第12話「守護」
1月17日、夜十時少し前。
私はお爺様の家から出た後、隣町の皐月町に来ていた。そして、数日前と同じように路地裏を練り歩いていた。
だが、あの時のように、殺人鬼に出会えない。
そもそも、あの殺人鬼にとって活動する時間帯ではないのか、それとも今日はもう動き出すつもりはないのか。
私は、『風読み』に全神経を集中させ、少しでも不審な風が吹けば気づけるようにしている。つまりは、あの殺人鬼が能力を使い、風を発生させれば、すぐに分かるように集中しているのだ。ここまで、意識を集中させておけば、それなりの離れていたとしても、気づくことができる。
だが、今夜はまだ、不審な気配は一切感じられない。
私は皐月町での捜索を一時中断し、如月町方面へと戻ることにした。
あの殺人鬼は今まで皐月町で事件を起こしていたが、だからと言って、如月町に現れないと決まっているわけではない。
殺人鬼も既に一ノ宮が動き出していることは分かっているだろう。ならば、皐月町だけをテリトリーにする必要はもうないはずだ。それに範囲を広げた方が、私たちを撹乱できるだろう。
そう考えた私は如月町も捜索範囲に入れ、如月町に向かった。
その途中、昨日、真藤一輝と一緒に歩いた通りにさしかかった。
その時だった。一瞬だったが、『風』が吹いた。
「この風――」
今の風は自然に吹いたものではない。『風読み』に意識を集中させていた私にはそれがはっきりと分かった。
間違いなく能力で起こした『風』だ。
「そんなに遠くない。急げば、間に合うかも!」
私は風を感じ取った方へと走り出した。
走り出して間もなく、私は奇妙な感覚に襲われた。
私が向かっている方角に対して、これ以上先には行ってはいけないと、私の中の警戒心が囁いている。いや、何かがそう囁かさせている。
「これは――魔術結界!?」
私は驚くべき現象に気づいてしまった。
魔術――それは、能力を持たない人間が、狂気へと化した能力者に対抗すべく編み出した秘術。その秘術は、人間が様々な手段や道具を用いて起こす現象から超自然現象までを、呪や言霊、儀式によって発生させることができる。
今、私が感じ取った魔術結界とは、その魔術を用いて作られた結界である。今回の結界は、『人払い』の結界だ。結界に触れた人間の無意識下に、警戒心を埋め込み、結界内に入らせないようにする。そういう意図の結界だ。
能力者に対抗するための力であるため、能力者である私も魔術については、心得がある。そういった人間に対して、何の効果もない結界ではあるが、一般の人間はこの先には近づこうとさえ思うことはないだろう。
「でも、何故結界なんか――」
愚問だ。この先で他者に見られてはならない行為が行われているからだ。
だが、まさか、あの殺人鬼は魔術使いでもあるということなのか――。
私は魔術結界を気にすることなく突き進む。
そして、その先で、私は人影を発見した。
「――あれは!!」
その人影は吸い寄せられるように、路地に入っていく。
だが、あれは殺人鬼ではない。あれは――。
「――真藤!?」
一瞬だったが、路地に入っていく人間の横顔が見えた。あれは間違いなく、真藤一輝、その人物だった。
「どうして!?」
彼が何故こんな場所にいて、どうして路地へと入っていくのか、私は戸惑いながらも、彼の後を追った。
私が路地裏に入っていくと、路地の奥で二つの人影をみつけた。
一人は、地面にうずくまっている。後ろ姿だけだが、間違いなく彼だ。
その彼の目の前に、フードを被った、黒いロングコートを着込んだ人物が立っている。間違いなく、あの殺人鬼だ。
殺人鬼は、彼に近づき、右手を顔の位置まで上げ、今にも振り下ろそうとしている。
(いけない!!)
