第3話「荒ぶる神」
2013年 1月20日。
少年、真藤一輝は自身の最期を悟り、自分の無力さを呪いながらその目を閉じた。
彼の目の前には、殺人鬼が手を上げ、その手に纏う風の刃をいまにも振り下ろそうとしている。
一輝の死は、彼が如何様な事を試みようとも覆らない。それほど、彼と殺人鬼の間には決定的な差があった。ただの人間と能力者という埋めようのない差が。
その差がありながら一輝が殺人鬼に挑んだのは、彼がまだ能力者という存在に対して理解が及んでいなかったことが要因にあげられるが、それ以上に何よりも彼を守らんとして倒れた一ノ宮怜奈の存在が大きい。彼は怜奈を守り、何として連れて帰ろういう目的があったのだ。だが、その志が故に一輝は死ぬ。殺人鬼・一ノ宮貴志によって殺される。
「さらばだ」
殺人鬼は振り上げた手を振り下ろす。それで一輝の体はバラバラに解体される――はずだった。
「な――に?」
その手を振り下ろした刹那、殺人鬼はあり得ない現実を目にし、その状況に理解が追いつかず、疑問を口にした。
彼の視界から一輝の姿が消えていた。つい今し方まで地に倒れ伏していた一輝が消えていたのだ。
放たれた風の刃は虚しく空を切って、霧散していく。
「一体、どこへ――――!?」
その疑問への解答は既に用意されていた。背後に感じる気配、それにすぐに殺人鬼は気づいた。だが、彼はすぐに振り返れなかった。背後に気配を感じているというのに、その気配が彼の知る真藤一輝とはあまりにもかけ離れていたために、彼は一瞬躊躇ったのだ。
「……真藤一輝、貴様は何者だ?」
殺人鬼は振り返りながら、その問いをそこにいる誰かに投げかける。だが、その誰かはその問いに答えることはない。
振り向いた殺人鬼が見た姿は、先程までの真藤一輝だった。だが、どこかが違うと、殺人鬼は直感していた。
一輝は殺人鬼を前にして悠然と立っている。若干俯きがちでその表情は見てとれないが、そこからは先程までの怒りも、恐怖も感じ取れない。だが、彼からは明確な感情が溢れ出ていた。
それを感じ取った殺人鬼は、さらに真藤一輝という人間が分からなくなった。と同時に、言い知れぬものを彼に感じていた。
「貴様……正気、か?」
殺人鬼がそう問いかけるのは無理からぬことだった。
一輝から感じ取れる感情、それはこれまでのものと全く異なっている。そこにあるのは、強烈な〝殺意〟ただ一つだった。
殺意を纏った一輝は、殺人鬼の問いにその顔を上げる。その瞬間、殺人鬼は驚愕の声を漏らす。
「――なんだ、その眼は!?」
殺人鬼は自身の目を疑った。
先程のまで純粋な日本人らしい黒色だった一輝の両眼は、赤く光っていた。そして、その赤い双眸は殺人鬼のみ捉えている。
その事実に気づいた殺人鬼はこれまでに感じたことない重圧をその身に感じていた。だが、次の瞬間に一輝から発せられた言葉に彼はさらなる衝撃を受けることになる。
「コロ……ス!」
「な……!?」
たった一言ではあったが、その一輝の言葉を聞いた殺人鬼は驚くと同時にある事を直感していた。それは目の前にいる男は自身とって脅威であるという事だった。
「……脅威、だって? 馬鹿な。この僕が彼如きに脅威を感じるなんてあるわけが……」
その事実に動揺した殺人鬼は、先程までの超然とした雰囲気が消え失せ、一ノ宮貴志本来の人格に戻ってしまっていた。
そして、その動揺が殺人鬼に――貴志に隙を生じさせた。それをその脅威は見逃さなかった。
「がああああ!」
一輝は突如として人とは思えない雄叫びを上げながら、殺人鬼に突進してくる。
無論、いくら動揺していたからと言っても、それに気づかない貴志ではない。むしろ、その一輝の様を見て、彼の動揺は消し飛んだ。
「――ちっ! やはり気が狂っただけか!」
