう。だが、海翔の竹刀は、弘蔵さんには掠りもしなかった。

 ガードしたならば、まだ分かる。だが、あれを躱す―――いや、初めからくると分かっていたかのような動き、そして、あの一瞬で移動したのは既に常人の動きではない。


「もう少し速くするぞ?ついてこれるかい?」

「ハ――!ぬかせ!」


 ここまでだって十分速い。それにも関わらず、弘蔵さんはまだ速く動けると言っている。とても信じられないが、おそらくは真実だ。海翔もそれを分かっており、一歩後ろに後ずさり、弘蔵さんから距離をとる。


「良い判断だ。瞬時に距離をとり、次撃に反応しやすくする。格上の相手との戦いにも慣れているな」

「どうかな?オレはアンタみたいな人とはやったことないから分からないね。ただ、なんとくなく、そうした方が良いと思ったから、そうしたまでさ」

「なるほど――本能による動きか。お前さんは一輝君とは違った意味で興味深いな。

 では―――これはどうか、な!」


 瞬間、弘蔵さんが視界から消えた。いや、俺にはそう見えた。だが、海翔は違っていたようだ。


「左!」


 海翔は瞬時に左に向き、ガード体勢に入る

 瞬間、竹刀と竹刀がぶつかり合う乾いた音が道場に響いた。


「ほー、これも止めるか。良く反応できたね?」

「んなもん、見えてるっつーの!」


 互いの竹刀を交差させたまま、鍔競り合いとなる。

 海翔としては、弘蔵さんの間合いには入りたくない。だが、距離をとってもすぐに間合いを詰められてしまう。それでは危険だと海翔は分かっているのだ。だからこそ、敢えて弘蔵さんとの間合いを無くし、鍔競り合いに持ち込んでいるのだ。

 おそらくは、一瞬の隙をつき、弘蔵さんを押し出す、もしくは後ろにさがりながらの面打ちか胴払いを狙っているのだろう。


 だが、海翔の目論見は、思いも寄らぬ形で崩れる。


「ほ!」

「な――に!」


 鍔競り合いの中、海翔は弘蔵さんに後ろに押し出されてしまったのだ。

 海翔は思っているだろう。あの老いぼれた細い腕から、何故、これほどの力がでるのかと。自分は本当に老人相手に戦っているのかと。

 そんな迷いに似た疑問に思いを馳せることができたのは一瞬の事だった。

 弘蔵さんは海翔を押し出した直後から、攻撃をしかけてきていた。


「突き!?」


 海翔は驚愕した。まさか、このタイミングで突きが来るとは思っていなかったのだ。

 一点への攻撃。竹刀では防げない。海翔は身をよじり、それをギリギリの所で躱す。

 だが、相手の攻撃は、まだ止まることはない。


「まだまだ。どんどん行くぞ!」


 弘蔵さんはそう言うと、さらに高速の突きを繰り出す。


「くっ!」


 海翔もそれを後退しながら躱す。だが、その後から、また突きが追ってくる。それを躱す海翔―――。


「まずいな…海翔は突きへの対処法を知らないはずだからなぁ」

「え?どういうこと?」


 俺のふとした呟きに一ノ宮が反応した。


「あ、そっか。一ノ宮は中学の頃の海翔を知らないんだっけ?あいつ、中学生だった頃の一時期、剣道部に入ってたんだ。ま、すぐ辞めちゃったけどね」

「すぐ辞めた―って、じゃあ、彼、その後、どこかの道場にでも通ってたの?」


 俺は一ノ宮の問いかけに、首を振って答えた。


「違うよ。アイツが剣道をやってたのは、その中学での一時期だけだ」

「え―――だって、あの動きは、何年もやってた人の動きよ?」


 そう、海翔の動きは有段者を彷彿させる程、卓越した動きだ。だが、彼のその動きは、歳月をかけ、鍛練することで身に付けたものではない。


「一ノ宮、アイツはね、“観ただけ”で、誰よりも強くなれていたんだよ」

「え―――見ただけって―――」


 俺の言葉に、一ノ宮は顔を強ばらした。無理もない。一ノ宮から見れば、おそらく、それは“異常”の部類に入ってしまうからだ。


「海翔は、剣道だけじゃない、空手や柔道、ボクシング、果ては弓道までやったことがあるんだよ。どれも少しの間だけだったけど、誰よりも強くなった。中学生レベルは超えて、高校の全国大会で優勝できるほどの実力はあったらしい。それを“観ただけ”で身に付けてしまっているから、実力と呼んでいいかは分からないけど」

