第11話「動揺」
1月15日、夜。
私とお父様、そして間島は、お父様の書斎で今回の事件に関して、協議していた。
私が殺人鬼と遭遇して数日が経っていた。
あれから、お父様は本格的に今回の事件に関して、動き出した。間島も本腰を入れて、捜査を始めた。殺人鬼は能力者、しかも、一ノ宮と同じ風の能力者だったのだ。動き出さない方がおかしい。
けれど、あれから殺人鬼は現れていない。
私もあの時、顔を見たわけではない。背格好程度しか分からなかった。その程度では、殺人鬼には辿り着けない。
もう一度、殺人鬼が現れるようなことがない限り、殺人鬼の存在には近づくことができないだろう。しかも、一ノ宮に関係した人間が殺人鬼と出会わない限り、その足取りを追うことさえ難しいだろう。もっとも、私やお父様以外では、出会ったら最後、殺されてしまうかもしれないが。
そんなことを、あれこれとお父様と間島は話し合っている。私もそこに混じってはいたが、発言することはなかった。
私には、それ以上に気になることがあった。
一つは、あの夜、お父様が見せた表情だ。あんなお父様を見たのは初めてだ。それほど、同じ能力をもった人間がいたことにショックを受けたのだろうか?確かに、同じ家系でもない人間が同じ能力を持つことは珍しいことだ。だが、あそこまで、ショックを受けるとは――。
そして、もう一つ――私には気がかりなことがある。
私が殺人鬼に出会った次の日、四人目の被害者が出たことが公表された次の日からの、私のクラスメイトのあの彼――真藤一輝の言動についてだ。
彼は、彼の友人である石塚海翔にそそのかされて、どうやら今回の事件について、何かを調べているようなのだ。
さらに、彼の知り合いに刑事がいるようで、そこから漏れたのか、非公開にされている事件についても知っていた。
それが、私の不安に拍車をかけた。
こんな事件に普通の高校生が関わって良いものではない。
実際に人が殺されているのだ。しかも、あの様子では、殺人鬼は人を殺すことに愉悦を感じている。
そんな事件に首を突っ込もうものなら、殺されてしまいかねない。
だが、彼らにはそういった良識がどうも欠けているようだった。
「怜奈君! 怜奈君!」
「え!?」
不意に間島に名前を呼ばれて、私は我に返った。
「どうしたんだい? さっきから、呼んでるのに、ぼーっとして」
「ご、ごめんなさい!」
私は間島とお父様に謝った。
まったく――こんな大事な話をしているときに、私は何を考えているのか。今はこの会議に集中しなければ。
「何か心配事かい?」
「え――」
相変わらず、勘のいい間島の問いに、私は焦った。
なぜ、この男はこれほど勘が良いのか。しかも、知られたくもない事ばかりに関して。正直、腹が立つ。
「なんでもないわ!それより話の続きを」
「そ、そうかい? ならいいんだけどね。
それで、その二人なんですが、どうも非公開になっている事件現場までに、足を踏み入れているようなんです。どう考えても、警察から情報が漏れているとしか思えません。
まぁ、情報漏洩はこの際どうでも良しとして、この高校生の二人に関しては、このまま放っておくと、今後の事件調査に支障が出てくるかもしれません。どのようしましょうか?」
私は間島の話を聞きながら、唖然としてしまった。その後は冷や汗が出てきた。
まさか、もう間島までに気づかれていようとは。しかも、私が気にしていた、今このタイミングで。
この男――まさか、最初から分かってた?
