第15話「懐中時計」
13年前。時澤邸にて。
「おじいちゃん? これ、なぁに?」
小さな少女はある物を手にしながら、傍にいる白髪の老人に訊ねる。
「ん? それかい? それはね、懐中時計じゃよ」
少女に質問された老人は笑顔で答える。
「かいちゅーどけい?」
少女は小首を傾げながら聞き返す。
「そうじゃ。まだ、恵には難しいかの? まあ、時計のお仲間じゃ」
「へー、そうなんだぁ!」
少女は自分が手にしている懐中時計をまじまじと見つめる。
「気に入ったかい? よかったら、あげてもよいよ?」
老人がそう言うと、少女はぱあっと目を輝かせた。
「え! ホント!?」
「ああ、本当じゃとも。ただし、約束をしてくれるかな?」
「え? 約束? どんな?」
「あげる代わりに、その懐中時計は恵が大人になっても大事に持っておいて欲しいんじゃ。約束できるかな?」
「うん、するよ! 約束する!」
少女は嬉しそうに元気のよい返事をする。
「いい子じゃな、恵は」
老人は嬉しそうに少女の頭をなでる。その眼差しはとても優しかった。
◇
「うう……ここ、は……?」
気づけば芝生の上に倒れていた。
どうやら、俺は気を失っていたようだ。何か夢を見ていたような気がするが、それがどんな夢かは思い出せない。
「気がついたみたいね。大丈夫?」
俺のすぐ横に一ノ宮が座っていた。俺が目を覚ました事に気づき、顔を覗き込んできている。
「あ、ああ。なんとか大丈夫みたいだ」
「そう、ならよかったわ」
一ノ宮は俺が無事であることを確認し終わると立ち上がった。俺もそれに続いて起き上がる。
辺りを見渡してみると、何もない空き地が広がっていた。
「ここ、どこなんだ?」
俺が一ノ宮にそう訊ねると、彼女は黙って指差した。
「え?」
一ノ宮の指差したところに、大きく不自然な形をした草も何も生えてない場所があった。そこはまるで何かの跡地のようだった。そこの中心に海翔が立っている。
「海翔……あいつ、あんな所で何してんだ?」
「あそこが、時澤邸の跡よ……」
「え……時澤邸の跡って……?」
一ノ宮が何を言っている意味がよく分からない。
「館ごと異次元に飛ばしたんですもの……こうなるのも当然よ」
「あ……」
そうだった。俺達は荒井恵に救われたんだ。彼女はここら一帯を吹き飛ばす爆弾から俺達を守るため、館ごとどこかに転移した。自分の命と引き換えに。
その事実を思い出して、俺は海翔の元に駆け寄った。
「海翔!」
呼びかけるが、海翔はそれに反応することなく、じっと佇んでいる。
「海翔……?」
背を見せたまま佇む海翔。俺には回り込んで、海翔の顔を見るなんて事は出来なかった。
「海翔……その……」
なんと声をかければいいか、分からない。言葉が見つからない。
そんな俺の様子に気づいたのか、口を開いたのは海翔の方だった。
「まったく……馬鹿だよな。誰かを守るために自分の命を投げ出すなんて……」
それは静かな声だった。怒りや悲しみでもない、まるで何処かに感情を置いてきてしまったかのような。
ああ――無駄な願い知っていたが、それでも、俺はこれを見たくなかった。
だからこそ、このままでは終われない。このままコイツのことをほっとけない。
「……そう、だよな。……けどさ」
「ん?」
「その誰かが、自分にとって一番大切な人なら……分かる気がするよ。……俺にも経験あるからさ。死んでも守りたい、そういう気持ちを」
それはいつのことだったか。そして、誰を守るためだったか。俺はあの時の事を思い出していた。
「そうか……」
「だから、忘れるなよ。彼女の気持ちを。彼女が何を守ろうとしたのかを」
「ああ……あったりめぇだ!」
そう答えた海翔の背中は小さく震えていた。その顔は見えなけれど、俺には泣いているのだと分かった。
そして、海翔の手には彼女が大事にしていた懐中時計がぎゅっと握り締められていた。
既に本当の持ち主がいなくなった懐中時計。けれど、その針は今もなお動いている。
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その後、時澤邸の跡地を離れた。村に戻った頃には、既に夜になっていた。
