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旋風と衝撃の狭間で  作者: みどー
追憶編
50/172

最終話「約束」・前編



 2015年8月30日、午前11時、現在。


「遅い―――いくらなんでも遅すぎる」


 私は苛立ちの声を漏らすと共に、グラスに入ったアイスコーヒーに口をつける。

 この喫茶店入って、既に一時間が過ぎようとしていた。だが、まだ彼は―――真藤一輝は姿を現さない。

 私が過去を振り返り、物思いに耽っていたのも三十分程前の事で、それからはひたすら彼を待ち続けている。



 あの頃の事は、これまでは極力思い出さないようにしてきた。

 あの頃の私はまだ子供で、後先考えなしに動いていた。結果として、自信が望まぬ結末を引き起こしてしまった。一輝とは手紙で一言だけの別れを、そして、彼女―――紅坂命とは無言の再会を果たすことになった。これは、すべて私自身が愚かだったばかりに起こった出来事だ。

 そして、あの時私が父と交わした契約は、きっと二人の想いを裏切るものだったと過去の私は思っていた。


 だが、果たして―――今はどうだろうか?今の私は、二人の想いに応えられているのだろうか?


 一輝は私に対して三年前と何ら変わりない想いを持ち続けてくれていた。あの時、あんな別れ方をしたにも関わらず。

 けれど、一輝と再会を果たした私は、複雑な心境でいた。彼をまた一ノ宮家と関わらせていいものかどうか。私に関わらせて彼が幸せになれるとは、私にはどうしても思えなかった。

 その結果、私は彼の気持ちには、まだ応えていない。私たちは一ノ宮家の秘密を共有する仲ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない関係に留まっている。


 そして、親友である命に対しては――――――。



 考えを巡らせていた時、突然、私の携帯電話の着信音が鳴り出した。

 私は携帯の画面に表示されている名前を見ると、迷うことなく携帯に出た。


「はい」

『ごめん、一ノ宮!遅くなった!』

「ええ、知ってるわ」

『う……怒っているのかい?』

「別に。どうせまた間島に良いようにこき使われてたんでしょ?」

『いや、まぁ、否定はしないけど。でも、遅くなったのは俺自身のせいだし。所長のせいじゃないよ』

「―――相変わらず、真面目ねぇ」


 一輝は私と別れてからの三年の間に間島新一が経営している、間島探偵事務所の助手になっていた。もちろん、一輝は間島が一ノ宮家専属探偵と言う肩書きを持っていることなど知っていた分けではない。間島とは、とある事件がきっかけで偶然に知り合い、その縁で助手になったらしい。

 だが、間島の方は、一輝が三年前の事件に深く関わっていたこと、そして、私とお父様との間に成された契約について承知していた。にも関わらず、彼を助手として雇い、そして、私と再会させるように画策したのだ。

 間島の考えていることは、未だによく分からないが、それでも、彼の意味不明な企みのお陰で、今はこうして一輝と私は会話しているわけである。それには感謝すべき―――なのだろうか?



「それで、後どのくらいかかりそうなの?」

『えっと、今事務所を出たところだから、後十五分くらいで着くよ』

「そう。それじゃあ、待ってるから、なるべく『急いで』ね」

『は、はい…善処します』


 電話を切ると少しため息が出た。

 相変わらず彼は何も変わらない。三年前と何一つ変わっていない。

 一輝は間島が一ノ宮専属探偵だと知ってもなお、あそこの助手を止めようとはしなかった。一輝からしてみれば、間島に騙されていたようなものなのに、それを彼は笑って許していた。彼のそのお人好しと言っても過言ではない優しさは、長所ではあるのだが、それと同時に危うさを感じさせる部分でもある。

