第14話「別れ」
彼女から聞こえてきた拒否の言葉だった。彼女はもうすぐ爆発するこの館から出ないと言ったのだ。
「何言ってんだ!? 爆発するんだぞ!」
海翔は彼女の元に駆け寄ろうとした。
しかし、その瞬間、地面に黒い穴が開き、海翔の踏み出した足が穴へと飲み込まれていく。
「な、なんだ、これ!?」
「海翔――な!?」
海翔の様子を見て、すぐに走り出そうとしたが、なんと俺の脚も黒い穴に捕まっていた。
「くっ! なんだこれは……一ノ宮!」
助けを請おうと一ノ宮に呼びかける。しかし、その一ノ宮も既に黒い穴に足を捕られていた。
「く! 一輝!」
一ノ宮は何とか抜け出そうと、もがいている。しかし、もがけばもがくほど、飲み込まれていく。それはまるで黒い沼だった。
「皆さん、ごめんなさい。でも、大丈夫です。それは外に通じる道ですから」
荒井恵は穏やかな口調で言う。その腕には叢蓮の上半身が抱えられている。彼は既に意識はなく、虫の息だ。
「外に通じるって……どういうことだい?」
彼女の言葉に俺は聞き返した。
「言った通り意味です。この館に張られている結界はおじい様が死んでも残ります。外から入る事はできても、中から外に出る事はできません」
「あ……」
そうだった。この館から出られない。俺達はそれを既に体験済みだ。
「だけど、その穴からなら出られます。その穴は空間転移魔術の一種です。その穴を通れば、館の外に出れるはずです」
「そうか……でも、君は? 君はどうするんだい?」
「――っ」
どうするのかと訊ねると彼女は少し困った顔をして言葉を詰まらせた。それだけで俺は彼女が何をしようとしているのかなんとなく分かってしまった。彼女のその決意の堅さも。
「私は……ここに残ります……」
「な!? 何言ってんだ、恵! 残るって…ここはもうじき……」
「はい、分かってます」
彼女は海翔に優しく微笑む。けれど、それはあまりにも悲壮な表情に見えた。
「なら、お前も逃げなきゃヤバイだろ!!早くお前も――」
「黙りなさい!」
海翔の声を遮るように一ノ宮が叫んだ。
「一ノ宮……?」
一ノ宮を見ると、何とも表現しにくい表情をしていた。怒っているのに、いまにも涙を流しそうなほど悲しげで、それでいて平静を保とうと必死になっている。
「恵さん、訊いていいかしら?」
「はい」
「爆弾はどこにあるの?」
「それは……おそらく、おじい様そのものかと……」
「な!?」
俺と海翔は驚愕する。人間が爆弾とは、一体どういうことなのか。
「やっぱりね……魔力爆弾ってところかしら。自らの体に大量の魔力を溜め込んで、自分が死んだらそれを一気に爆発させるってわけね。それで、威力は?」
「……たぶん、この周辺の村を軽く吹き飛ばすことができるかと……」
「な、なんだって!? そ、それじゃあ、外に出ても意味ないってことか!?」
愕然とする海翔。つまり、逃げ出すこと自体が意味のない行為ということだ。最初から俺達に逃げ場などなかったのだ。
だからこそ、彼女は決意してしまったのだろう。そして、その決意に海翔も気づいてしまったようだ。
「……恵、お前、まさか――」
「はい。私の魔力では抑える事すらできないでしょうが、次元転移の魔術を使って、この館ごと別次元に飛ばしてしまえば、皆さんもこの一帯も助かります。……運のいい事に、おじい様に使えるようにしてもらっているので……」
叢蓮による改造。おそらくはそれにより荒井恵は叢蓮が用いていた魔術の全てを習得しているのだろう。
つまり、今この状況で俺達や村を救えるのは彼女だけということだ。けれど、その救う対象に中には――。
「ただし……次元転移する場合、その術者本人も転移する、そうでしょ?」
一ノ宮が付け加えるように、真実の問いを口にする。
その問いに彼女は俯き、
「……はい」
素直に頷いた。
それは、彼女自身は爆発からは逃れることができないことを意味する。彼女は初めから救う対象の中に自分自身を入れていなかった。
「ふ、ふざけんな、バカヤロォ! オレはお前になんかに助けられたくねぇ! オレは……オレは、お前を助けるために、ここに来たんだぞ! それを……それを……!」
海翔は彼女の決意を受け入れる事ができなかった。そんな方法で助かりたくはないと、彼女を犠牲にしてまで生きていたくはないと、本気思っている。それは、俺も同じだった。けれど――。
