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旋風と衝撃の狭間で  作者: みどー
血の宿命編
158/172

最終話「宿命を背負う者」/9



 集中治療室から出ると、怜奈と新一さんが待っていた。

 二人は部屋から出てきた俺に一斉に視線を注いできた。


「か、一輝……そ、その……」


 心配げな表情で俺を見つめる怜奈。きっと蔡蔵さんと二人で何を話しているのか気になって仕方ないのだろう。

 一度は蔡蔵さんに引き離されたのだから心配になるのは当たり前だ。


「心配ないよ、怜奈。何も、なかったから」

「……本当に?」

「ああ」


 そう……怜奈が心配するような事は何もなかった。だから、怜奈が心配する必要はないんだ。そして、心配させる必要もない。

 けれど、こっちの人はそれだけじゃ納得いかないだろうな。


「一輝君……少しいいかな?」


 新一さんが神妙な面持ちで訊ねてくる。


「はい……どうぞ」


 この人には言い逃れなど通じない。嘘は見破られる。


「さっき神器がどこにあるかと蔡蔵さんに訊いていたね? 神器とは何のことだい?」

「それは……」


 後鬼の力が封じられている物。そう正直に話してしまうことはできない。そんなこと怜奈のいるこの場で言ってしまえば、それだけで問題が大きくなってしまう。けれど、嘘は言えない。


「それは……それが、蔡蔵さんが役野家から盗み出した物です」


 嘘は通じない。だから、嘘は言わない。


「やはりそうか。……けれど、神器という言葉は、初耳だ。依頼してきた役野さんも家宝としか言っていなかったはずだが……君はそれを誰から聞いたのかな?」


 新一さんの疑問は当然だ。役野小蔵が盗まれた物を家宝としか言わなかったことは百も承知だった。だから、俺の口から〝神器〟などという言葉が出ること自体おかしいのだ。

 新一さんの眼は訴えている。君は何を知っていて、何を隠しているんだと。それから逃れる術を俺は知らない。けれど、真実を語るわけにはいかない。

 そんな板挟みに頭を悩ませていた時だった。思いも寄らない声が飛び込んできたのは。


「ほう、随分と興味深い話をしているようじゃな?」

「――」


 その声に振り返り、そこにいた人物を見て、誰もが驚いていた。

 振り向いた先に立っていたのは、杖をついた老人だった。


「役野、小蔵」


 その老人の顔を見て、ついその名前を口にしてしまった。


「なんじゃ、小僧。依頼人に対して、呼び捨てか?」

「あ……す、すみません――」


 反射的に頭を下げて謝ってしまった。けれど、そんなことをしている場合ではないことにすぐに気がついて、頭を上げる。


「――って、そうじゃなくて! どうして貴方がここにいるんですか!?」

「どうしてじゃと? そんなもの決まっておるじゃろう。そこの男から一ノ宮蔡蔵が見つかったと連絡を受けたからじゃ」

「え……新一さんから?」


 新一さんを見ると申し訳なさそうな顔をしている。


「すまない、一輝君、怜奈君。こんな時にとは思ったんだが、その……一応依頼だったから連絡しないわけにもいかなくて……」

「そ、それはそうなんですけど……あっ!」


 しまった……蔡蔵さんのことや教授との電話で、新一さんに役野真希について話しておくのをすっかり忘れていた。


「あなたが……役野小蔵。役野真希の……祖父!」


 怜奈は呟きながら、小蔵さんの顔を睨みつけている。


「む……なんじゃ小娘! 恐い顔をして人をジロジロと見るもんじゃないわ! 失礼な!」

「し、失礼ですって!? あ、あなたこそ、なにしに来たの!? よくノコノコと私達の前に姿を晒せたものね? あなた達のせいで一輝がどんな目に遭ってると思ってるのよ!」

「なんじゃと……?」


 激昂する怜奈を見て、小蔵さんは訝し気な表情を浮かべる。そして、俺の方に視線を向けてきた。


「小僧、どういうことじゃ? 何があった?」

「え……何がって……」


 おかしい。小蔵さんの反応は、怜奈から言われたことがまるで分かっていないように見える。この反応に嘘はないように思える。だとしたら、この人は本当に……?


