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旋風と衝撃の狭間で  作者: みどー
追憶編
38/172

第5話「亀裂」



「それじゃあ、私、行くね」

「え? ああ、うん」


 命は私のいるドアの方に向かってきた。すぐに私はその場から離れて、彼女に姿を見られないようにしなければならない。そうしなければならないのだが、足が動かない。

 私は決して聴いてはいけない話を聴いてしまった。それが私の思考を停止させてしまったのだ。

 命が教室から出てくると、ドアの脇に潜んでいた私とすぐに目があった。

 命は目を瞠り、驚愕した。悲鳴でも上げそうな顔だった。

 だが、それも一瞬で、彼女は何か納得したかの表情を見せた後、黙ったまま、私の腕を掴み、駆け出した。

 私も黙ったまま引きずられていった。抵抗などできなかった。思考は纏まっていない。それに彼女の腕を掴む手には断固として抵抗を許さない力が籠もっていた。



 気づけば、私たちは屋上にいた。

 命は私に背を向けている。私はそれをただただ見つめていた。

 気まずい空気が流れる。居たたまれない。私はこの場から逃げ出したくなる思いをグッとねじ伏せ、その場に立ち尽くした。


「いつからあそこにいたの?」


 最初に口を開いたのは命の方だった。

 私はどこから話せばいいのか迷った。「あなたの体から白い帯が出ているところから」とは言えない。だから、私は簡潔に答えた。


「……最初から」


 命はビクリと肩を震わせる。


「そう」


 今、命はどんな顔しているだろうか? 背を向けているため分からない。けれど、その心中を複雑なものだろうと思えた。


「ごめん……聞くつもりは――」

「聞くつもりはなかったなんて言わせないよ?」

「え」


 命の声が酷く冷たく聞こえる。まるで感情のない自動音声のように。


「あはは……怜奈って本当にマヌケだね?」

「どういう、意味?」


 命の声を聞くたびに嫌な寒気がしてくる。

 私の目の前にいるのは命のはずなのに、命と話している気がしない。もっと別の何かで、とてもおぞましいような――。


「私、気づいてたよ。怜奈が私を視ていること」

「なに、を?」


 寒気が一層増す。なのに、背中に嫌な汗が伝っている。

 気づかれていた?

 いや、そんな筈は――でも、今の言葉は……。


「はは! ホントーにダメダメだね。顔を見なくても、声だけで分かっちゃう。今、混乱してるでしょ? もしかして、バレてた? いや、そんな筈ない。でもーって」

「そん、な」

「本当はね。ずっと前から気づいてたんだよ? 怜奈は下手だったから。うん、はっきり言っていい。怜奈は監視役には向いてないよ」


 『監視』という言葉を聞いた瞬間、私の思考は完全に瓦解した。

 そう、紅坂命は最初から知っていたのだ。私が彼女にしていることを。

 でも、なぜ気づけた? どうして分かる?

 下手だから?

 違う。

 それは原因ではない。

 人は監視されているそれと知っていなければ、監視されているとは気づけない。見られていることには気づけても、視られていることには気づけない。それが監視の眼だと経験がなければ。


 不意にくるりと命が私の方に振り返った。

 顔を見た。

 笑っている。

 唇をにんまりとさせて妖艶な微笑みを浮かべている。

 そこに私が大好きだった笑顔はなかった。


 瞬間、命は吹き出した。


「あははは! その顔、ホントーに分かってなかったんだね? いいよ。その顔に免じて教えてあげる。私は幼い頃から両親に厳しく育てられてね。それはもう尋常じゃなかったんだよ? 何をするのも親の眼があったもの。親の眼を盗んで、一人で遊んでただけでも――何してるんだ、何をする時もまずは私たちに相談しなさい――って。でも、それが親の愛情だって思ってた。あの黒い服を着た男の人が現れるまでは、ね」

「黒い、男」


 呟いやき終える前に理解した。一ノ宮の従者だ。

 私が高校生になるまでは、紅坂命の監視は一ノ宮の従者が行っていた。その存在さえ彼女は気づいていたのだ。


「心当たりありそーね。でね、その男の人は私の両親と同じ眼で視てくるの。執拗なまでに。ホントーなら気づかないのだろうけど、私は幼い頃からそういった眼に晒されてたからかな? すぐ気づいちゃった。で、私怖くなっちゃったの。なんでこんな見ず知らずの男に両親と同じ眼で視られなくちゃいけないんだ――って。それで気づいちゃった。両親は私に愛情を注いでくれてたんじゃないって。監視してたんだって」


