第1話「出会い」
2015年 8月7日。金曜日。正午。俺は間島探偵事務所に急いでいた。
俺の名前は真藤一輝。如月大学に通う大学生だ。間島探偵事務所というのは、間島新一という探偵が所長を務める探偵事務所だ。そして、いまの俺がバイトとして勤めている所でもある。
新一さんは凄腕の探偵だ。この人とは1年前、ある事件で知り合った。それ以来、俺は新一さんの助手をしている。
俺は新一さんに資料を届けるべく、事務所に急いでいた。
数分後、俺は事務所につき、事務所のドアを開ける。
「こんにちはー!」
元気よく挨拶する。しかし、期待していた挨拶は返ってこない。
「あれ? 所長? いないんですかー?」
「ぐぅ……ぐぅ……」
「イ、イビキ?」
窓際に向いていた所長の椅子を覗き込むと、新一さんは椅子に座ったまま寝ていた。
「所長! 所長! 起きてください! 新一さんってば!」
俺は新一さんの名を叫びながら、体をゆする。
「むにゃむにゃ……かおりさぁん」
新一さんは良く分からない寝言を口にしながら、突然俺に抱きついてきた。
「うわっ! 何すんですか!? この馬鹿所長!!」
俺は新一さんの頭を思いっきり叩いた。
「あいた! んにゃ……あれぇ? 一輝君じゃないか。なんだ……来ていたんだね?」
「え、ええ」
まったくこの人は……。
「おや? どうかしたかい?」
「いえ……なんでもありません」
「そうかい?」
どうやら、自分が見ていた夢やした事、された事は覚えていないらしい。
「所長、頼まれてたもの持って来ましたよ」
俺は資料を所長のデスクの上に置いた。
「ああ、ありがとう。いつもすまないね」
「いえ、助手ですから」
「そうか。それじゃあ、ついでで悪いんだけど、これから仕事頼まれてくれるかい?」
「え? これからですか?」
「うん。都合悪いかい?」
「ええ、すみません。これから、高校時代の友人と会う予定なんです」
俺は本当に申し訳ないと思いながら、断った。
そもそもアルバイトと言っても俺はほとんど新一さんのお手伝いをしているに過ぎない。俺も学生という立場もあるため、いつもアルバイトばかりとはいかないのだ。新一さんもそれを分かってくれており、都合のつく時に手伝ってくれればいいと言ってくれている。
「そうか……それじゃあ、仕方ないね。じゃあ、また明日来てくれるかい? 仕事の内容はその時に話すから」
「わかりました。それではこれで」
「うん。楽しんでくるといいよ」
「はい」
俺は新一さんに一礼して、事務所を後にした。
事務所を出た俺は待ち合わせ場所に急いでいた。
「あちゃ……少し遅れるなぁ……またアイツ、うるさいだろうな……」
俺がこれから会う人物は中学、高校と一緒だった友人だ。親友と言ってもいいだろう。
数分後、俺は待ち合わせ場所に到着した。約束した時間より10分の遅れだ。
「おーい、かいとぉ!」
その友人の姿を見つけた俺は、走りながら、そこで待っている人物を呼んだ。
名前を呼ばれ、振り返ったのは厳つい顔をした、がたいの良い茶髪の男だった。
「遅いぞ、一輝!」
不機嫌そうにしているせいか、その顔がさらに厳つくなっている。もうほとんど不良か、チンピラだ。
「わるい。バイトの関係で少し遅くなった」
「まったく……久々に会えると思ったらこれだ……」
見た目ほぼチンピラのこの男、名前は石塚海翔という。俺の唯一無二の親友だ。俺とは同じ高校だったが、大学には進まず、現在はフリーターをしている。
「お前、まだあのへぼ探偵の助手なんてやってんのか?」
「へぼじゃないぞ、失礼な! あの人は立派な探偵だよ。見た目はそう見えないかもしれないけど……」
「ふぅん。俺にはそうは見えないけどな……まぁ、いいや。早速行こうぜ。早くしないと始まっちまう」
俺達は、これから新作映画の試写会に行くことになっている。この間、テレビで応募したら、運よくチケット2枚が手に入ったのだ。
「しっかし、2枚あったら女と行くのが普通だろーに、お前ときたら……」
海翔は呆れ顔で溜息を吐いた。
「うるさいな。仕方ないだろ? そういうの、いないんだから」
「それがおかしいって言ってんだよ。お前ぐらいの男なら、大学に入れば女の方から寄ってくるだろ?」
「……うるさいな。ないよ、そんなこと」
俺はわざと相手に分かるように、声のトーンを下げて、いかにも不機嫌を装う。