そう、気が狂っただけだ。先程、どうやって背後に回り込んだのかは分からないが、それでもカマイタチを操る風の能力者に真正面から突っ込んでくるなど正気の沙汰ではない。
それが殺人鬼であり、能力者である貴志にとって真っ当な思考だった。
気が振れて突っ込んでくる相手など、彼からしてみれば、赤子の手を捻るのと同義だ。風の刃で切り刻めば、それでことは全て終わるのだから。
だから、貴志はその思考に従った。一輝の体がバラバラになるように複数の刃を放った。もちろん、それに一輝が対応できるはずもない。そのはずだった。
だが、それが間違いだったと、貴志はすぐに気がつくことになる。何故なら、一輝はその全ての刃を目にも留まらぬ速さで躱し、そして貴志の懐まで飛び込んできたのだから。
「なん――」
貴志から愕然とした言葉が自然と漏れるその刹那、その言葉すら言い終わる前に一輝は右の拳を振るっていた。
振るった拳は貴志の胸部と腹部の間にめり込む。
「がはっ!」
苦しげな声を漏らす貴志。そのあまりの衝撃にその膝は折れ、倒れかかる。が、一輝はそれを許さなかった。
一輝は貴志に突き刺さったままの拳を力任せにそのまま振り回したのだ。その勢いで貴志は吹っ飛ばされ、その体は地面を滑る。
「ぐっ……ごほっ! く、くそっ……」
貴志は地面に這いつくばり、苦しげ声を漏らす。
彼からしてみれば、それは屈辱でしかなかった。たかが人間に、それも既に三度も相対した相手に自らが屈するなど過去にない体験だった。
「お、お前、一体何者なんだ……?」
貴志は悠然と立つ一輝を見上げながら、その問いを再度投げかける。だが、一輝は理性を失ったその眼で殺人鬼を見下ろすばかりだった。
一輝には一欠けらの理性も残されていない。なればこそ、貴志にとって負けることは許されない。何故なら彼は――。
「理性すらない獣同然に、神が負けることなどあってたまるか!」
殺人鬼は立ち上がる。かつてないほどの激情に駆られ、一輝に対して殺意を向ける。そして、彼は自らの力を解放した。
渦巻く風。全てをなぎ倒し兼ねない程の暴風は、市民の憩いの場であるはずの公園を死地に変えていく。
「これで今度こそ終わりだ、真藤一輝! 覚悟しろ。貴様には人間として死は与えん。その五体、跡形もなく消し去ってくる!」
その宣告と同時に渦巻く風の中から無数の刃――カマイタチが一輝の取り囲むように発生する。
それは貴志の言う通り、その刃に切り刻まれれば、人として姿など跡形もなく肉片に化してしまう、それ程の刃の数だった。
そして、そのカマイタチは躊躇することなく、一輝に襲い掛かった。
四方を取り囲まれた一輝に、これを避ける手段などない。彼にはその先に待つ非業の死を受け入れるしか選択肢は用意されていない。
だが、貴志は激情に流されてしまったが故に気づけていなかった。一輝の右手が淡くであるが黄金に光っていることに。
「ガアァ!」
一輝は叫ぶと同時にその右腕を力任せに振るう。自ら中心に円を描くようにして、その腕を振るった。そう、たったそれだけだった。たったそれだけなのに――全てカマイタチは次の瞬間に消し飛んだ。
「な――」
愕然とする貴志。自らの最大の業をいとも簡単に打ち破られたことに彼は一瞬呆然自失となる。
だが、その一瞬は今の一輝の前で命取りになる。
「アア、アアァァアア……!」
一際大きな咆哮と共に、一輝は貴志に向かって突進する。
「――ちぃ!」
一瞬とはいえ棒立ちになっていたことに貴志は悔やむ。その一瞬が相手に十分な隙を与えることになる分かっていたからだ。
貴志は慌てて右手を前に突き出す。それはカマイタチを一輝に向けて放つ行為に他ならないのだが、しかして、その行為はあまりにも今の一輝の前では鈍重な動きでしかない。