「そ、そんなことって――」


 一ノ宮は驚愕していた。普通の人間なら、俺が今話した内容なんて、おそらく笑い飛ばしていただろうが、一ノ宮は違う。“異常”の中で生きてきた人間だからこそ、俺の話を信じ、それが真実であると理解している。


「で、でも―――なら、どうして、少しの間なの?それだけの力があるなら、そのまま続けていれば―――」


 一ノ宮は疑問をすべて口に出す前に、言葉を呑み込んだ。俺に訊かなくても、その疑問への答えが分かってしまったから。


「うん、その通りだよ、一ノ宮。今、君の考えていることで当たっていると思うよ」


 俺は一ノ宮が考えていることが読みとれて、そう呟いた。

 確かに、海翔は、どの武道も中学生、高校生レベルをマスターしていた。一ノ宮の言うとおり、そのまま続けていれば、世界で活躍するような選手になっていたかもしれない。

 そう―――あのまま“続けさせてもらえて”いれば―――。


 海翔は武道と呼べるものなら、すぐに誰よりも上手く、強くなれた。それは特筆すべき点であり、誰もがその力に目を瞠った。そして、指導教員は海翔を褒め称え、周りの生徒は憧れた。

 だが、それも一時のことだった。すぐに周りの人間は、海翔の異常性に気づき、海翔を忌み嫌うようになった。

 当たり前のことだった。人が何ヶ月も、何年も、何十年もかけて、練習し続け、鍛え上げた技術というものを、海翔はそれを“観た”だけで我が物にしてしまう。それはもう反則に近い。長い年月をかけて鍛練してきた人間にとって海翔は反則者(ジョーカー)だったのだ。

 そして彼らにとって、海翔の異常な力は、自己の否定であり、自己の価値観の喪失に他ならなかった。

 そういった人間に海翔は、妬まれ、恨まれた。そして、そういった感情は他者に伝染し、海翔を褒め称えた指導教員や海翔に憧れていた生徒までもが、海翔を気味悪がりだした。

 結果、海翔は孤立し、中学の部活動に、中学校そのものにも居場所を失った。

 それにショックを受けた海翔は、そのやり切れない想いを、外にぶつけるようになった。

 海翔は、他校の中学生の不良と喧嘩をするようになった。海翔の名はすぐに俺たちが暮らす如月町とその隣町の皐月町に轟くようになった。海翔は喧嘩でも、どの中学生にも負けなかった。その持ち前のガタイの良さと、その異常な力によって、まさに敵なしだった。

 ただ、幸いしたのが、喧嘩には長い歳月により身に付けた技術というものが関係なかったことだ。強い者が、弱い者に勝つ、弱肉強食の世界。そして、上に際限なかったことも幸いした。中学生の上は、高校生。高校生の上は、大学生。大学生の上は―――と、次々と海翔の前に喧嘩相手が現れた。

 その度に海翔は傷だらけになったが、決して負けることはなかった。

 そして、知らないうちに付いた通り名が“喧嘩王”だ。

 丁度、そう呼ばれ始めた中学一年生の秋頃、俺たちは知り合った。喧嘩王と呼ばれていた海翔は不良そのものだったが、何故か俺たちは意気投合した。そして、二十歳になった今でも、そのまま関係は続いている。




「なるほどね―――それで、突きには弱いのか」


 一ノ宮が思い出したように呟いた。

 それを聞いて、俺は元々の話が突きに弱いを理由だと言うことを思い出した。


「あ、ああ。そうなんだよね。中学生は突きは反則技だからね。少しは観たことはあるだろうけど、実際に自分で打ち込んだことも、それを受けたこともないはずだから、対応には困るはず―――」


 そこまで言いかけて、俺はある考えへ至った。


“まさか―――弘蔵さんはそれを知って、突きを繰り出しているか―――?”