私は考えるよりもは早く、能力を解放し、風の刃を発生させた。
風の刃は、殺人鬼の脇を通り過ぎる。
「――」
殺人鬼はフードを被っているため表情は見て取れないが、驚いているようだった。そして、すぐに私の存在に気が付いた。
私は、殺人鬼を睨みつける。
――これは警告だ。次は外さない。――
私は初撃を当てるつもりなど毛頭なかった。なぜなら、この殺人鬼には色々と訊きたいこともあったため、殺してしまうわけにはいかない。そして、何よりも、彼の前で戦うことはできない。そんなことをすれば、私の力についてバレてしまうし、彼自身にも危険が及ぶ。
だから、初撃はわざと外し、警告のみにとどめた。その代わり、これ以上、凶行を続けようとするならば、二撃目は外さないと言わんばかりに睨み、狙いを定める。
「チッ――運のいい奴だ」
殺人鬼は苛立ちの声を上げると、振り上げた手をゆっくりと降ろした。
そして、こちらに向けていた視線を切って、うずくまる真藤一輝に視線を落とす。
「君――興味深い存在だね。また、会おう」
殺人鬼は彼にそう言い残し、私に背を向けて歩き出し、路地裏深くへと消えていった。
その直後、真藤一輝は地面に倒れ崩れ、意識を失った。
私は急いで彼に駆け寄り、容態を確認する。
外傷はない。意識を失っているだけだ。
現場はバラバラになった死体が散乱し、凄惨な状況だ。さらに、殺人鬼にまで命を狙われたのだから、意識を失うぐらい無理もないことだろう。
「でも――よかった――間に合って良かった」
私はほっと胸をなで下ろしていた。
他人のことで、こんなに一喜一憂している自分がいることに、驚きだったが、それが、私の彼への想いが何であるかを私に再認識させた。
私は警察が来るのを見計らって、彼を置いたまま、その場を去った。
家路に着くと、屋敷の門の前に、お父様が立っていた。
覚悟していた事だ。叱られることは馴れている。それよりも、私はお父様に殺人鬼の事を訊きたい。あの殺人鬼と一ノ宮との間に何があるのか。お父様は私に何を隠しているのかを。
「随分と遅い帰りだな?」
「ごめんなさい」
「私に任せろと言っておいたはずだが、忘れたか? それとも、そんなに私が信用ならんか?」
「――いえ、違います」
お父様は何もかも分かっていた。私が殺人鬼を捜索し、街へ繰り出していたこと。お父様に疑念を抱いていたことに。
「ならば、何故、今夜は独りで勝手な行動を取った? しかも、一般市民を助けるために、殺人鬼を取り逃がすとは――正気の沙汰か?」
「え――なぜ、それを?」
私は驚いた。私が殺人鬼に出会ったことだけでなく、彼を助けるために、殺人鬼を取り逃がした事をお父様は知っていたからだ。
いくらなんでも、情報が速すぎる。つい今し方のことにも関わらず、お父様は見てきたかのように――。
「まさか――つけていたのですか?」
「もしもの事も考え、尾行をつけさせておいた」
「な、何のためにそんなことを!?」
「最近のお前は様子がおかしかったからな――心此処にあらずと言ったところか。その理由も、尾行をつけておいたことで分かったがな」
「――」
その言葉の意味が、彼を指しているのだとすぐに気づいた。
だが、それが何だというのだ。私が誰と一緒にいようが、誰に想いを寄せていようが、お父様には関係ないはずだ。お父様の興味は、能力者の殺人鬼だけなのだから。
「お前が誰に好意を抱こうが構わん。それはお前の意志だ。それを止める権利は父親である私にもない。だが――それが、現状を悪化させているのであれば、話は別だ」
「私は別に現状を悪くしているつもりは――」
「取り逃がしておいてよく言う。お前は一ノ宮の次期当主である自覚が足りないな。
今後、お前は能力者狩りの任から外す!」
「そ、そんな――」
「だが――そんなお前にもできることはある」
「え――?」
「あの高校生――真藤一輝と言ったか? 彼について話がある」
「真藤君、の?」
私はお父様の含みのある言い方に対して、疑問に思いながらも、お父様の話を聞くことにした。
その話をする前に、私はお父様の書斎に通された。そこには間島もいた。
そして、お父様は殺人鬼をあぶり出すために、とんでもない計画を語り出した。
「そ、そんな!! 彼を囮に!?」
「そうだ。そうすれば、殺人鬼を簡単にあぶり出せる」
お父様は、淡々と話を進める。
「どうして、そんな事を言い切れるのですか!?」
「彼は一度、殺人鬼に殺されそうになっている。
だが。彼は生き残り、殺人鬼は彼を殺し損ねた。
殺人鬼にとっては、狙った獲物を逃したのは初めてのことだろう。
ならば、必ずまた彼を狙いに来るはずだ。」
「そ、そんな…」
お父様の言葉に愕然としながらも、私は殺人鬼の去り際の言葉を思い出していた。