一方、一輝の動きには何一つとして無駄がない。理性がないが故に思考しない。ただ目の前の獲物を捕食しようとする肉食動物のように、姿勢を低くして、とても人間の速さと思えぬほどのスピードで貴志との間合いを詰めていく。そして、その最中、右腕は再び淡く黄金に輝く。その輝きは刹那なほどの間だった。けれど、輝きが消えた時、それに変わる物が彼の右手には握られていた。
「斧、だと!?」
その存在を視認した貴志は驚愕の声を漏らす。どこから取り出したかも分からない黄金に輝く巨大な斧、それを一輝は手にしていた。
人間にはとても扱えそうにないその巨大な斧、それをを手にしているにも関わらず、一輝の走る速さは一向に落ちる気配がない。それどころか、彼は軽々とその斧を振り上げる。
間に合わない――それが即座に下した貴志の判断だった。彼はカマイタチを放つよりも、一輝が斧を振り下ろす方が早いと即断した。だというのに、彼はその後の判断を誤ってしまった。
貴志は本能では一輝に勝てないと分かっているのに、負けることを知らなかった彼は逃げ出すという選択肢を用意してなかった。故に迎え討つという失策を取ってしまったのだ。
貴志はカマイタチを起こすことを諦め、その風の力を右手に集中させる。それは、カマイタチのように刃を飛ばすことができなくとも、風を纏った手はどんな物も切り裂く凶器になる。彼はそれで一輝の斧に応戦しようと考えたのだ。
だが、それが甘い考えであることに彼は斧と刃を交わすことで気づくことになる。
風を纏う手套と黄金の斧、その互いの刃がぶつかり合うその瞬間、殺人鬼の右腕に纏った風は霧散し、そして――彼の右腕は黄金の斧によって肘から下が切断された。
「ぐ、ああああ……!」
絶叫し、蹲る貴志。それを理性の持たない目が見下ろす。
一輝は再度斧を振り上げ、躊躇いなく貴志の頭めがけて振り下ろす。
だが、斧が貴志の頭を割ろうとするその刹那、斧と貴志の間に閃光が奔る。その目が眩むような閃光はほんの瞬く間であったが、一輝と貴志に隔たり生むには十分な目くらましになった。
閃光が消えた時には、一輝が振るった斧は地面に突き刺さっていた。貴志の方と言えば、一輝からやや離れた所に倒れている。
そして、閃光が発生する前とは決定的に違うものがそこにはあった。
黒衣を纏った男、その男がまるで貴志を庇うように立っている。
「……まさかとは思ったが……これは私のシナリオにはない事態だ」
黒衣の男は重々しい声でそれだけ呟くと、後ろで倒れている貴志の方に振り向き、彼の後ろ襟を掴んで、引っ張り上げて立ち上がらせる。
「立て。いつまで寝ているつもりだ」
瀕死の貴志にとって、それは冷酷無比な言葉でしかない。だが、彼にはその声も姿にも覚えがあった。
「お、大神……あんた、何しに……」
現れた黒衣の男、その男の名は大神操司。この男が自らの野望を叶えるために裏で暗躍し、一ノ宮貴志を殺人鬼に仕立て上げた張本人である。
だからこそ、貴志は疑問に思わざる得なかった。この男は計画が最終段階に入るまでは決して表舞台には出てこない。そういう男だったから。
「お前は私にとっての保険だ。ここで失うわけにはいかん。故にお前を助けることになんら矛盾はない。理解したか? 理解したならば――」
大神は再度一輝の方へと向き直り、感情のない目で彼を見据える。
「――逃げろ。私が持ち堪えている内に全力でな」
「なんだって!? 僕に逃げろって言うのか、あんたは! 鬼神の血を引くこの僕に!」
「だからこそだ。あれはお前にとって天敵だ。今のお前では勝てん」
「な!? ま、まさか……」
「そうだ。アレは、今代の前鬼だ」
貴志は絶句した。その名をこんな所で聞くことになろうとは思いもしなかったからだ。
