第15話「決別」
『我と共に来るのであれば、お前は生かしておこう。答えは次に会った時に教えてくれ給え』
私は昨日殺人鬼が去り際に言った言葉を思い出していた。
あの時、殺人鬼は『次に会うときまで』と言っていた。だが、次にいつどこに現れるかは言わなかった。ならば、現れる場所も時間も指定する必要がないということだ。
殺人鬼が現れる場所は、奴が消えた場所以外は考えられない。
私は、昨日殺人鬼と対峙した公園に来ていた。
人払いの結界を張っておいた。これで、殺人鬼以外は公園に入ってくることはないだろう。
どれだけ待っただろうか。時計の針は、昨日とほぼ同じ時間を指している。
その時、風が吹いた――――――。
「来たわね―――」
私の見据える先に黒い影が浮かんでいた。その影はゆっくりとこちらに歩いてくる。
「来てくれて嬉しいよ。さあ、答えを聞かせてもらおうか?
真実を知った君が出した答えを」
もう隠す必要はなくなったためか、既に殺人鬼は素顔を晒していた。
その顔には、やはりあの時の男の子の面影が残っている。
だが、初めて素顔見た時の威圧感は今は感じれない。あの時感じたものは何だったのか―――。
「その前に聞きたいことがあるわ」
「何だい?」
「何故―――お母様を殺したの?」
「――――――ク、ククク―――」
私の問いに殺人鬼は苦笑している。
「何が可笑しいのよ!?」
「いや、すまない。
君からしてみれば確かに疑問に思う事だろうね。
だが―――僕からしてみれば当たり前のことだった」
「あ、当たり前のこと?」
「そうだ―――僕にはずっと血に飢えた獣の声が聞こえていたからね。
その声に従ったまでだよ」
「声―――ですって?」
殺人鬼―――いや、貴志の言っている意味が私には理解できなかった。
「そうだ。声だよ。『人を殺せ』っていうね。別にお母様じゃなくても良かった。ただ、そこにいたのがお母様だったというだけでね」
「声だなんて―――そんな言い訳が通じると思っているの!?」
「言い訳なんかじゃないよ。
むしろ、君に聞こえない方が僕には不思議だった。僕たちは双子の兄弟なのに、君と僕とでは『共有』できるものが何もない」
「『共有』できるもの?何を言っているの?」
「理解―――できないか。それも致し方ないことなんだろうね。
君にはその才能がなかったというだけなのだから―――」
貴志は言いながらほくそ笑む。
その笑みに、私は苛ついていた。なぜなら、その笑みは『何もわからない人間には何を言っても無駄だ』と言っているように思えたからだ。
「さっきから聞いてれば勝手なことを!あなたは一体何がしたいの!?」
「別に何も―――言っているのだろう?僕は声に従ったまでだと。
いや―――今の君には言っても無駄か。
もういいだろう?そろそろ答えを聞かせてもらえないかな?」
答え―――昨日、貴志が私に投げかけた問いへの答え。
一ノ宮家の呪縛から逃れ、貴志と共に、人としての道から外れるのか、それとも、一ノ宮の人間として、能力者を狩り続けるのか。
この頃の私はそんな風にしか考えてなかった。
私は知らなかったのだ。一ノ宮家が能力者狩りだけをしてきた分けではないということを。一ノ宮家の本当の闇を。
一ノ宮家は、能力者狩り以外にも、危険分子である普通の人間すらも処理対象としていた。さらには、有力者からの依頼があれば暗殺すらも請け負ってきていた。それを今まで秘密裏に処理してきていたのだ。あの―――時澤家の時のように。
だが、たとえそれを知っていたとしても、私の答えは変わらなかったであろう。
答え―――真実を知った私が出した答えは――――――。
「私が出した答え―――それは、貴志、あなたをここで殺すことよ!」
そして、私は能力を解放した。私の周りには一気に風が渦巻き始める。
私は覚悟を持って貴志の前に立っていた。彼を殺すという覚悟を。
貴志は人を殺しすぎた。私のお母様の敵でもある。
だが―――それでも、私にとって彼は殺す対象にはなり得なかっただろう。貴志が紅坂命のように、能力を暴走させ、狂気に走った能力者ならば、私は彼を『殺す』のではなく、『止める』ことを目的としただろう。
だが、彼は命とは違う。貴志は、心の底から殺人を楽しんでいる。人を殺すことに喜び感じている。それはこれまでの言動からも明らかだ。
彼をそんな風にしてしまったのは一ノ宮家だ。だからこそ―――『止める』のではなく、『殺さ』なくてはいけない。一ノ宮家の次期当主である私が。
でも―――そんなものは建前で、本当は、私にとって唯一無二な存在である一輝の命を守りたいだけだったのかもしれない。
「やれやれ―――君は本当に何も分かっていないな。
あれだけの力の差を見せつけられてなお、僕を殺そうなんて。
ホント――――――愚かな娘だ」
その瞬間、貴志の雰囲気が変わる。昨日と同じように、威圧感を感じる。まるで、何者も近づけさせないと言わんばかりの威圧感だ。
「あなた―――一体何者なの?本当に貴志なの?」
「ほう―――思ったより敏感だな。だが、それを知ってどうする?
