第4話「忠告」
1月16日。水曜日。未明。新たな通り魔殺人の被害者が出た。これで、五人目だ。ニュースなどでは、三人目と騒がれていた。被害者の身元は不明。おそらく、また浮浪者であろう。警察が警戒体制を布いていたにもかかわらずの事件発生である。
朝、俺は学校に行く前にそんな報道番組を見ていた。自分で調べている事件だけに、また被害者を出してしまったことに、自分自身の至らなさに少し苛立ちながら俺は学校に向かった。
学校に来てみると、海翔はまだ来ていなかった。俺は海翔が来るのを待ち続けたが、一向に来る気配がない。
「なんだぁ? アイツ、またズル休みか?」
海翔が朝に来ない時は、その日はもうほとんど学校に来ることはない。もしかしたら、また事件の聞き込みでもしているのかもしれない。
などと考えていると、教室に一ノ宮が入ってきた。彼女はまるで存在感を出さないかのように、教室のドアから流れるように入ってきて、席に着こうとしていた。俺は海翔がいないことをいいことに、一ノ宮に話しかけた。
「おはよう、一ノ宮さん!」
一ノ宮はこちらに振り向き、「おはよう、真藤君」と、応えてくれた。
挨拶を済ました彼女は、そのまま席に着こうとしたが、何かに気がついたようで、今度は彼女から俺に話しかけてきた。
「そういえば、今日は来てないのね? あなたの連れ」
「え? それって海翔のこと? う、うん……そうなんだ。たぶん、今日は来ないんじゃないかな」
「そう……」
「何か、海翔に用でもあったの?」
「いいえ、何もないわ」
そう言って、彼女は今度こそ席についた。
「……?」
彼女に話しかけられたこと自体、俺には驚きだった。いままでに、こんなことはなかったからだ。それだけでも、驚きだったのだが、いつも周りのことに無関心で、クラスからは孤立している彼女が海翔の事を、他人の事を気にしたことの方が俺には驚きだった。
なんだろう? ちょっと、ムシャクシャする。まさか、一ノ宮が海翔に気があるわけではないだろうけど……。
すぐに気がついたが、要は俺も一ノ宮に気に掛けてもらいたいだけなのだ。ちょっとした些細なことでも。
その後、俺はチャイムが鳴るまで海翔を待っていたが、結局来なかった。
昼休み。俺は屋上にいた。俺は冬になると、時々ここに来る。それは、誰もここに来ないからだ。こんな寒い時期に屋上にきて、昼飯を食べる気には誰もならないだろう。だから、少し寒いが俺は考え事をするとき、静かな屋上に来るのだ。
この日も俺は屋上に仰向けになって、目を閉じて考え事をしていた。もちろん、それは通り魔事件の事だ。
警察も未だに犯人の手掛りさえも掴めていない。それは、俺も同じ事だ。けれど、そのせいで、また被害者を出してしまった。警察もかなり焦っているだろう。
俺が分かっているのは、昨日の血の跡の件についてだけだ。それでは、何も犯人には繋がらない……。
「いや、待てよ。もし、あの血の跡が残るような殺し方ができるのならば……それは……」
そんな事を考えていた時だった。
「真藤君、ちょっといいかしら?」
そんな声が聞こえてきたのは。
聞こえてきた声に驚いて、俺は閉じた目を見開く。すると、そこには――
「え? え! えぇ〜!? い、一ノ宮!?」
そこには一ノ宮怜奈の顔があった。一ノ宮が上から覗き込んでいる。
声をかけてきたのは、一ノ宮だった。
「な、ななな、なんでええええ!?」
突然現れた一ノ宮に俺は絶句した。一ノ宮が自分から俺に話しかけ来るなんて事も初めてに等しい。驚かない方がおかしいくらいだ。いや、そもそもなんで一ノ宮がこんなところに……?
「ごめんなさい。驚かせてしまったみたいね? まさか、そんなに驚くとは思わなかったから……」
俺の反応がオーバー気味だったせいか、上から覗き込んできている一ノ宮は不思議そうな顔をして小首を傾げている。
「あ、い、いや、お、俺の方こそ、ごめん!お、驚かせちゃったね」
俺は慌てながらも、体を起こした。
と、とりあえず落ちかなければ。何がどうなっているのか分からないが、一ノ宮が俺の目の前にいることは事実だ。しかも、いまは俺と一ノ宮以外屋上に誰もいない。つまりは二人っきり……ふ、二人っきり!? ま、まずい……意識したらさらに緊張してきてしまった……。
「ちょっと話したい事があるのだけど、いいかしら?」
「え? な、何? いいよ」
「隣座ってもいいわよね?」
「う、うん」
俺が応じると、彼女は俺の隣に腰を下ろした。
「で……は、話って何かな?」
尋ねた声が既に上ずっている。しっかりしろ、俺。どんだけチキンなんだよ……。
カチコチな俺を余所に、尋ねられた一ノ宮は神妙な面持ちで、切り出してきた。
「君、いま通り魔殺人の事件について調べてるでしょ?」
「え!? ど、どうしてそれを……」
「やっぱりね……」
「あ……」
しまった……。あまりの緊張のせいでしらを切ることすらも忘れてしまっていた。捜査している事は俺と海翔の秘密だったのに……。
「君と石塚くんが話しているのを聞いたのよ。朝、よく話していたでしょ?」
「う、うん。でも、小声で話してたのによく聞こえたね?」
「私、耳はいいほうだから」
彼女は無表情なまま、得意そうにもせず、そう言った。
まさか聞かれていたなんて……。だから、最近一ノ宮がこっちを見ていることが多かったのか。
「そ、そうなんだ……。で、でも、それがどうかしたの?」
まさか、私も混ぜてって、言うわけではないだろう。俺は一ノ宮が何を言い出そうとしているのか分からなかった。
「今回の事件、あまり関わらない方がいいわよ」
「え……? 何? どういうこと?」
「言った通りの意味よ。あなたには、今回の通り魔事件は荷が重いって言ってるのよ」
彼女は表情も変えず、ズバリと言い切った。
「うっ……そうかもしれないけど……」
確かに今回の事件は分からない事ばかりだ。俺なんかではどうしようもないかもしれない。しかし、一ノ宮が何故、そんな事を言ってくるのだろうか……?
