第7話「兄としての想い」
「フ――すぐに終わらせる、か」
貴志は不敵な笑みを零しながら、地面に突き刺さった刀を抜く。
「いいだろう! 再戦といこうではないか、真藤一輝! 次こそは――」
貴志は言いながら引き抜いた刀の切っ先をこちら向ける。
「――お前のその五体、バラバラに切り刻んでくれる!」
そんな貴志に対して俺は刀を構え、声を張り上げた。
「……ああ、決着をつけるぞ、貴志!」
それが死闘の合図となった。
互いに地を蹴り、その距離を詰め、刀を振るう。
剣戟は重なり合い、火花を散らしていく。けれど、その火花すらも次に繰り出される剣戟に切り裂かれて消えていく。そんな剣戟の打ち合いを何度も交わしていく。
「ぐっ……!」
何度目かの剣戟の最中、痛みが全身を貫く。
真藤一輝の肉体は人間だ。限界を超えた動きをそう長くは続けられない。無理に続ければ、その肉体は崩壊にしていく。
けれど、俺はそれでも止まれない。限界が来ようが、この肉体が壊れようが、この男をこの手で打ち負かすまで、絶対に止まれない。怜奈の、ためにも……!。
もっと迅く、もっと強く。
ただ意識をそれだけに集中していく。
肉体は強靭でないけれど、その脆さを心の強さで補っていく。
もっと、もっと、もっと――。
「もっとだああああ!」
「な……!」
貴志の顔色が変わる。
俺の振るう剣戟に圧され、後手に回り始めている。
何度戦おうとも、真藤一輝と一ノ宮貴志では必ず軍配は貴志に上がる。純粋な力勝負ならば、後鬼の血をもつ貴志の方が肉体的に優れているのだから当然だ。
だが、それは肉体面だけのこと。精神面はその限りではない。
どんなに強靭な肉体を持とうとも、その肉体は精神に左右されてしまう場合だってある。肉体を操る者の精神が弱ければ、自ずとその性能は落ちる。そして、それはその逆もある。
貴志の精神は決して弱くない。後鬼の血、その力を扱うためには、人並み以上の精神が必要だ。
だが、だからと言って、俺の精神が負けているとは限らない。いや、負けるはずがない。俺には――俺の背中を見守ってくれる存在がいるのだから。
「お、おのれ……何故、突然動きが変わった!?」
剣戟の嵐の中、貴志はその疑問を呟いた。
俺は刀を振るいながら、それに答える。
「分からないのか? それはお前にないものを俺がもっているからだ」
「な、に?」
「お前が捨ててきたものを俺は捨てなかった――いや、取り戻せた」
そう、俺も貴志と同じようにそれを一度は捨ててしまった。この戦いに赴く時に。
けれど、怜奈がその大切さを思い出せてくれた。取り戻させてくれた。
人と人の繋がり。その大切さを。それが人を強くするということを。
人は決して独りでは生きていけない。独りでは強くなれない。誰かと繋がり、誰かを想い、誰かに想われ、その想いを背負った時こそ、本当の意味で人は強くなれる。
だが、この目の前の男は、それを捨てた。人との繋がりを断ち切り、自らの目的を果たそうとしている。
そして、それは俺が貴志に勝ることのできる唯一の要因でもありえる。
「貴志、お前が捨てた人との繋がりが俺の今の原動力だ。皆が、怜奈がいてくれるから俺は戦えるんだ!」
「ふ――ふざけるな! そんなことで、そんなものにこの我が負けるものか!」
再び貴志の剣戟に力が増していく。
俺の振るう剣戟の全てを払っていく。
凄い力だ。もはや、人間の域を完全に超えている。
貴志は独りだ。殺人鬼となり、人との繋がりが断ってきた。
けれど、彼は決して弱くない。何故なら、その繋がりを断って尚、その孤独の悲しみの中にいても尚、彼は彼の目的を忘れなかった。自身の目的の為に全てを捨て去った彼が決して弱いはずがないのだ。
貴志がそこまでして果たそうとしている目的、それは――。
「貴志、三年前、俺を殺さなかったのはどうしてだ?」
剣戟の最中、その理由を問いただす。それに貴志は眉をひそめた。
「貴様……こんな時になんのつもりだ?」
「……俺はずっと疑問に思っていた。あの時、お前は俺を殺せる選択もできたのにしなかった。それはどうしてだ?」
あの時、エールは貴志に選択を迫った。俺を殺すか、三年の時を待つかの二択を。そして、貴志がした選択は決して強制されたものではない。彼は自らの意志で三年という時を待つことを選んだのだ。