お前は我によってここで消される存在だ。知る必要はなかろう」
「くっ―――!何でもかんでも、あなたの思い通りなると思ったら大間違いよ!」
「笑止―――言っておけ。我の誘いを断ったこと、後悔させてやる」
こうして、私と兄の貴志との殺し合いは始まった。
結果は明らかだった。力の差がありすぎた。
それでも、私は闘うしかなかった。私が守りたいものの為に。たとえ、差し違えても。
けれど―――それすらも叶わなかった。私の刃は貴志に届くことなく、私は、貴志の刃に倒れることになる。
それだけならば、まだ良かった。
だが、私は、私の命を落とすだけでなく、守りたい存在すらも助けられない現実を突きつけられることになる。
気づけば、倒れた私の目の前に、彼が―――一輝がいた。
彼は、貴志と対峙している。
このままでは彼は貴志に殺されてしまう。
どうして彼がここにるのか―――?
何故、彼がに死ななければならないのか―――?
何故、私には彼を守る力が無いのか―――何のための能力なのか―――?
自分の非力さを呪いながら、私の意識は暗闇へと落ちていった。
“ごめんなさい、一輝―――あなたを守れなくて―――”
目が覚めると、そこは病院のベッドの上だった。
「生き―――てる?」
私は自分が生きていたことに驚くと共に疑問に思った。
何故、私は生きているのか―――?
「よかった―――目を覚ましたんだね」
ベッドの横には間島が椅子に座って佇んでいた。
「あなた―――痛!」
起きあがろうとした瞬間、全身に痛みを感じた。私は全身の力を抜き、ベッドに倒れ込む。
「まだ、動かない方が良い。君は重傷だったからね。
まったく、驚いたよ―――君たちが病院に運ばれたって聞いた時は」
「私―――どうして?」
私の問いに間島は顔を左右に振った。
「それを訊きたいのこっちの方だよ。君たちは公園で倒れていたところを、巡回中だった警察官に発見されて、ここまで運ばれてきたんだ。
一体何があったんだい?」
「そう―――なの」
間島は真剣の面もちをしている。おそらく彼の言葉には嘘はないだろう。彼は本当に何も知らないのだ。
だが―――間島の言葉に私はすぐに大事なことに気づく。
「今―――なんて言った?君たち?」
「え?そうだよ?君ともう一人、男の子も倒れていたらしい。僕は顔も見てないから誰なのかは知らないけどね。覚えてるかい?」
その男の子というのは一輝だ―――。
「彼は―――その男の子はどうなった―――っ!」
私は勢い余って、体を起こそうとしたが、体を自由に動かすことがまだできず、またベッドに倒れ込む。
「わわ!落ち着いて!」
「ごめんなさい―――」
「大丈夫だよ。その男の子は気を失ってはいたらしいけど、軽傷らしい。
明日には退院できるって聞いてるよ」
その言葉に私は心底ほっとした。一輝は無事だったのだ。
「そう―――よかった」
だが―――疑問が再び蘇る。何故、私も一輝も無事なのか?あの状況ならば、どう考えても貴志によって殺されているはずだ。にもかかわらず、二人とも生きているのはどういうことなのか?
「とりあえず、先生を呼んでくるよ。あと、蔡蔵さんも呼んでくるけどいいかい?」
「―――お父様、戻ってきているの?」
私の驚きの問いに、彼はコクリと頷いた。
「つい今し方ね。どこで聞きつけてきたのか知らないが、君が病院に運ばれた事を知って戻ってきたみたいだ」
「その言い方だと、あなたが知らせたわけじゃないのね?」
「うん。僕の方からは連絡が取れない状態だったからね。
一体、どこで何をしていたのか―――」
「いいわ。あなたが詮索しても仕方ないことでしょ?
