第7話「吸血姫」
文化祭当日。
いつもと少し違う朝。少し賑やかで、クラスの人間の表情からは緊張、高揚が読み取れる。
けれど、私にとって文化祭などどうでもよかった。私にとってはその朝がいつもと大きく違う意味を持っていたから。
私は紅坂命の監視任務に就いてからというもの、命が学校に着く前に教室にいるようにしていた。彼女が通学している間は他の者に見張らせ、彼女が学校に着くと、見張り役から連絡をもらうというようにしていたのだ。
けれど、今日の朝はそれがない。
彼女が家を出たとの報告はもらっていたが、それ以降の連絡が一切ない。
もちろん、彼女は教室にいない。
「どうなってるの……?」
任務に就いてからこんな事は初めてだ。
一ノ宮の精鋭が任務を怠る事はまずない。何より、彼女が家を出たとの報告を受けているのだ。何かあったと考えた方が正しい。
携帯を使って、見張り役と連絡を取ろうとしたが繋がらなかった。何かがおかしい。
私は教室の窓際に立ち、外の様子を窺う。教室は学校の2階に位置していたため、学校の塀の外まで窺い知れた。
「――」
塀の外に目をやった瞬間、自分の愚かさ加減に気づくと共に目眩がした。
塀の外、そこに見えた物は黒い車。それは一ノ宮家が使役する暗殺処理班と呼ばれる精鋭達が好んで使う車だ。
『うむ。近いうちに処理班を向かわせるかもしれん』
お父様の昨日の言葉が蘇る。
「うそ……」
そんなはずない。
私は心の中でそう反芻する。
処理班がこの学校に来る理由は一つしかない。それは紅坂命の処刑。
だが、お父様の言っていた『近いうち』とは、彼女の能力によって甚大なる被害が出た場合の事だ。死人、あるいはそれに近い重症人が出た場合の事。
私は状況が分からないなりに、事態が急転していることは確かなことと理解し、いてもたっても居られなくなった。
私は教室を出ようと駆け出す。そんな時だった。私の携帯電話が鳴り始めたのだ。
見張り役からだと思い、急いで携帯を取り出すと、着信画面には見知らぬ番号が表示されていた。
「こんな時に!」
見知らぬ相手の応対をしている場合ではない。着信拒否。しようとしたが、このタイミングで掛かってきた電話がこの状況に無関係とは思えなかった。何か、命に関わることかもしれない。
私は意を決して電話に出た。
「はい、もしもし?」
『――よかった! 繋がった!!』
携帯の向こうからは切迫した男の声が聞こえてくる。聞き覚えのある声だ。
「誰?」
『僕だ。間島だよ。昨日お屋敷で会った』
「ああ、貴方ね」
聞き覚えがあるはずだ。電話の声の主は昨日お父様から紹介された一ノ宮専属探偵、間島新一なのだから。
けど、なぜ彼が?
私は昨日彼に携帯番号を教えた記憶はない。まあ、お父様から聞いていたのかもしれないが。
それに、彼の声は鬼気迫るほど切迫している。まるで、とても急いでいるかのようだ。今の状況と関係があるのか……。
「何? どうかしたの?」
『急いで学校から離れるんだ!』
「え? どういうこと?」
『事情は後で話すから。今は一秒でも早く学校を出て欲しい!』
『とにかく急いで離れろ』と、その有無を言わさぬ勢いが、私の疑念を確信へと変えていった。
「命に……紅坂命に何かあったのね? そうなんでしょう!?」
『っ!』
間島のその反応だけで、彼が今の状況について、紅坂命について、何か知っていることを私は確信した。
「話して! 命に何があったの!?」
ボロが出た。電話とは言え、彼の前で私は任務対象者である紅坂命のことを、『ミコト』と名前で叫んでしまった。
間島はそれを聞き逃すことなかった。
『ミコトって。キミは彼女のことを……。そうか、そういうことか』
間島は、全てを理解し納得したようだった。
『けど……だったらなおさらだ。キミはその場から離れるべきだ。頼む。言うことを聞いて欲しい』
それは、これから起こる事への配慮なのか。それとも私に手出しされては困ることでもあるのか。
「もう、遅いわよ! 学校の前に処理班の車があるのを見たもの! あれを見て、何も知らないままこの場を離れるなんてできない!!」
『――もう、着いていたのか』
彼は深い吐息を漏らす。その溜息からは諦めと苛立ちの感情が籠もっているように思えた。
そして、少し間を置いた後、彼は口を開いた。
『分かった。話そう。だが、時間が惜しい。手短に話すから落ち着いてよく聞いて欲しい』
「ええ、お願いするわ」
『昨夜、如月町のある邸宅で殺人事件が起きた。もっとも、それが発覚したのが今朝方の事だが』
「前置きはいいわ。その殺人事件が起きた家は? 命と関係あるの?」
『大ありだよ。その邸宅こそ、彼女の、紅坂命の家だ』
「――え?」
一瞬、聞き間違いではないかと思った。
電話先の間島は今何と言った?
