第6話「殺人理由」
私は家に戻ると、お父様に今日あった事を報告した。ただし、紅坂命に監視がバレていたことは黙っておいた。
もし、ここで私が全てをお父様に言ってしまえば、私は監視の任から外されてしまう。只でさえ、能力者としての任務に就かせてもらえないのに、ここで失敗が露見しようものなら、この先何もさせてもらえなくなる可能性がある。
そして、何よりも命の事は私自身でケジメをつけたいと思っていた。
「そうか……やはり、暴走し始めているか」
お父様は溜息を吐きながら、その言葉を口にした。
「……はい」
「うむ。近いうちに処理班を向かわせるかもしれん。もちろん、これ以上の被害が出た場合だが、な」
「処理班!? そんな!」
処理班。それは暴走した能力者を処刑する暗殺集団のことだ。本来、能力者狩りは一ノ宮当主が行うものであるが、能力として力が低い能力者を狩る時は、この処理班が行う。
「これは仕方ないことなのだよ、怜奈。それはお前も分かっているだろう? 一度暴走し始めた能力者はもう止まらぬし、戻ることもない」
「それは……なら、私が……!」
私がやります。そう言おうとした。けれど、その発言遮られた。
「お前の任務は監視だ! 余計な事をするな!!」
それは意見や反論を許さない勢いだった
。
お父様がここまで怒ることは稀だ。けれど、こっちもこのまま引き下がる事なんてできない。
「どうして……なぜっ! 何故、私はこの歳になるまで任務を任せてもらえなかったの!? 何故、この任務の前に『何があっても殺すな』なんて事を言ったの!? どうして……私じゃダメなの……」
私が詰め寄ると、お父様は困惑した表情を浮かべが、それも一瞬のこと。すぐにその表情は威厳を取り戻す。
「お前は人を殺せるか?」
「――」
お父様の問いにすぐに返事ができなかった。そんな私を横目に、お父様は話を続ける。
「確かに、お前の力は強い。能力者としての力なら、この私さえも凌ぐだろう。それは認めよう。しかし、暗殺者としてのお前は失格だ」
「……どういう意味ですか?」
「どんなに強くとも、どんなに能力が相手よりも優れていようと、『殺す』という覚悟がない者には人は殺せないという事だ。むしろ、返り討ちにあう。相手は『殺される』という恐怖がある分、必死に生きようとする。そういった相手が一番危険だ。死を覚悟した者より、死を恐れる者の方が強い。そういう相手は確実にお前を殺しにくるぞ。お前は殺せるか? 『殺す』覚悟があるか?」
「私は……」
答えられなかった。もとより、私に『殺す』覚悟など持ち合わせていないのだから。
「我々がしている事は、殺し合いだ。そこに相手への情などあれば、必ず隙ができる。ましてや、お前のように『殺す』覚悟がなければ、間違いなく殺される。私が『殺すな』と言ったのは、『殺し合い』をするなということだ。覚悟も持たぬうちに、な」
それは至極当たり前の事だった。私だって戦闘訓練は受けてきたし、暗殺術も修得済みだ。最も重要なのは、強さや能力ではない。気構え。敵を倒すならば『殺す』という覚悟こそが戦いにおいて最も重要なのだ。
そんな事は百も承知していたはずなのに……。
「……わかりました」
「分かってくれたか。ならば、この話はこれで終わりだ」
「はい。では、失礼します」
私は一礼して、踵を返す。
「待ちなさい。怜奈」
書斎から出て行こうとする私をお父様は呼び止めた。
「なんでしょうか?」
「お前に会わせたい者がいる」
「会わせたい、者?」
「うむ。そろそろ来ると思うのだが……」
そう言っている間にドアをコンコンと叩く音が聞こえてきた。
「来たようだ。入りなさい」
お父様が招くと、ドアが開き、一人の男が入ってきた。
部屋に入ってきた人物は見たこともない男だった。長身で、体型は細身でもガッチリとした感じでもなく普通。年齢は二十代後半といったところだろうか。
「待っていたよ。こちらに来なさい」
お父様はその男に対して、手招きして私の隣まで来させる。
「すみません。予定より遅くなってしまって。予想以上に時間がかかりまして」
男は謝罪を口にしながら、深々と頭を下げた。
「いやいや、構わないよ。大して急ぎの事ではない。それよりも、君に紹介しておきたくてね」