お父様も連れてきて頂戴」
「おっしゃるとおりに」
彼はあきれ顔でそう言い残して、病室から出ていった。
次に病室に入ってきたのは医師だった。
医師は一通りの診察をした後、問題はなかったのだろう、病室から出て行った。
そして、医師と入れ替わり立ち替わりで、お父様が入ってきた。
「おかえりなさい、お父様」
「―――ずいぶんと皮肉たっぷりな言い方だな?」
お父様は自嘲気味に唇を歪ませ苦笑した。
「それは当たり前のことではありませんか?自分のした事を考えればお分かりになるはずです」
「確かにな―――お前には迷惑をかけたな」
「迷惑―――ですか。たった、それだけですか?」
「どういう意味だ?」
「たいした意味はありません。それよりもどこに行かれていたのですか?」
「仕事だ―――どうしても外すことのできないな。お前が気にする必要はない」
「殺人鬼が貴志かどうかを確かめに行ったのではないのですか?」
「――――――」
その瞬間、お父様は顔を強ばらせ、言葉を失った。顔からは血の気が引いていき、顔色が真っ青になっていく。それほど、お父様にとって一ノ宮貴志の存在は触れられたくないものだったのだ。
「何故、今まで私に黙っていたのですか?」
「それが―――一ノ宮家にとって最善であると思ったからだ。ただ、それだけだ」
「そう―――ですか」
お父様の言葉が嘘か本当かは分からない。だが、この人は私に『本当の事』を言うつもりがない事は、私にも分かった。ならば、今はこの人の言葉をそのまま受け入れるしかない。
「貴志には会えましたか?」
「いや―――どうやら入れ違いだったようだ。
貴志が動き出す前に始末をつけるつもりだったのだがな。すまん」
「いえ―――お父様もご無事でなによりです。お父様がもし貴志に出会していれば、殺されていたでしょうから」
「―――それはどういう意味だ?」
私の言葉にお父様は、訝しげな顔した。それもそうだろう。一ノ宮家の当主がその子供に―――しかも、この十年間も監禁していた子供に負けるといったのだから。
「言ったとおりの意味です。貴志の力は予想以上でした。おそらくはお父様以上だと思います」
「馬鹿な―――いや、しかし―――」
お父様には心当たりあるのだろう。父すらも凌ぐ力を持ち得る可能性に。
貴志はもともと能力の才能に溢れていた。幼い頃から、能力に関して言えば、神童であったはずだ。それが、この十年の間に開花していても不思議ではない。一ノ宮家への復讐心によって。
「貴志に関しては、私がケジメをつけよう。お前は、これ以上、貴志には関わるな。その理由も話さずとも既に分かるだろう?」
「そうはいきません!貴志は、一輝を狙っている。なら、私は何が何でも彼を守ります!」
「カズキ?ああ、彼か?確かに彼は貴志に命を狙われていたな。
だが、それは一ノ宮家の存在があったからこそだ。
お前があの日、貴志の前に現れ、彼を助けたことで、貴志は彼を利用できると思ったのだろう。彼を囮に私を引きずり出そうとしたのだよ」
「―――そんな―――」
「事実、お前たちは殺されなかった。殺せたはずなのに殺さなかった。
おそらく、私が現れないことが分かったからだろう。
アイツの目的は私の命だったということだ」
初めから、私や一輝は眼中に入ってなかったということなのか?
だとしても、貴志はあの時、私や一輝を本当に殺そうとしていた。眼中にない存在だからこそ、気まぐれで殺さなかったことも考えられるが―――。
「だが、彼の存在は一ノ宮家には邪魔だな」
「え―――何を―――」
お父様の言葉に、一瞬、私の思考は停止する。
「彼はあまりにも非力すぎる。そんな人間が我々と関係を持てば、今回のように、そこからつけ込まれる可能性がある。彼にはこれ以上、我々と関わるのは止めてもらうしかないな」
「そ、そんな!だったら、なおのこと私たちが彼を守るべきじゃないですか!?」
「そうやって、また今回のように傷を負い、死に瀕するか?