 本来ならばありえない。初めてあった人間の特異な体質とその経歴を少し打ち合っただけで、見抜くなど。だが、弘蔵さんのこれまでの言動を考えると、それもあり得ると思えてしまう。


 幾度目の突きだろうか。目にも止まらぬ速さで繰り出される突きを海翔はいまだにギリギリのところで躱し続けている。


「ほれほれ!躱すだけではどうにもならんぞ?それに―――」


 もう後がない。海翔は躱す度に後ろに下がっていた。だが、それができるのはここまでのようだ。


「くそ――!」


 海翔は後ろのチラリと見て、苛立ちの声を漏らす。

 その瞬間を弘蔵さんは見落とさなかった。弘蔵さんから、これまでにない速さの突きが繰り出されたのだ。


「ぐ――!」


 躱すことはできない。さらに、一点集中型の突きは防ぐのは難しい。ましてや、初見の海翔では防ぐのは無理がある。

 だが、海翔は俺の想像を超えた動きをした。

 突きを繰り出された瞬間、海翔は竹刀を右下から左上に切り上げたのだ。それは弘蔵さんを狙ったものではない。弘蔵さんが突きだした竹刀を狙ったものだ。

 海翔の竹刀は見事に弘蔵さんの突きを切り払った。そして、切り上げた竹刀をそのまま渾身の力で振り下ろす。弘蔵さんは竹刀を切り払われ、竹刀は構えられておらず、体勢も崩している。完全に捕らえられるタイミングだった。だが―――。


「な――に!」


 海翔の竹刀は当たらなかった。いや、一瞬は当たったように見えた。俺も、おそらくは海翔も。だが、当たったように見えたのに、海翔の竹刀は弘蔵さんを素通りし、空を切った。


「残像―――」


 俺の横で一ノ宮がぽつりと呟いた。

 そんなことがあり得るのかと俺は思ったが、弘蔵さんならあり得そうで恐かった。


 弘蔵さんは海翔の切り返しを躱すともに、竹刀を振り上げていた。海翔は自分の目の前で起こったことに理解が追いつかず、それに気づくのが遅れた。

 そして、弘蔵さんは竹刀を素早く振り下ろした―――。


「―――」


 海翔は一歩も動けなかった。ガードの体勢に移ることすらできなかった。だが、竹刀は海翔の頭に当たる直前で寸止めされた。


「ここまでだね」


 弘蔵さんはそう呟くと、竹刀で海翔の頭を軽くペシリと叩いた。


「え―――」


 海翔はそれに呆然としている。


「よい稽古になっただろう?今までにない経験もできただろうしね」


 その弘蔵さんの言葉に、俺は確信した。やっぱり、この人は海翔の秘密に気づいている。


「ハ――!本当に稽古つけられちまったぜ!

 いや~、久々に良い運動になったよ、爺さん!それに、こんな風に清々しく負けたのも久しぶりだ。ありがとうな、爺さん」

「いやいや、お前さんも中々だったよ」

「へへ!んじゃ、負けちまったし、オレは帰るわ!敗者は立ち去るのみってね」


 そう言って、海翔は竹刀を置いて、踵を返し、道場から出ていこうとする。


「こらこら、待ちなさい!」

「え?」


 出ていこうとした海翔を弘蔵さんは呼び止めた。それに海翔も振り向いた。


「お前さん、一体に何しに来たんだい?まさか、本当に道場破りのつもりだったのかい?」

「あ―――」


 弘蔵さんにそこまで言われて、ここまで来た目的を思い出した慌てん坊の海翔クンなのだった。



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