第3話「憂慮」
あの日から私の学校生活を一変した。
私の傍らには、いつも紅坂命がいた。当初私は、監視対象者が友人というこの異常な現状に困惑していた。もちろん、こちらの事情など知る由もない彼女は、私に何の気兼ねもなく話しかけてくる。
けれども、その困惑も最初だけで、すぐに慣れていった。彼女は私にとって不思議な存在だった。彼女と一緒にいると心はすごく落ちつけて、自然に笑うことができた。
だからと言って、彼女の企み通りに私がクラスに溶け込み、人気者なるなんてことはなかった。
当初、私と彼女が話しているのを見て、好意的に私に接してくる生徒が現れはしたが、結局私が心を許したのは、紅坂命だけだった。
監視対象である彼女と何故友人関係を結んだのかと問われれば、これは、もう言い訳に近いのだが、それが私の任務とって都合良かったから、としか答えようがない。友人という立場を利用すれば、彼女の傍にいることに疑問を持たれることもないし、傍にいれば、彼女のちょっとした変化も見逃さずに済む。そう自分に言い訳していた。
7月末。私が紅坂命の監視を始めてから、既に4ヵ月が経とうとしていた。
学校は夏休みに入っていた。けれど、如月学園は進学校であるため、夏休みに入っても補習がある。だから、毎日のように私は彼女と顔を突き合わせていた。
補習が始まってすぐのことだった。私は彼女の行動に変化が起きている事に気づいた。と言っても、別に気にするようなことではない。彼女は休み時間になると、よく隣のクラスに足を運ぶようになったというだけ。何をしているかというと、別に大したことではない。友人との会話、要は単なるお喋り。ただ、いつも、そんな頻繁に何を友人と話しているか分からなかった。
監視といえど、私は彼女の友人との会話を盗み聞きするような趣味の悪い事はしていなかった。それに、私と彼女との友人という関係がそういった行動に歯止めをかけていたのだと思う。
ただ、そんな彼女の行動が気にはなり始めていた。
ある日、私は彼女にそれとなく尋ねてみた。私と彼女とのたまり場となった屋上で。
「ねえ、最近、休み時間になるとよく教室からいなくなるけど、どこに行ってるの?」
「え? 隣のクラスだけど?」
それは知っていると内心で思いながらも安堵した。彼女は私に嘘をつかない。やましい事はしていない証拠だ。いや、例えそうでも私には正直に話して欲しいのだが。
「何しに?」
「え、えっとねぇ……」
彼女の歯切れが一気に悪くなる。どうやら訊かれたくなかったことらしい。
友人という関係になってから早一ヶ月。さほど長い付き合いではないが、彼女の事が多少分かってきた。
紅坂命は嘘が下手だ。嘘や誤魔化しをしようとすると、決まって喋る前に考えこむような仕草をする。自分では誤魔化しているつもりだろうが、傍から見れば丸分かりだ。
「誤魔化しは通用しないわよ!」
「ああん、もう! どうして怜奈は私が喋る前から分かるのよ!」
いや、誤魔化そうとしているのがバレバレだからなのだが。
彼女は頬を膨らませ、怒った表情している。だが、本気で怒っていないことは分かるし、その表情が妙に可愛らしかったため、私は微笑みながら返した。
「命は嘘が下手なのよ」
「むむ……そんなに私分かりやすいかな~?」
私に問い掛けるわけでもなく、彼女は自問自答している。
友人関係を結んで短い期間ではあるが、私と彼女は名前で呼び合うようなっていた。それほど私たちは馬が合っていたのだろう。
「で、何しに行ってるの?」
「う、うん……れ、怜奈ってさ、男の子、好きになったことある?」
「――は?」
私は突然の質問に間の抜けた声を上げる。と言うか、こちらが質問しているのに、何故、質問されているのか? それも、『男の子を好きになったことあるか』なんて。
「あ、いや、だからね……なんと言いますか、その……す、す……」
「す?」
「好きな人ができました!」
「――」
命は顔を真っ赤に染め、目もぎゅっと瞑っている。私はというと、あまりにも突然の告白に呆然としていた。
命は恐る恐る、目を開き、上目使いでこちらを見た。いつかの、子供が自分の粗相を親に咎められそうな顔で、命は口を開いた。
「……と、いうことなの」
「な、何が『と、いうことなの』よ!?」
「お、怒らないでよ!」
「怒ってない!」
というか、なんでそんなことに私が怒ると思うのか。その理由を問いただしたいところだが、それよりも前に考えることがある。
私は命になんて質問したんだっけ?
