第3話「友人」
海翔との待ち合わせ場所に着くと、そこに海翔の姿はなかった。まだ来ていないようだ。どうやら、俺の方が早く来てしまったらしい。
海翔が来るまで今日分かったことを整理する。
あの父親は娘の事をほとんど知らなかった。それとも、喋らなかっただけなのか。そんな理由はないはずだ。娘が家出をして、捜索依頼まで出しておいて、捜査に非協力的なんてことはないだろう。なら、あの人が言っていたことは本当で、本当に娘の事が分からない、ということか……。
しかし、そんな親が本当にいるだろうか。それも一人娘なのに。もしかすると、今回の家出はそういった事が関係しているのかもしれない。
「……で? 考え事してるとこ悪いけどさ。俺が来てること、いい加減気づいてくれないか?」
「へ……?」
突然後ろからの声に驚いて振り返ると、そこには――。
「うわぁ!? か、海翔!」
「やっと気づいてくれたな……」
あきれ顔で溜息をついている海翔が立っていた。
「お、お前、来てるならそう言えよな!」
「言ったさ。声かけたけど、全く気づかねぇんだもん。まったく、こんな道端でなにトリップしてんだか……」
「う、うぐ……」
言いたい放題言ってくれているが、反論できないのが悔しい。
「んで、何考え事してたんだ? また、あれか? いつもの推理おた――」
海翔は言いかけて止めた。俺が睨んでいることに気づいたからだろう。
「じょ、冗談冗談。んで、今日は何の用だ?」
用も何も昨日会った荒井恵ついて聞きたいのだが、流石にそれを率直の聞くわけにはいかない。
「ああ、お前昨日、突然帰っちゃっただろ?」
「あ、ああ。そうだったな。悪かったな」
白々しく海翔は謝ってくる。本当は悪いなんて、これっぽっちも思ってないことだろう。
「まったくだよ。久々に会ったと思ったら、あれだもんな」
「んで、俺にどうしろと?」
「なに、昨日の仕切り直しってことで、これから飲みにでも行かないか?」
「なに!? また俺の奢りとかじゃないだろうな!」
昨日のラーメンが相当痛かったらしい。今日も奢らされるのは御免だといった感じだ。
「心配すんなって! そんなこと言わないよ。今日は割り勘だ」
「えー、割り勘かよ……」
海翔は非難の目を浴びせてくる。
「なんだよ……ダメなのか?」
「昨日も言ったが、今月は財布事情が厳しいんだ。悪いが、割り勘ってんなら俺は帰るぜ」
「おいおい……まさか、俺に奢らせる気か?」
「とーぜん。言いだしっぺだろ?」
こいつ、やっぱり昨日のこと何一つ悪いなんて思ってないな……。
けど、大切な情報源だ。俺だって今月は厳しいが、背に腹はかえられない。ここで帰すわけにはいかないのだ。
「はぁ……わかったよ。いいよ。奢りましょう。奢らせて頂きましょう」
「よし! 決まりだ!」
こうして、俺達は近場の飲み屋に入る事になった。
俺達はグラスを片手に色々と話をした。そこでなんとか昨日の話題を振ることができた。
「そういえば、昨日の娘、あれからどうした? まさかとは思うけど……お前……」
「おいおい、そんな疑いの目を向けるなよ。そんな事、するわけねぇだろ」
「それじゃあ、本当にあのまま家まで送って行ったのか?」
それはひっかけだった。もし、ここで海翔が送って行ったなんて言えば、それは嘘だ。現に彼女は家に帰っていない。そうなれば、少なくとも海翔が彼女の事を庇っていることは決定的だ。
けれど、海翔の返事は俺を安堵させるものだった。
「それがなぁ……途中で逃げられちゃってさ」
「はぁ!?」
「俺は家まで送って行くって言ったんだけどな。彼女、なんだかそれが嫌だったみたいで、お前と別れた後、すぐに逃げられたんだよ……」
「はぁ……そうなのか……」
「なんだよ……その呆れたような、残念なような顔は……?」
「いや……呆れてるだけだよ……」
嘘だ。実際は残念に思っていた。海翔が家出娘に手を貸していないというのは嬉しいことだが、これで手掛りがなくなったのも事実なのだから。
「よっぽど彼女、お前が怖かったんだろうな……」
「やっぱり、お前もそう思う? そうなのかねぇ?」