「知れたことを。言ったはずだ。貴様との殺し合い、その為だけに三年待ったと。ただそれだけのことだ!」
吐き捨てるように貴志は俺の疑問に答える。
けれど、それは嘘だ。それはこの男の本心ではない。
貴志は確かに好戦的ではあるけれど、根っからの殺人鬼だ。殺すと決めた対象に決して容赦はしない。それはこれまでの言動からも明らかだ。
なのに、俺と殺し合いがしたいと言うだけで、三年もの間、俺を見逃がし続けていたとは考えづらい。
この男にはもっと明確な殺人以外の目的があったのだ。
その真意を今この場で暴く必要がある。怜奈の為にも。
「貴志、お前は本当に俺を――真藤一輝を殺したいのか?」
「な、なにを……?」
その問いに貴志の剣戟が一瞬止まる。そこに俺はすさかず刀を振るうが、ギリギリのところで躱されてしまった。
「キ、キサマァ……!」
貴志は怒りの発露を見せる。
それは一瞬のスキを突かれそうなった為か、それとも殺し合いの最中にされたくない質問をされた為か。
どちらにせよ、先程の質問によって奴が動揺したのは明らかだ。
やはりそうか。貴志、お前はそういう人間だったんだな……。
理解できた。一ノ宮貴志という男が何を成そうとして、その身を、その心を外道に堕としたのかが。そして、その理由も既に想像がついている。
だからこそ、やるせない気持ちになる。この男の想いをここで断ち切れなければならないことが。
けれど、それでも俺は――そうすることがこの兄妹の為になると信じている。
「貴志、お前が本当に殺したいのは、俺じゃない。俺の中にいる鬼神の魂――前鬼だろ!」
「……ッ!」
俺の追及に貴志のギリッという奥歯を鳴らす音が聞こえてくる。それと同時に奴の剣戟に力が増す。
「ぐっ! こ、このぉ!」
負けまいとこちらも力を込めて剣戟を振るう。そして、そんな最中にあっても俺は追及の手を緩めない。
「お、お前は前鬼の魂が二度と転生出来ないように殺す必要があった。それが出来なかったから、あの時お前は俺を殺せなかったんだ。当然だよな? 前鬼の魂を滅することなく俺を殺せば、次の現身が現れるまで前鬼は転生できなくなる。そうなったら、お前は前鬼を殺す機会を失ってしまうものな!」
その追及の声をわざと大きく張り上げた。俺の後ろでこの戦いを見守っていてくれる人に聞かせる為に。
けれど、貴志にとってはそれが何よりも気に入らない行為だ。
「だ、だまれぇ!」
それは先程までの怒りとは違う感情の発露だった。憤りと焦燥、その二つに彼は衝き動かされるように怒鳴り、刀を振るう。
だが、その剣戟を俺は苦も無くいなすことができた。
烈しい感情が乗った太刀筋は読みやすい。けれど、それができたのは、前鬼の千里眼のおかげでもあるが、以前それを俺に身をもって教えてくれた人がいたことが要因として大きい。
今の貴志が振るう刀は、俺にとって受け切れないものでも、躱せないものでもない。
そして、それはこちらの攻撃が最も通じる時でもある。
俺は踏み込み、刀を振るう。
貴志はそれを辛うじて刀で防いだ。
「さっきから動きが鈍っているぞ、貴志。何をそんな怯えている?」
「な、何を……我が怯えるなどと……!」
「そうか? 俺にはお前が怯えているように見えるぞ。そんなに怖いのか? 前鬼を殺そうとする訳をこの場で暴かれるのが」
「き、貴様……!」
貴志はさらに苛立ちを募らせると同時に、その表情に怯えにも似た動揺が頭を覗かせている。
貴志は怖れている。俺を――前鬼を殺す本当の理由を彼女に知られることを。
さらに刀を打ち込む。
貴志はそれを刀で防ぐが、その勢いは殺せず、一歩後ろに後退する。
「お前には分かっていた。前鬼の魂が転生を繰り返す限り、後鬼の血を引く者はその命を危険に晒され続けることを」
「だ、だまれ!」
踏み込んでもう一閃。
それを貴志は態勢を崩しながら、寸でのところで躱す。
「だから、お前は何としても前鬼の魂を殺す必要があった。けど、それは自分のためじゃない。そうだろう? お前は――」
「黙れと……言っているんだ! いい加減、その口を閉じろ!」
それ以上先の口にすることは許さない、そう言わんばかりに、貴志は刀を振るう。
けれど、その剣戟はもう俺には通用しない。俺はその一撃を払い落とす。
「お前は、ただ守りたかっただけだ」