 彼のお人好しな部分は、他者からすれば、それだけつけいる隙があるということだ。以前、お父様が言っていたように、一輝は色々な面でまだ非力すぎるように思える。

 その点を解消するためにも、今日は一輝を“あの人”に会わせるつもりでいたのだが、思いもよらぬ時間ロスが発生したことにより、私も色々と昔の事を思い出してしまった。

 時間を見る。まだ正午ちょっと前だ。“あの人”の所へは午後にでも行けばいいだろう。急ぐことはないのだが―――。


「どうしたものかしらね」


 私の頭の中には予定はにはない、ある考えが浮かんでいた。それもこれも、あの頃の事を思い出したせいだ。だが、それは彼にとっても、私にとっても必要なことかもしれない。


「そうね―――彼も知る権利があるわよね。何も話さない、見せないまま、彼に覚悟を決めてもらおうなんて、虫のいい話よね」


 私は決心すると、再び携帯を手に取り、間島に電話を掛けた。


『はい、間島です』

「私よ。ちょっと良いかしら?」

『あれ?れ、怜奈君?ど、どうしたんだい?一輝君ならさっきそっちに向かったよ?』


 間島の声からは動揺が読みとれる。どうやら、一輝が私と会う約束があるのを知っていて、彼に仕事を押しつけていたらしい。


「ええ、知ってるわ。さっき彼から電話を貰ったから」

『えっと、じゃあなんだい?ま、まさか、彼に仕事をさせて、約束の時間に遅らせたことに対しての苦情とか…かい?』

「そうしたいところだけど、今日は違うわ。あなたにお願いしたいことがあるの」

『え?なんだい?』

「急で申し訳ないのだけれど、午後から“彼女”への面会準備をしてもらえない?」

『―――――それは、また、突然だね?』


 間島から飄々とした声が消え、別人ではないかと思わせるほど、真剣な声に変わる。これは『仕事』の時の声だ。


「無理かしら?」


『いや、先方には伝えれば大丈夫だと思うよ。そうじゃなくて、いいのかい?彼に教えて?』

「ええ、彼にも選ぶ権利があるはずよ」

『―――わかった。向こうには“二人分”を用意してもらうように言っておくよ』

「ええ、すまないわね。よろしく頼むわ」



 

 電話を切ってから、数分後、一輝が喫茶店に飛び込んできた。


「ごめん!遅くなって本当にごめん!」


 彼は私の前に来ると、頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。おそらく、夏真っ盛りというのに走ってここまで来たのだろう。汗は滝のように流れ、息は上がっている。