「と、惚けないで! あなたの孫、役野真希がこの街でやったことを知らないとは言わせないわ!」


 しらをきっていると思ったのか、小蔵さんの反応を見て、さらに激昂する怜奈。けれど、その怜奈の言葉を聞いた小蔵さんは、大きく目を見開き、驚いていた。


「おい、小僧! 真希に何があった? く、詳しく話せ!」


 小蔵さんはこれまで見せたことのない形相で、詰め寄ってくる。けれど、その瞳からは動揺が窺えた。


「え……ええっと……」


 予想外の展開だ。てっきりこの人の命令で真希さんが動いているとばかり俺は思っていた。

 けれど、この動揺の仕方は明らかに違う。この人は本当に知らないのだ。

 真希さんがあれだけのことを仕出かしたことを全く知らない? 大神の事、クスリの事、そして、彼女が何をしようとしているのかも気づいてなかったというのだろうか?


「一輝君、この人は嘘を言っていないようだ。話してあげてくれないか? 僕も聞きたい」


 新一さんも話すように促してくる。当たり前か。新一さんだって、知らないことだらけなのだから。


「わ、わかりました」


 俺はこの数日にあったこと、そして、役野真希がこの街で起こした事件を洗いざらい新一さんと小蔵さんに話した。

 新一さんは俺の話を冷静に聞いてきたが、小蔵さんは見る見るうちに顔を青ざめさせていった。

 話し終わった時、小蔵さんはカタカタと杖を震わせ、青ざめた顔は信じられないとでも言いたそうな表情になっていた。


「小蔵……さん? あの……大丈夫ですか?」

「こ、小僧……その話、嘘ではなかろうな?」

「ええ……嘘なんてありません。全部、俺が見て聞いたことです」

「くっ! そ、そうか……」


 小蔵さんは苦虫を噛み潰したような顔になる。杖を持っている手にも力が入っている。

 けれど、すぐに全身から力が抜けたようになり、顔からも表情が消え、眼は虚ろなものに変わった。


「……真希はいまどこにおる?」

「分かりません。俺達の前から姿を消しました」

「なるほど……神器を手に入れたのならそうなるのが当然かの……」

「え……?」


 一人納得する小蔵さん。けれど、それは大きな勘違いというものだ。


「待ってください。神器を持っているのは真希さんじゃありません。別の人間です」

「なぬ? どういうことじゃ? ではどうして神器の事を知っておる?」


 認識の差異。俺が神器の事を知っているのは、真希さんがそれを蔡蔵さんから奪い、その顛末から神器の事を知ったと小蔵さんは思っている。

 けれど、実際は違う。俺が神器の存在を知ったのは偶然からだ。いや、もしかしたら、仕組まれた必然かもしれないが。


「小蔵さん、俺が知っているのは神器の中に封じられている物が何かと、それを使用してはいけない対象がどんな存在か、くらいです。だから、真希さんが何故あんなことをしているのか、俺には分かりません」


 嘘偽りなく、そして、端的にそれだけで相手に伝わるように話す。

 その言葉に小蔵さんも気づいたのだろう。目を細め、険しい顔つきになった。


「むぅ、おぬし……まさか……」


 小蔵さんは呟いた後、俺から視線を外し、怜奈と新一さんの顔を交互に見た。

 二人とも困惑した表情を浮かべていて、状況が掴めていないのが良く分かる。

 小蔵さんはそんな二人を見た後、納得したように頷き、もう一度俺に視線を戻した。


 ――こやつらにはお主のことは伏せて話せということか?


