第5話「古の戦い」
彼は陽気な笑み零しながら、立っていた。その左手には、月明かりを反射して鈍い光を放っている刀が握られている。
「一ノ宮――貴志!」
「やあ、一輝。やっと会えたね?」
貴志は笑顔で馴れ馴れしく声をかけてくる。その様は違和感しかなく、彼が何を考えているのか、全く読み取ることができない。
「お前……どうして?」
訊ねながら倒れた真希さんを見やる。
「ん? ああ――コレのことかい?」
貴志は動かくなった真希さんを足で小突きながら、まるで虫けらでも見るような目で彼女を見下ろしている。
「お楽しみ中のところすまなかったね。けど、アレを使った害虫は残らず殺すって決めてたもんだから、つい、ね」
「が、害虫……だって?」
耳を疑いたく発言。人間を害虫扱いするなんて、常軌を逸しているとしか思えない。少なくとも三年前は、そこまでの考えを持った奴ではなかった。
やはり、貴志もこれまでの後鬼の血を引く者達のように――。
そんな俺の考えを表情から読み取れたのか、彼は不機嫌そうに眉をひそめる。
「おいおい、勘違いしないでくれるかい。こいつと一緒だと思われるなんて心外だよ。僕はこいつとは違う。分かるだろう? 君ならそれが」
「……」
真希さんとは違う。確かにそうだ。
貴志からは真希さんのような狂気は一切感じられない。彼から感じるのは、三年前と変わらず、絶対的に避けようのない死への恐怖と絶望感、ただそれだけだ。
この男は決して狂気などに吞まれていない。
「お前……一体、何がしたいんだ? 随分とあのクスリを毛嫌いしているようだが……」
「当たり前さ! あんな血を穢すものを容認できるわけないだろう? おまけに使った奴はどいつもこいつ漏れなく能無しになるときた。そんなものが本物を生み出すものであるわけがないだろうに。僕はね、こいつや大神のように妄執に囚われた奴が大嫌いだ。けど、それ以上に嫌いなのは、自分なら完璧になれると思い込んでいる奴だよ。そういう意味では、こいつは最低だった。後鬼になれるのは本気で自分だけだと思っていたようだからね。まったく……虫唾が走るよ!」
貴志は陽気な口調で語りながらも、真希さんを何度も足でガスガスと踏みつけている。その様から貴志が彼女をどれ程忌み嫌っているのかが分かる。
されるがままの真希さんは、うめき声一つも上げない。どうやら、既に事切れているようだ。
「だから、殺したのか? あのクスリで能力者に変えられた人々も、そして、自分の姉である真希さんも」
それは貴志がその事実を知っているかも確かめるための質問だった。けれど、奴は眉一つ動かさず、冷たい言葉を言い放った。
「ああ、そうだよ。まったく、迷惑な話だけどね、ああなったが最後、害虫だ。なら誰かが退治してやらないといけないだろう?」
「退治……か。止められる、とは思わなかったのか?」
「止められる、だって? はは、それは悪い冗談がすぎるよ、一輝。アレは能力者でもなければ、もはや人間でもない。人間を辞めた奴らだ。そんな奴に生きている資格なんて初めからないさ。それにさ、殺人鬼は人を殺してこその殺人鬼だ!」
「……そうか」
なんて傲慢で、冷酷なんだ。
おまけに自分の肉親であると知った上で、その命を奪うなんて……。
確定だ。こいつも同じだ。たとえ狂気に吞まれていなくても、これまでと同じ存在にしかならない。
「ああ――だけど、この女を殺した理由は違うよ、一輝」
「え……?」
「覚えているかい? 今度出会えば、その時こそ君をこの手で殺す。僕は三年前にそう約束した。だって言うのに、この女は僕の獲物を横取りしようとだけでは飽き足らず、君を道連れにして自滅しようとした。だからさ、殺されて当たり前だ――よっと!」
貴志は真希さんの亡骸を勢いよく蹴飛ばした。蹴飛ばされた真希さんは地面を転がって闇夜の中に消える。
なんてことを……。
その様に怒りがこみ上げてくる。
たとえ、自身を殺そうとした相手だとしても、そんな風に扱われることも、そんな理由で殺されることもあってはならない。
「――ハ」
思わず自嘲の笑みが零れる。
ここに来て、まだ俺はそんな甘い事を考えているなんて……彼女が街の人間達や俺に何をしたのか思えば、あまりにも甘ったれた感傷だ。お人好しも度が過ぎると言うものだ。
けれど、それでも俺は……この男が許せなかった。
「貴志……お前は……お前だけは……!」
「いいね、その眼。その殺意。やっと鬼らしくなってきたじゃないか、一輝。その調子でもっと近づいてくれ。そうすれば、きっと楽しい殺し合いができる。その為に僕は――」
貴志が纏う雰囲気が変わる。
それは三年前にも見せたものだ。あの時と同じように、彼は別人に変わった。
「――我は三年もの間待ち続けたのだ、真藤一輝」
「……ッ!」
貴志から感じられる気配は、先程までの恐怖や絶望感だけではなくなっている。
これは……畏怖、か?