「ハァ…本当は色々言おうと思ったけど、そんな姿見せられたら何も言えないわよ。もういいわ。急がせた私も悪かったわ。はい、これ」


 私はバッグからタオルを取り出し、彼に差し出した。


「あ、ありがとう」


 彼は私からタオルを受け取り、席座ると汗を拭き始めた。


「すこし、ゆっくりしていきましょう。真藤君も涼んでいきたいでしょ?予定は午後に回しておいたから」

「何から何までごめん。以後、気をつけます」


 平謝りしている彼を尻目に私はグラスに入ったアイスコーヒーを飲み干した。




 その後、私たちは喫茶店で昼食を取った後、外に出た。


「で、これからどうするんだい?俺に会わせたい人がいるって言ってたけど」

「ええ。今からその人に会いにいくのよ」


 予定していた人とは違う人物に会いに行くことになってしまったが、それは彼には言う必要ないだろう。元々、彼は今日誰に会いに行くのか知らないわけだし。


「ちょっと歩くけれど良いかしら?疲れているようなら、タクシーを呼ぶけど」

「いや、大丈夫だよ。体力にはそれなりに自信があるからね」

「そう、それなら行きましょう」


 私たちは歩き出した。“彼女″がいる病院へ。





 一ノ宮家お抱えの総合病院に到着すると、一輝は私に怪訝そうな顔を向けてきた。


「あのさ、一ノ宮。俺に会わせたい人ってこの病院にいるのか?」

「ええ、そうよ。それがどうかした?」

「いや―――以前、一度だけこの病院に来たことがあるから。その…」


 一輝は途中まで言いかけて口を噤み、言いづらそうにこちらを見ている。私には彼が言いたい事が何であるかはすぐに分かった。

 彼も薄々感づいてはいるのだろう。三年前に運ばれた病院に来ているのだ。偶然とは思えないだろう。


「ああ―――あの時ね。そうね、まだ話してなかったわね。ここは一ノ宮家お抱えの総合病院なの。

 だから、末端の病院関係者以外は私とは顔見知りだし、一ノ宮家の事も知っているわ。だから、心配しなくても大抵のことは口にしても問題ないわ。ただ、能力に関しては厳禁だけどね」


 一ノ宮家の能力に関しては、病院関係者でもごく一部の人間しか知らない機密事項となっている。おいそれと口にして良いことではないのだ。


「ああ、なるほど。そういうことか。わかった。ありがとう」


 一輝は私の説明で悟ったのか、すぐに納得した。これも彼の良い面の一つなのだが、彼は何に対しても察しが良いのだ。そう言う点では、無駄な説明が省けてこちらとしては助かる。だが、逆に言えば、気づかなくてもいいことに気づいてしまうということなのだが。



 病院の二階にあるナースセンターに行くと、私はそこにいた看護士に婦長を呼んでもらった。すると、すぐに婦長がナースセンターの奥から現れた。


「お待ちしておりましたよ、怜奈さん」


 婦長は私に対して深々とお辞儀をした。


「ご無沙汰しております、婦長」


 私も婦長に対してお辞儀と挨拶で返す。


「あら?そちらの方は?」


 お辞儀をし終わった婦長の目線の先には一輝がいた。婦長は私と一緒にいる彼に驚いているようだった。


「ああ、彼は私の知人で真藤一輝といいます」


 私は一輝を婦長に紹介した。一輝はそれと同時に婦長に対して一礼する。


「あらあら、そうでしたか。それは失礼しました。

 いやだわ、私。間島さんから“二人分”と聞いていたので、てっきり来られるのは、怜奈さんと間島さんとばかり」

「二人分?」


 一輝は婦長の言葉の切れ端に敏感に反応した。確かに何も知らない人間にとって、婦長の今の言葉は疑問に思わざるえないものだろう。

 だが、私は彼の疑問を余所に婦長と話を進める。


「すみません。突然、準備してほしいなんて」

「いえいえ、構いませんよ。たいしたことではないですから。

 こちらに入っておりますので、ご自由にお使いください」


 婦長は言いながら、私に紙袋を差し出した。


「ありがとうございます」


 私はお礼を言いながら、その紙袋を受け取る。

 その間も一輝は合点がいかないのだろう、不思議そうな顔して、私に対して、説明を求めるような眼をしていた。



 その後、“彼女”がいる病室まで案内するという婦長の申し出を断り、私たちは病院の長い廊下を二人で歩いていた。


「なあ、一ノ宮。そろそろ教えてくれないかな?一体これから誰に会いに行くんだ?」

「それは、会ってからのお楽しみよ。でも、その前に言っておくことがあるわ」

「言っておくこと?」

「ええ。今から会う人は結構難しい病気の人なの。だから、私が良いというまで、勝手に発言しないこと。それまでは私に話を合わせて」

「わ、わかった」

「じゃ、これを着てもらえる?」


 私は婦長から貰った紙袋の中身を取り出し、一輝に差し出した。


「これって…白衣!?」


 私が一輝に手渡したのは、この病院の医師が着ているのと同じ白衣だった。


「そうよ。早く着なさい」


 彼の驚愕の声を無視し、私は白衣に袖を通す。一輝はその様子を見て、呆然としていた。


「何しているの?早く着なさいよ」

「え、いや、でも、なんで白衣?」

「なんでって真藤君も私も、カウンセラーって設定だからよ。そうね、あなたは、私の下についた研修医ってことにしておこうかしら」

「か、カウンセラー?設定?研修医?一体にどういうことなんだい?」

「それはこの病室にいる人に会えば分かると思うわ」

「え―――」


 私たちは長い廊下の橋にある病室の扉の前まで来ていた。

 その扉には“面会謝絶”という文字が書かれた張り紙がされている。


「ここって―――面会謝絶じゃないか?それに名札も張られてないし…」


 一輝の疑問は最もだった。今からこの病室にいる人物に会おうとしているのに面会謝絶では、病室に入ることができない。もっとも、この面会謝絶は一ノ宮家の関係者以外の人間を近づけさせないようにするためのものだなのだが。