「娘さん、ですか?」
男はお父様に尋ねながら、横目で私をチラリと見た。
「ああ。娘の怜奈だ。怜奈、こちらは間島の息子さんの新一君だ」
「間島って……専属探偵のですか?」
「うむ。新一君はこの度、正式に間島の後継者となったのでね。お前にも紹介しておこうと思ってな」
間島とは、一ノ宮専属探偵のことだ。間島家は、代々探偵業を行ってきた家系だ。ただ、それは一般的な探偵とは違い、彼らは一ノ宮家の能力者狩りの支援を行ってきた。
しかし、今では間島の家系は一つとなり、探偵業を行っている者は六十歳を超えた男性一人となってしまったと聞いていたのだが。
「間島新一です。よろしく」
男は自己紹介しながら、笑顔で手を差し出してきた。
「ええ、一ノ宮怜奈よ。よろしく」
私は迷うことなく彼の手を取り、握手を交わした。そして、笑顔であるはずの彼の顔をもう一度見たその瞬間に私は凍りついた。そこには笑顔はなかった。あったのは、無表情。けれど、それは問題ではない。問題なのはその男の『眼』だ。まるで、全てを見透かしたかの様な冷たい眼。その眼に私は寒気を感じていた。
(なに? この人……)
「どうかしたかい?」
男は不思議そうに尋ねてくる。しかし、その行為はどことなくわざとらしく映り、私の気分は淀んでいく。
「いいえ、なんでもないです」
私は握ったままだった彼の手を離し、何でもなかったかのように振舞った。
「今は自己紹介ぐらいでいいだろう。後で食事も一緒にとってもらうつもりだから、積もる話はその時に」
「そうですね、仕事の話もありますし」
男は素直にお父様の提案を受け入れ、お父様の方に向き直った。
「怜奈、もう下がってよいよ」
「はい、分かりました」
私は一礼してから、すぐにその場を立ち去った。
夕食の時間。
けれど、お父様とあの男が現れることはなかった。仕事の話と言っていた事から、それが長引いているようだ。
「お父様は? お仕事?」
食卓で聖羅が不満げに執事の齋燈に尋ねている。
「はい、そう聞き及んでおります」
齋燈はそんな聖羅を宥めるわけでもなく、事実だけを優しげに伝えている。
この二人――聖羅というのは一ノ宮聖羅、私の妹だ。齋燈というのは、齋燈禮治と言って、一ノ宮の執事をしている。
聖羅は、私と違って能力者ではない。彼女は普通の人間。そもそも、一ノ宮の能力は最初に生まれてきた子供に引き継がれるとされている。故に、次女である聖羅には能力者としての力は欠片もない。また、これも次女であるが故に、聖羅には一ノ宮家の暗部は知らされない事になっている。要するに、私やお父様が能力者であること、そして、能力者狩りを行っている事を知らないのだ。
齋燈に関しては、現在は一ノ宮の執事をしているが、昔はお父様のお供をしており、一ノ宮家の暗部に深く精通している。けれども、普段は穏和で優しく私たちの良き理解者だ。
いくら待ってもお父様と男は現れることがなかったため、私たちは先に食事を頂く事になった。そして、食事が終わってもなお、二人は現れなかった。
夕食後、私はテラスに出て、夜風に当たっていた。何をするわけでもなく、ただ星空眺め、考え込んでいた。お父様から言われた事、『殺す』覚悟、そして紅坂命のことを。
覚悟をしていたはずだった。彼女は能力者であり、今日あったことを話せば、いつかは確実に狩られる対象になるだろう事も。
けれど、彼女の事を知れば知るほど、その覚悟が揺らいでいった。私には彼女が狩らなければいけない存在には思えなかった。
実際、彼女は他人に恨みを買うような人間ではないし、能力者という事実を除けば、彼女は人間の中では『善人』であり、『悪人』ではない。そして、何よりも、私にとって彼女は憧れの存在にもなっていた。いや、今はそれ以上の存在になってしまっている。そんな彼女が殺される理由なんてないはずなのだ。
けれど、それは一般論だ。一ノ宮家には、それは通じない。一ノ宮家にとって能力者であれば警戒する対象であり、能力を行使して人に危害を加えた時点で、抹殺の対象となる。
そんな事は遠の昔に理解していたはずなのに、私はそれに納得がいかない。いや、いかなくなってしまった。
