最終話「宿命を背負う者」/8
教授との電話を終えた俺は、病院の外にあるベンチに座っていた。
早く面会室に戻らなければならないと分かっていたけれど、この熱に浮かされた頭を少しでも冷やしてからにしたかった。
教授が話してくれた内容は、俺の知りたかったことを多分に含んでいた。まだ、幾つか不明な部分もあるけれど、それを知る算段ももうついている。
だから、もう俺は全ての真実に辿り着いたと言っていい。
ただ、一つの事柄を残して――。
「そんなはず……ないんだ……」
自分に言い聞かせるように、その言葉を口にする。けれど、自分の中の不安は一向に消えてくれない。いや、むしろ大きくなるばかりだ。
「くそっ! 俺は一体何を考えて……」
そんなわけはないのだと、もう一度自分に言い聞かせながら、頭を振る。
そんな時にスマホから着信音が流れ始めた。
スマホの画面を見ると、そこに映し出されていたのは、石塚海翔の文字。迷うことなく、俺は応答のボタンを押す。
「よう、海翔」
『おう、一輝! 元気してっか?』
快活な第一声で一番聞かれたくないことを聞いてくる俺の親友。電話に出るんじゃなかったと一瞬後悔した。けれど、そんな考えはすぐに振り払った。
「あ、ああ、大丈夫だ。そっちの具合どうだ?」
平静を装って答えつつ、海翔の状況を聞いてみた。
現在、海翔はある目的から全国を放浪中だ。その進捗具合がどうなっているのか気になっていた。
『? おう! こっちは中々ハードなことになってるが、心配するな。つっても、この電話を最後に暫くの間連絡がとれなくなりそうだけどな!』
「なんだよそれ……お前、いまどこにいるんだよ?」
『なんだ? 気になるのかよ。なんだったらお前も来るか? 一輝が来てくれた方が俺としても心強いんだけどよ』
「馬鹿野郎、こっちはいまそれどころじゃないだっての!」
『ああん? んだよ、また何か厄介事に巻き込まれてんのかよ?』
「あ、ああ。そんなところだ」
巻き込まれているどころか、その厄介事の中心にいるのだが、それはいまの海翔には余計な情報なので言わないでおく。
『ったく、お前はホントそういう特殊なことに巻き込まれる体質つーか特性つーか、もうそこまでいったら宿命みたいなものだよな。どうせ、今回も一ノ宮絡みなんだろ?』
「はは……宿命、か。それは言えてるかもな」
それはあながち間違いじゃない。今回に限っては、海翔はまったくの部外者だから何も分かっていないはずなのに、それでも的を射ているのだから驚きだ。
この今の状況を言葉にするなら、それは宿命という言葉が適切だろう。
『んだよ、調子狂うな。いつもなら、そこは、宿命なんてものあるか、とか言って反論するところだろ?』
「ん……そうかもな。けどさ、まあそいうこともあるかなって思う時もあるんだよ俺だって……」
『おいおい……ホント、どうしちまったんだよ? さっきからおかしいぞ、お前……』
流石の海翔でも――いや、海翔だからこそ分かってしまったのかもしれない。俺の様子がいつもと違うことに。
「なあ、海翔。お前、以前言ったよな? 怜奈みたいな人間が自分達と同じ世界で何食わぬ顔をして暮らしていることが気味悪い。だから、好きになれそうにないって……」
『あ、ああ……言ったけど、それがどうしたんだよ?』
「それは……いまでも変わらないか?」
『……』
海翔からの返事はない。そんな質問をされたことに戸惑っているのか、それとも答えることに意味がないと思っているのか、顔の見えない電話では分からない。それでも、非難されているようには感じた。それをいまのオレに訊くのか、と。
けれど、それでも訊きたかった。海翔がどう思っているのかを。
「なあ……どうなんだよ?」
『やれやれ……聞くまで解放してくれそうにねぇな』
「……すまん」
『謝んなよ。けど……どうだろうな……正直、いまは良く分かんねぇ』
「え……」
『良く分かんねぇから、オレはアイツに会いたい。会って確かめたいだよ、自分の気持ちってやつを。オレがアイツを受け入れることができるのかどうかを、な』