命が言いたかったことが導き出されるまで、多少時間が掛かった。彼女の話は要領を得ていない。それは、彼女と初めてこの屋上で会話をした時も同じだったが。
まず、私は問うた。『何をしに隣のクラスに頻繁に通うのか?』と。それに対して、彼女の答えは、会話どおりにすると、『好きな人ができました!』になる。
どう考えても会話になってない。
要するに、彼女の『好きな人』とは、隣のクラスにいる男の子らしい。その子に会いに行くために、頻繁に隣のクラスに通っている……ということだと思ったら、何とも命らくない言葉を彼女は吐露した。
「そ、そんなことできるわけないじゃない! わ、私は彼を観てるだけでいいの!」
乙女が其処に参上していた。
これまでの命の言動からは想像つかない、何とも控えめな態度。思い立ったら、すぐ行動の彼女がこんなにも控えめな乙女だったとは……。
でも、何故かそれが微笑ましい。
「クス。あ、あんたでもそんなところあるのね?」
「わ、笑わないでよ! それに、それはどう意味よ~?」
「ごめんなさい。深い意味はないわ。そんなことより、せっかく隣のクラスなんだから、話しかけちゃえばいいのに。あなた、自分のクラスでは男子と普通に喋ってるじゃない?」
「そう、だけど……でも、私にそんな資格ないよ……」
「え……」
消え入りそうな声。それを私は聞き逃さなかった。それと同時に、命の表情が暗く翳ったことも見逃さなかった。それも一瞬ことで、命はすぐにいつものはつらつとした表情に戻っていた。
「この話はここまで! 私のことは話したんだし、次は怜奈が答える番よ?」
「え? 私?」
唐突に話題が私のことになり、困惑した。何が私の番なのか。
「『え? 私?』じゃないよ。男の子を好きなったことあるかって話!」
「あ、あ~、そ、それね」
あれは本気で聞いていたのか。でも、それは問題ない。キッパリと答えられる問いだ。
「ないわよ。生まれて此の方」
暫しの沈黙。
「はあ……怜奈には恋愛相談は無理かぁ……」
命は肩をがっくりと落とした。それでも、彼女は知っていたのだろう。だから私には今まで話さなかったのだ。
その後、私たちは他愛もない話をした後、屋上を去ろうした。が、それは唐突に起きた。
「ぁ――」
前を歩く命が消え入りそうな悲鳴にも似た声を上げたかと思うと、グラリと揺れ、前のめりで倒れそうになる。
「危ない!」
私は咄嗟に前に出て、彼女を抱きとめた。おそらく、自身の身体能力を最大限に発揮していなければ、間に合わなかっただろう。
「あ、ありがとう。ごめんね」
「ううん。そんなことより大丈夫?」
「うん、ちょっと躓いた……だけだから」
心配無用と笑う命の顔は、血の気がなく、青白い顔している。
その時、私は思い出し、気づいた。紅坂命は生まれつき体が弱い。それも、本来なら学校に通うことできない程。そして、先程の一瞬の表情の翳りと、ふらつき。命は、自分の体と能力に負い目を感じているのではないかと、私の頭に一瞬そんな考えが過ぎった。
次の日、彼女はいつもと変わりなく、顔色も良かった。
8月半ば。
補習も終わり、本格的な夏休みに入る。その間、私は一時、紅坂命の監視任務から外れた。
私も夏休み。学校に行くことがない以上、私は彼女の監視の適役ではない。学校が休みである間は他の者に監視を任せた。
9月。
夏休みも終わり、学校が始まった。
夏休みの間、命には特に異常はなかったと報告を受けている。
その報告に私は安堵し、夏休み前と変わらず、命の監視に再び就く。そして、彼女に会えること楽しみにしていた。
私たちの学校では、夏休みが終わると、すぐに文化祭の準備が始まる。進学校である如月学園では、文化祭、体育祭は唯一生徒たちがストレスを発散できる行事である。
文化祭の準備といっても、そんなに時間があるわけではない。一週間で、高校生らしい出し物を考え、準備しなければいけない。しかし、その間の授業は普通どおりで、準備ができる時間は放課後だけ。だから、この一週間、生徒たちは死に物狂いで動き回る。もちろんそれは、私も同じだった。いくら人と接点を持とうとしなくても、いや応なしに、この間は手伝わされる羽目となった。
いくら忙しいといえど、私には任務がある。幸いなことに、私と命は同じクラスで友人と関係だ。だから、たとえ忙しくても監視することは難しくなかった。
準備期間一日目。
出し物が決まった私たちは、さっそく準備に取り掛かっていた。私たちの出し物はお化け屋敷。クラスの生徒全員が忙しそうに駆け回る。私も例外でなく、そしてまた命も同じだった。
私はあることが気になっていた。夏休みが終わってから、命の様子がおかしい。どことなく顔色が悪い。そう、屋上で倒れそうなった時の同様に。それは周りも気づいているようだった。命を気遣う者もいる。しかし彼女は決まって、「気にしないで。大丈夫だから」と笑顔で答えるだけだった。
準備期間二日目。
依然として命の顔色は悪かった。
元々、彼女は体が弱い。だから、周りから生命エネルギーを吸っているわけだが、どうも最近はおかしい。彼女は人々が垂れ流しにしている生命エネルギーを吸っていないように見える。私には彼女の生命エネルギーを吸うさまが見えるわけではないが、そうではないかと思えた。