「その二人の素性は明らかになっているのか?」
お父様はそんな私に気づくことなく、話を進める。
「ええ。名前は真藤一輝と石塚海翔。
よりにもよって、怜奈君と同じ学校に通っていて、しかも同じクラスの男子生徒です」
間島は私を見ながら、悪戯っぽい笑みを見せながら、答える。
この男――やっぱり分かっててやってる。
「やれやれ、まさか、怜奈と同じクラスの人間とはな。怜奈――」
「は、はい!」
突然、お父様は私の方に向き、名前を呼んだ。私は、また意識が別の方向に向いていたため、声を上擦らせて返事をしてしまった。
「――お前に任務を与える」
「任務、ですか? 一体、どんな?」
「この二人を止めろ。これ以上、この事件に首を突っ込まさせるな」
「え――それが任務?」
「そうだ。手荒な事以外なら、どんな手段を用いてもいい」
私は呆然としていた。まさか、そんな子供のお使いのような仕事を任されることになろうとは。
そんな私を見て、間島は苦笑していた。
無論、そんな彼を睨み返したの言うまでもない。
翌日の未明。新たな被害者が出た。これで五人目。残念ながら、有力な目撃情報はなし。またも、殺人鬼の足取りは掴めないままだった。
私はその日、真藤一輝を屋上へと呼び出した。
屋上に来ると、辛い記憶が甦るため、あまり近づきたくなかったのだが、仕方ない。ここは、一般生徒が来ることは滅多にない場所だ。今からする話には打ってつけだろう。
私は彼にそれとなく、事件について忠告をした。
これは推理ゲームではないのだ。遊びではない。殺人事件なのだ。それも能力者絡みとなると、普通の高校生が関わっていいものではないし、首を突っ込まれるだけ迷惑というものだ。
彼は、私の予想に反し、忠告を素直に聞き入れてくれた。
いや、この時はそう思えた。
だが、問題はその後だった。
なんと彼は私をデートに誘ってきたのだ。
一瞬、何を考えているのかと思ったが、その誘い方がなんともぎこちなく、シドロモドロで、私は不覚にも声に出して笑ってしまった。
でも――こんな風に笑ったのはいつぐらいだろか? 命がいなくなってから、私は笑うということを忘れてしまっていたように思える。
それをいとも簡単に彼は――。
だからなのだろうか。その誘いを私は受けてしまった。
だが、すぐに私は後悔することになる。
なぜなら、彼は命が好きになった人だからだ。そんな人と二人っきりのデートなど、彼女に対しての裏切り行為だ。たとえ。彼女がもうこの世にいなくとも。
そして、さらに私に後悔させる出来事がデート中に起こってしまった。
デートの帰り道、二人で並んで歩いていると、ひったくり犯のバイクが私たち目掛けて突っ込んできた。
私だけなら避けきれる。だが、彼には――。
そんな一瞬の迷いの間に彼は即断していた。私を突き飛ばし、バイクの軌道上から外した。だが、彼にはバイクを避ける反射神経など持ち合わせてなどいない。
なんて、愚かな行為。他者を助け、自身が犠牲なることなどあってはならない。そんなもの偽善だ。
こんなことで、あなたを死なせては――命がうかばれないではないか。
気づいた時、私は強風を発生させていた。彼の目の前で、多くの人前で。
こんな事、あってはならいない事だ。いくら人を助けるためだとはいえ、一般人の前で能力を解放してしまうなど。
私は自分の愚かな行為を恥じた。だが、幸い、誰も私の能力に気づく者はいなかった。彼は助かり、警察に根掘り葉掘り聞かれたが、その時の状況のみで、強風について疑問に思う者はいなかった。
私はその後、彼と別れ、独り帰路に着こうとしていた。
「私――なんであんなこと――」
疑問を独り言で呟く。
なぜ、あんな人目を憚らず、能力を解放してしまったのか――。
彼がバイクにはねられそうになった時、私は無意識に風を発生させていた。
目の前で彼がバイクにはねられそうになるのを見て、真っ先に頭の中に浮かんだのが命のことだった。彼女が好きになった人を助けずにはいらねなかった。
でも――本当にそれだけ?
私は、彼が助かったのを確認した時、自分の中の感情の揺れを認識していた。私は――彼が助かって、本当に安堵し、嬉しかったのだ。
「なんで――なんで、こんな気持ちになるのよ? 私にとって彼はどうでもいいはずなのに――」
そう――あの時から何も変わらない。彼への想いなど何一つ。それなのに――。
私は今日の出来事で、お父様に託された任務の事など、既に頭になかった。それが、間違いだった。
真藤一輝は私の忠告などお構いなしに、『危険』に足を踏み入れてしまう人間だったのだ。
だから――忠告など意味はなかったのだ。
次の日の朝、家を出た私は、足が学校に向かわなかった。
昨日の事がまだ鮮明に思い出される。今、彼と顔を合わせても、どんな顔をしていいか分からなかった。もしかすると、自分の感情を制御できず、彼に色々と打ち明けてしまうかもれない。そんな風に思えて、怖くなってしまったのだ。
家を出た私は、行く宛てもなくぶらぶらと歩いているつもりが、気づいた時にはお爺様の家の前に来ていた。
私はお爺様の家の前でぼーっと佇んでいると、家の玄関が開き、お爺様が出てきた。
「よく来たねぇ。久しぶりじゃないかい?」
「そ、そうですね。ご無沙汰してます」
相変わらず、私が来ると本当に分かるのか、私が訪ねる前に家の外に出てきて、私を家の中に招き入れる。
「それで、今日はどうしたんだい? 今日は学校が休みの日ではないはずだが…」
「そ、それは――」
私は話しづらかった。能力者絡みならまだしも、今回は私的なことだ。それをお爺様に相談してもいいのだろうか?