前鬼――鬼神・後鬼の血を滅するが為に幾度となく転生を繰り返してきた後鬼と対をなす鬼神の名。後鬼の血を引く殺人鬼・一ノ宮貴志がそれを知らないはずはなく、知っているが故に彼は戦慄し、恐怖した。
そう、恐怖だ。彼が一輝に感じていた言い知れぬもの、それは前鬼に対する恐怖だったのだ。
「早くしろ。アレの意志はある一方向のみに統一されている。後鬼を殺すという方向性でな。いくら私でもそれを変えることはできん」
大神は人の意志を操る能力を持つ。だが、それは人と言う存在が、幾多の方向性を持ち、矛盾を孕んでいるかこそ効果のある能力だった。ある一方向に決まっている意志など操ることも捻じ曲げることもできない。
加えて、彼は魔術使いだ。だからこそ、彼は自身と前鬼の間に埋めようのない力の差を感じ取っていた。
「ギ……!」
一輝は地面に突き刺さった斧を引き抜くと、今度は貴志を庇いだてする大神に標的を絞るように赤い眼光で彼を睨む。
「ちっ! 不完全な覚醒のせいか。邪魔だてする者はなんであれ見境なしに破壊対象か、厄介な事だ」
大神の言うことは正しい。今の一輝は後鬼の血を滅するためだけに力を振るっている。それは、その邪魔をする者も例外になく対象となる。今の彼にはどのような洗脳も意味はない。彼はきっとここいる後鬼を殺さない限り止まらないだろう。
一輝は腰を落とし、今度は斧を大きく振り被る。
「来るぞ。少しだが時間を稼ぐ。その間に逃げろ。いいな?」
大神は殺人鬼にそう告げて、その両手を合わせる。すると、彼の足元に黒いシミが浮き上がる。それは彼の最強と誇る魔術、生体錬成だった。
黒いシミから湧き出るようにして、それは瞬く間に形を成し、牙を持つ黒い狼の姿を四匹模った。
だが、それは何の意味を成さなかった。
黒い狼がその姿を現した時、一輝は振りかぶっていた斧を振るった。その瞬間、全てを薙ぎ払わんとする衝撃波が大神と狼達を襲う。
「な……!?」
大神は驚愕した。
たった一振りだった。それで大神の生み出した狼達はその衝撃波で消し飛ばされていた。
しかし、それだけなら、大神にとってなんら問題はない。魔術で生み出した存在がいくら消されようとも、もう一度作り直せばいいだけなのだから。だが、事はそれだけに留まらなかった。
一輝の放った衝撃波は、彼の体すらも一刀両断にしていた。
上半身と下半身で分断され、崩れ落ちる大神。それを貴志は呆然と眺めていることしかできなかった。
「がは……に、に……げ……ろ……」
大神は貴志にそれだけ言い残し絶命した。そして、その体は黒いシミとなり消え去った。
それは彼が本物ではなく、生体錬成によって生み出された分身であることを意味していたが、そんな事を気にしている余裕は貴志になかった。
次は我が身と彼は恐怖していた。
「くそ……逃げる暇も、なしか……」
もはや、貴志が生き延びるには、この目の前の悪鬼を倒すしか他がない。だが、それが不可能であると彼は百も承知だった。それでも、彼は諦めることをしなかった。
「いいさ、来いよ。最後まで相手をしてあげるよ、前鬼!」
貴志は挑発めいた言葉を吐く。それに応えるように一輝の斧を持つ手に力が入る。
だが、そこで思いもよらないことが起きた。
「う……うう……あ、ぐ……」
「な、なんだ? 一体何が……?」
一輝は突然頭を抱え苦しみだした。
何が起きたか理解できず、殺人鬼はそれを呆然と見ていることしかできなかった。
だが、それは一時のことだった。
苦しみから解放されたのか、一輝は頭を抱えていた手をダラリと下に垂らした。
そして、彼は貴志に背を向けた。
「な、なんのつもりだ?」
事態の把握が追いつかず、貴志は困惑していた。先程までの強烈な殺意も既に彼には向けられていない。それはまるで貴志に興味を失くしたようだった。