 そう告げている目に俺は頷き返す。


「ふん……どうやら状況はわしの想像しているよりも混迷を極めておるようじゃの」

「ええ。ですから教えてください。真希さんがこんな事を起こしている理由を。知っているんでしょう?」

「……よかろう」


 小蔵さんはどこか諦めたような表情を浮かべ、そして語り出した。


「わしら役野家の祖先は、その昔、荒ぶる神――鬼神と戦い、そしてそれを封印した。神の魂はある土地に、神の体は人間の血肉に、神の力は神器へ封印したんじゃ。そして、神器を守ることが我ら役野家の役目だった」


 荒ぶる神、鬼神……間違いなく後鬼のことだ。あの書物に書いてあった事と一致している。そして、それを封印したということは役野家の祖先とは役小角ということになる。


「我ら役野家の使命はただ一つ。その鬼神の復活を阻止することじゃ。何百年経とうと、その使命だけは忘れ去られることはなかった」


 役野家は役小角の子孫。故にその使命だけは全うしなければならない。けれど、復活を阻止することを使命とする者がいれば、その逆を使命とする者も――。


「しかし、それとは逆に鬼神を望む一族もおった。鬼神の肉体――その血肉を得た人間の一族じゃ。奴らは鬼神の常識を超えた力に魅入られ、鬼神を崇めた。そして、いつしか、その鬼神が一族に繁栄をもたらしてくると信じるようになり、その復活を望むようになったのじゃ。

 奴らの目的はただ一つ。鬼神の復活。その為の器を作り出すことじゃ。つまりは、人間の体を神体として機能させようというわけじゃな。どうやら、真希はそれをやろうとしているようじゃ」


 後鬼復活のためには、後鬼に相応しい体を用意しなければならない。後鬼の魂とその力を受け入れられるだけの肉体が。

 けれど、疑問が湧き上がる。そうであるならば、何故彼女は――。


「待って! それじゃあ矛盾しているわ。いいえ、あなたの言っている事はとても信じられないし、神とかなんだのとても本当の事とは思えない。それを百歩譲って本当だと仮定したとしても、あなたの話は矛盾してる。あなた達役野家の一族が、その鬼神の復活を阻止する立場なら、なんであの女はそれを復活させようとしているのよ!?」


 怜奈の疑問は当然のことだ。役野真希は役野家の人間だ。決して後鬼の復活を望む側ではないはずだ。

 けれど、小蔵さんは詰め寄る怜奈の顔を見て微笑む。それはどこか懐かしむような、それでいて、哀しげな微笑みだった。


「似ておるな……怜子に」

「……え?」

「当然じゃな……親子であるなら似るのは当然じゃ。真希は……父親に似たんじゃな。それがあの子にとって最大の不幸だったのかもしれん」

「な、なにそれ……どういうこと……?」


 動揺――小蔵さんから怜子という名を聞き、怜奈は動揺している。彼女にとって、それは母親の名であり、そして忌むべき名となっている。

 けれど、なによりもこのタイミングでその名が出てくることに彼女は動揺しているのだろう。

 俺も小蔵さんからその名とその後に続いた言葉を聞いて、ある事実に突き当たっていた。


「しょ、小蔵さん……まさか……」

「やはり気づいておらんかった。まあ、当事者が既に死んでおるから無理もないの。……その通りじゃ。真希の母親の名は遠野怜子。後に一ノ宮怜子となった女じゃ」

「じゃ、じゃあ……怜奈と真希さんは……姉妹!?」

「父親は違うが……紛れもなく血の繋がりのある姉妹じゃ」

「う、嘘……そんなの、嘘よ……!」


 怜奈の瞳から光が消える。その事実に彼女は完全に自分を見失っていた。

 衝撃の事実。怜奈と真希さんが姉妹だなんて、そんな事が……。

 ――待て、気にすべきところはそこじゃない。それよりも、遠野怜子は後鬼の血を受け継いだ一族の末裔、だったはずだ。

 では、役野真希は――。


「さっき話した鬼神の血を得た一族であり、その鬼神の復活を望む一族とは、遠野のことじゃ。遠野怜子はその末裔じゃ。それがお前達の母親の正体じゃよ。

 そして、真希の父親はわしの息子じゃ。怜子は息子に自身が役野家とは相反する一族の末裔とは知らせず近づき、子を成した。それが真希じゃ。わしが気づいた時には真希は既に生まれておった」

「そ、そんな……でも、怜子さんはどうして役野家に……?」

「怜子の目的は鬼神の復活じゃ。その為には我が一族が守る神器が必要になる。それを手に入れるために近づいたのじゃろう。それに、役野家には昔から不思議な力が備わっておる。わしらの祖先はその力を用いて鬼神を封印したと言われている。怜子はその力をも手にしたかったんじゃろうな。神の封印を解く鍵になると思っていたんじゃろう」