「仕方ないわよ。ここにいるのはワケアリの人だからね」

「わ、わけあり?い、一体どういう人なんだ?」

「はぁ…いいから、早く白衣着てもらえないかしら?着てくれないと中に入れないのだけれど」

「う…わ、わかったよ」


 一輝は私の非難の眼と言葉に堪えきれなくなったのか、追求することを止め、渋々、白衣に袖を通した。


「それじゃあ、中に入るけど、さっきも言った通り、話を私に会わせてね?」

「わ、わかった」


 私は一輝が頷くのを確認すると、病室の扉をノックした。


「はい、どうぞ」


 病室の中から女性の声が返ってくる。その声が返ってきたことを確認した私は病室の扉を開けた。


「こんにちは」


 扉を開けると共に私は中に女性に挨拶をする。


「わぁ!怜奈先生!お久しぶりです!」


 私の顔見るなり、病室にいた女性は、歓喜の声を上げた。

 病室の中にいたのは、私と同い歳くらいの女性だった。ベッドから体を半分起こした状態でこちらを見ている。


「ええ、本当にご無沙汰ね。紅坂さん」

「―――」


 彼女の名前を呼んだ瞬間、私はちらりと一輝の方を見た。彼は呆然と彼女を見ていた。その顔は驚愕と戸惑いの表情が入り交じり、固まっていた。


「あら?そちらの方は誰ですか?」


 彼女は一輝が居ることに気づくと、私に質問してきた。


「ああ、こっちは今私の所にきている研修医の真藤先生よ。ご一緒させてもらっていいかしら?」

「はい、もちらんいいですよ。でも、へぇ~、研修医なんですかぁ」


 彼女は研修医という言葉に興味を引かれたらしく、一輝に視線を向けている。


「はじめまして、真藤先生。知ってるかもしれないけど、私は紅坂命っていいます。よろしくお願いしますね」

「え、ええ。よろしくお願いします…」


 一輝は彼女の自己紹介に対して、戸惑いの表情を浮かべたまま、挨拶を交わした。彼の反応は無理もないことだった。

 今、私たちの目の前にいるのは、あの“紅坂命”なのだ。

 紅坂命は、一輝にとっては、四年前、突然告白され、その数日後に転校していった女生徒。そして、私にとっては、四年前、私自身の手で殺してしまった能力者であり、親友でもある。

 その“紅坂命”が今私たちの目の前いるのだ。だが、彼女は私たちを見ても、それに対応した反応を見せない。そして、私もカウンセラーという偽りの立場をもって彼女と接している。互いが、高校時代の関係がなかったように接し合っている。

 これには、深い理由がある。




 遡ること三年前。私がお父様と交わした契約は、一輝との関係を引き替えに、病室で眠り続ける紅坂命のいのちを繋ぐことだった。

 そして、一輝と別れた一年後、彼女は奇跡的に目を覚ました。

 だが、その奇跡にも歪みがあった。彼女はあの時の傷が原因で、下半身不随になっていた。

 さらには、目を覚ました彼女は私のことはおろか、自分自身のことすら分からなくなっていた。彼女は―――記憶喪失になっていたのだ。それでも、彼女が目を覚ましたことは奇跡に近いこととだったのだ。それ以上の事を望んでは罰が当たるというものだ。