「そっか……」
『けどな、それはオレがアイツ個人に抱いた気持ちの問題だ。それと一ノ宮達は関係ない。だから……やっぱり、オレは好きになれそうにない』
ハッキリと口にする海翔。そこに嘘はない。こいつは本気でそう思っている。
「やっぱり、そうか。じゃあ、その怜奈達と平然と一緒にいる俺は……やっぱり〝異常〟なのかな?」
『はあ!? ……ははん……んだよ、そういうことかよ』
海翔は俺の疑問に独り納得している。
『あのな、誰から何を言われたかは知らないが、お前らは誰からどう見ても相思相愛なんだよ。こっちが妬けてくるくらいにな! だから、そんな余計な心配してんじゃねぇよ! てめぇが異常だろうがなんだろうが、一ノ宮がお前にぞっこんなのは変わらねぇだろ!』
「あ、いや、そういうことじゃ……」
『そういうことなんだよ! 大体な、異常だって言うなら、人間誰しも恋した時には異常なんだっての! そいつのことが好きで好きで好き過ぎて、周りのことなんか見えなくなるもんなんだよ! 狂っちまうもんなんだよ! だから、その相手がどんなに外道だろうが、どんなに人間離れしていようが、関係ねぇ。好きになったらはそんな事を秤にかけれやしねぇ。それだけのきっかけがあって、狂っちまう程に好きになっちまったんだからよ! 違うか? ああん!』
「か、海翔……お前……」
海翔が珍しく熱くなって俺に説教をしている。こんな海翔は初めてかもしれない。それに、海翔の恋愛観なんて聞いたことがなかったから驚きだ。けれど、これはあんまりにも……。
『って、オレは何を小っ恥ずかしいこと言ってんだよ!? お前も何言わせんだ! ぐああああ!』
スマホの向こうで海翔が悶絶していた。
『くそ、くそくそ! もういい! 何がもういいか分からねぇけど、もうこの際、オレの事はどうでもいい! とにかくお前がウジウジしてんのが我慢ならねぇ! いいか、良く聞けよ? お前は一ノ宮のことが好きで、一ノ宮もお前の事が好きなんだ。それ以上の事は考える必要なし! 以上、分かったか!』
ついに振り切れてしまったのか、有無も言わさずの勢いで海翔は諭してくる。これはもう何を言っても無駄だろう。
「あ、ああ……わ、分かった」
『わかりゃあいいんだ、わかりゃあ! じゃあ、そういうことだ。またな!』
海翔はその勢いのまま乱暴に電話を切ってしまった。きっと柄にもなく恥ずかしい台詞を連発してしまって、居たたまれなくなったのだろう。おそらく、今頃独りで悶絶しているはずだ。
「はは……あいつらしいっちゃ、あいつらしいな……」
悶絶している海翔を想像すると、自然と笑えてくる。
「それだけのきっかけがあって、狂ってしまう程に好きになってしまう、か……ああ、そうなんだろうな、きっと。けどさ……」
海翔の言ったことに間違いはない。けれど、海翔は勘違いしている。それは……。
教授とした最後の会話を思い出す。
俺は最後に問うた。「前鬼が憑依する対象として、その適正とは何なのか?」と。
すると、教授はこう答えた。
『前鬼と後鬼は、元は互いを想い合う夫婦だ。後鬼にいるところに前鬼がいる。夫婦ってのはそういうものだ。だからね、後鬼になるかもしれない存在、その人間に惹かれ、もっとも近しい存在となる可能性のある者が前鬼に憑依されることになるんだよ。いや、憑依されることになるから惹かれるのかもしれない。だから、憑依されることになる人間は、それとは知らず前鬼の魂に操られ、後鬼もどきに近づき、近しい存在となる。いずれ訪れる戦いの時まで、ね』
後鬼に惹かれる前鬼。後鬼が前鬼を想う気持ちが前鬼を引き寄せ、前鬼が後鬼を想う気持ちが後鬼を引き寄せる。
だとしたなら俺は――。
「海翔、お前はきっと正しい。けどさ……俺には分からないだ。だってさ……」
だって俺は、怜奈のことを狂おしいほど好きになったきっかけがどうしても思い出せないんだ――。
「はは……真希さんの言う通りだ。俺はなんて馬鹿なんだ。こんな事に……こんな事にいままで気づかなかったなんて……」