私は意を決して彼女を呼びつけた。
「少し休んだ方がいいじゃないの?」
「怜奈まで……私の事は本当に大丈夫よ」
命はいつものようにさらりと人の心配を受け流す。それが、私の癇に障った。
「そうは見えないから言ってるんじゃない!」
ビクリと命は体を震わせた。私の怒気を孕んだ声は教室中に響いていた。クラスの生徒も私の声に驚いたのだろう。作業の手を止め、こちらを見ている。
クラス中の視線を集めてしまい、命はオロオロと教室を見渡した後、居た堪れなくなったのか、私の腕を掴んで教室から出ようした。
「ちょっとこっちに来て!」
私もそれに抵抗することなく、命について行く。
たどり着いた先はいつもの屋上だった。相変わらず、人気はない。
屋上についてから、私たちは黙ったまま、お互いを睨みあった。別に喧嘩しているわけではないのだが、そうしないといけないような気がして。
しばらく、そうしていると、命は溜息をついて、申し訳なさそうに悲しげな顔した。
「ごめん……気を遣わせたくなくて、大丈夫だって言ってたのが逆効果だったよね……」
「わ、私の方こそ……ごめんなさい。教室で怒鳴ったりして…」
気づけば、先程の睨みあいが嘘のように、互いに自分の非を認めて謝罪していた。
「えっとね……でも、本当に大丈夫だから。いつものことなの。この時期なるとちょっと体調を崩すのよ」
「それは――」
嘘だと言い掛けて途中でやめた。嘘だと指摘すれば、いつものように嘘を見抜かれたと命は愚痴を零すだけかもしれない。けれど、この時だけは、そうは思えなかった。嘘だと指摘すれば、どうして分かるんだと命に問い詰められそうな気がして。私が命のすべてを知っていることを知られてしまいそうで。ならば……。
「お願い、怜奈! どうしても文化祭は最後までやり遂げたいの。だから、私の体調のことはみんなには黙ってて。すぐに元気になるから」
命は私の考えを読んでいたかのように、私に懇願してくる。事実、この時の私は命の体調を教師にでも言えば、彼女も無理をしなくなると思っていたからだ。
この文化祭に何があるというのか。体調を崩してまで参加するほどのものなのか。
私には理解し難いこと。それでも、命の哀願するような表情の前では頷くことしかできなかった。
準備期間三日目。
準備期間も三日目となり、生徒の顔にも疲れが見え始めた。私はというと、日ごろ、鍛錬しているせいか、さほど疲れてはいない。
しかし、命はとっては過酷な環境だ。体が弱い分、この期間は相当つらいのだろう。日増しに顔色が悪くなっている。そんな状態でも彼女は学校に来続けていた。
そんな時だった。どこかのクラスの生徒が貧血で倒れたと聞いた。文化祭の準備の疲れが出たのであろう。
私にとって、その情報はそんなに気にするほどのものではなかった。次の日までは。
準備期間四日目。
今日は二人倒れたらしい。ともに貧血。
私は疑問に思う。彼らは本当に貧血なのであろうか。
最近、私は命の監視を怠っていた。私は命を信頼しきっていた。初の任務の相手に好意をいだいてしまったことによる油断。それは私のミスだった。
命の能力は、彼女が肉体的に、精神的に弱っているときこそ、最も効力を発揮するもののはずだ。『吸血』能力とは、栄養補給と言っても過言ではないのだから。
彼らが倒れた時、私は命から目を離していた。彼女は彼らの生命エネルギーを吸った疑いがある。
そう思った私は、一瞬愕然とした。命に限ってそんなことはありえないと思っていた。けれど、その疑惑は彼女の顔を見て確信へと変わる。彼女の顔色は、朝とは見違えるほど良かった。
私はどうすればよいか分からなくなってしまっていた。本来ならば、この事はお父様に報告しなければいけない事項だ。でも、言ってしまえば、命が一ノ宮にとって排除の対象になってしまうかもしれない。
(何を馬鹿なことを……。私は一ノ宮の次期当主なのよ! しっかりしなきゃ! ごめんね、命。でも、これが私の仕事だから。悪いようにはしないから)
いざとなれば、私がお父様に頼めば、なんとか見逃してくれる可能性だってある。それに、まだ誰かが殺されたわけでもない。
私は帰宅して、今日起こった事をすぐにお父様に伝えた。けれど、お父様は何も言わず、一言だけ私に言った。
「監視を続けなさい」
一ノ宮家が動くことはなかった。それは、はっきりとした確証がなかったから。彼女が能力を使って人の生命エネルギーを本格的に吸い始めたという確証が。さらには、まだ誰も被害者が――つまりは死人が一人として出ていないことも理由に挙げられる。
私はある意味でほっとしていた。一ノ宮家が動くという事は、彼女を狩るということ。私には、それが耐えられなかった。
準備期間五日目。
私は命への監視をより一層に強めた。彼女というと、顔色はよく、この間までの体調の悪さが嘘のようだった。
私の命への疑いは深まる一方だった。
この日、倒れる者はいなかった。私は一度たりとも彼女から目を離すことはなかった。それを知ってか知らずか、命も普段と変わりなく過ごしていた。
このまま、何も起こらず、また平穏な日々に戻ってくれれば、どんなに良かっただろうか。
けれど、現実はそう上手くはいかなかった。