ドクンと鼓動が高鳴る。
警告――あの男こそ、後鬼として正しき器。気を付けよ、奴こそ真に鬼神の力を手にした者だ。
前鬼からの警告はこれまでにないほど危険を報せるものだ。
だが、それ以上に奴は言っている。あの男はお前が倒せ、と。
ああ、分かっている。そんな事はお前に言われるまでもない。その為に、俺は今ここにいるのだから。
目を閉じ、一度大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。それで沸騰しかけた頭と心臓は冷えていった。
目を開き、刀を持つ手に力を込める。刀からは紅い霊気が立ち昇っていく。
一方、貴志の持つ刀からは蒼い霊気が立ち昇っている。凄まじい威圧感だ。
あれが……後鬼の力を封じたという神器、か。
あの霊気にこの威圧感、間違いなく貴志は封じられていた後鬼の力を引き出すことに成功している。あの刀が纏っている力は、後鬼本来の力そのものだ
けれど、その程度の事で俺はもう怯んだりしない。殺人鬼だろうと、後鬼の力だろうと、知った事ではない。
俺のやるべきことは一つだけ。ただ、自身の持つ力で断ち切るだけだ。
「いくぞ、殺人鬼。覚悟はいいか?」
その言葉に、殺人鬼は不敵に微笑み、言葉を返す。
「ああ、いつでもかかって来くるがいい、殺神鬼!」
それが殺し合いの狼煙の合図。
ここから始まるのは、神を殺す鬼と人を殺す鬼との戦い――古から続く前鬼と後鬼の真の戦いだ。
地を蹴り、貴志へと向かっていく。
貴志も俺に向かって跳んでくる。
一気に互いの間合いを詰め、刀を振るう。
紅い刀と蒼い刀、交差し合うようそれはぶつかり合った。
その刹那――、
「く――、ぁ――」
「は――、ぅ――」
交差する刃から白い閃光が放たれ、一瞬目が眩む。
俺はすぐに貴志から離れようと後ろに飛び退いた。それは、貴志も同様だった。
「な、なんだ……今の光は!?」
一瞬だった。けれど、ハッキリと見えた白い閃光。あれが、後鬼の力……?
いや――そうじゃない。あれはそんなものじゃない。あれは――。
「くく――くくく……!」
貴志は自身の刀に視線を注ぎながら、愉快気に笑っている。
「何が……そんなに嬉しい?」
「くく、嬉しくもなるというものだ。いや、これを嬉しいと思わないわけがない! 後鬼の力を貴様は完全に相殺したのだ。いとも容易く、当たり前のように。これを喜ばずにいられるか!」
そう相殺した。奴の言う通り、後鬼の力を前鬼の力――力を斬る力で完全に相殺した。あの閃光は、互いの力がぶつかり合い、その力が無効化されたことを表している。
だと言うのに、こいつは自分の力が無効化されたことを喜ばしいことだと言っている。
「……正気か、お前」
「ハ――正気か、だと? 馬鹿言うな、そんなものはとうの昔に捨て去っているわ! あの日、貴様に恥辱を舐めさせられてからな! 貴様に分かるか? この日を、この時をどれ程待ちわびたか。それがたった一振りで塵になってしまっては興醒めというものだろう?」
嬉々とした表情で語る貴志。この男は本当にこの状況を愉しんでいる。
これが後鬼に――力に憑りつかれた者の姿か。なんて悍ましい……いや、違う。そうじゃない。
貴志は取り憑かれたわけじゃない。自ら望んでこうなったんだ。俺という存在を打倒するために。
この鬼を作り出したのは……俺自身だ。
「……いいだろう。貴志、お前の望み、叶えてやる」
貴志を見据え、刀を構え直す。
それに合わせるように貴志も刀を構える。
ここから先は純粋な力と力の勝負。より迅く、より強い方が生き残る戦いだ。
