エピローグ「血を支配する者」
ドシャリと音を立てて、血だまりの上に落ちる塊を見下ろす。
これで本日三匹目。いい加減うんざりしてくる。
今日になって突然奴らと出会うことが多くなった。おまけに昨日までは意志疎通ができない奴らばかりだったのに、今日出会った奴はそれなりに可能だった。
けれど、結局は血に堕ちた奴らであることに変わりなかった。だって、この僕に畏れを抱くことなく、襲いかかってきたのだから。
そんな不逞な輩は例外なく切り刻むことにしている。
「それにしても……」
どうして意識が残った奴らが増えてきのか? それが疑問だ。
「……まさか、ね」
過ぎる考えは馬鹿げたものだ。あのクスリが本物を生み出すなどありえない。例え、近づけることはできたとしても、偽物であることには変わりがない。
「まったくあの女も馬鹿だね。こんな無駄なことを……」
「あら、失礼ね。折角の他人の研究成果を無駄なんて!」
背後からの批難の声。それに振り返ると、蒼い双眸がそこにあった。
「あんた……どういうつもりだい?」
「何がかしら?」
彼女はさも言っている意味が分からないと言いたげにわざとらしく首を傾げる。その仕草がどうにも癪に障る。
言っている意味が分からないはずがない。僕と彼女は既に袂を分かっている。にも関わらず、平然と僕の前に現れるとはどういう了見か。
「僕をなめているのか? だとしたら、万死に値するよ」
「あら、怖い。そんなこと言わないでくれるかしら? 一度は手を組んだ仲じゃない」
「……消えくれるかな? これ以上その戯言を聞きたくないんでね」
「そんな事を言わないでよ。今日は貴方に報告に来ただけなんだから」
「なに? 報告だって?」
「ええ、そうよ」
不敵な笑みを零す彼女。その彼女の顔がどうにも憎たらしい。どうやら、僕は彼女の事が生理的に受け付けないようだ。
「私ね、ついのやったの。貴方でも辿り着けなかった場所まで遂に辿り着いた」
「……な、に?」
「分からない? なら、はっきり言ってあげる。私はなれたのよ、彼女に。貴方ですらなれなかった彼女にね!」
「彼女……だって!?」
彼女……それはつまり、内なる血を覚醒させ、制御できるようになったということか――。
「馬鹿馬鹿しい! あんたの戯言はやっぱり聞くに堪えないね」
「それはどうかしら? 貴方だってさっきまで近づけた奴らと遊んでいたでしょう?」
「なんだって?」
「分かるはずよ。血を忘れた者ですら、あれだけ覚醒できるんですもの。色濃く血に刻まれた私なら、もっと高みにいける。必ず彼女と同じなれるわ!」
「あんた……まさか、あのクスリを?」
「フフ、アハ、アハハハハ!」
嬉々として笑う彼女。それは肯定に他ならない。
そうか――ついにこの女は踏み越えてならない境界を越えてしまったということか。
「やっと気づいたの? ええ、そうよ。私はあれを完成させた。そして使ったの、この体に! どう? 貴方から見て、私はどうかしら? 私は変われているかしら?」
「貴様……それがどういう事か分かって言っているのか!?」
「ええ、分かっているわ。簡単な事よ。選ばれたのは貴方じゃなく、私だってことよ!」
「ッ……!」
ギチリ、と奥歯が折れる音が聞こえてきそうなほど噛みしめる。
それは悔しさからではない。この女の馬鹿さ加減に腹を据えかねているからだ。
この女は、勘違いをしている。
「聞きなさい。もうすぐ彼は――一輝君は私の許にやってくる。そうなれば、もう誰にも止められない。貴方ですら、私達の間には入ってこられない。だから、諦めなさい。彼の事は」
まるで彼女は恋い焦がれる乙女のような顔をする。そして、その言い方は恋する相手に憑こうとする悪い虫を払うかのようだ。彼女からすれば、さながら僕は一輝の元恋人といったところなんだろう。
くだらない。実にくだらない。ここに至って、まだそんな勘違いしているなんて、この女は本当に馬鹿だ。
「……馬鹿な女だ」
「なんですって?」
むっとした表情に変わる彼女。蒼い双眸でこちらを睨んでくる。