 その事実に辿り着いた命のその時の心情は想像し難い。だが、傷ついたことだけは確かだ。


「気づいた時には、私はその男の人に詰め寄ってた。何者だーってね。男の人はすぐに逃げ出そうしたけど、ダメだった」

「ダメ――だった?」

「うん。私が興奮し過ぎてたのが良くなかったんだね。男の人は逃げ出す暇もなかったんだよ。私が拘束しちゃったから」

「拘束したって……」

「これでね」


 言うやいなや、彼女の長い髪は真っ白に染まって、うねうねと動き出す。


「そ、それはさっきの!?」

「やっぱり、見てたんだ。うん。たぶんさっきはもっと凄い事になってたよね? 私はよく覚えていないけど。どうも最近、無意識にこうなっちゃうことがあるんだよね。体調のせいかな? あ、私の体の事は知ってるんだよね? でね、その男の人に問いただしたら、親切に答えてくれたんだよ? きっと殺されるって思ったんだろね。一ノ宮の事を全部話してくれたよ」


 ふっと白い髪が黒へと戻り、髪は重力に従って垂れさがる。

 命の話はそこで終わった。

 私は何を言えばいいのか分からなかった。彼女になんと言葉を掛けてあげればいいのかも。

 ここまでの話でいま自分が置かれている立場は分かった。私の初任務は失敗した。そして、自身の危機でもある。

 それでも聞かなければいけないことがあった。


「命は人を襲ったことがあるの? その力で人の生命エネルギーを吸ったことがあるの?」


 命は私の問いを聞くと、再び妖艶な笑みを零す。


「それは怜奈が一番よく知ってるんじゃない?」

「――そう」


 すべての疑惑は確信に変わった。

 だが、すべて疑問が解けたわけではない。


「どうして、今になって話してくれるの? やっぱり……彼が原因?」

「ハッ!」


 命は私が質問すると、鼻で笑った。


「彼が原因? 真藤君のこと? それ、本気で言ってるの?」

「違うって言うの? 彼があんなことを言ったから、だから私との距離を置きたくて、そんなこと言ってるんでしょ?」

「あんなこと、ね」

「もしそうなら気にしないで。私にとってはどうでもいいことなの」

「ふざけないで!」


 命から笑みは消え、突然の怒号が飛んだ。

 私は突然のことで体をビクリと硬直させる。

 命は顔を真っ赤にして怒っている。


「どうでもいいこと? は! 確かに怜奈にとってはそうかもしれないわね? でもね、私とって違うの」

「ど、どういう意味?」


 命は自身を落ち着かせるかのように、ふぅっと溜め息をつく。顔から怒りの色が消え、私を見るその眼は憐れんでいた。


「怜奈はおかしいって思わなかったの? 私がこの場所であなたと友達になりたいって言ったこと」

「え……」

「あきれた。本当に何も分からなかったんだ? あなた、監視役としても半端なら、人としても半端ね」

「ど、どういう意味!?」


 私は命に詰め寄った。現状、彼女を刺激しすぎるの良くないが、それでも彼女の言葉は聞き捨てられない。

 それでも命は妖しく微笑んでいた。そんな恐い顔しても無駄だと言いたそうな、そんな顔で。


「言った通りの意味よ。だって、あなた、私の気持ちなんて全然考えてないでしょ?」

「そんなことない! 考えてたよ、命のこと。もし、あなたが本当に人に危害を加えていたなら、何とかしてやめさせようと思ってた!」

「は! それで人が告白しているところや、惨めにもフられてるところまで盗み見てたわけ? プライバシーもあったものじゃないわね!」

「そ、それは……」


 言い返せない。命の気持ちを考えれば、あんな話を立ち聞きすべきではなかったのは確かだ。それでも聞いてしまったのは、やはり私が――。


「ほら、何も言えないでしょ? 事実だからね。あなたは私との友人関係よりも、監視役として役割を優先したのよ。それが私にはどうしようもないほど悲しかった」

「え――」


 気づけば、命からは笑みは消え、代わりに瞳を潤ませ、目には今にも溢れんばかりの涙が溜め込まれていた。それでも、命は淡々と話し続ける。


「怜奈はホントにマヌケだよ。私は入学してすぐにあなたが私を監視している事に気づいた。本当はすぐにでも何か言ってやりたかった。でも、やめたの。そんなことしても意味ないもの。どうせ、あなたが監視しなくなっても、他の人が入れ替わり立ち替わりで監視してくるんだもん。なら、何もしない方がいいって思って放っておいたの。でも、いつからだったかな? その監視している眼に何か別の眼を感じた。今までの人とは何か違う視線を。それが何なのか分かるまでそんなに時間は掛からなかった。その眼は私に興味を抱いている眼だったから」