山の方から何やら太鼓のような音が聞こえてきている。
「なんだ、この音? 太鼓?」
その音が聞こえてくる方を向く。すると、山のある一部分だけがぼんやりと光っていた。
「ああ。そういや、ここに来たときに道を訊ねた爺さんが言ってたな。今日は夏祭りだと」
海翔は思い出したかのようにそう言った。
「夏祭りか……」
よく見ると、山の上に社がある。あそこが祭場なのだろう。
「夏祭りかぁ。面白そうだな。行ってみるか!」
突然、海翔がそんな事を言い出した。そういう海翔の表情はいつもと変わらないように見えた。
「え……けど……」
「いいじゃん、いいじゃん。面白そうだし、行ってみようぜ!」
言うやいなや、海翔はすぐに駆け出した。
「お、おい! 海翔!」
「先に行ってるぜ。お前も早く来いよ! 一ノ宮さん連れてな!」
止まることなく、海翔は自分一人でさっさと行ってしまった。
「ったく……アイツは……」
「いいの? 彼、一人にして……」
一ノ宮が心配そうに訊ねてくる。
「え? ああ、大丈夫だよ。それに、少し一人にしてやった方がいいと思う」
「そう……貴方がそう言うなら、そうなのかもね」
「うん……それに、君とも二人っきりで話をしたかったからね、ちょうどいいよ」
「……」
話がしたかった、その言葉に一ノ宮は困った表情を浮かべる。
「二年半前……君のお父さんに言われた事――君にはもう会わないと俺は約束した」
「そう、だったわね……」
「もう随分経つけど……俺はあの約束、納得いってるわけじゃない! ……一ノ宮、いや、怜奈! 俺はまだ――」
「真藤君!」
一ノ宮は俺の名を呼び、その言葉を遮った。彼女が以前呼んでいた俺の呼び名で。
「怜奈……」
「私は一ノ宮よ。能力者である一ノ宮怜奈。あなたも見たでしょ? 私は人を狩る者なの。例え、それが狂気と化した能力者でも、人間であることは変わりないわ。……私は人間を殺すの」
「……でも、あの時は仕方なかった! それに、あの時殺さなかったとしても、あの人は自分で……」
「違う!」
一ノ宮は俺の言葉を強く否定する。
「な、何が違うって言うんだ?」
「違うのよ、真藤君。……今回の事に限りじゃない。これからも、私はそうやって生きていくの」
「……」
「真藤君……もう私の事は忘れなさい。それが、貴方の為よ。そして、それは私の為でもあるの」
一ノ宮は躊躇うことなく言い切った。けれど、俺には納得いかない。
本当にそう思っているなら、どうしてそんな顔をする。どうして、そんな悲しそうな顔をするんだ。
「……断る」
「え……」
「断る! 俺はもう怜奈から離れない!! だって、俺は……俺の気持ちは何一つ変わってないから!」
「か、一輝……貴方って人は……」
俺の言葉に彼女は酷く困った顔した。どうしたら、この人はどう言ったら分かってくれるのか、どうしたら諦めてくるれのかと、途方に暮れていた。
けれど、そこに迷いがあるのは明白だ。彼女は本気で俺に忘れて欲しいなんて思っているわけじゃない。
「だから……怜奈、俺は君と一緒に……」
「ダメよ! もう……遅いの」
彼女は俺に背を向けて再度拒む。ちょうどその時、黒い車が俺達のところに走ってきて、止まった。
「迎えよ。話はここまで」
彼女は冷たくそう言い放って、車に乗り込もうとする。
「待ってくれ、怜奈!」
彼女は俺に背を向けたまま、動きを止める。
「……なに?」
「また……逢えるよな?」
もう語り掛けることはしない。訊きたいことはそれだけだ。それに答えさえしてくれればいい。一言、本音で答えてくれれば、それだけできっとまた――。
「……さようなら」
けれど、彼女は俺の問いに答えず、あの時と同じ言葉で言って、彼女は車に乗り込んでしまった。
そして、車はそのまま行ってしまった。俺はそれを見送るしか出来なかった。
別れ際、彼女の顔をはっきりと見た。彼女は泣いていた。
結局、また何も出来なかった。それでも、俺は信じたかった。また、彼女に逢える日が来ると……。