 命は、ここに運ばれて来る前から、余命幾ばくもない身だという事を医者から宣告されていた。彼女は、重い病気だったのだ。

 だが、ここに運ばれて来た時、私から受けた傷により、瀕死の状態ではあったが、彼女の病巣は消えていた。それは、彼女が能力を暴走させたことによる結果だったのかもしれない。彼女は自由と記憶を引き替えに自らの病を消し去ったのだ。

 しかし、自由と記憶を失ったとしても、彼女が能力者であることは変わりない。

 普通の人間ならば、記憶に関しては経過を見守り、体に関してはリハビリを行う。そして、目を覚まして数ヶ月後には退院という運びになるだろう。だが、一ノ宮家は一度能力を暴走させた彼女にそれを許しはしなかった。彼女に関して口出ししないと言ったお父様も、私が彼女を世に放とうした時は、それを止めに入ったのだ。結果、今も彼女はこの病院に軟禁状態で隔離されている。

 けれど、彼女は目を覚ましてから今まで能力を発動させたことはない。これはあくまで私個人の見解だが、彼女は能力そのものを失ったのではないだろうか。

 目を覚ました直後の彼女は酷く精神が不安定で、錯乱状態に陥ることが度々あった。自分の記憶がないのだから、当たり前のことだった。けれど、そんな状態であろうとも、彼女の能力は発現することはなかった。高校時代の彼女であれば、少しでも情緒が不安定になれば、能力の制御が出来なくなり、その力が形をなして現れていた。だが、それが現在では一切なくなっている。

 能力を失うという現象は聞いたことはないが、そうとしか考えられなかった。




「それでね、婦長さんたら可笑しいのよ?熱を計るのに体温計を忘れてきちゃんだもん」

「ふふ、あの婦長さん、そそっかしいところがあるものね」


 私と命は取り留めのない会話をしていた。最近、何があったとか、病室ではどういうことをしているのかとか、ほとんど世間話に近い話をしていた。それを一輝は私の横に座って、黙って聞いていた。

 私が命を訪ねた時は、常にそういった世間話をしている。カウンセリングと銘打ったものではあるが、そのほとんどが取り留めもないものだ。彼女はそれに疑問を抱く様子はなく、いつも楽しそうに話をしている。私の方とはいうと、半分は彼女との会話を楽しんでいるが、もう半分は仕事のつもりで彼女と会話をしていた。彼女が記憶を少しでも取り戻してはいないかを確かめるために、ここに訪れ、彼女と会話をしているのだ。

 命には真実は教えていない。彼女が怪我をして眠っていた理由も、両親が既に死んでいる理由も交通事故によるものだと彼女に説明している。

 私はこの病室を訪れる度に、彼女があの時の記憶を取り戻してしまうのではないかと、内心ではビクビクしている。彼女が自信の両親を殺してしまった事や私と殺し合いをしてしまったことを思い出せば、彼女自身がその事実を受け止めきれるか分からない。

 そうなった時、私に何ができるか、私にはその答えが出せずにいた。




「それで何か昔のことについて思い出したことはない?」

「はい。全然」


 命はそう言うと、左右に顔を振った。その表情はどこか少し悲しそうだった。


「そう―――」


 命の反応で、私は内心ほっとしていた。


「あ、でもね、最近思うようになったことならあるんだ」

「え―――思うようになったこと?」

「ええ。私ね、私が通ってたっていう高校に行ってみたいって思うようになったの」

「―――」


 命の言葉に私は息を呑んだ。

 よりにもよって、高校に行ってみたいなんて言い出すとは―――。


「それでね、怜奈先生。そろそろ、三ヶ月に一回の外出許可が降りるころじゃない?私ね、その自分が通ってた高校に―――如月学園に行ってみたいんだけど、ダメ…かな?」

「そ、それは…」


 命の問いかけにどう答えるべきか、私は悩んだ。

 命はこの病院に軟禁状態にはあったが、リハビリが終わり、自分で車椅子に乗って移動できるようになってからは、彼女の精神衛生面も考慮し、三ヶ月に一回、監視付き、しかも行動範囲を制限してだが、外出許可が出るようになった。その外出許可が下りるのが、そろそろなのだ。

 彼女の体調面だけで言えば、外出することや高校に行くことには何ら問題はない。だが、精神的な事に関して言えば、高校に行かせるのは果たしてどうなのだろうか?