『君――興味深い存在だね。また、会おう』
確かに、あの言葉はもう一度、彼の前に現れることを示唆している。
だが、私はお父様の反人道的な方法に賛成できなかった。何よりも、彼を囮にするなどできようはずがない。
私は間島からもお父様に思い直すように言ってもらうために、彼を見た。だが、彼は首を左右に振った。
「怜奈君、既に一刻を争う事態だ。僕もこの数日、殺人鬼の手掛かりを掴もうと捜査をしたけど、何一つ殺人鬼に繋がるものは見つからなかった。これ以上、被害が大きくなる前になんとかするしかないんだよ」
「――そんな、あなたまで」
「ごめんよ。けど、僕には決定権はない。あるのは――」
私は間島からお父様に視線を移した。
「怜奈。お前には彼を説得してもらう必要がある」
「お父様――何を言っても、無理ですか?」
「これは一ノ宮としての決定事項だ。お前には拒否する権利はない」
それは冷徹で非情な言葉だった。お父様は、能力者狩りのためなら、どんな手段も厭わない非情な人間になっていた。
「――わかりました。彼は私がうまく説得してみます。
けれど、約束してください。絶対に彼を死なせないと。
彼は能力者でも、一ノ宮の人間でもありません。一般市民です。彼が私たちのために死ぬ必要はないはずです」
「わかった。約束しよう」
お父様は私の要請に迷うことなく頷き、了承した。今はその言葉を信じるしかない。
私はやり切れない思いを抱えたまま、その日眠りについた。
次の日の朝、彼はいつものように私に挨拶をしてきた。
いつもなら、私は彼に挨拶を返していただろう。いや、こんなことになっていなければ、きっと挨拶を返した後、他の話もしたかもしれない。
けれど、この日、私は彼に囮の件をどう話して良いか、その事ばかり考えていて、彼にどう接していいか分からず、挨拶をすることなく、無視してしまった。
ひどく申し訳なく思った。嫌われてしまうのではないかと怖かった。それでも、今は彼と普通に話すことができなかった。
昼休み、私は意を決して、彼を学校の屋上に呼び出し、彼が置かれている状況と、それを打破するための方法――囮になってもらうことを――説明した。
彼は困惑しながらも、了承した。自身の命を繋ぐために。
そして、彼と話し合い、計画は翌日決行させることになった。
ごめんね――真藤君――。
ごめんね――命――。
翌日の夜、計画は実行に移された。
真藤一輝を囮にし、殺人鬼をあぶり出す。そして、彼の前に出てきた殺人鬼をお父様が処刑する。その運びになっていた。
念のため、彼には一ノ宮の精鋭部隊の護衛をつけることになった。これは保険のようなものだ。彼にもしものことがないようにするための。
だが、ここで、私や間島にとって思いもよらぬ事態が発生した。
この日、私は殺人鬼の処刑が終わるまで、自分の部屋で待機するように
お父様から命じられていた。
そこに間島が、青ざめた顔で私の部屋飛び込んできた。
「大変だ!怜奈君!!」
「ど、どうしたのよ?そんなに焦って!?」
「蔡蔵さんが――どこにもいない!!」
「――なんですって!!どういうことなの!?」
「わからない。どこにいるのか分からないんだ。
今、彼の護衛に当たっている精鋭部隊にも連絡を取ったんだが、彼らも、蔡蔵さんとの連絡が取れなくて慌てふためいてる」
「そ、そんな……」
私は愕然とした。まさか、こんな時にお父様が姿を消すなど誰が予想していただろうか。
此処のところ、お父様の様子がおかしいのは、私も間島も気づいていた。だが、まさか、この計画が実行されている最中にいなくなるとは。
一体、お父様に何があったというのか――。
「現状、指揮系統はないに等しい。このまま、もし彼が殺人鬼と出会しでもしたら――」
「――迷っている暇はないわね」
「え――」
私はすぐに外に出る支度を始めた。
「ちょ、れ、怜奈君!? 何をするつもりだい?」
「決まってるでしょ。彼を助けに行くの!彼は絶対に死なせない!」
「ダメだ! 君は部屋で大人しくしている約束だろ?」
「その約束をさせた本人が姿を消して、私との約束を破ろうとしてるんでしょ! だったら、私が約束を守る必要はないわ。そんなことより、すぐに精鋭部隊の指揮を私に移して。一刻の猶予もないわ」
「――仕方ない。分かった」
間島は精鋭部隊に連絡を取り、事情を説明し、指揮を私に移した。
そして、私は屋敷を飛び出し、彼の下に走り出した。
絶対に死なせない――あなただけは――。
命が好きになった、あなただけは――。
私に想いをよせてくれている、あなただけは――。
私はあなたに伝えたい想いがあるから――。
あなただけは、絶対に私が守る!!