彼は『昨夜』紅坂邸で殺人事件が起きたと言った。それはどういう事を意味するのか?
殺人事件の発覚は今朝。そして、その紅坂邸の住人である紅坂命は、今朝、その邸宅を出ている。それは見張り役から連絡を受けている。
では、誰が殺され、誰が殺したのか?
『被害者は二人。紅坂邸に住む夫婦、紅坂徹と紅坂咲妃。紅坂命の両親だ。居間で殺害されていた』
「――」
そして、その家――居間に両親の遺体がある家――から、今朝、命は平然と出てきた?
つまり……。
巡る思考。数学の問題のように弾き出される答え。そこに辿り着いた時、電話口の彼は平然と言い切った。
「犯人は紅坂命だ」
「ど、どうしてそんなことが言い切れるのよ!」
『彼女は今朝、いつも通りの時間に家を出ている。自分の家の居間に両親の死体があるのにも関わらず、警察にも連絡しないで』
それはいま、私の脳裏に過ぎったものと同じ解答。
けれど、認めるわけにいかない。
それだけで、彼女が人を、しかも両親を殺したなんて信じられるわけがない。
彼女が、人殺しなんてできるわけがない!
「だからって、まだ彼女がやったとは限らないでしょ!?」
『それだけなら、ね』
「どういう意味? 勿体ぶらず、はっきり言って!」
『……遺体の状況が全てを物語っていたよ』
「え?」
『まるで、全身の血を抜き取られたかのように干からびて、ミイラのようになっていた』
「そ、それは――」
そんな殺し方、聞いたことがない。間違いなく、普通の人間の仕業ではない。
つまり、紅坂命の両親を殺した犯人は能力者であるということだ。しかも、血を抜き取る能力。
事実と命を信じたい思いが相反して、胸が締め付けられる。
そんな私に、間島は現実を私に突きつけた。
『彼女の――紅坂命の吸血能力によるものだ』
「そん、な……だって、彼女は実際に血を吸ったりはしない! 人から溢れ出した生命エネルギーを吸っているだけで――」
反論しかけて、昨日見た光景が脳裏に過ぎる。
彼女の異常な姿。真っ白な髪が伸縮自在に蠢く光景。
あの髪は、まるで意志を持つかのように動き、寝ている男子生徒に狙いを定めていた。
あの後、男子生徒が目を覚まし、彼女の髪は元に戻った。
もしあの時、男子生徒が目を覚まさなかったら。どうなっていたのか?
他の生徒と同じように貧血で倒れることになったのか? それとも――。
『あれは彼女の能力の一片でしかない。吸血能力は読んで字の如く、血を吸う力だ。吸った血を自身の生命力に変える力だ』
「――」
間島の言葉が私の思考を代弁しているようだった。そうなのだ。ここ数日で倒れた生徒は、彼女に血を吸われたため。おそらくは、昨日の男子生徒のように寝ている間にそれと気づかないうちに。
「でも、だからって人殺しなんて……」
それでも、私は納得できない。いや、納得してはいけない。私だけは彼女を信じてあげなくてはいけない。
『キミには言いづらいことだが、彼女の犯行はそれだけじゃない』
「――え?」
「見張り役の一ノ宮の従者。彼は彼女が家を出た後、いつものように学校まで尾行していた。だが、その途中で彼女に襲われたらしい。両親同様、干からびていたよ。しかも、その犯行を目撃した一般市民もいた。幸いにも怪我一つなかったが、その人は酷く錯乱していてね。でも、なんとか話を聞くことができたよ。女子生徒の髪が男の首に巻き付いてたってね。そうこうしているうちに、男がどんどんミイラのようになっていった、と。そんな話だった」
決定的だった。もう、言い逃れなどできないほど決定的証拠だ。
現実を受け止めなければいけない。紅坂命は自身の能力で人を殺したのだ。しかも、既に三人も。
見張り役が殺された事で、一ノ宮は事態の異常性に気づき、紅坂邸に上がり込む。すると、紅坂夫妻の死体を発見。既に三人の被害者が出ていることと、両親の死体と一夜を共にした紅坂命の異常性を鑑みて、彼女を処理すると判断が下された。一ノ宮家現当主、一ノ宮蔡蔵によって。
それが今に至る、事の顛末だった。
「お父様はどうしているの?」
『蔡蔵さんは、現在はこの町にいない。別件で遠くに出ているから、すぐには戻られない。だから、今回は処理班だけだ』
「そう。……いま、彼女はどこに?」
間島は私の質問に躊躇うように息を吞んだが、答えてくれた。
『学校のどかにいるはずだ。すでに処理班が到着していることも考えて、処刑が実行に移されているはずだよ。だから早くキミは――』
私は彼の言葉を最後まで聞かず、携帯の電源を切った。
何か考えがあったわけではない。けれど、私は駆け出していた。紅坂命の姿を求めて。
私は一体何を考えているのだろう?