 不思議な力――験力のことか。確かに役小角はその力で後鬼を封印したのだから、その力を得れば、後鬼の魂と力の封印を解くことができるかもしれない。


「じゃが……その計画は破綻した。わしに気づかれ、神器を手に入れることができなくなった。そして、なによりも怜子の誤算は真希じゃ」

「え……真希さん、が?」

「うむ。真希は鬼神の血を継いではいたが、それはあまりにも薄かった。どちらかというと役野側の血の方が強く出てしまった。その瞳の色にしか神の血は現れなんだ」


 あの瞳……あの青い眼は後鬼の血によるものだったのか。

 けれど、それだけだ。その瞳の色しか彼女が後鬼の血を引いていることを証明していない。それは遠野怜子にとっては……。


「その事実は怜子にとって受け入れがたいものじゃ。怜子も言うに及ばず、真希では鬼神の器になれんことを物語っておったからな」


 それは失望だ。苦労重ね、役野家に近づいたにも関わらず、子は後鬼になれる器ではなく、そして後鬼の力も手にすることができなかった。それは遠野怜子にとって失望しかありえない。


「その後、怜子はわしの息子を殺し、真希の前から姿を消した。そして、次に怜子が目をつけたのが……」


 一ノ宮家だったというわけか。

 遠野怜子は一ノ宮の血に目をつけた。その血を使って後鬼の復活を目論んだんだ。

 蔡蔵さんに改ざんした文献を渡し、怜奈には血の枷を付けないように仕向けた。そして、後鬼の復活の計画を推し進めた。

 その結果は――彼女にとって予想外のものになってしまったが……。


「遠野怜子というのはそういう女じゃ。鬼神の力に魅入られ、取り込まれ、目的の為なら自分の腹を痛めて産んだ娘すらも利用する。そして、利用価値がないと判断したならば、すぐさまに切り捨てる。ある意味、鬼神より恐ろしい悪女じゃよ」


 それが遠野怜子の――怜奈の母親の真実だと小蔵さんは語る。それを語る彼の眼は、憎しみも悲しみも宿っていない。純粋に遠野怜子を恐れる眼だけがそこにある。

 だからこそ、誰も彼の語る言葉を嘘だと断じることができなかった。


「そんな……そんなのって……お母様が……そんな人、だなんて……」


 語られた真実に愕然とする怜奈。彼女には、母親の記憶というものが最後の瞬間以外はほとんどない。だからこそ、母親という存在が、遠野怜子という存在が分からなくなってしまっている。信じられなくなってしまっているのだろう。

 それほど、遠野怜子は人の行いから外れてしまっていた。怜奈には辛い現実だが、それが理解できてしまったのだ。

 けれど、これで真希さんの動機がはっきりした。それに、彼女の愛情に対する異常性もやっと理解できた。

 役野真希という人間は、愛情を知らない。いや、憎しみしか知らないのだ。

 おそらく彼女は自分を捨てた母親を憎んでいる。そして、自分から母親を奪った一ノ宮家も憎んでいる。けれど、最も憎しみを抱いているのは、自分の中に流れる血――自分自身だ。

 彼女は自分の中の後鬼の血が薄かったことから、母親から捨てられた。なら、それを憎まないわけがない。

 だから、彼女は画策した。自分が後鬼に最も近い存在になれるように。そういう存在になって証明するために。役野真希が後鬼の復活に欠かせない存在だったということを母親に知らしめるために。

 彼女はただ母親に言いたかったのだろう。私が最も後鬼に近い。だから、あなたは私を捨てるべきじゃなかった、と。


 全ては、復讐のためだった。


 彼女はその復讐の為に、あの赤いクスリを使って自分自身を後鬼に変えようとしている。

 いや、後鬼になりきろうとしているのだ。そのために後鬼の夫である前鬼すらも愛そうとした。そこに本当の愛情がなくても、後鬼ならば愛するから。ただそれだけの理由で、好意を寄せてきたのだ。

 なら、彼女が次にやることは、一つしかない。

 後鬼ならば、愛する前鬼を、そして、前鬼が愛した人間を殺そうとする。


「小蔵さん、その鬼神の魂はどこに封印されているんですか?」


 その問いに小蔵は俺を見据えてくる。

 ジッとこちらを見つめ、語り掛ける眼。


 ――覚悟は、よいのだな?