「それにね。あまり、今回の事件に深入りするのは危険よ」
「え……? 君は今回の事件について何か知ってるのかい?」
「いいえ、私は何も知らないわ。ただ、そんな殺人鬼を追うなんてこと、危険だから言ってあげてるのよ。単に、あなた達の事を心配してるだけ」
「そう……なんだ。けど、それなりに知ってそうな言い方だよね?」
「そうね……。一ノ宮家には警察の知り合いもいるからね。少し聞かせてもらった程度よ」
「そうなのか……」
なるほど。警察に知り合いがいるのは、俺だけではないということらしい。
「納得して頂いたかしら?」
「う、うん」
「それじゃあ、あの事件には、もう首を突っ込まないことね」
彼女は語気を強くしてそう言って、立ち上がった。
「わかったよ。忠告、ありがとう」
俺は彼女に気に掛けてもらえたことに、少し嬉しくて、笑顔でそう答えた。
「いいえ、気にしなくていいわ」
彼女はそのままここから立ち去ろうとしたが、立ち止まって、もう一度こちらを振り返った。
「そうそう、もう一つ忠告よ。あまり何がしら興味本位で首を突っ込まない方がいいわよ。いいわね?」
「う、うん。わかったよ」
俺の言葉を聞いて満足いったのか、一ノ宮は、じゃあね、と言ってここから離れようとした。
けれど、俺は彼女をこのまま帰したくなかった。当たり前だ。彼女と二人っきりで話すチャンスなんて、こんなことでもない限り、二度とない。だから、俺は少し勇気を出してみることにした。
「あ、あのさぁ、一ノ宮さん!」
一ノ宮は動きを止めて、またこちらを振り返った。
「何?」
「あ……いや……その……」
俺は緊張にして、中々言い出せなかった。そんな俺に業を煮やしたのか、彼女の方から切り出してきた。
「特に用がないのなら、私、教室に戻るけど……」
「ああ……いや、あるよ! ある! 大事なことが……その……今日、放課後……ヒマ?」
俺は言葉に詰まりながらも、そう尋ねた。
「え、ええ、暇だけど……どうして?」
「そ、その……が、学校終わったら、ふ、二人でどこかいかない?」
何とも不格好な誘い方だ。それでも、それがいまの俺の精一杯の勇気だった。
「え……?」
一ノ宮はきょとんとした目でこちらを見ている。
「あ~、いや、その、だから、嫌ならいいんだけど……今日は海翔もいないし、俺も暇になったし……あ、別にこれはデ、デートってわけじゃ……って、あわわ……俺何言ってんだろ……」
もはや、言っていることがシドロモドロで意味不明だ。こんな大事な時に大失敗を犯すなんて、死んでしまえ、俺! つーか、死にたい……。
そんな俺が滑稽に見えたのかもしれない。
「クスッ! クスクス……あははは……。き、君、変な人ね!」
一ノ宮は堪えるようにして笑っていた。
「え? え!? そ、そうかな? ははは……」
変な人扱いされたのは正直ショックなのだが、彼女の笑顔が見れて俺は嬉しかった。おそらく、今までに誰も見たことがなかった笑顔だろう。俺だって彼女が笑ったところを初めて見たのだから。
「クスッ。ええ、本当よ。まさか、誘ってくるなんて……君みたいな人、初めてよ」
それは、当たり前だ。俺は、真藤一輝は一ノ宮怜奈に惚れているのだから。そんなこと口が裂けても言えないし、今回だって玉砕覚悟なわけだが……。
「わかったわ。いいわよ。放課後、付き合ってあげる」
「え!? ええええ! ほ、本当に!?」
期待していなかった分、彼女の返事があまりに意外だったので俺は驚いてしまった。
「クスッ。ホント変な人ね。本当よ」
「いやっほー! やったぜぇ!」
あまりの嬉しさに、心の声を口にしながら、飛び上がってしまっていた。
「何がそんなに嬉しいのか知らないけど、そろそろ教室戻らない? 次の授業に遅れるわよ?」
俺を見て、苦笑しながら彼女はそう言った。
そんな彼女の反応を見て、俺は自分がとった行動が恥ずかしくなって照れ笑い浮かべるしかなかった。うん、もう死にたい。
「あはは……そ、そうだね。うん。じゃあ、そろそろ戻ろうか」
こうして、俺は一ノ宮を誘うのに成功し、ウキウキ気分で午後の授業を受けた。もちろん、授業の内容なんて頭に入ってこなかった。