「ごめんなさい……海翔さん。……でも、決めたことですから、私が。だから――」
彼女がそこまで言葉すると、海翔の表情が変わった。何か言いたそうで、けれどそれを口に出すことできず、そして、何かを諦めてしまったような複雑な表情だった。
なんとなくだが、その時の海翔の気持ちが俺には手に取るように分かった。それは二年半前、病室したあの約束とよく似ているような気がしたから。
「だから……やらせてください……」
「……」
海翔はもう何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。
自分で決めたことだと彼女は言った。それが死んでしまう事でも、彼女は自分の意思なのだとはっきりと告げてしまった。だから、もう誰も彼女がこれからやろうとしている事を止めることできないと、海翔は気づいたのだ。
『ふざけるな! 彼女の事をお前が決めるんじゃない! それじゃあ、あの会長とやってる事と同じだろ!! 彼女は事実を知って、それを自分で決める権利も義務もあるだろうが!』
ふっと、海翔に以前言った言葉を思い出した。
もしかすると、海翔も彼女も、俺が言った言葉に囚われていたのかもしれない。いや、その二人だけじゃない。その言葉を言った俺自身も自分の言葉に囚われていたのかもしれない。だから、俺も彼女を止めることができなかったのかもしれない。
「おじい様の延命処置も、もうこれ以上は持ちそうにありません。皆さん、早く行ってください」
どうやら荒井恵は魔術で叢蓮の延命処置を行っていたようだ。この時、既に俺達の体の半分以上が穴に吸い込まれていた。
「その穴は自然に対象を飲み込むように出来ていますが、移動者本人が潜ろうとすれば、すぐに転移できます。だから……」
「……そうね。そうさせてもらうわ」
一ノ宮の決断は速かった。
彼女も荒井恵の決意の堅さを理解している。だって、彼女にはその決意の堅さがここにいる誰より理解できる。大切なものを守る為に自分の命を投げ出そうとするその決意の堅さが。
「一ノ宮さん!」
潜ろうとした一ノ宮を荒井恵は呼び止めた。
「なに?」
「私は、気にしてませんから……両親のことも、おじい様のことも」
「そう……ありがとう……」
その言葉に、彼女はどれほど救われただろうか。いくら一ノ宮が能力者とはいえ、人を殺して心を痛めない人間ではないから。
「それともう一つ……」
「え?」
「私がおじい様の支配から逃れる事が出来たのは、それよりも強い支配力をもった人に支配されていたからなんです……」
「え…」
「といっても、別にその人は私を支配なんてしませんでした。私がおじい様の支配から抜け出せるようにしただけで……」
「それが……なに?」
「その人は、たぶん……一ノ宮家を狙っていると思います」
「な、なんですって!?」
「私を支配したのも、そのためだったはずです。私の一ノ宮家への復讐心を利用するために。あの人が今どこにいるか分かりません……でも、案外、近くにいるかもしれません。私が言えるのここまでです」
「わかったわ。気を付けておくわ。ありがとう。……それじゃあね」
「はい、お気をつけて」
二人の別れはそれで終わった。その後、すぐに一ノ宮は穴へと潜っていった。
「恵ちゃん……」
「気にしないでください……こうなったのは真藤さんのせいじゃないです」
「……うん……それでも、ごめんね」
それは何に対しての謝罪か。俺自身もよく分からなかった。彼女を救えなかったことへのか。それとも、自身の言葉が彼女を縛ってしまったことへのか。
「謝らないでください。私は真藤さんのおかげで救われたんですから」
「俺……の?」
「はい。家出のときの言葉……真藤さんと一ノ宮さんを襲おうとした時に言ってくれた言葉……どれも、私に届いてました。そのどれもが私は嬉しかった。だから……救ってくれました」
荒井恵は俺の心情を理解していた。私は貴方に救われた。だから、貴方は何も悪くないと言ってくれているのだ。縛られているわけでも囚われているわけでもない。自分自身で決めたと事だと。だから、謝る必要はないのだと言ってくれている。
「……そっか」
「はい。だから、気にせず行ってください」