不良三人をあっさりとコテンパンにしたのだ。怖くない方がおかしい。
確かに、女の子を不良から救ったことは、善良な行いだし、聞こえも良く、カッコイイと思えるかもしれない。だが、その現場を実際見たら、不良三人より海翔の方が恐ろしく見えるだろう。
まあ、けれども、これはいまにはじまったことではない。昔から海翔はそういう役回りだったわけだし。
「そもそもお前は女運がないんだから、今更じゃないか?」
「言ってくれるじゃないか……俺だって彼女の一人や二人――」
「それ、いつ話? 前世?」
「くっ……」
冗談めかしの問いに、海翔は言葉を詰まらせる。
当然である。なんせ、海翔は俺と出会ってから今まで恋人と呼べるような人はいない。もちろん、その前も。
「お、お前な……そんな事言ったらお前だってそうだろ? 彼女なんていたことないだろ?」
「俺はいいだよ。別に、欲しいと思ってるわけじゃないんだから」
「……相変わらずだな?」
海翔の声のトーンが少し落ちる。さっきまで冗談を口にしていた雰囲気がガラリと変わり、重い空気に包まれる。
「な、なんだよ?」
そんな空気に吞まれる形で俺はまともに聞き返してしまった。それが良くなかった。
「いや……三年ぐらい前もそんな事言ってたからな、お前」
「そう、だったかな……?」
「ああ、そうだよ。確か、一ノ宮が転校してからだったよな? それまで色恋沙汰はなかったけど、別に恋愛に消極的ってわけじゃなかったお前がそんな事言いだしたのは」
「……そ、そんなこと……」
「やっぱり、あの頃付き合ってたのか? お前たち……」
「別に、そんなんじゃないよ……」
二年半前、連続通り魔殺人事件があった。
俺は興味本位でその事件に首を突っ込んでしまい、犯人に命を狙われる立場となってしまった。
そんな俺を救ってくれたのが一ノ宮怜奈だった。クラスメイトで、俺が恋焦がれる人だ。けれど、その事件がきっかけで彼女は俺のもとから去ってしまった。いや、あれは俺の方から去ったと言った方が正しいかもしれない。
「ま、話したくないなら良いけどな。ただ、あの時の事だけは何も話してくれないからな、お前。気になってたんだ」
「……わるいな。まだ、話せないんだ。あの時のことは……」
「そっか……。なんか、湿っぽくなっちまったな。よし! 飲み直すぞ!」
海翔は話を打ち切り、場の雰囲気を明るくしようと振る舞う。俺もそれに倣って、明るく振る舞うことにした。
それから俺達は飲みながら色々な話で盛り上がり、ほろ酔いになったところで、店を出て、そのまま別れた。
その後、俺は酔いが醒めた頃を見計らって、夜の街に繰り出した。ゲーセンなど、若者が集まりそうな場所を訪れて、荒井恵の写真を見せて、聞き込みに回ったのだ。しかし、残念ながら、この日も有力な情報を得ることはできなかった。
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8月9日。日曜日。この日、俺は荒井恵の担任の教師の家を訪ねていた。その教師は、俺が在学中にも担任を務めていた事もあって、会うのは大して難しいことではなかった。
「いやぁ、君に会うのもひさしぶりだねぇ。元気してたかい?」
会った瞬間、先生はそう言いながら微笑みかけてくる。
この先生は俺が三年の時の担任だった人で、進学にあたって、色々とお世話になった人だ。
「ええ。おかげ様で大学生やってます。あの時は色々とありがとうございました」
「いやいや、大学に受かったのは君の力だ。僕はお膳立てしたにすぎないよ。しかし、君が探偵の助手とはねぇ」
「変……ですか?」
「いや、君には似合っていると思うよ。今は夏休みなんだし、そういった所に力を入れるのも良いことだ。あの頃からは考えられない程だよ」
あの頃――先生が言っているのは、一ノ宮が転校してからの事だ。
あの頃の俺は自分の無力さに苛まれていた。一ノ宮を引き止められなかった自分に、何もできなかった自分に。弱い自分に。三年生になっても、そんな状態なままだった俺は、進学するのも諦めていた。けれど、海翔や先生の励ましのお陰で、俺は立ち直ることができた。