「はぁ……わかったよ。もういわねぇよ」
そんな俺の態度を察して、海翔はもうその話題には触れてこなかった。
海翔の指摘通り、女の子から言い寄られたことが実際にはあった。大学に入ってから、3人ほどから告白もされた。けれど、俺はそのどれも断った。付き合っても別によかったのかもしれない。けれど、3年前の記憶が俺にそうはさせなかった。どうしても乗り気になれなかったのだ。それは今でも変わらない。
「おい! 一輝!」
「……え?」
「なに、ぼーっとしてんだよ? またいつもの推理ボケか?」
「う、うるさいな。そんなんじゃないやい!」
「まぁ、いいや。ほら、さっさと入ろうぜ」
「あ、ああ」
俺達は、試写会室に入っていった。
数時間後。
「いやぁ、マジつまんなかったな」
試写会室から出てきた途端、海翔がそんな愚痴を漏らした。その表情は完全に呆れ返っていた。余程映画の内容がつまらなかったのだろう。
「あのな……人のチケットで見といて、それはないだろ?」
「だって、つまんなかったものはつまんなかったんだから仕方ないだろ。お前はそう思わなかったのかよ?」
「う……そりゃ、まぁ……」
確かにお粗末な映画ではあった。キャストは豪華な顔ぶれで、文句なしなのだが、内容が如何せん、お粗末なのだ。
その内容というのが、ある日、主人公の男が時間を止めることができるアイテムを手にし、それを使って面白半分で悪戯して遊んでいたら、ある事件に巻き込まれてしまい、死にかけたりもしながら、時間を止めるアイテムを使って事件を解決するというものだ。
はっきり言ってリアリティの欠片もなく、この作品を見て何か得られるものなんて何もない。
「さて、これからどうするよ? 一輝はこの後予定とかあんのか?」
「え? 特にないけど?」
どうやら海翔は完全に今回の映画には興味を失ったらしく、すでに興味は次のことに向いている。
「じゃあ、なんか食って帰ろうぜ? 腹減ったしよ」
「いいけどさ、もちろん奢りだよな? チケットやったんだし」
「げっ! マジかよ!?」
「マジだ。大マジだ」
「仕方ねぇなぁ……今回だけだぜ?」
「わかってるって!」
その後、俺達は近くのラーメン屋に入り食べる事にした。
「ふー、食った食った。ご馳走さん」
「はぁ……お前なぁ。散々食いやがって。お前こんなに大食いだったか?」
海翔は財布を覗き込みながら、涙目になっていた。どうやら今月は財布事情が厳しいらしい。
「わるいわるい。朝から仕事でね。昼飯も食い損なってたんだ」
「はぁ……まったく。探偵業なんかに嵌りやがって……何が楽しいんだか」
何とも聞き捨てならない台詞。お前がそれを言うかと言ってやりたい。
「あのなぁ……そうは言うけど、お前だって昔は――ん? どうした?」
海翔は俺の話を聞かず、ある一点を注視していた。
「おい、海翔、何見てん――ん?」
海翔の視線を追ってみると、そこには柄の悪そうな三人の男が制服を着ている女の子を取り囲んでいた。
「ねえねえ、きみぃ。俺達と遊び行こうよぉ」
一番右側にいるちょっと痩せ気味男が馴れ馴れしく女の子に話しかけている。
「えと……わた、私……」
「えー? なぁに? 聞こえなーい」
「ひ……!」
今度は一番左側にいる少し背の低い男が女の子の肩に手を回そうとしている。
「ね、行きたいよね? 一緒に楽しいことしたいよね?」
さらに、真ん中にいた小太りの男が強引に彼女に迫っている。
「ゆ、ゆるせねぇ!」
突然、海翔が低い声で呟いた。どう聞いても本気で怒っている時の声だ。
「か、海翔?」
「もう我慢できねぇ!」
「お、おい! 海翔、止めろって!!」
海翔は俺の制止を聞かず、男たちの方にズンズンと歩いて行く。
「あ、あの……だ、だから……」
女の子は完全に怯えきっているせいか、まだはっきりとものを言えないでいる。
そのせいか、男達はさらに調子に乗ってつけあがっている。
「え、なになに? 一緒に行きたいって? それじゃあ、行こうか!」
小太りの男が女の子の手を無理やり掴む。どうやら、男たちは痺れを切らせて、強引に女の子を連れて行こうとしているようだ。
「やっ!」
女の子は小さな悲鳴を上げる。その時だった――。
「おい」
「あん?」
突然背後から呼ばれた男たちは一斉に振り向いた。そして、次の瞬間、その中の痩せ気味の男は振り向きざまに顔面を殴られていた。