今度はこちらが貴志に一閃を見舞う。
だが、それも一歩及ばない。貴志は俺の振るった剣戟を義手となった右手で辛うじて防いでいた。
けれど、俺の追撃はまで終わっていない。
「お前は自分の妹を――怜奈を守りたかった。ただそれだけだったんじゃないのか?」
「え……」
背後から困惑の声が聞こえてきた。けれど、俺はそれを無視して続けた。
そして、それを目の前の敵は目を見開いて固まったまま聞いていた。
「お前は怜奈を守る為に、彼女の命を狙う者を、彼女を――後鬼の血を利用する者を排除しようと決意して、殺人鬼になる道を選んだ。殺人鬼になって、俺や真希さん、そして、蔡蔵さん、前鬼と後鬼に連なる者を消そうとした。違うか?」
「……」
その追及に貴志は俺の刀を右腕で受けたまま俯き、答えない。
貴志の精神は狂ってなどいない。それに、人の心を捨てたりなどもしていない。
彼の心は幼き頃から何一つ変わっていない。怜奈の事を誰よりも大切に思い、怜奈を守りたいと願い、ただその一つの想いだけで、彼はこれまで生きてきた。
例え、その為にとる手段がどんなに外道でも、そのせいで自身が殺人鬼などと言う名に堕ちようとも、ただ妹を守る、それだけを果たそうとしたのだ。
「き、し……?」
戸惑いの呼び声が背後から聞こえてくる。
それに貴志はピクリと反応したかと思うと、右腕で受けた刀を振り払い、後ろに飛び退いた。
「チッ……くだらぬことをべらべらと……よくもそんな妄想ができるものだ」
そう吐き捨てる貴志。けれどその表情には戸惑いが色濃く出ている。
「ああ……全部、俺の想像さ。けど、そこに嘘はないはずだ。これまでのお前の言動がそれを裏付けている」
「黙れ! 我は殺人鬼! 人を殺す鬼だ! そんな人としての感情などとうの昔に捨て去ったと言っただろう!」
「まだ認めないつもりか? そうやって他人にも自分にも嘘をついて、全部独りで背負い込もうって言うのか?」
「ち、違う! 我は……オレは……!」
貴志の表情から戸惑いの色がさらに濃くなっていく。
もう、鬼神や殺人鬼なんて言葉は彼には似合わない。ここにいるのは、ただの――。
「貴志、お前ももう気づいているはずだ。力だけでも、想いだけでも、何も変えられない。人と人の繋がりを切って、独りで出来る事なんてほんの一握りのことだってことを」
「……オレは……違う、そうじゃない……僕は……!」
「お前には、力と想い、その両方があるのに、どうしてお前は力だけに頼ろうとする? どうして独りになろうとする? そんなに後鬼としての自分が怖いのか?
いつか自分で妹を傷つけるかもしれないと、怜奈の中の後鬼の血に影響を与えるかもしれないとでも思ったのか? だから、殺人鬼なんかになって、その想いを誤魔化して怜奈から逃げたんだろう?
けどな、怜奈のことを想うなら逃げるな! お前は怜奈と聖羅ちゃんの兄貴だろ! 妹達のことを想うなら――後鬼の宿命なんかに負けるんじゃない!」
その言葉は、俺の言葉でない。怜奈が俺にくれた言葉だ。
貴志も俺と同じだった。ただ大切なものを守りたくて、それでも自分が背負うものが怖くて逃げていた。
俺と貴志は似ている。その想いは、きっと貴志の方が強い。ただ、俺と違ったのは、人との繋がりを、人の心を信用出来なかったこと。それが出来ていれば、あるいは、俺と貴志には別の未来があったのかもしれない。
けれど、そんな感傷は今は不要だ。そんなたらればの話に意味はなく、今はこの戦いを終わらせなければいけない。
俺は刀の切っ先を貴志に向ける。
「貴志……もう逃げられないぞ」
「違う! 僕は……僕は逃げてなんかいない! 僕は……僕は……! くそぉおおお……!」
貴志は自らの迷いを振り払うように、刀を振り上げ、風を纏いながらこちら向かって駆けてくる。
俺も刀を構え、地を蹴って貴志に向かう。
これが最後の剣戟。この一撃に俺の力と想いの全てを込める。
「かずきぃぃいい……!」
「貴志ぃ……!」
互いの名を叫び、その一閃を振るう。
「……!」
その剣戟が交差した瞬間、想いを乗せた力が折れる渇いた音が闇夜に響いた。
「……俺の勝ちだ……貴志!」
折れたのは――――貴志の刀だった。
「かはっ」
貴志は血を流し、地面に倒れた。
ここに、宿命の対決の、その決着がなされた。