 その眼に俺は頷き返す。

 それを見た小蔵さんは呆れたように息を吐き、口を開いた。


「鬼という字には別の読み方があるが、それをお主は知っておるか?」

「い、いえ……」

「勉学への精進が足りんのぉ」

「す、すみません……」


 小蔵さんはやれやれと首を振って、「何でこんな奴が」という目で見てくる。


「よいか、鬼には〝きさらぎ〟という読みがあるんじゃ」

「……え?」


 きさらぎ……だって? それは――。


「この地と同じ読み名じゃな。じゃが、それは決して偶然ではない。鬼との縁があるからこそ付いた名じゃろう。無論、そのままとはいかず、字は変えたようじゃがな」

「ちょ、ちょっと待ってください! じゃあ、鬼神の魂は……」

「ああ、この如月町に封印されておる」

「そ、そんな……」


 俺達が――俺や怜奈が暮らしていた地に後鬼の魂が封印されている? そんな……そんな偶然があるわけ……。


「全く以て、誰の書いたシナリオかは分からんが、よくできたシナリオじゃて。鬼神の魂が眠る地に、鬼神の血を呼び覚ますことができる血を持つ一族がおり、そしてその一族の当主が鬼神の力を封印した神器を盗み、この地で奪われた。この地には、いまや全てが揃っておる。もはや、真希を止めることは叶わんかもしれんな……」


 小蔵さんは無念そうに語る。彼は、後鬼復活を阻止する一族側の人間だ。その一族から、後鬼を出現させたとなれば、無念と言う他にない。


「小蔵さん、魂が封印された場所の正確な位置は分かりますか?」

「ああ、分かるとも。それも因果なものでな……確かこの地には、この地と同じ名の付いた学び舎があったはずじゃ。そこが封印の地じゃ」

「この地と同じ名のついた学び舎って……如月学園のことですか!?」

「ああ、その通りじゃ」


 俺の母校、如月学園が後鬼の魂が封印されていた場所だなんて……。俺達はそれとは知らずあの場所に足を踏み入れていたっていうのか……。

 ああ――だけど、これで納得いった。

 何故、大神が怜奈との決戦の場をあの学園にしたのか、いまから思えば不思議でも何でもない。奴は、怜奈を後鬼の魂の影響下において、意志を操ろうとしていたんだ。

 あの学園は、後鬼の血を引いているものにとって、後鬼の魂の影響下に置かれやすい場所。後鬼もどきが後鬼に近づける場所なんだ。


「よいか小僧!」


 小蔵さんは突然杖でこちらを指して、声を張り上げる。


「魂は最後じゃ! 器の完成、その後に器に力を注ぎこむ。そこまで上手くいって初めて魂の封印が解かれる。じゃから、心せよ。真希を止めるなら、器に力が注ぎ込まれる前じゃ。でなければ、世界は、人の世は終わる!」


 小蔵さんはハッキリとその結末を口にする。そして、それを俺が止めることこそが使命であるように宣告した。

 この人は、俺がどういう存在であるのか、初めから知っていたのだ。出会った時から。

 俺は小蔵さんの言葉にしっかりと頷き、その言葉を胸に刻んだ。


「ちょ、ちょっと待って! さっきから二人で一体何を話しているのよ!?」


 怜奈は困惑の表情を浮かべ、俺と小蔵さんの間に割って入った。


「怜奈……俺はこれから真希さんを止めに行く」

「どうして貴方が行かなきゃならないのよ! それに、いまの話、貴方は信じるの!?」

「ごめん、怜奈。小蔵さんが話してくれたのことは全部真実だ。だから、俺、行かなきゃ……」

「意味分んないわよ! だからどうして貴方が行かなきゃならないの!? この人の話が本当だって言うなら、貴方には関係のないことだし、行く必要もない。ううん、行っちゃだめよ! どう考えても危険でしかないしょう?」