見逃された――そう思った時だった。貴志は気づく。一輝が見据える先に何があるかを。
「ま、まさか……!?」
一輝が見据える先、そこには一ノ宮怜奈が倒れていた。
「待て、その女は違うぞ。その女にその資格はない。あれは後鬼にはなれない」
そう貴志が告げても、まるで聞こえていないのか、一輝は彼女に向かって歩き出す。
「くっ……分からないのか! あいつは違うんだ! お前が殺すべき対象じゃない!」
その叫びは虚しく響くだけで、一輝の歩みは止まらない。
業を煮やした貴志は、一輝の背後から飛びかかる。だが――、
「がはっ!」
飛びかかった瞬間、斧の柄の先端で腹部を一突きされた。背後から飛びかかったというのに、一輝にはそれが視えていたかのような絶妙なタイミングだった。
その一撃で、貴志は行動不能に陥った。
「や、やめ……ろ……そい、つ……は……」
貴志は途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止め、制止の声を振り絞る。けれど、それは一輝には届かない。
一輝は怜奈のもとまで辿り着くと、手に持つ斧を振り上げる。
「や、やめろおおおお……!」
貴志の絶叫が木霊する中、一輝は怜奈に向かって斧を振り下ろす。
その瞬間だった。突然、一輝と怜奈の間に眩い輝きが現れたのは。
その輝きの中から、翼の生えた少年が現れ、そして、その少年は振り下ろされた斧をまるで何事もなかったように掴んでいた。
「な……なんだ、あれは……?」
殺人鬼は目を疑った。突然現れた少年のその姿と、そして、振り下ろされた一撃を受け止めたという事実に彼は目の前で起きている事が現実なのかと疑ったほどだった。
それを察したように少年は、斧の先端を掴んだまま、貴志に向けてひょいと顔だけ覗かして、微笑んだ。
「ちょっと待っててね、貴志。この子を大人しくさせたら、そっちに行くから」
それだけ言って、少年は貴志から顔を隠し、そして、一輝を見据えた。
「ダメじゃないか、善童鬼。それじゃあ、目覚めた時、彼の心が壊れてしまう。君は人間を愛していたんだろう? だったら、寄り人の意志に反することはしちゃいけないよ。そんなダメな鬼にはお仕置きが必要だ。きっと小角さんも今の君を見たらこうするだろうから、させてもらうね」
「ぎ……!」
少年のそんな意味不明な言葉に一輝はまるで怯えたような声を漏らす。そして、少年が掴んだ斧をなんとか引き抜こうとその手に力を込めていた。
だが、少年はそれに動じることなく、感情のない笑みを浮かべて、こう続けた。
「今回はここまでだよ、善童鬼。次の機会まで眠るんだ」
「ァ――」
少年が告げた瞬間、がくんと一輝は膝を折り、その場に倒れ込んだ。そして、その手に握られていた黄金の斧は光の粒になって消え去った。
「これでよし、と。問題は先送りになっちゃったけど、あのまま終わるより、君達にとってはずっといい結末になるだろうから、ね」
少年はそう言って、倒れている一輝と怜奈を見て、優しく微笑む。
そして、少年は貴志の方に振り返った。
「お、お前は……何者なんだ?」
貴志は恐る恐る問いかける。既に目の前の少年が人間でないことを彼は感じ取っていた。人間や自分のような存在などより、遥か上にいる存在だと彼は気づいていた。
「その質問に答えるのは、またの次の機会にしよう。今回は彼らを助けるのと、君にある事を伝えるのが仕事で出てきただけだからね」
「ある事……だって?」
「うん。一ノ宮貴志、君が望むもの今はここにはない。三年後、再び戻ってくるといい。その時こそ、君が望むものがあるはずだ。だから、今はその傷を癒すんだ。三年後、その時になってもなお、その内に灯る炎が消えていないなら、必ず君が望む答えが得られるはずだよ」