自分の馬鹿さかげんにウンザリする。恋は盲目と言うけれど、それでもこれはあんまりだ。もっと早く気づくべきだったに、気づけるタイミングは幾らでもあったはずなのに、それから見てみぬふりをしてきた自分が憎らしい。
けれど、それ以上に自分の気持ちが信じられない自分がもっと憎い。
俺は……俺の本当の気持ちは、一体どこにあるのか……。
「一輝君!」
「え!?」
突然名前を呼ばれ振り向くと、新一さんがひどく慌てた様子でこちら向かって走って来ていた。
「よ、良かった! ここにいたんだね!」
「ど、どうしたんですか? そんなに慌てて……」
「た、大変なんだ……さ、蔡蔵さんが……」
え……蔡蔵さんが? まさか……。
「お、落ち着いてください。さ、蔡蔵さんがどうしたんですか!?」
息を切らす新一さんに向かって、落ち着いて話すように促す。
「す、すまない。急な事だったから慌てちゃってね。さっき怜奈君には連絡をいれたんだけど、実は蔡蔵さんの意識が戻ったんだよ!」
「え! 意識が!? 本当ですか、それは!?」
「う、うん……間違いない。さっき医者にも確認してもらったが、意志疎通も可能だということだ。だから、君も早く戻って来てくれるかい?」
「わ、わかりました。行きましょう!」
俺は新一さんと共に、集中治療室に急いだ。
三年前、俺を非力だと言って否定し断じた人物、そして、おそらくは真実にもっとも近い人物に俺は再び相まみえる。あの時とはまったく異なる立場で。
怜奈と聖羅ちゃんが来るのを待って、俺達は集中治療室の中に入った。
治療室に入るのは怜奈と聖羅ちゃん、そして俺の三人だけにしてもらい、新一さんは面会室の方でこちらの様子を見ていてもらうことにした。
「おとう……さま?」
聖羅ちゃんが蔡蔵さんに恐る恐る話しかける。その表情はいまにも泣き出してしまいそうだ。
すると、蔡蔵さんは聖羅ちゃんの方に視線を向け、優しく微笑んだ。
「ああ……聖羅、か。驚かせてしまったね。 ……すまなかった。心配させてしまっただろう?」
それはあまりにもか細く弱々しい声だった。三年前、俺を断じた蔡蔵さんとは思えない。
「う、ううん、ううん! そんなことないよ! 私ね、お父様なら絶対大丈夫だって信じてましたから!」
「……そうか」
もう一度、蔡蔵さんは聖羅ちゃんに優し気に微笑む。それに聖羅ちゃんも微笑み返した。
「……お父様」
聖羅ちゃんの隣にいた怜奈が呼びかける。その声は妙に落ち着いていて、表情も平静を保っている。けれど、彼女の手元を見てみると、両こぶしともぎゅっと握り締められていた。
呼びかけられた蔡蔵さんは聖羅ちゃんから怜奈に視線を移した。
「怜奈……留守の間、色々と迷惑をかけたようだな……」
「はい。おかげさまで色々と大変でした。私も、聖羅も。ですが、それも過去の話です。いまはつつがなくやれています。あなたがいなくても」
数カ月ぶりの親子の対面。それなのになんとも冷たい言葉が怜奈から飛び出す。それが当然であるかのように。
「お、お姉様……そんな言い方……」
「事実よ、聖羅。この人はいなくても一ノ宮家はいまも問題なく回っているの」
妹からの窘めもいまの怜奈には何の効果もない。彼女は毅然とした態度で、父である蔡蔵さんを批難している。
そんな様子の怜奈を見て、蔡蔵さんはふっと笑みを零した。それは、先程聖羅ちゃんに見せた優し気な微笑みではなく、渇いた自虐的な笑みのように見えた。
「……そうか。どうやら私は当主失格のようだな。すまなかったな、怜奈」
「すまなかった……ですって?」
その言葉に怜奈の表情が一変した。声は震えていて、表情は険しくなっていた。何より、その瞳に怒りが灯っている。
「すまなかった……たったそれだけで、全てが許されると思っているの!? あなたがした事をたったそれだけの言葉で私が許す気になるとでも思っているの!?」
「……思わん。お前は私を許すことなどないだろう。父親としても、当主としても私は最低だった。そんな私をお前は決して許さないだろう。私も許されようなどと思っていない。私のしたことは過ちばかりだったからな」