 詰め寄ってくる怜奈。その表情は怒っているのにいまにも泣き出してしまいそうだった。

 怜奈には分かっている。何を言おうとも、俺の歩みが止まらないことを。それでも必死に止めようとしているのだ。


「うん……そうだね。危険だ。たぶん、いままで一番危険なことになると思う。だけど、俺が行かなきゃいけないんだ」

「だから――どうしてよ!?」


 病院の廊下に怜奈の叫びが木霊する。

 怜奈の瞳からは涙が零れている。

 彼女はもう分かっているんだ。俺が何かを隠していることを。そして、それが自分のために隠そうとしているということを。その為に、全てを独りで背負おうとしていることに気づいている。


「怜奈……ごめん」

「あ……」


 そっと怜奈を抱きしめる。

 それだけで彼女の体からは力が抜けていた。


「たぶん……これが最後の我儘だから、許して」

「一輝? 何言って――あぅ!」


 一撃。言葉を遮るように怜奈の後頭部に手套で一撃を入れた。

 たったそれだけで怜奈は昏倒した。全身から力が抜け、そのまま崩れ落ちる。それを倒れる前に受け止める。


「ごめんな、怜奈。……愛してるよ」


 きっともう彼女には聞こえていないけれど、その言葉を彼女に贈る。それが彼女に伝えることができる最後の言葉だから。


 ――愛しているよ、怜奈。嘘偽りなく、君のことを愛している。


 それで、俺の決意は固まった。


「か、一輝君!? 君、一体何を……」


 新一さんは俺のしたことに驚き、狼狽えている。そんな新一さんに怜奈を引き渡す。


「怜奈をお願いします。できれば、明日の朝まで目を覚まさないでいて欲しいですが、そうもいかないでしょう。だから、目が覚めたら、新一さんが引き留めてください。お願いします」

「……どういうことなのか説明してくれないのかい?」

「いまこの場で、俺の口から言えません。言えば、きっと新一さんも止めるでしょう。だから、怜奈が目を覚ましたら、小蔵さんから訊いてください。……全てを」

「……分かった」


 頷く新一さん。その新一さんの顔は、いままで俺には向けたことのなかった表情だった。

 ひどく怖い顔で睨んでいる。それでいて、悲しげ顔。きっと俺を軽蔑しているだろうということが分かる。

 当たり前だ。事情も話さず、もう隠し事はしないと誓った怜奈を裏切り、一人で行こうとしている。

 そんな俺を新一さんは赦さないだろう。


「良いのじゃな? この者達に全てを話しても」

「ええ。聞き終えた頃には、全部終わっているはずです。いいえ――終わらせます。この手で」


 小蔵さんの問いになるべく感情を廃して答える。


 全てはここに置いて行け。

 怜奈への想いも。

 新一さん達との絆も。

 真藤一輝であった心も。

 その全てを。


 これから挑むものに向けて、俺はもう決してその歩みを止めない。全てを守る為に。


「それがお主の覚悟、か。……よかろう。行くがええ。そして、終わらせてこい。前鬼(・・)よ」

「……はい」


 その名を聞いて、全てが切り替わったような気がした。

 やっと自覚できた。自分が前鬼であるということを。

 もう、この歩みは止まらない。前鬼としての歩みは全てが終わるまで決して止まらない。


       ・

       ・

       ・


 如月学園の校庭に立つ。

 見据える先には一つの影。

 そこに彼女は立っている。


「ああ――嬉しい! やっぱり来てくれたのね、一輝君。いいえ……前鬼!」


 長い月日の中で待ち焦がれたように、恋い焦がれた人へ想いを寄せるように、彼女は歓喜している。


「さあ、始めましょう。私達の愛の営みを!」


 ああ、始めよう。全ての終わりを。


 これより先は、人の領域に非ず。

 これから始まるのは千数百年続いた営み。

 それは誰にも望まれず、誰にも止めることは叶わない。

 天を穿ち、大地を裂く、そんな神々の営みが、いま始まろうとしている。

 故に、人間は言う。それを天変地異、と。


 前鬼と後鬼の戦いがここに始まる。




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