私は出来れば誰も殺したくない。けれど、一ノ宮家の当主を継ぐ立場でいつまでもそんな事を言ってられないと思っていた。だけど、私は命と出会って、それに疑問を感じ始めていた。
私には人を、紅坂命を殺す『覚悟』はできない。できるはずがない。
「夜風は気持ちいいかい?」
不意に背後から声を掛けられた。振り返ると、そこにはあの男、間島新一が立っていた。
「お父様とのお話は終わったのですか?」
私は彼の眼を見たときから、彼の事が好きにはなれそうになかったけれど、出来うる限り丁寧な口調で尋ねた。
「うん、まぁね。すまなかったね。お食事を一緒に頂く予定だったのに」
「気にすることないです。私も気にしていませんから」
「そうかい? それならいいんだけど……」
彼はなぜか居心地が悪そうにしている。私はそんな風には振舞っているつもりはないなのだが。
「何か考え事をしてたのかい?」
「……どうして、そう思うのですか?」
「ん? ああ、普通ありえないでしょ? 一ノ宮の次期当主が後ろに立たれて、声掛けられるまで気づかないなんて」
「そう……そうね。次期当主としてはありえないわよね」
「ふうん、悩みはそれか。まさかとは思うけど、当主になるのが嫌なのかい?」
「な!? そんな事ないわ。ふざけないで! 私は一ノ宮の次期当主よ。その自覚はあるわ!」
いつもなら、いつもの私なら間違ってもこんな態度は取らない。まだ、会って間もない人間に本気に怒るなんてどうかしている。それほど余裕がなくなっていたのだろう。
「わわっ! ごめんごめん。別に怒らそうと思って言ったわけじゃないんだ」
「………」
彼の驚いたような様子を見て、私は恥じた。自分が感情的になってしまったことに。何よりも、初対面の相手に自分のメッキが剝がされたことに。
「何をお悩みなんだい? よかったら聞かせてくれないかな? ま、大した事は言えないかもしれないけど、君よりは長く生きてきてるからね。何か役には立てるかもしれないよ?」
彼の眼は真剣だ。本当に私の悩みに耳を傾けようとしている。それは私にも分かった。
だからだろうか?
私は彼の事を好きにはなれそうになかったけれど、信用はできると思ってしまった。
「……あなたは、人を殺した事、ある?」
「……」
私の問いに彼は神妙な面持ちになる。そして、少し間をおいて彼は口を開いた。
「ないよ。僕は――間島新一は探偵だからね。人は殺さない。人殺しなら一ノ宮の専売特許だろう?」
「ええ、そうね」
「……そうか。君はその歳になるまで任務経験がなかったよね。それじゃあ……」
「ええ、人を殺した事はないわ」
「なるほど……ハハ!」
「何がおかしいのよ!!」
それは何の笑いか。失笑。苦笑。侮蔑の笑みか。それは分からない。けれど、その乾いた笑いが私には不愉快そのものだった。
私は彼を睨みつけた。けれど、彼はは私の殺気などいとも簡単に受け流す。
「いや、ごめんごめん。別に可笑しいことではないんだよ? いやね。面白い育ち方をしたなって。いや、育て方をしたと言った方が正しいか」
「どういう意味よ?」
「本来ならさ、子供の内から任務をさせて、人を殺すことへの迷いなんて持たせることなく殺人に慣れさせる。それが暗殺業を生業とする家系の育て方だ。けど、蔡蔵さんはそれを君には施さなかった。だから、面白い育て方をしたと思ってね」
「それじゃあ、なに? お父様は私に後を継がせる気なんて初めからなかったってこと?」
「いや、それは違う。きっと君に人としての生き方も学んで欲しかったんだよ。幼い頃から人を殺める事をすれば、確かにそれには慣れるだろう。だが、所詮は人間。人を殺せば心も痛める。幼ければ、その心の痛みに耐えられる心など持ち合わせていようがない。下手をすれば、精神は病んで、狩るべき暴走した能力者と同じになってしまう」
彼はそこで言葉を切り、吐息を漏らした後、また口を開いた。
「人はね、人が人を殺す為には理由が要るんだよ」
「理由?」
「うん、理由だ。理由がない、知らない、分からない内に人を殺せば、きっとそこには後悔の念しか残らない」
「そんなの同じことよ。理由があろうとなかろうと、人を殺せば後悔しか残らないでしょう?」