「なん……ですって……?」
怜奈の瞳が揺れる。怒りが灯っていたその瞳からその灯が消えていく。
それは突然の告白だった。蔡蔵さんが自身の行いを過ちと認める発言をするなど、怜奈からすれば思いも寄らないことだっただろう。
「私は……これまで自分の信じてきた道をただひたすらに進んできた。それが正しいと疑わなかった。だが、違った。私のしてきたことは間違いだらけだった。その結果、お前達を苦しめてしまった。私はそんな事にもいままで気づけなかった男だ。そんな男が今更何を言っても意味がない。だから、許されようとは思わない。もはや、私にその資格がない。お前達の父親としても、一ノ宮家当主としても」
「……なによ、それ……」
怜奈は震えていた。蔡蔵さんの言葉を聞いて、体を震わせていた。それは怒っているように見える。けれど、見ようによっては、泣いているようにも見えた。
怜奈は決して涙を見せていない。けれど、泣いていたと思う。心が泣いていたのだと思う。
弱り切った父親の姿、その父親から吐き出された諦念の言葉。それに怜奈は自分と父親の間に埋めようのない溝のようなものが見えていたのかもしれない。
怜奈には蔡蔵さんの言葉を否定できない。けれど、肯定してしまうこともできない。彼女はいまそんな狭間で揺れ動いていた。
けれど――。
「そ、そんなことない! お父様は、何があっても私達のお父様です!」
けれど、それをハッキリと否定する者がそこにはいた。聖羅ちゃんだ。
「聖羅……あなた……」
「お父様が何と言おうと、どんなに間違っていたとしても、私達の父親であることは変わりありません! 資格なんて……そんなのありません! だって、私達は家族なんだから! だから……だから……」
叫ぶように、喚くように聖羅ちゃんは二人に懇願している。何があろうと、自分達は家族なのだと。だから、もういがみ合い、すれ違うのはやめようと。
その言葉に、心を動かされたのはやっぱり怜奈の方だった。
「そう、ね……聖羅の言う通りね」
「お姉様!?」
怜奈は聖羅ちゃんに優しく微笑むと、視線を蔡蔵さんに向ける。その瞳は何か吹っ切れたようだった。
「聖羅の言う通り、あなたは私達の父親です。どんなに過ちを犯そうとも、それは変わりようのない事実よ。それに、父親が間違いを犯したっていうなら、子供がその間違いを正すしかないでしょう? そう思いませんか、お父様?」
「わ、私を……私をまだ父と呼んでくれるのか……?」
「当然です。だって、私達は家族ですから」
ハッキリと怜奈もその言葉を口にする。
怜奈はやっと蔡蔵さんを父親と認めることができたんだ。
そんな怜奈の言葉を聞いて、蔡蔵さんの目には光るものがあった。
「ありがとう……怜奈、聖羅。こんな息子一人もろくに止めることが出来ず、返り討ちにあうような男を父親と呼んでくれて」
「――やっぱり、それは貴志に……?」
「ああ……殺そうとしたが、逆に殺されかけた。これは一度でも息子に手をかけようとした罰、なんだろうな。あいつにも私は間違いだらけだと言われたよ」
蔡蔵さんは自嘲気味に笑う。
やはり、蔡蔵さんに重症を負わせたのは貴志だったのか。予想はしていたが、これで奴がいまもなおこの街にいることがはっきりした。
「蔡蔵さん、お聞きしたいことがあります」
俺が声をかけると、蔡蔵さんはこちらに視線を向けてくる。
蔡蔵さんは俺を見ると少し驚いた表情を見せた。
「君は……確か……」
「真藤です。真藤一輝です。お久しぶりです」
「あ、ああ……君か。久しぶりだね。君にも色々と迷惑をかけた、ね」
「いえ、俺はもう何も気にしていません。それよりも聞きたいことがあります」
「……何かな?」
俺の様子の気づきたのか、蔡蔵さんの表情は引き締まったものになった。
「……神器は、いまどこにありますか?」
「――」
その問いに、蔡蔵さんは大きく目を見開いた。
「な、何故……君がそれを……? い、いや、まさか……」