「ぐわぁ!」
「か、海翔……やっちゃったよ……」
俺は天を仰ぐしかなかった。
まさか、こんな所で暴力沙汰になろうとは……。
だが、やってしまったものは仕方ない。無視するわけにもいかないので、俺は急いで海翔のところに駆けつけた。
「い、いてぇ……なんだテメェは!?」
「嫌がってんだろ。男がヨってタカって、恥ずかしくねぇのか!」
「あん? ざけんな! テメェには関係ねぇだろ!」
「やっちまえ!」
男たちは海翔に一斉に襲い掛かった。
「う、うわぁ! やめとけ、お前たち!」
叫んでみたものも、その叫びは虚しく響き、俺が恐れた事は現実となる。
「ウギャッ!」
「ゲフッ!」
「フギャッ!」
チンピラ三人組は海翔にあっさり伸されてしまった。
「はぁ……だからやめとけって言ったのに……」
海翔は昔から女の子に嫌な思いをさせるような男が大嫌いで、そういう奴を見ると許せないのだ。しかも、喧嘩が滅法強く、俺の知る限りでは負けなしだったりする。
「ち、ちくしょう! 覚えてろよ!」
コテンパンにされたチンピラ達はあっさりと逃げて行った。
「けっ、雑魚が! 君、大丈夫かい?」
「ぁ……」
「ん?」
「ん? どうした、海翔? あれ? この子……」
その女の子は見覚えある制服を着ていた。
「おい、海翔。この制服って如月学園のだよな?」
「あ、ああ……ねぇ、君――」
「い、いやっ……!」
女の子は酷く怯えているようだ。特に海翔に。その場に座り込んでいる。当たり前だ。助けられたとはいえ、あっさりと三人を伸したのだ。恐ろしくない方がおかしい。
「わわ! 大丈夫だって。俺達は何もしないから。な、一輝?」
「ああ、大丈夫だよ。君、如月学園の生徒さんだよね?」
「え……はい……」
「俺達如月学園の卒業生なんだ。俺、真藤一輝。こっちは――」
「石塚海翔だ」
「え……えっと……そう、ですか」
「えっと、君は?」
俺が尋ねると、彼女は自分の名を名乗ってない事に気づいたらしく、恥ずかしそうに顔を赤くした。
「えっと……その……ごめんなさい。えっと……私は……荒井恵っていいます」
たどたどしく、彼女は名乗った。
「へぇ、恵ちゃんかぁ! 恵ちゃん、立てるかい?」
「え……」
海翔の様子がおかしい。さっきとは打って変わって、ニコニコしているし、女の子に手を差し出すなんて普段見せないような優しさをみせている。
「あ……は、はい……」
彼女は海翔の手を借り、立ち上がる。立ち上がったその足元には何かが落ちていた。
「うん? なんだこれ?」
俺はそれを拾い上げ、まじまじと見つめた。
「……懐中時計?」
「あ!」
彼女は俺の手から懐中時計を奪うようにして取り上げた。
「え……」
「あ……えっと……ごめんなさい。これ……大事なものなんで……」
彼女はそう言うと、ぎゅっとその懐中時計を握りしめる。どうやら本当に大事なものらしい。
「あ、ああ……こっちこそ、ごめんね」
「まったく……無神経すぎるぜ、一輝。ごめんね、恵ちゃん」
「む……」
明らかに海翔の態度が俺と彼女とでは、違う。それに無神経とかちょっと傷つく。
「恵ちゃん、一人で帰れるかい?」
様子のおかしい海翔はほっといて、俺は彼女に尋ねる。
「え……えっと……」
「そうだ! 俺が家まで送って行ってあげるよ」
海翔は彼女の意見も聞かず、勝手なことを言い出した。
「おいおい……」
もはや、呆れ返るしかない。
これではあのチンピラ達と何も変わらないだろうに。何考えてんだか……。
「え? え?」
彼女は目を白黒させながら、戸惑っている。
「よし、決定!」
困惑する彼女の様子を気にすることもなく、海翔は勝手に決めてしまった。
「んじゃ、一輝。俺、この子送って行くから。またな!」
「って、おい! お前、言ってること無茶苦茶勝手だぞ!」
「えと……あの……」
彼女の声は小さく、何を言っているのか俺達には聞こえない。
「小さいこと気にすんなって。じゃあな、一輝。また今度なー」
海翔は恵ちゃんの背中を押しつつ、俺に手を振りながら行ってしまった。
「あーあ……あの子も大変だな。ま、海翔ことだ。変な事をしないだろ。任せても、問題ないか……。さて、俺も帰るかな」
そうして、その日、俺は家路についた。
この時は思いもしなかった。この出会いが、俺にとって絶ったはずの道に舞い戻るものだとは――。