「――」
貴志は絶句する。少年の言葉は全てを見透かしていた。誰にも、あの大神にすら語らなかった自らの意志を少年は見透かしていたのだ。
「後は君が決めることだ。どのような選択もこの時代に生きる君には認められている。ここで一輝を殺すことだってできる。だけど、それは君が辿り着きたい場所にはほど遠い未来だ。それだけを伝えたかったんだよ」
それは助言のようであり、予言のようなでもある言葉だった。少年の言葉は、決して世迷言ではなく、真実を告げているものだと、何故か貴志にはそう思えてならなかった。
「……三年、それだけ待てばいいのか?」
「うん、そうだよ」
「……いいだろう、待ってあげるよ。こう見えても、僕は気が長い方、なんでね」
「良かった。これで君達にとっては最良の未来への扉が一つ開かれる」
少年は嬉しそうな笑顔を作り、そして、「じゃあね」と言ってふっと消えていった。
そして、それを見送った殺人鬼は、二人並んで倒れている一輝と怜奈に視線を移す。
「真藤一輝……三年後まで怜奈とのその縁が続いていたなら……今度こそ、お前を殺してやる。必ず、この手で!」
殺人鬼はその決意を胸に傷だらけの体を引きずり、二人の前から姿を消した。
◇
エールは三年前の真実を語り終えた。いや、正確にあの時の事を記録した映像を直接頭に流し込められたと言った方が正しい。
「僕が語ってあげられるのは、ここまでだ」
エールはそう言って、先程と変わらず冷たく微笑む。
いま見せられたものはきっと三年前の起きた全ての記録だ。彼が――世界が記憶したものなのだろう。ならば、そこには嘘偽りがない。
だからこそ、受け入れないといけない。だと言うのに、俺はそれをすぐに受け入れることができなかった。
そんな……俺が、怜奈をこの手で殺そうとした? そんな事を信じろと言うのか? それが前鬼の意志であり、力だと言うのか――。
「君が望んだ力とはそう言うものだ。前鬼の役割は後鬼になり得る力を持った者の排除だ。それが前鬼の魂としての意志でもある。ここいる前鬼だって、そうだ。その彼に魂と肉体を渡せば、どういう結果を招くかなんて、もう言うまでもないだろう?」
それはつまり、三年前の焼き直し、再演となるということに他ならない。
「その通りだ、一輝。じゃあ、それを知った君は、今はどうしたいと思っているのかな? 君が戦う理由――君は何のために彼らと戦うんだい? 僕にそれを聞かせておくれよ、真藤一輝」
エールのその言葉と共に、封じられていた声が戻る。俺はやっと自分の意志で自分の言葉を喋ることを許されたのだ。
「お、俺は……」
自分が戦う理由、それは今更考えるまでもなかった。俺が大神や能力者と戦おうと決意した理由から何一つ変わっていない。だと言うのに、俺は自分の無力さ呪い、力に憑りつかれ、それを忘れてしまっていた。
俺が戦う本当の理由、それは――。
「そんなの決まっているじゃないか。俺は――怜奈を守る為に戦うんだ!」
それは今もの昔も変わらない、俺の決意であり、俺が戦う理由だった。
「良い答えだ、真藤一輝。君はやっぱりそうじゃないとダメだよね。それじゃあ、もう分かるよね? これからどうすればいいのか」
エールの言葉に俺は頷く。
そして、俺は再び前鬼と対峙する。
俺がすべきこと、それは――。
「善童鬼よ、俺に力を貸してくれ。お前の力が必要なんだ。力が欲しいんだ。皆を、そして、怜奈を守る為の力が!」
その言葉を、その本心を前鬼に告げる。
その瞬間、前鬼の赤い両目が光る。
そして、彼も告げた。
「了承した。我が真名を託すに値するその意思、受け入れよう。我をその力として使うがいい!」
前鬼は赤き炎となり、俺の心に流れ込んだ。