「そう――かもしれない。けれど、人を殺すには理由が必要だ。その理由で後悔から救われる事もあるんだよ。でも、理由がない殺しにはその救いがない。もっとも、理由なき殺人を行う者はもう人間を止めた者が多いけど」
「なによそれ? 支離滅裂じゃない」
「そうだね」
はっはっはっ、と乾いた笑いを漏らす彼。しかし、それが真実であると彼の眼は語っている。
「でもね? 人間である内に理由なき殺人を行わなければならない人もいることも事実だ」
「え? どうして?」
「例えば、ある組織に拾われた子供が暗殺を強制的行わされる。とかね?」
「……でも、それって仕方ないことでしょう? しなければ、殺さなければ、その子供が組織に殺されるんでしょう?」
「うん……そうだね。でも、ある特定の人を殺す理由なんて、その子供にはないんだ。そしてきっと、そうしなければ自分が殺されるなんて事も分かっていなかった。ただ、命令されたから、だから殺した。それだけなんだ。そこには何も救いなどない。ただ、機械のように人を殺すだけ。多くの人を殺してきた。しかも無自覚に。ただ、引き金を引くだけで。そして、気付くんだ。それまで自分がしてきた事が何であったかを知って、ただ絶望し、後悔だけが自分の心に残る。自分の心を殺して、人間である事を辞めようとしても、辞めれない」
「あ、あなた……まさか……」
「さっきも否定したけど、僕は探偵だ。だから、殺人は犯さない。犯したこともない。『間島新一』としては、ね」
「間島新一としては? どういう意味?」
私が尋ねると彼は一層神妙な面持ちになる。それは何処か冷酷で非情なまでな表情に見えた。
「『間島新一』になる前は、人を殺していたと言う事だよ」
「間島新一になる前はって……それじゃあ……」
「僕は間島の血を引いてはいない。養子なんだよ」
「そう。それじゃあ、間島の家に引き取られる前は……」
「うん。ある組織にいた。そんな僕も、間島家に引き取られる前に、自分自身の意思で人を殺そうとした事がある」
「人を? どうして?」
「まー、ほぼ、成り行き? かな?」
彼は苦笑いを零した後、自分の過去を語りだした。
殺人理由。私にとっては、まだ分かりかねる話。けれど、それこそが私のこれからを決める全てだった。
◇
僕は13の歳まである組織に属し、多くの人を殺めた。
それを知り後悔した時、僕はその組織から逃げ出した。けれど、逃げ出したところで、自由などなかった。後悔の念から逃れる術などなかったから。
それでも、逃げ出した後は、その日その日を生き抜くだけで精一杯で、そんな事を考えている暇もなかった。だけど、それが情けなくも思っていた。そうやって醜く生き抜くことが。自分は多くの命を奪ったというのに。
組織を抜け出し、それから数日はまるでホームレスのような生き方をしていた僕は、その日食べる食料すらろくに手に入らなかった。
当たり前だ。子供の頃から暗殺しか知らない人間が、いきなり外の世界に出て、まともに生きていけるはずなどない。結果、僕は最終的な手段に出た。と言っても単なる引ったくりなのだが。
僕は金目なものを持ってそうな男を見つけると、その男の後を追った。
機を見て、その男の背後から男の持ち物を奪う。そんな幼稚な計画だ。
だけど、それは見事成功した。
僕は全力でその場を離れる。
たぶん、暗殺なんて事を生業して訓練されていたから、普通の人間なら、例え大人でも追いつけない。だって言うのに、男は僕の後ろを追いかけてくる。しかも、その差を詰めてくるから僕はびっくり仰天だ。
僕は急いで路地裏に飛び込む。だけど、不運かな。飛び込んだ路地裏は行き止まり。行き場を失ったねずみは元の道に戻ろうとするけれど、既に猫はねずみの目前に迫っていた。
「やれやれ、手間をかけさせる」
男はゆっくりとにじり寄ってくる。
「く、来るな!」
男は僕の制止を聞かず近づいてくる。
しかし、男は突然、足を止めた。
「む……よく見れば子供ではないか。貴様、本当に組織の人間か?」
言いながら、男は再び歩み進める。
「来るなって言ってるだろ!」
「やれやれ、こんな子供に背後を取られるとは……私も落ちたものだ。……いや、相手を舐めすぎたか。こんな子供でも組織の人間ならば納得、か」
男はやれやれと肩をすくめると、真っ直ぐこっちを見た。
(――殺気!?)