今回は助かったが、次は確実に殺されるぞ。能力者狩りはそんな生易しいものではないことは知っているはずだ。能力者と対峙したことのあるお前ならばな」
「そ、それは―――」
「それに、彼の幸せを考えるならば、我々と関わらない方がいい。その方が平穏無事な生活がおくれるはずだ」
「―――」
私は言い返すことができなかった。
お父様が言っていることは正しい。
私は能力者で、能力者を狩る者。対して一輝は、ごく普通の人間で、能力者なんてもからは遠い存在で、本来それを知ることもなかったはずだ。そんな人間同士が一緒にいれば、どちらかに負担が強いられ、どちらかが傷つくことは明白だった。
“だけど―――たとえそうでも私は彼と―――”
「お前の気持ちも分からないわけではないがな―――だが、そうあるべきだ」
「で、でも―――」
反論しようとする私に、お父様は呆れ顔を見せた。
「――――――やれやれ、仕方ないな。少し動けるか?」
「え?は、はい。少しなら」
「まだ、不自由ではあるようだな。私が車椅子を押そう」
お父様は私はベッドから抱き上げ、車椅子に乗せると、車椅子を押して病室から出る。
「一体、どこに行くつもりですか?」
「お前に見せたいものがある。すぐに着く。
お前が運ばれたのが偶然、一ノ宮家お抱えの総合病院で助かった。そうでなれば、転院手続きが必要になったからな」
「ここは―――そういう場所だったんですね。では、ここに貴志も?」
「いや、貴志はこことは別の病院だ。人里離れた病院に隔離していた。
着いたぞ。ここだ。」
そこは一つの病室の扉の前だった。
「ここに一体何が?」
「入れば分かる」
お父様は、言いながら病室の扉を開ける。そして、車椅子を押して病室の中に入って行く。
その病室の中には――――――。
「そ、そんな―――うそ―――」
私の眼には、あり得ないものが映っていた。そのあまりにも現実離れした情景を見ていることに信じられなかった。
「嘘ではない。現実だ」
お父様の言葉に私は再度、その夢のような『現実』を認識する。
病室には一つのベッドが置かれていた。そのベッドに一人の女性が寝ている。まるで死んだように眠っている。けれど、しっかりと呼吸をしている。
「どうして―――彼女が―――」
「あの日からずっと眠り続けている。医者曰く、意識が戻る可能性は低いが、無いわけではないそうだ」
「でも、どうして―――」
「本来ならば、処理するところだが―――間島君がどうしても彼女を助けたいと言うのでね。今回は特別だ」
「間島が―――」
間島からはそんな事を聞いたことはない。私に黙っていたということか。
「お前に黙っていたのは、彼女がまだ助かるかどうか分からなかったからだろう。今は容体が安定しているが、いつ目覚ますかは分からんしな。もしかすると一生意識が戻ることはないかもしれん」
「そう―――ですか」
私に黙っていたのは間島の優しさなのだろう。彼は私に彼女が生きていることを伝えるだけでは意味がないと分かっていたのだ。彼女の意識が戻らず、こんな寝たきりの状態を私に見せても、私が罪の意識に苛まれるだけだと、彼は知っていたのだ。
「だが―――彼女が暴走した能力者であることは変わりがない。危険な存在だ。そんなものを残しておいては一ノ宮家にとっても危険な存在になりえる。」
「え―――」
「彼女が再び我々に牙を剥くこと考えて言っているのではない。彼女のような存在を一ノ宮家が匿っていることが外に漏れれば、問題にもなる。色々な存在につけ込まれる隙を与えることになる。
そうなる前に―――今ここで―――」
「ま、待って下さい!!」
お父様の言葉に私は焦った。この人は今、私の見ている前で彼女の息の根を止めようとしていたのだ。
「仕方ないことだ―――お前が真藤という、ただの人間を囲うならば、これ以上、一ノ宮家にとって不利になる存在を受け入れることはできない」
「―――そういうことですか」
お父様が言いたいことに私はやっと気づくことができた。
この人は選べと言っているのだ。彼女の命と一輝と過ごす時間のどちらかを選べと言っているのだ。
「彼と―――関わりを断てば、彼女はこのままでいられるのですね?」
私の問いに、お父様は何も言わず、静かに頷いた。
その答えに私の心は決まった。それは、彼も彼女も望んでいない答えかもしれないが。
私は―――一輝と決別することを選んだ。
「分かりました―――彼とは別れます」
「やっと分かってくれて嬉しいよ、怜奈。
いいだろう。今後、彼女の事に私は口出ししない。お前の好きにしなさい」
「ありがとう―――ございます」
納得などいっていない。感謝などしていない。だが、今はお父様の『温情』に感謝の言葉を述べるしかなかった。
「私は戻るが、お前はどうする?自分の病室に戻るか?」
「いえ―――私はもう少しここにいます」
私の答えを聞くと、お父様は何も言わず、病室から出ていった。
その直後、私は泣き崩れた―――自信がした愚かな契約、それへの後悔で。だが、私にはその選択肢しか用意されていなかったのだ。
“ごめんなさい―――一輝”
“そして―――おかえりなさい、ミコト”