彼女の優しさを理解した時点で、俺も決意を固めた。もうこれ以上、ここに留まるのは、彼女の意に反することだ。これ以上、彼女を苦しめてならない。
「恵ちゃん……さよなら」
「はい、さようなら」
泣きそうになりながら、俺は別れの言葉を告げていた。けれど、彼女は満面の笑みで俺に別れの言葉を言ってくれた。
俺は穴に潜る前に一度海翔の方を見た。悔しそうに唇を噛む海翔を見て、俺は何も言えなかった。
願わくば、二年半前の俺のように彼が心をここに置いてくることがないように。
それが叶わないことと知りながら、それを願って、俺は穴へと潜った。
◇
そして、最後の一人が残った。その人の名は石塚海翔。一緒にいたのは数日の間だったけれど、彼は私にとって、とても大切な存在になった。
できれば、この人とずっと一緒にいたいと思っていた。けれど、それはもう叶わない。
私は海翔さんの傍に寄る。
「オレは……嫌だぜ。一輝とは違って湿っぽいのは嫌いだからな」
「はい……知ってます」
「……畜生……俺より年下のくせに大人っぽい表情しやがって……」
「海翔さんのおかげです。……あの時、目も閉じずに私を見てくれていたから、私も強くなれたんです。……どうして逃げなかったんですか?」
「当ったり前だろ……信じてたからな、お前のこと」
「……ありがとう、海翔さん」
信じてた、海翔さんのその言葉が素直に嬉しくて頬が緩んでしまう。この人は、狙わず、私にとって嬉しい言葉をいつもくれる。
だから、この人に最初で最後の贈り物をすることにした。
私はポケットから懐中時計を取り出す。
「これ、あげます。私を信じてくれたお礼です」
私が荒井家に貰われてくる前からずっと持っていた懐中時計、それを海翔さんに差し出す。
「え……でも、これはお前のじいさんくれた大切なものだろ?」
「いいんです、もう。私が持っていても意味がありませんから。だから貰ってください。そして、これを私だと思って大事にしてくださいね?」
「……まったく……お前、罪作りな女だな……」
「覚えていて欲しいだけです。私のこと……」
「馬鹿野郎、そんなもんがなくたって忘れるかよ!」
「そう、ですよね。海翔さんはそういう人ですよね……ありがとうございます」
そう。この人は決して忘れない。私と言う人間がいたことをいつまでも覚えていてくれるだろう。
この人は、優しすぎる。その優しさが私を狂わせてしまった。
この優しい人に惚れてしまった私はもう以前の私に戻れない。だから、これからすることは、私の一方的な八つ当たりにすぎない。
既に体の半分以上が沈んでしまった海翔さんに合わせてしゃがみこみ、彼の胸ポケットに懐中時計を入れる。そして、そのまま、私は彼の唇にキスをした。
「……」
それはほんの数秒。すぐに私は唇を離した。
「これも……お礼です」
私は笑顔を作ってみせる。うまく笑えているか正直自信がない
「……」
笑顔作ってみせた途端、海翔さんは一層悲しそうな顔をする。当たり前の事だ。だって、作り笑いだってバレバレなんだから。
本当は私もここで今すぐ泣きつきたい。でも、せめて最後くらいは笑顔でお別れしたかった。
「そろそろ時間みたいです。行ってください」
「……ああ、そうするよ」
「はい……それじゃあ、さようなら、海翔さん」
「ああ、さよなら、恵。……またな!」
彼はその言葉を目に涙を溜めながら、満面の笑みでその別れの言葉を言った。
その瞬間、不覚にも涙を流してしまった。
もう――最後の別れは笑顔で、と決めていたのに。卑怯だよ、海翔さん。
「……はい、また……」
そう返すと、彼はもう何も言わず潜っていった。
「やだな……『また』なんて、もうないのに。海翔さんの……馬鹿!」
海翔さんのせいでせっかくの決意が鈍りそうになってしまった。
彼の最後の言葉は、また会えるかもしれないという、あり得ない未来を幻視させた。そんな妄想に浸っては、心が挫けてしまう。
「……よし、やるぞ!」
その挫けそうになる心を奮い立たせる。私に後戻りの選択はない。だから、挫けるなんて赦されない。
次元転移を発動させる。
これは私が犯した罪への贖罪でもある。おじい様から愛が欲しい故におじい様の命令に従い、一ノ宮への復讐のために何人もの命を、育ての親までの命を奪ったせめてもの償いだ。
でも、考えてみれば、私は幸せ者だ。
だって、最後に大好きな人の命を救えるのだから――。