 そこまで言われて、私は思いだした。

 私が監視を始めて三ヶ月経った頃だ。命は能力者であるにも拘わらず、他者に普通に接し、そして他者から好意すら持たれる存在だった。私は、そんな彼女に疑問を持つと同時に憧れていた。私もあんな風になれれば――と。

 だが、その彼女の生き方は、幼い頃から監視という眼に晒されていたために身についたものだった。能力が露見しないように、監視されている眼から逃れるように、欺けるように素晴らしい人間で、普通の人間でいようとしていたのだ。


「私、驚いたし、戸惑った。私を監視してくる人にそんな感情を持つ人、今までいなかったもの。でも――嬉しかった。そういう人たちの中に私を理解しようとしてくる人もいるだって。普通の人間として見てくれたりするんだって。そう思ったら、あなたと話してみたくなった。あなたと一緒に過ごしてみたくなった。鉄面皮の顔を笑わせてみたくなった。友達になってみたいって思ったの」


 命は遠い昔を懐かしむように言葉を紡ぐ。既に、目に溜められていた涙は、決壊して頬を伝っている。

 彼女が何を言いたかったのか、私はこの時になってやっと理解できた。私は間違いを犯した。友人として、人間としてやっていけない事を彼女してしまったのだ。


「私はそんなあなたの気持ちを踏みにじったのね……」

「そう……そうだよ。あなたは踏みにじった。私の想いをついさっき。さっきのあなたからは、これまでの人と同じ、監視の眼しかなかったもの!」


 そうだ――ここ数日の生徒が倒れる騒動と、つい先刻の命の様子から私は命を疑っていた。彼女が既に能力を暴走させ、人に危害を加えたのでは、と。もしかしたら、既に人を殺害してしまったではないか、と。

 もはや、そこに友人としての感情よりも任務を怠ってしまったという焦燥感しかなかった。私はその焦燥感に突き動かされ、命を見る目は友人のそれではなく、監視者のそれになってしまったのだ。


「……ごめんなさい」

「――」


 もはや、言い訳などしようがない。私には謝ることしかできない。けれど、それで許されることなどなかった。


「ハッ! それで許されると思ってるわけ? 謝れば済むとでも? 馬鹿じゃないの!? 許せるわけないじゃない、私をそんな目で見ているあなたを!!」

「あ」


 命に言われて気づいた。私は今こうして話している時ですら、謝罪している時ですら、彼女を監視の眼で見ていた。もはや、疑いが確信に変わった時点で、私は彼女のことを友人として見ることができなくなっていた。


「あきれた人ね。……もう、やめよう? どうせ、友達にはもう戻れないよ、私たち」

「そ、そんな……」

「怜奈も気づいてるでしょ? もう、戻れないって」

「ぁ――」


 そうだ。もう戻れない。私の中で命は完全に一ノ宮にとって排除すべき能力者かどうかを見極めなけばいけない存在になってしまっている。そんな考えの人間と友人でいられるわけがない。


「もう、いいよ。話はここまで。私の事は一ノ宮のご当主にどうとでも報告してくれて構わないわ。それじゃあ、私は教室に戻るから。みんなにサボってるなんて思われたら面倒だもの」


 じゃあね、と言って彼女は屋上から去ろうする。


「ま――」

「ああ、そうそう」


 私が呼び止めようとした瞬間、命は足を止め、私の方に振り向かず、声を上げた。


「ご当主に伝えておいて? まだ監視を続けるつもりなら、今度はもう少しまともな人間を寄越してくださいって」


 言い捨てるかのような口調で言うと、命は振り返りもせず屋上から姿を消した。

 もう、私は呼び止めることができなかった。私にはその資格もないと気づかされたから。

 一人屋上に取り残された私は、これまでの事を思い返す。



 ――私はどこで間違ってしまったのだろう? 本当にもう戻れないのだろうか?


「ハ――私は何を……!」


 私は失笑した。

 そんな事を考えている時点でどうかしている。

 私は一ノ宮家の次期当主。いつかは同じ能力者を狩る存在となる。そんな人間は人並みの幸せを求めてはいけないし、ましてや同じ能力者と友達になどなれようがない。

 それでも――と、思ってしまう自分がいる。そこをぐっと堪えて、その考えを捨て去る。

 迷っても仕方ない。私は今起こっている事を受け入れ、自身の役目を全うするしかないのだ。


 その後、命は普段どおり振舞っていた。ただ、私と会話をすることもなかったし、目が合うこともなかった。



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