「小僧、おとなしくそれを渡せばよし。でなければ……殺す!」
「なっ!」
完全な誤算。この男は単なる人間ではなかった。どうやら、以前の僕と同じ穴の狢らしい。
殺される。そう思った。その男の眼は語っていた。お前を殺す、と。
既に状況は逃げる事を許さない。間違いなく殺される。そう確信させる何かがこの男にはある。
このままでは間違いなく殺される。それならば――こちらも殺すしかない!
「ハァ――ハ、――ハァ――」
呼吸を整える。が、整えられない。うまく呼吸ができない。それは男から発せられる殺気によるものからなのか、それとも――。
「ほう。この状況下で生き残る事を考えるか」
男は面白そうに、まるで何か珍しい玩具でも見つけたかのように意気揚々として、目を輝かせている。
僕はと言うと男の隙を見つけ、倒す方法を考えていた。
今思えば、これが人を殺すと初めて覚悟した時だった。組織にいた頃は殺していた事さえ自覚がなかったのに。
ただ、自分が生き残りたいがための殺人。それでも人が人を殺す理由には十分でだった。
けれど、事はそう簡単じゃなかった。
僕は男から奪った持ち物を放り投げる。すると、予想通り男の気はそっちに向いた。僕はその一瞬の隙を見逃さない。
隠し持っていたナイフを手に持つ。それが唯一の武器。その武器を手に男を目掛けて――。
「ふむ――いい線は行っていたがな。残念。相手の力量を計り損ねたな」
「な――に――!」
一瞬の出来事。気づいた時にはナイフを持っていた手は後ろに回され、拘束されていた。
「小僧。なかなか面白かったぞ。なるほど。手馴れている。が、所詮はガキの考えた戦法。大人には通用せんよ。とは言え、こちらも驚かせすぎたか。すまなかったな、単なる盗人クン♪」
「え……」
「ふむ。追いはぎ紛いな事をするのは構わんが、少し相手を見たほうがいい。君は確かにその歳で色々としてきたようだが、こちら側で生きるならこちら側の事も学ぶべきだ」
男は僕の手を離す。僕はそのまま、前につんのめる形で倒れこむ。
「あ、あんた、一体何を言ってるんだ?」
「小僧、名前は?」
こちらの問いの答えず、男は名前を聞いてきた。
「……ないよ、そんなもの」
嘘ではない。実際にないのだ。組織にいた頃はコードネームだけで呼ばれていたから。
「ふむ……小僧、私と共に来ないか?」
「はぁ? 何言ってるんだ?」
「見込みはある。悪いようにはせん。一緒に来れば、それなりの生き方という物を教えてやる」
「そ、そんなこと……」
できるわけがない。生まれてこの方、人をどう殺すかしか学んでこなかったのだ。そんな人間が今更人としての生き方など――。
「少なくとも、理由なき殺人はしなくて済むぞ?」
「――」
男は笑顔でこちらを見ている。そして、手をこちらに差し伸べてきた。
それは衝動的だった。何の迷いなく、考える間もなく、僕はその男の手を取っていた。
「間島だ。よろしくな。……新一」
間島と名乗ったその男は、当然のように僕をそう呼んだ。
◇
「………」
私は彼の話を静かに聞き入っていた。
「まー、でも、このおっさんが食えない男でね。その後、色々と酷い目に合わされたよ」
間島は自分の身の話をへらへらと笑いながらそう締め括った。
「あなた……それでこの道に入った事を後悔はしていなの?」
「ん? そうだね。今は微塵も」
「……そう」
「君は後悔してるのかい?」
「分からない」
「そうか……でも、君はもう理由を持てる歳だ。人を殺す事がどういうことなのか、なぜ一ノ宮家が暗殺や能力者狩りを行わなければならないのか。もう、十分理解できるはずだ。その理由を持って狩るか……それとも、何もせず能力者として生まれた自分の運命を、この家に生まれた運命を呪うか。君の好きにすればいい」
「……」
彼との話はそこで終わった。結局、答えは出ない。
私は夜遅くに屋敷を抜け出し、ある場所に来ていた。
平屋の一軒家の門まで私は立ち尽くし、門の横にある呼び鈴を押すかどうか迷っていた。
別にこの家にいる人物が苦手とか嫌いとかでは全然ない。それなら、こんな時間にここに来はしない。私が呼び鈴を押すのを躊躇っているのは、その人に会えば、確実に自分の内に抱えている事を話すことになる。いや、それを話そうと思って来たのだけれども、踏ん切りがつかない。その人に話すのを躊躇われる内容だから。
だが、あれこれと私が思案している内に、平屋の玄関の引き戸がガラっと音立てて開いた。
私はすぐにその場から離れようとしたが、玄関から出てきた人物は私を優しく呼び止める。
「まあ、待ちなさない」
「は、はい……」
私は素直にその場に留まった。この人に見つかった時点で私には逃げるという選択肢はなくなっていた。