「聞こえなかったか? 貴様は馬鹿だと言ったんだ。そんな偽物の力に縋るようではな」
「あ、貴方なんかにそんな事を言われる筋合いなんてないわ! それにこの力は本物よ! なに? 先に出し抜かれた嫌味かしら?」
彼女は吊り上げた口元をひくひくと痙攣させている。
「そう思うなら勝手にしろ。忠告はした。自滅したいならそうするがいい」
「勝手に言ってなさい。貴方は彼が私に愛されるところを指でも咥えて見てるといいわ! そうして、私はなるのよ。彼女に――完全なる後鬼に!」
その様を想像しているのか、彼女はその快楽にぶるぶると肢体を震わせている。
「完全なる後鬼……だって? ク、クク――」
その間抜けな発言に堪え切れず笑いがこみ上げてくる。
「な、何が可笑しいのよ!?」
「笑いもする。お前が後鬼になるなど、一生ありえんのだからな」
僕は言いながら、背負っていた刀を鞘から取り出し、地面に突き立てた。
「……え? そ、それって……」
地面に突き立てられた刀を見て、彼女は表情を強張らせた。
「ああ、見ての通り、後鬼の力が封じられた神器だ」
「ど、どうして、それが貴方の手に!? あ、あれは一ノ宮蔡蔵が……ま、まさか、貴方、自分の父親を……?」
「ああ、切り刻んでやった。これはその戦利品だ」
「くっ!」
蒼い双眸がギロリと睨む。
「なんだ? これが我の手許にあることが許せんか? 愚か者め。それこそ貴様には出過ぎた感情だ。これは我が持っていてこそ、意味のあるものだ」
「黙りなさい! それは私のものよ! それをこっちに渡しなさい!」
「ふん。欲しければ、力尽くでこい。その変わりきっていない身体で我に勝てると本気で思っているならば、だが?」
「くっ……! いいわ。それはまだ貴方に預けておいてあげる。でも、必ず返してもらうから。覚えておきなさい!」
彼女は捨て台詞のようにそう言うと、ひらりと踵を返し、僕から遠ざかっていく。
「ああ――だが、もし、お前のその愛が本当に一輝を殺せるというなら、これはお前にくれてやる」
その僕の言葉にピタリと彼女は足を止める。
「その言葉、嘘じゃないでしょうね?」
「ああ、我は嘘など言わない。お前達人間と同じにしてくれるな」
「ッ!」
振り向いてギロリと睨む彼女。人間と言われたことが余程頭にきたのだろう。
「覚えておきなさい、一ノ宮貴志! 貴方は必ず私の手で殺してあげる。一輝君とは違う無意味で苦痛しかない死を与えてあげるわ!」
彼女はそう言い残して、僕の前から姿を消した。
「……本当に馬鹿な女だ。あんなもので本当になれる思っている」
それどころか、あのクスリがその純粋な血を汚しかねないというのに。
「だがまあ、それもいいか」
どんなに薄汚れようが、後鬼の血を引く者であるのは変わらない。それが力を得ると言うのだ。ならば、期待できるかもしれない。
「せいぜい頑張ってくれ。期待しているよ、一輝への当て馬としてね」
血を支配したと思い込んだ哀れな女としては過ぎた役回りだ。だが、それで彼が覚醒してくれるなら、その方が僕としても望ましい。
「さあ、一輝。もうすぐだ。もうすぐ会える。会えたら今度こそ――殺し合おう」
血の宿命編 完
――To be continued to FINAL CHAPTER
『血の宿命編』を最後まで読んで下さった読者の皆様、大変ありがとうございます。
今回もかなりの長編となってしまいましたが、お付き合いいただき感謝しております。
読者の皆様がいてくださったことで、ここまで辿り着けた思っております。
本当にありがとうございました。
さて、物語はいよいよ最終章を残すばかりです。
読んでいただいてお分かりの通り、『血の宿命編』は綺麗に終わらず、次章へと続きます。
つまり、次章で完全完結となります。
最終章は長くしないつもりです。『見えない殺人鬼編』と同程度の長さにするつもりでおりますので、
もう少しお付き合いください。
それでは、今後も「旋風と衝撃の狭間で」を宜しくお願い致します。