蔡蔵さんからは動揺が窺いしれた。それで確信できた。この人が後鬼の神器を持っていたことを。
「教えてください。どこにありますか?」
「か、一輝? さっきから一体何言って――」
再度の質問に怜奈が止めに入ってきた。けれど――。
「いいんだ、怜奈」
「お、お父様?」
「すまないが、真藤君と二人にしてくれないか?」
「え……だけど……」
怜奈は不安そうにこちらを見てくる。
「大丈夫だよ、怜奈。俺も蔡蔵さんと二人っきりで話がしたいって思ってたんだ。だから、お願いできるかな?」
「……分かったわ」
納得してない表情だったが、大人しく引いてくれた。それだけ、俺と蔡蔵さんの間に流れる空気が尋常ではないことを察したのだろう。
「新一さんも、すみませんが面会室から出てもらってていいですか?」
新一さんは俺のそのお願いに頷き、面会室から出ていった。それに続き、怜奈と聖羅ちゃんが集中治療室から出ていった。
これでこの部屋に残されたのは、俺と蔡蔵さんのみとなる。
「まさか……君とこうして再び話をすることになろうとはな……」
どこか懐かし気に蔡蔵さんは呟いた。
「あの時とは立場が逆ですけどね。あの時は、俺がベッドの上で、蔡蔵さんが面会にきていました」
「ああ……そうだったね。もう、あれから三年か」
「ええ……三年経ちます。貴方から怜奈の傍にいることが迷惑だと断じられてから」
「そうか……そうだったね。私は君をひ弱な唯の人間と断じ、怜奈から引き離した。だが……実はそうではないと、もう君は気づいているんだろう?」
その問いに俺は頷き、そして再びあの質問をした。
「神器は、いまどこにありますか?」
「君の想像通りだ。貴志に奪われた」
「……やっぱりそうですか」
やはり事態は最悪のシナリオに突き進んでいた。
「申し訳ないとしか言いようがない。まさか……騙されていたとは思いもしなかった」
「……騙されていた?」
蔡蔵さんの言葉は疑問に感じざるを得ない。
蔡蔵さんの言葉から、あの書物が改ざんされたことに気づいたということは分かる。けれど、騙されていたというのはどういうことなのか? まさか――。
「蔡蔵さん、あの書物は一ノ宮家に代々伝わる文献ではないんですか?」
「あ、ああ。あれは怜子――怜奈の母親が私の家に嫁ぐ時に持ってきたものだ」
怜奈の母親が!? じゃあ、後鬼の血を引く存在だったのは……。
「蔡蔵さん……怜奈の母親――遠野怜子は後鬼の血を受け継いだ一族の末裔、ですよね?」
「……ああ」
「貴方はそれを知ってて、一ノ宮家に招きいれたんですか?」
「そうだ。私は全てを知った上で怜子を娶った。あれが何を目的に一ノ宮家に近づいてきたのかも承知の上でな」
「それは、何故?」
「一ノ宮家にとっても利があると思ったからだ。後鬼の力は強大だが、それをコントロールすることが一ノ宮家の血ならできると彼女は言っていた。後鬼の血をコントロールすることで、一ノ宮家に永遠の繁栄をもたらすことができるとな」
けれど、遠野怜子の目的は違っていた。彼女の目的は後鬼の血のコントロールではなく、後鬼の完全なる復活だった。それを果たすために、改ざんした文献を蔡蔵さんに渡したのだ。
「じゃあ……怜奈に血の枷をかけなかったのは……」
「怜子の頼みだった。後鬼の血を絶やさないためにも、その可能性を摘まないために枷をかけないでくれと頼まれた」
それは例え怜奈がダメでも、怜奈の子供達の誰かが後鬼の復活に近づけると願っての行いだったということか。
「真藤君……君にこんな事を頼めた義理ではないことは分かっている。だが、どうかお願いだ。貴志を止めてくれ!」
それは切実な願いであり、懇願だった。彼にはもう打つ手がない。俺に縋る他に道がないのだ。
「……」
全ては始めたのは、この人と遠野怜子だ。怜奈や貴志が悪いわけでもなく、全ての元凶はこの人達だ。それなのに俺がどうこうしなければならないなんて道理はない。
けれど――。
「わかりました」
それが宿命だととっくに俺は受けいれていた。