「ありがとうございます。それで、先生。荒井恵さんのことなんですが……」
「ああ、そうだったね。今は思い出話に花を咲かせている時ではなかったね」
「すみません。久々に会ったのに仕事の話で……」
「いや、僕も気になってはいたからね。彼女のことは。三年の夏で、補習もあるのに休んでるから心配してたんだよ。欠席や遅刻するような子でもないし。まさか、家出してたとは……」
先生は残念そうにかぶりを振る。それは悲しんでいるような、悔やんでいるような表情だった。
荒井恵が家出するまで追い詰められていたことに、気づいてあげられなかったことを悔やんでいるのだろう。
「学校の方で何かあったとか、そんな事はなかったんですか?」
「僕の知る限りでは。そんなに目立ったことはないよ。ただ……」
そこで先生は言葉を詰まらせる。
「ただ……何ですか?」
「いや……これは彼女自身の問題だから、あまり他言したくはなかったんだけど、彼女……まだ、進路が決まってないんだ」
「え? まだ、8月ですから、問題ないんじゃあ?」
「いや、そういうことではなくてね。進学するか、就職するかということだよ」
「あ、なるほど……。確かに三年の夏で、それは遅いですよね。何か悩んでる事とかがあったんでしょうか?」
「僕も聞いてはみたんだけど、彼女は何も話してくれなかったよ。待ってくれと、そう言うばかりだった。何かに悩んでいるようではあったけど、それが何なのか……」
「そうですか……。友人関係とかどうだったんですか? クラスとかクラブでとかの生徒との親交は?」
先生は彼女の交友関係の質問に及ぶと、少し困った顔をした。
「それがねぇ……はっきり言って、ないに等しいんだよ、これが」
「ない? ないって一体どういうことですか?」
「友人がいないんだよ。僕が知る限りではね。彼女はクラスでは孤立していた。クラブも一年の頃から入ってなかったようだ。だからね、僕には分からないんだよ。そんな、あの子が家出をしても行く当てなんてないはずなんだよ」
友人がいない。友達がいない。それは学校では心を許せる相手がいなかったということだ。そして、家でも?
何が原因で家出したか分からない。けれど、俺は先生の話を聞いて、あの彼女の事を思い出していた。
クラスでは孤立し、友人もいなかった。それは、彼女が普通とは違っていたからに他ならない。
では、荒井恵は?
この娘はどうなのだろうか?
何か人を避けなければならない理由があったのだろうか……?
その後、俺は先生と別れ、今度は荒井恵が中学三年の時の担任だった教師に会いに行った。けれど、その教師からは先生から聞いた事とほぼ同じ内容を聞けただけだった。どうやら、小学生の頃も、中学生の頃もクラスで孤立しており、ほとんど友達付き合いというものがなかったようだ。
「収穫なし……というわけでもないけど、当てが外れたか。でも……」
心の中に引っかかるものがある。
それは荒井恵が孤独そのものだということ。彼女は生まれてこの方、友人と呼べるほどの人間がいない。
もし、これが真実ならば、彼女はいままでどんな想いをしていたのだろうか。嬉しい時も、悲しい時も、苦しい時も、自分独りだったとしら、普通の人間にそれが耐えられるだろうか。
俺には彼女の気持ちを知る由もない。
だからだろう。荒井恵を見つけ出す必要があると改めて思えた。
それは、あの〝彼女〟に似ているように思えたからだった。
その夜、ある事件が俺の住む如月町で起こる。街中で一人の男性がナイフで刺され、死亡するというものだ。
刺された場所は一箇所。心臓一突きで、ほぼ即死だったらしい。
街中は街中でも人通りが少ないとかではなく、十分な人がいる中での殺人事件だったそうだ。
しかし、犯行時刻にそれを見た者はいないらしい。勿論、犯人の姿を見た者ない誰もいない。証言者の中には、「突然男の人が倒れた」、「刺されたとは思わなかった」と言っている者が多かった。つまり、誰も刺された瞬間を見ていなかったのだ。
そんな奇妙な殺人事件が発生していた。
そして、それが俺の運命を大きく変えていく事件であると、この時の俺は知る由もなかった。