私は彼女を探してどうしたいのだろうか?
彼女は既に人を殺してしまっている。
その彼女に会って、私はどうしたいのだろうか?
『一度暴走し始めた能力者はもう止まらぬし、戻ることもない』
昨日のお父様の言葉が脳裏に甦る。
もう、彼女は血に狂った殺人鬼となってしまった。
それでも、私は彼女と話したい。
それでも、私は彼女を信じたい。
『能力者も人間だ。話せば言葉は通じるし、想いも通じるだろう。私は今でも信じている。殺すこと以外で彼らを止める手だてがあると』
お爺様が示してくれた道が、希望の道だと信じたい。彼女が元の優しい、笑顔がよく似合う女性に戻ってくれると信じたいのだ。
だから、私は命に会って話したい。そして、私の手で彼女を止める。殺すこと以外で止めてみせる。
その決意を胸に私は彼女を探した。
どこにいるのかは検討もつかない。分かっているのは、校内にいるということだけ。
それでも、私は直感していた。彼女がいるとしたら、あそこだ。いや、私にはあの場所以外に思いつかなかった。
私は屋上に通じる階段を駆け上り、屋上に出るドアを開けた。
「――」
ドアを開け広げた瞬間、目に飛び込んできたのは凄惨な光景だった。
命がいる。屋上の中央に、私に背を向けて立っている。
けれど、状況は最悪だった。
屋上にいるのは命だけじゃない。そして、命が私の知っている命の姿ではない。
命の髪は昨日と同じように伸縮自在に蠢いていた。けれど、昨日と違って白髪ではない。彼女の髪は紅かった。それはまるで、血に染まったような色だ。
紅い髪は宙をゆらゆらと漂っている。だが、その一部は纏まって束になり、紅い帯のようになっていた。それが、黒服の男の首に巻き付いている。
男の足は地に着いていない。髪に首を締められ、吊り上げられている。
男は既に意識はなく、眼は白眼を剥いて、口から泡を吹いてビクビクと体を痙攣させていた。
命の周りには、今にも死にそうになっている男と同様の姿をした四人の黒服の男たちが既に倒れていた。
見ただけで分かる。生きてはいない。なぜなら、ミイラのように干からびていたから。
私が状況判断を行っている内に事態はさらに悪い方向に進展する。
宙を漂っていた髪が、男に巻き付いている髪と同じように纏まり、帯のようになる。
その髪が意志を持ったかのように動き出し、先が吊り上げられている男の胸へと近づいていく。
髪はは男の胸に触れるか触れないかのところで止まった。
しかし、止まったと思った瞬間、髪の先端は瞬時にして形状を変えた。まるで鋭利な刃物ような形に。
そして、男の胸に帯の先を押し込もうと動く。
「ま――」
私が「待て」と叫ぶ前に、髪の刃は男の胸にと押し込まれた。
男は突き刺された瞬間、呻き声を漏らし、小刻みに痙攣させていた体は動かなくなった。
そして、男はまるで体の中のあらゆる水分が抜き取れていくかのように干からびていき、ミイラとなった。
――観た。男に突き刺された髪はまるで血管でも通っているかのように脈動していた。そう、それは正に男の血液を吸っている様だった。
「ぅ――」
吐き気がする。吐きそうになるのぐっと我慢する。
冷静に状況を見ているようで、頭の中はぐちゃぐちゃだ。それも当たり前か。私の見ている前で人が殺され、辺りには死体が転がっているのだ。