 命は、あの高校ですべてを失ったと言っても過言ではない。もしかすると、高校に行くことで、何か思い出すかもしれない。そう―――あの時の事を。そうなれば―――。


 私はあれこれと思案し、答えることに躊躇していた、

 だが、そんな時、突然、一輝が言葉を発した。


「いいんじゃないですか?それぐらい?


 記憶に影響あるなしはこの際考えず、彼女の自主性を尊重すべきだと思いますけど」


「「―――」」


 一輝のその言葉に私も命も面を喰らっていた。

 あまりにも突然の発言に、私は開いた口が塞がらなかった。命は、驚いた表情のまま、一輝の方を見ている。

 口に出した本人は、言った直後は何の悪びれた表情もしなかったが、その後、何かを思い出したように、ばつが悪そうにした。おそらくは、この病室に入る前に私が忠告した「勝手な発言をするな」という言葉を思い出したのだろう。


「そう―――そうですよね!真藤先生、ありがとうござます!

 ねえ、怜奈先生!お願いします!担当の先生に掛け合ってくれませんか?」

「っ―――」


 命は一輝の言葉に後押しされたのか、今度は、先ほどまでの恐る恐るな聞き方ではなく、完全に直談判に近い形となった。その瞳を潤みをおびており、まるで眼で懇願されているようだった。

 私はその眼に今も昔も弱かった。私は居たたまれなくなり、立ち上がって口を開いた。


「わかった、分かりました!今から、担当医に相談して見るから、ちょっとそこで待ってて」

「わぁ!やった!さすが、怜奈先生!ありがとうございます!」


 命はまるで飛び上がるように喜んでいた。その喜ぶ様は、とても私と同い歳とは思えない。


「はぁ…もう、調子がいいんだから」


 半ば投げやりな言葉を口にしている自分に驚いていたが、言った以上、その場を動かないわけにいかなかった。、

 私は病室から出て行こうと、扉の方に向こうとした時、命に気づかれないようにおもいっきり一輝を睨みつけた。一輝はそれに気づき、目をそらした。


「真藤先生、私、少し席を外すから、その間、紅坂さんの話し相手をしていてくれる?研修医のあなたでもそれぐらいできるわよね?」

「え、あ、はい。も、もちろんです。い、いってらっしゃい」


 怒気をはらんでいたであろう私の言葉に、一輝は恐る恐る答えた。

 私は一輝の返事を聞くと、病室から出た。あれだけ睨みつけておけば、一輝が命に余計な事を言う心配はないだろう。察しのいい彼の事だ。それぐらいはもう分かっているはずだ。



 紅坂命の件は私にすべて一任されており、彼女の外出許可も私の独断で出していいことになっていた。だが、今回ばかりはそうはいかない。先程、担当医に相談すると言ったのは、建前でもなんでもなく、本当のことなのだ。今回の件ばかりは、担当医と相談した上で決めた方がいいだろう。



 担当医に相談してみたところ、担当医も判断に悩んでいた。悩む点といのは、彼女が如月学園を訪れることで、記憶が戻る可能性がないわけではないというところだ。本来であれば、記憶が戻ることは望ましいことだ。だが、命に関してだけ言えば、“記憶が戻らない方が良い”というのが、一ノ宮家と担当医の率直な意見なのだ。その意見に私は半分同意しており、半分は反対してる微妙な心境だった。

 だが、ここで許可を出さなければ、逆に彼女に不信感を与えてしまうことになりかねない。そうなっては、私たちにとっても望まぬ状況になってしまうのだ。

 結局、判断は私に委ねられた。



後編に続きます

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