第7話「館」
丘の上にそびえ立つ屋敷の前に立つ。
そこは村の老人から教えてもらった場所だった。
ここが、おそらく荒井恵が荒井家に貰われる前に住んでいた場所。そして、悪魔が住みついているという場所だ。
「確かに、薄気味悪い屋敷だな……」
海翔は屋敷を見上げながらそう呟いた。
屋敷は長い年月放置されているのか、外観はコケやツルに覆われている。無論、人が住んでいそうな気配はない。
「悪魔でもいそうか?」
「まさか。早々、そんなもんがいてたまるかよ」
悪魔なんているわけがないと海翔は鼻で笑う。
けれど、それには俺も同意見だった。
老人の話を信じていないわけではないが、それでも俺も海翔も悪魔の存在なんて信じていなかった。
「けど、海翔。この屋敷に何かあるのは確かだ」
「ああ……わかってる」
実際、この屋敷に入った者が出てこず、そのまま行方不明になっている。この屋敷に何か秘密があるのは確かだ。
俺達は館に入る扉を物音立てずに開けようとする。しかし、いざ扉を開けようとすると木や金属が軋む音がする。それはこの扉が長いこと閉められたままである事を物語っている。
扉の先は真っ暗だ。何も見えない。その先を懐中電灯で照らす。
「……特に問題はなさそうだな」
「ああ、悪魔も別にいねぇし」
海翔は悪魔なんているわけがないと言いつつも、その悪魔に随分と拘っているように見えた。案外、怖がっているのかもしれない。
俺達はゆっくりと、屋敷の中に入って行く。
そして、それは完全に屋敷に足を踏み入れた瞬間だった。俺がその屋敷の中に只ならぬ空気を感じたのは。
「な、なんだ!? こ、これは……」
「ん? どうかしたか?」
「か、海翔……お前、なんともないのか?」
「あん? どういう意味だよ?」
どうやら、海翔には分からないらしい。この、尋常ではない屋敷の中の空気が。
空気が重く、息苦しい。とてもじゃないが、普通に息なんてできない。
頭がくらくらしてくる。まるで酸欠になってしまったかようだ。それに、体も重い。何かとてもない力で上から圧しつけられているかのように。
激しい危機感に襲われる。けれど、それだけではなく――、
「この感じ……何処かで……?」
俺はこの雰囲気に既視感を覚えていた。
「おい、本当にどうしたんだよ!? 大丈夫か?」
「あ…ああ……う、ぅぐ!!」
この尋常ではない空気にあてられてか、気持ち悪くて、吐きそうになる。
「おいおい! 本当に大丈夫かよ!?」
既に海翔の声は遠くなっていた。そんなものに、気をかける余裕がない。
消している――そう思った。
消しているのに分かる。どうやら今の俺は敏感になっているようだ。
血の臭い。確かに血の臭いがする。そして、そこから人の死が連想される。それは間違いなく死の臭いだった。
これは、確かに以前にも感じた事があるものだ。
まさか……3年前の……奴が!?
脳裏に過るのは3年前の殺人鬼。確かに、今感じているものは3年前の時に感じたものと似ていた。
けど、違う。似ているが、違う。奴じゃない。
確かに似てはいた。けれど、絶対的な恐怖感がここにはない。奴がもし、ここにいるならそれがあるはずだ。
それは、確かなものではなかった。けれど、そう直感できた。とは言え、ここが危険な場所であることは変わらない。死の臭いが充満しているのだから。
「か、海翔……ここは、ヤバイ。早くここから出るんだ!」
「ああん? そんなことより、大丈夫か?お前、凄い汗だぞ? ほら、ここにでも座ってろ。屋敷の中は俺が調べておいてやるから」
「ダ、メだ……これ以上……屋敷の、中に……」
苦しくて声が上手く声がでない。これでは海翔に伝わらない。
「わかったわかった。お前はそこで休んでろ。いいな?」
結局、海翔には気づいてもらえなかった。
海翔は俺を置いて、あたりを調べだす。
「か、かいと……」
意識が朦朧としてくる。それでも目で海翔を追う。
「う、うわ! な、なんだこれ!?」
「ど、どう、した!?」
「あ、ああ。わるいわるい。単なるマネキンだったよ。ったく、人型してるもんだから、驚いちまったよ……」
「人型……だと……?」
自分が持っている懐中電灯で海翔の方を照らす。