私はこの時初めて死体を見た。これまで、任務をこなしたことがないのだから当たり前だけど。
けれど、初めて見た死体は人間らしい死に方をした死体ではなかった。だからこそ、今見ている光景がより衝撃的で、耐え難いものに感じる。
それでも、私は命の姿を直視した。今は視線切って良いときではない。
紅い髪の束はミイラと化した男の首からスルリと外れ、また宙を漂い始める。
男はその場にバタリと倒れ伏した。
命はそれを確認すると、クルリとこちらに振り向いた。
その眼は虚ろでどこを見ているのか分からない。
そして――その口元は笑っていた。昨日、この屋上で見せた妖艶な微笑み以上に悍ましいものだった。
「やあ、おはよう。怜奈。やっと来てくれたんだね? 遅いよ。待ちくたびれちゃった」
「――」
命は何事も無かったように挨拶してくる。だが、その声には感情が籠もっていない。
「なぁに? どうしたの? 私の顔をじっと見て」
「……」
私は応えない。いや、応えることができなかった。
声に出すことができない。私は目の前で起きたことをまだ信じられないでいた。
「あれ? よく見ると顔色悪いね? どこか体調でも悪いの?」
命は心配そうな声で私の体調を気遣う。けれど、その顔からは笑みは消えておらず、気遣いそのものもわざとらしい。
「もしかして――死体を、人が殺されるところを見たの、初めて?」
「――」
命は確信に触れた。
命の質問に、口に出した言葉に、私は愕然とした。
彼女の口から『死体』や『人が殺される』なんて言葉が出てくるなんて、彼女を知る者なら信じられないこと、だ。
でも、それは『いままで』の話だ。
彼女が人を殺した現在、その言葉を口にすることは何ら不思議なことではない。
だから、その言葉で私は起こった事の事実をやっと受け入れることができた。
受け入れた瞬間、何故このような事態になったのか? と疑問が湧いてくる。昨日までの命なら、人殺しなんてするとは到底思えない。それなのどうして、こんなことになったのか――。
「命……」
「なぁに?」
妖艶な微笑みは消えていない。その顔を見ると酷く悲しくなる。と同時に悪寒がした。それが人としての笑みからかけ離れていたから。けれど、私は続けた。
「なんでこんな事……ううん、なんでご両親を殺したの?」
そう、事の発端はそこだ。
「――」
命は私が質問すると不思議そうに首を傾げ、口元に手を当てた。それは、命が考え事する時の癖だった。それだけは、いつもの命と何ら変わりがなかった。
少し考える仕草をした後、命はまた微笑んだ。
「なんでだろう? よくわかんない。気づいたら殺しちゃってた」
「え――」
命は無邪気に言い放った。
人を、しかも自分の両親を殺した理由が自分でも分からないと笑いながら言い放ったのだ。
「ふざけないで! あなたは人を、両親を殺したのよ!? 理由が無いわけないでしょう!」
そうだ、理由があるはずだ。
その理由がなければ、それは単に殺人を愉しむだけの殺人鬼に成り下がってしまう。命に限ってそんなことはあり得ない。
「ふ~ん、理由が必要なんだ? どんな理由が必要? 怜奈が納得する理由って、なに?」
「そ、それは……」
どんな理由があれば良いのだろう?
人が人を殺す理由なんてものを知ってどうなると言うのか?