振るわれる刀と刀がぶつかり合うキンという甲高い金属音が静まり返った闇夜に響き渡る。
幾度となく振るう剣戟。けれど、それを貴志は容易くいなしていく。
けれど、こちらはそうはいかない。
「その程度か、真藤一輝。それでは我が望むものとは程遠いぞ?」
「――く、――そ!」
神経を研ぎ澄まし、貴志の振るう剣戟を辛うじて自分の刀で受け流す。
純粋な身体能力の差だ。
貴志は後鬼の器として完成している。それは人間の域を超えた肉体を持っているということだ。前鬼の魂から能力だけを間借りしている俺とは性能が違いすぎる。
だからこそ、俺も人の域を超える必要がある。だが、それは無理だ。真藤一輝の肉体は人間のままだ。決して、その域を超えることは出来ない。
ならば――人間としての限界に挑むしかない。
意識を集中して、自らのリミッターを解放していく。
だが、突如として、目の前の景色が明滅し始める。
警告――肉体負荷の限界。拒否。拒否。拒否。直ちに、リミッター解放を停止せよ。
それは先程までの前鬼から警告とは違う。俺自身の本能からの警告だ。
けれど、そんな物は無視だ。
そんな事を恐れていては、この目の前の鬼を打倒することなど出来はしない。
「……だまれ」
一声で、脳内で繰り返される警告を黙らせる。
リミッター解除――身体能力、活性。
腕力、脚力、反射神経、集中力――通常の三倍に活性。
リミッター解放――完了!
「行くぞ、貴志……!」
地を蹴る。
刀を持つ腕を振るう。
先程までと同じ動作であるというに、その速さは、その力は、先程のそれとは段違い跳ね上がっていた。
「――ぐ!」
こちらの剣戟を辛うじて刀で受け止めた貴志は、苦悶の声を漏らす。
思った通り、いくら後鬼の器である貴志でも、この力はそう容易く受け流せない。純粋な力であるからこそ、人間の限界まで引き出した力は、鬼に匹敵する。
されど、流石は完全な鬼神に近づきある殺人鬼。人の域を脱し、人を殺す鬼となった彼が、人間の限界まで引き出した力程度に後れは取らない。
幾重にも振るうこちらの剣戟を、貴志も同じ数だけ剣戟を振るう。
俺も貴志も一歩も退かない。後退することなく、ただ相手は斬る為だけに手に持つ刀を振るう。
だが、そんな中に至っても、貴志は――
「フ、ハハハ……! 素晴らしい、素晴らしいぞ、真藤一輝!」
――笑っていた。
「人の身でありながら、この力、この迅さ、貴様は……本物だ!」
剣戟の嵐の最中、貴志は心底嬉しそうに語る。それは決して余裕から来るものではない。彼は本心でそう思っていることなのだと、刃を交わしている俺には感じ取れた。
「ああ――貴様との死線はこの上ないほど心地いい。だが――」
けれど、それは唐突に、まだ血の一滴も流れていないこの死闘を惜しむように、貴志は表情を儚げに変えた。
「――それもここまだ」
その宣告と共に蒼い霊気を纏った刀には、荒れ狂う風が渦巻いていた。
風の能力、カマイタチ。それを刀に纏わせることで殺傷能力を向上させている。
けれど、ここではそれに何の意味もない。俺の刀は力を――能力を斬る。その力ごと切り裂くまでだ。
「そうはいかないよ、一輝」
「え――」
貴志の纏う雰囲気が突然元に戻る。それと同時にキンという甲高い音が聞こえてきた。
けれど、それは決して剣戟がぶつかり合う音ではなく――。
「な……なんだって……?」
俺の聞いた音は――いや、俺が視たものは、紅い霊気を纏った刀身を掴む貴志の右手だった。
「これで全て終わりだ」
「――ぁ」
貴志は左手に携えた刀を躊躇いなく振るう。
それは、俺の最期を確信させるのに十分な一太刀だった。