「何か、悩み事だねぇ、その顔は」
「――本当になんでもお分かりになるんですね?」
お爺様は私の問いに黙ったまま微笑む。
その微笑みに、私は安心した。
こんな事、そもそも話せる相手など、お爺様以外にはいないのだ。力になって貰えるかどうかは分からないが、うじうじと独りで悩んでも仕方ない。話してしまおう。
私は意を決して、話し始めた。真藤一輝とういう存在について。一年生の頃から今までの事について。そして、昨日私がとってしまった行動について。
話し終えると、お爺様は微笑んだままだった。いや、先程よりも目を細め、何やら嬉しそうに見える。
「お爺様?」
「ああ、すまない。つい、嬉しくてね」
「嬉しい?」
「うむ。怜奈が人として生きていることにね。
あれから、心配していたのだよ。友人を失ったと聞いたときからね。
それでも、どうやら怜奈の周りには怜奈を救ってくれる人がいたんだねぇ」
「私を救ってくれる人?彼がですか?何から?」
「孤独から。哀しみから。その他色々なものから。人の世は常に辛いものが付きまとってくるからね。
けれど、それと同じぐらい幸せなことも、この世の中には溢れている。ただ、それは独りでは得られないものばかりでね。人と人との繋がりの中で得られるものなんだよ。
だからこそ、怜奈が友人を失ったと聞いた時、心配になったのだよ。友人を失う辛さに堪えきれず、人と人との繋がりを絶ってしまうのではないかとね。それでは、幸福をすべて取りこぼしてしまう。
けれど、その心配の必要はなかったね。その彼は、どうやら怜奈から孤独を奪い、人としての心を与えているようだ」
「彼が…私に与えている?」
私にはどうも理解しがたい話だった。彼から与えられた事などないように思えるし、その自覚は一切ない。
それでも――と振り返る。これまでの事を。
彼と私が知り合ってから、彼は毎朝のように私に挨拶をしてきた。飽きることなく。それを私はどう思っていた?
昨日、デートに誘われて、私はどうして受けたのだろうか?そんなこと一度もなかったのに。
毎朝挨拶をされて、デートに誘われて、私は――嬉しかった?
ああ――なんだ、そういうことか。
ごめん、命――どうやら私――。
私は自分の気持ちに気づいてしまった。
私は――彼に好意を抱いてしまっていたのだ。
しかも、命への負い目を感じてさえいてもなお、彼への好意の方が、自分の心を占めていた。
私はその事に気づいた瞬間、顔をが熱くなるのを感じた。きっと、それに違わず、顔も真っ赤になっているだろう。
それをお爺様は嬉しそうに眺めている。
「どうだい? 悩みは解決できたかい?」
私は俯き、コクリと頷いた。
「そうか。それはよかった。確かに怜奈は能力者ではあるが、人間であることに違いはない。いつか時が来たら、彼にも打ち明けるといい。きっと彼は受け入れてくれるだろう」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だよ。私も、お父さんもそうやって、人と共に生きてきたからこそ、今の怜奈がいるんだから」
「――はい、わかりました」
お爺様の言葉には不思議と説得力があった。いつも私に勇気と希望を与えてくれる。私はお爺様の言葉に素直に頷いた。
「ただ――ちょっと気になるねぇ」
「え? 何がですか?」
私は顔を上げ、聞き返した時、お爺様の深刻な顔がそこにあった。
「その彼が今回の事件について調べていることだよ。一ノ宮が動き出したと言うことは能力者なのであろう? 事件についての概要は知っているからね。能力者ならば、それなりに危険な能力だろう。そんな事件に関わっていては、普通の人間では、命が幾つあっても足らない」
「え、ええ。それは私も思っていることです。
なので、昨日、それとなく忠告しておきました。おそらく、大丈夫だと思います」
「そうか、ならいいのだけどね。
そうそう、それで今回の能力者はどんな能力を保有しているんだい? 事件の概要だけだと、とても危険な能力ではないかと思うのだが」
「あ、ああ――そうでした。まだ、お爺様にはお話していませんでしたね。私たちと同じ、風の能力です」
「な――に?」
瞬間、お爺様の顔色が変わった。
その表情は、あの夜、私が同じ事をお父様に話した時のお父様の顔とそっくりだった。何かに恐怖し、怯えているような。
「お、お爺様?」
「いや――だが、まさか――」
私の声など聞こえていないかのように、お爺様はブツブツと呟く。
「お爺様! どうされたんですか?」
「――怜奈よ。今回の事件、その彼もそうだが、お前も関わらない方がいい」
「何か、心当たりがおありなんですね? お父様もそう言って、今回の事件から私を遠ざけようとします。一体、何を知っているのですか!?」
だが、お爺様は答えようとしない。堅く、口を閉ざし厳しい顔つきをした。そんなお爺様の表情を見たのも初めてのことだった。
「いいかい? 今回の事件は怜奈が思っている以上に危険な可能性がある。蔡蔵に任せて、怜奈は今まで通りに過ごしなさい」
結局、それきり、お爺様は事件について口を閉ざしてしまった。
私はお父様とお爺様の態度に一抹の不安を覚え、あることを決断した。
それは、今回の事件を私なりに調査することだ。
そして、お父様とお爺様が隠していることを、突き止めなればならない。それは、きっと私に関係があることのはずだから。
だが、それにはまず、あの殺人鬼ともう一度出会う必要がある。
私はその夜、隣町に再び繰り出した。
そして、それが運命の始まりだった。