私は命がただ単に殺人を愉しむような殺人鬼ではないと思いたいだけではないのか。
「そんなに必要なら……そうね。憎かったから。なんてどうかな? それで納得いく?」
「憎かった?」
「ええ、昨日も言ったでしょ? 私は親にも監視されてたって」
「だから殺したの?」
私が訊き返すと、命は少し考えこんで「そうだよ」と微笑んだ。
確かに、命の両親に対する想いは複雑なものだっただろう。
彼女は幼い頃から能力者というだけで、親からも監視の眼に向けられいた。それを親の愛情だと誤解していた。そうでないと気づいた時には、そこにどれほどの増悪が渦巻いたことか。
それは同情に足り得ることだと思えた。少なくとも、彼女が両親を殺す理由には事足りている、だろうか。
「どう? 納得言った?」
「ええ」
「そう。それで? 理由知ってどうするの?」
「……あなたをお父様の前に連れて行くわ」
「へ?」
命は私の言葉を聞くと素っ頓狂な声を出して、目を丸くする。
「あなたは両親を殺す動機があった。もちろん、そこで死んでる彼らは言うに及ばず。あなたを殺そうとしたのだから。それは正当防衛だわ。なら、あなたが能力者として暴走しているわけではないことをお父様に説明して――」
「許しを請う?」
私が最後まで言い終わる前に、命はその台詞を奪った。
「え、ええ、そうよ。あなたは処刑されるような存在ではないもの」
そう――能力を暴走させているわけではない。殺意はあるが、それでも『憎しみ』による殺人は人間らしい最もな理由だ。
けれど、命は私の言葉を聞くと、クツクツと笑い出した。
「アハハハハハ……!」
その笑いは次第に大きくなり、彼女は腹を抱える。
「何が……何が可笑しいのよ!?」
「な、なにって……決まってるじゃない! あなたのマヌケっぷりよ!」
「な――」
私が言っていることがマヌケ?
何故、そんな事言うの?
私は命が殺人を犯したのはそこに理由があるからだと思っているだけなのに。
「怜奈は私が本当に憎かったから両親を殺したと思っているの? この人達の事も私を殺しそうしたから、抵抗するしかなかったって思ってるの?」
それが間違いだと言いたげな命。
それが間違いだと思えない私。
「バッカじゃないの? そんな訳ないじゃない! 私は単に血が欲しかっただけ。元気で活きのいい人間の血が吸いたかっただけよ!」
「そん、な……!」
絶句した。命の言葉を聞いた瞬間に言葉も思考も失った。
どうやって彼女を説得しようかとか、どうやってお父様に許しをもらおうとか、そんな意味のない思考が綺麗さっぱり消え去ってしまった。
「アレってすごいのよ? 血を吸い出して、自分の中に取り込むのってとっても気持ち良いの! 口から吸うわけじゃないから味はしないけど」
命は意気揚々と自身の能力で人を殺す時の、能力で人の血を吸い出す時の感覚を語る。
その話をしている時の命の顔は、先ほどまでの妖艶な微笑みや、腹を抱えて笑っていた時の顔など比でなく禍々しかった。口元を吊り上げ、なんとも形容し難い歪な笑み。その笑みが歓喜なのだと、知るのは容易だった。
「それだけじゃないわ。取り込んだ血が自分の体に馴染んで、そこから生気が漲る感じ、あの高揚感がたまらないの! きっと怜奈もアレを味わえば虜になるわよ?」
「やめて!」
「――」
「そんな話、そんな言葉を命から聞きたくない! どうしたのよ? ねぇ、どうしてそんな風になっちゃったの!? 戻ってよ。いつもの命に戻ってよ! 優しくて、お節介で、嘘をつくのが下手な命に戻って! ……お願いだから……戻ってよ」
消え入りそうな懇願。それは、心から願い、私の想いを伝えるための叫びだった。
その叫びが命から笑みを消した。その表情は一瞬だったけれども。
どこか遠くを見ているような、遠い昔を懐かしむような。けれども、もうそこには戻れないのだと悲しんでいるような。そんな表情、だった。
「……命?」
一瞬の表情だった。それを私は見逃さなかった。
けれど、彼女はすぐに再び歪な笑みを取り戻した。
「ウルサイナァ!!」
「――」
いや、先ほどの笑みとは違う。そこには『憎悪』や『怒り』が潜んでいる。そんな禍々しく醜い笑みだ。
「怜奈はやっぱり分かってくれないのね? ワタシのことなんて理解しようとさえしない!」
「違う! 私は……!」
「チガワナイ! もういいわ! 話してもムダね。アナタもこの人達と同じようにしてあげる。アナタも特別な力を持ってるんでしょ? タノシミだなぁ。そんな人間の血を吸ったらどうなるんだろう? きっとモット気持ち良くなれるよね?」
「そんな!? 待って、命! 話を聞いて!」
「もう話し合うことなんてないって言ってるのよ、おバカさん!」
命が私の言葉を遮るのと同時に、先ほどまで男に突き刺さっていた、先端を刃に変えた紅い髪がゆらゆらと動き出す。
「バイバイ、怜奈」
「!!」
刃は真っ直ぐ私の心臓を目掛けて、凄まじいスピードで飛んできた。