中から出てきた人物は男性の老人。そう、老人というのがそのままピッタリと似合う男性。腰は曲がり、顔は皺だらけだが、見る限りに優しそうで、穏和で物腰が柔らかそうな人物だ。
「よく私がいることが分かりましたね?」
「ああ、怜奈が来たらそれとなく分かるんだよ。昔からね」
「そう、ですか……」
「まあ、ここで立ち話もなんだから中に入りなさい」
「はい、お祖父様」
そう――この老人は私、一ノ宮怜奈の祖父である。そして、私の父、一ノ宮蔡蔵の父親になる人物だ。
もはや説明するまでもないが、お祖父様は一ノ宮家の前当主であり、私やお父様と同様『風』の能力者だ。
これほど穏和で優しそうな人でも能力者狩りを行っていたなど、現在の様子からは想像だにできない。現在は隠居しており、一ノ宮家から出て、一人でひっそりと暮らしており、その能力も使うことはほとんどない。
何故、現当主の実父でありながら、屋敷から出て、こんな平屋で暮らしているかと言うと、お祖父様とお父様は昔から仲が悪く、お父様が当主を継いだ段階で、お祖父様は身を引き、独りで暮らすようになったらしい。今では、お祖父様とお父様が顔を合わすことなど一切なくなっている。
それでも、私の祖父であることは変わりなく、私はお父様の目を盗み、幼い頃からよくお祖父様の所に遊びに行っていた。お祖父様もそれを快く迎え入れてくれた。そして、お祖父様は私にとって、一番の理解者となっていた。
そう――理解者は父でも母でもなく祖父。元より、一ノ宮怜奈には母親がいなかった。私の妹を生んでから3年後、私が7歳の時に亡くなった。その頃のことは良く覚えていないが、病気だったらしい。
そんな事情もあり、私にとってお爺様は父のような、母のような、先生のような特別な存在となった。
「それで? こんな夜遅くにどうしたんだい?」
お爺様は私を居間に通した後、座らせ、お茶を入れながら尋ねてくる。
「……」
答えることができない。何を話せばよいのか、何から話せばよいのか、ここに来る間もずっと考えていたことだが、纏まらない。
「何か悩み事だね?」
「――はい」
私は驚きながらも、頷いた。
「やはり、そうか」
「そんな事もお分かりになるんですね?」
「ああ、怜奈の事なら何でも分かるよ。昔から」
「では、私が何を悩んでいるかも?」
「それは……怜奈の口からしっかりと聞きたいねぇ。予想はつくがね」
「分かりました。お話します」
私は意を決して、話し始めた。ここ数ヶ月にあった事。自分の任務の事。紅坂命の事。その彼女との関係について。そして、今の状況について。さらには、今日、お父様に言われた『覚悟』について。
お祖父様は何も言わず、静かに目を閉じて聞き入っていた。そして、私が話し終えると、スッと目を開けた。
私はお祖父様の顔を見るのが恐かった。今の話を聞いて、どう思うだろうか? 任務対象者と友人となった挙げ句、監視がバレてしまい、対象者の逆鱗に触れてしまった事など、一ノ宮家からすれば、恥じるべき話だ。いくらお祖父様でも、怒って仕方ないと思っていた。
けれど、顔を上げてお祖父様の顔を見ると、表情は私を迎え入れてくれた時と同様、穏やかなままだった。
「そうか、そうか。怜奈もついに任務をこなすようになったんだね」
「は、はい。でも、相手に気づかれるミスをしてしまいました」
「それは仕方ないことだよ。いや、むしろそれで当たり前だ」
「え――?」
「そもそも紅坂家は能力者の家系であったからね。昔から我々の監視の対象になっていた。気づかれていない方がおかしい。それに、一ノ宮家の方も気づかれている、いないは問題ではなく、その対象そのものの行動に気を配っていたからね。そちらを見落とす方が問題なのだよ」
「それはつまり……能力で人を殺したかどうかということですか?」
お祖父様は私の問い、返事することなくコクリと頷く。
「怜奈はその子の事をどう思っているんだい?」
「どう、とは?」
「任務の対象としての感情しかないようには聞こえなかったのだけど。もしかすると、好きなのではないのかね?」
「そ、それは……」
そんな風に思ってはいけない。任務対象者に対して、任務以外の感情を持ち込んではならない。だから、考えないようにしていた。けれど、私は命に惹かれていた。彼女の在り方に。
「怜奈や、別に自分の気持ちに嘘をつくことはない」
「で、でも!」
「一ノ宮家は、確かに狂気と化した能力者を狩ってきた。それは一ノ宮家の役目でもある。だがね、我々も人間だ。そして、能力者も人間だ。人間であれば、触れ合えば、好意を持ったり、持たれたりすることもあるだろう」
私や命がそうであったように?