海翔の姿が見える。そして、その前にいるそれも照らされて目にとび込んでくる。
「――!」
その瞬間、息を飲んだ。
それは海翔の言うように人型に模したマネキンのように見えた。
けれど、俺にはそれがマネキンなどには見えず、もっと悍ましいものに視えてしまっていた。
「か、かいとぉ! そ、それから離れろぉぉおお!」
必死な叫び。けれど、声はそれほど出ていない。まだ、こんな状況でもあてられたままだ。
「何言ってんだよ? 暑さでついに頭がおかしくなったか? これは単なるマネキンだよ」
そう言って、海翔はそれをポンポンと手で叩いた。
「バ、バッカヤロオォォォ!!」
大声で叫ぶ。
その時になって、俺はやっと恐怖という呪縛から解放された。
俺は立ち上がり、必死なって海翔のもとに走る。
「あ……あ……時が、時が……動く。やっと……」
それは突然、〝それ〟から聞こえてきた。人型を模したそれが口を開いた。
それはいままで長い間、喋ることすら封じられていたのか、言葉には歓喜が含まれていた。
「え……」
海翔は振り向く。そして、マネキンであるはずのそれを見た。
海翔が振り向いた瞬間、ジロっとそれの瞳は動き、海翔を見る。そして、それは再び口を開く。
「お前の……時を……私に……頂戴」
それは海翔を掴もうと手を伸ばす。
「うおおおぉぉぉ!!」
それが海翔に触れようとした瞬間、俺はそれに体当たりした。
それは見事に吹っ飛び、受け身を取ることなく倒れた。
「な、ななな、何だよ、これはぁぁ!!」
海翔はあまりの出来事に絶句している。
「バカ! だから言ったろ!? ここはやばいんだよ!」
倒れたそれはゆっくり起き上がる。体当たりはまるで効いてないようだ。
「時を……私に……おくれ」
再び、意味不明の言葉をそれは発しながら、こちらに向かってくる。
「くっ! なんなだよ、お前は!?」
今度は近くにあった椅子を持って、それに振り下ろす。
見事に命中。人間に言うならば頭部にあたる所に椅子の足が当たり、何か折れたような鈍い音がした。
けれど、その音は相手のものでない。木で出来ていた椅子が折れる音だった。
「な、に!?」
絶句。思いっ切り振り下ろしたはずの椅子は壊れ、それは怯むことなく、歩き続ける。
「そ、そんな……くそ! 逃げるぞ、海翔!」
「か、かずきぃ……それはちょっと無理みたいだぜ? 周りをよく見てみろよ」
「え……?」
海翔に辺りを見渡す。
「う……!?」
愕然とした。なんと、辺りを見渡すと、それが俺達を取り囲んでいた。10体はいるだろうか。それらは俺達からまだ離れているものも、既に退路はなく、じりじりと寄ってきている。
「くそ……ここまでか!」
既に退路はない。俺達にはどうしようもなかった。
このままでは、間違いなく殺される。そう肌で感じ取っていた。
「ア……ア……アアアア!」
そして、ついにそれの一体が奇声を上げながら俺達に飛びかかってくる。
「ちくしょおぉぉ!」
俺は最後の抵抗と言わんばかりに、それを追い払おう折れた椅子振り回す。けれど、それに構わずそれの勢いは止まらない。
そして、それに掴みかかれそうになったその時だった。
「――え?」
次の瞬間、鈍く、嫌な音がしたかと思うと、それは上半身と下半身で真っ二つにされていた。
「な、何が……?」
訳の分からない現状にそんな疑問を口にする。
けれど、その間に他のそれは近づいてきていた。が、それもそこまでだった。
「うわぁ!」
突然の強い風。まるで、すべてを吹き飛ばすかのような、強く、そして、この屋敷に似合わない、清々しい風だった。
そして、立て続けに先程と同じような音を鳴らしながら、それら全てがバラバラにされていく。それは解体と言っていいだろうか。見事にバラバラだ。
「な……なにが?」
海翔は自分達の身に何が起きたのか分からず、混乱している。けれど、俺は違っていた。俺達を襲ってきた〝それ〟の正体はわからないが、この〝風〟の正体なら知っている。それをバラバラに解体したものが何であるかを。
「こ、これは……」
風の吹いてきた方向を向いて、顔を上げる。期待と不安を入り混ぜながら。そして、そこにいたのは……。