でも、それではあまりにも悲しすぎる。好意持ったもの同士でいつかは殺し合わなければならないのだから。そんな事なら、始めから触れ合わなければいい。そんな風に思えてしまう。
「私は命を殺したくない。死なせたくないのです」
「そうだろうね。それでいいんだよ」
「え? で、でも……」
「能力者が必ず狂気に走るとは決まってはいない。確かに、能力者は置かれた環境で精神を病んだり、自身の力に溺れたりして、狂気に走ってしまうケースは多いよ。でもね、さっきも言ったように能力者も人間だ。話せば言葉は通じるし、想いも通じるだろう。例え、狂気に走ってしまっても、堕ちたとしても、殺すこと以外で止めること可能だと、私は思うがねぇ」
「そんな……でも、お父様は……」
お父様は確かにこう言った。
『一度暴走し始めた能力者はもう止まらぬし、戻ることもない』
それが嘘だとでも言うのだろうか。
「確かに、狂気に堕ちた能力者を止めることは難しいよ。アレは諦めてしまったようだが、私は今でも信じている。殺すこと以外で彼らを止める手だてがあると、ね。それは人間としての心にカギがあるのだと、私はそう思っているよ」
「人間としての心……?」
そんな事が可能なのだろうか? 人を殺してしまった能力者は、既に狂人と化してしまっている。それなのに、それを言葉で、想いで人に戻す? そんな事、考えたこともなかった。
「お祖父様は能力者を殺さず、止めたことがあるのですか?」
尋ねると、お祖父様は顔を曇らせ、首を左右に振った。
「残念ながらないよ。未だかつてね」
「そんな……」
「結果から言えば、私がやったことはアレと何一つ変わらんよ。だが、私は殺したくて殺そうとした事など一度もなかった」
「それじゃあ、お祖父様は何のために殺したの? 任務だから?」
お祖父様は再び左右に首を振る。
「殺意がなかったと言えば嘘になる。多くの人を殺した能力者ばかりだからね。けれど、殺したくはなかった。人間であることは違いないから。彼らには私の言葉は通じず、結果として殺し合うことになった。私はね、私自身が死にたくなくて殺したのだよ、彼らを」
それは先刻聞いた間島の話と似ていた。生存の為の殺人。だが、それもやはり『覚悟』がない者にはできないことだ。
「私には、できないよ。人を、彼女を殺すなんて。私――命の事、大好きだから」
「それでいいのだよ、怜奈。その想いがあるならば、まだ間に合う。もう一度、彼女と話してみなさい。今度は監視者や能力者としてではなく、一人の人間として、一人の友人として、ね」
「……わかりました」
結局、答えは出なかった。人を殺す『覚悟』もできないまま。
それでも、一筋の光が見えたような気がした。
殺すこと以外で能力者を止める方法。それが可能であれば、彼女を、人を殺さずに済む。
明日、命ともう一度話してみよう。喧嘩になったっていい。今度は一歩も引かない。私の想いを伝えるのだ。
少なくとも、この時の私は本当にそう思っていた。殺さずに済む方法がある。彼女ともう一度友人になれる、と。
けれど、その機会は一生断たれることになる。全ての希望を打ち砕いて。
そして、全ての始まりの日を迎えた。




