最終話「宿命を背負う者」/3
「人を能力者に作り変えるなんて――そんなこと、できるわけないじゃない!」
怜奈は役野真希が言った事が信じられないのか、それを否定する。
けれど、真希さんはそんな怜奈の様子を見て、不敵に笑みを零した。
「ふふ、それができるのよ、怜奈さん。だって、あの赤い方のクスリには、貴女の――一ノ宮の血が入っているんだから」
「なっ……!」
予想だにしていなかったその言葉に、俺と怜奈は絶句するしなかった。
一ノ宮の血が入っているとはどういうことか? それが意味することは何なのか?
それが分からない、予想できない俺達ではない。いや、俺達だからこそ、この意味が理解できてしまう。
一ノ宮の血は、生まれてくる子に親の持つ能力を継がせ、そして必ず発現させる特性がある。怜奈の〝風の能力〟もそうやって親の蔡蔵さんから怜奈に引き継がれた。
故に――能力を引き継がせるこの血こそが、一ノ宮家にとっての真の力と言える。
その血が、あの赤いクスリに入っている。それが何を意味すかなどもう語るまでもない。
詰まる所、役野真希は一ノ宮の血を使って、クスリを投与した人間の能力を強制的に引き出したのだ。
「ふざけないで! そんなことで能力者を作り出すことなんてできない! 第一、例え私達の血を使ったとしても継いだものがなければ意味がないでしょ!」
そうだ。怜奈の言う通り意味がない。親から子へ、血から血へと、能力は遺伝していくものだ。その能力者としての遺伝子とも呼べるものを継いでいない者は能力者にはなれない。
「そうね、その通りよ。その考えは正しいわ。けれど、あなた達は勘違いしてる」
「勘違いですって?」
「ええ。そもそも、あなた達は能力者を何だと思っているの? 大方、人間とは違う何か別の存在、見た目で分からなくとも、能力を持つ者とそうでない者は明確に分れているとでも思っているのでしょう?」
「ち、違うって言うの?」
「ええ、違うわ。だって、人間と能力者は同じ存在だもの」
「同じ……?」
「ええ、同じよ。あなた達は能力者の血族だけが能力を持つように教えられたでしょうけど、じゃあ、その能力者の血族って何かしら? いつから、どのようにしてそうなったと思う?」
「そ、それは……」
それは古き過去に能力を持つ者が現れた血族のことだ。では、その始まりはどこにあったのか? その古き過去に現れた能力者は何故能力を持つことになったのか?
その疑問に対する回答を真希さんは語り出した。
「そうね、確かに古き時代の頃――一族や血族、家系といったしがらみがなかった時代には人間と能力を持った存在は明確に分かたれていたわ。けれど、それはその時代の話。いつからか、人間とその存在との境界線はなくなった。この意味、大神さんが怜奈さんを利用しようとした理由を知っているあなた達なら分かるわよね?」
「……交配」
怜奈は苦々しくその言葉を口にした。
交配――生き物が後世に自身の遺伝子を残すための唯一の方法。そして、二つの異なる遺伝子を交わらせ、元となる二つの遺伝情報を持ち合わせた全く異なる存在を作り出す方法だ。
「そう、交配よ。人間がまだ現代のように増殖していていなかった時代、能力者もまた数が少なかった。絶望的な程にね。だから、希望を託したの。私達人間に。そして、人間は受け入れた。自分達が生き延びるための新たな力として。そうやって生まれたのよ。現代の人間が。能力を持つ人間がね。
つまりは、この世界の人間のほとんどは能力者としての資質を持っているというわけよ。まあ、その血もいまは薄れて、能力を発現する者は減ってしまったけれど、それはそれだけの話。その血はいまでも残っている。呼び起こせば、どんなに血が薄れようと、覚醒するのが道理よ」
「そのために、私の――一ノ宮家の血を使ったって言うの!? そんな話が信じられるわけないでしょう!」
「ええ、あなた達一ノ宮家とっては信じられない話でしょうね。能力者は限られた家系にのみ現れ、それ以外は突然変異したものと伝えられてきたんですものね。それが、人間全てが能力者となる可能性があるなんてことが分かれば、卒倒ものよね。脅威となる能力者を狩ってきた一ノ宮家からすれば、全ての人間が監視対象になりかねないわけだし。
ちなみに、この説は大神さんが提唱したものよ。流石の私も最初は信じられなかったけど、実験を進めていくうちに確信に変わった。というより証明できたわ。大神さんが言っていた事は正しかったってね」
この忌まわしいはずの事実を語る真希さんは、とても愉しそうに見えた。それは一ノ宮家の不幸を喜んでいるようだった。
「もう分かっていると思うけど、一ノ宮の血は子に能力を継がせ、発現させる能力じゃない。人間は元から継ぐことだけに関しては一級品ですもの。だから、貴女の血は、人間を能力者として覚醒させる力ってことよ。
考えてみれば、皮肉よね。能力者を狩る家系が実のところ能力者を生み出す家系でもあったんですから。この矛盾、誰が生み出したものかしらね?」
そう、真希さんの言う通り矛盾している。それを誰が生み出したのかと言えば、おそらくは一ノ宮家の祖先なのだろう。
一ノ宮家には古くから掟があった。第一子が産まれた直後、その子に呪いをかけるという掟。
その呪いは、産まれた子がさらに子を成そうとした時、その第一子にしかその血の力を継がせないようにする。
そうやって、一ノ宮はたったひとりにしか、特別な血も能力も継がせてこなかった。自分達と同じ存在が増えないように。
この掟こそが、人間が誰しも能力者になりえるという事実を隠匿するためのものだったのだ。
にもかかわらず、怜奈だけは違った。怜奈にだけはその掟は適用されなかった。理由は分からないが、怜奈の父で一ノ宮家現当主の蔡蔵さんは、怜奈にその血の呪いをかけなかった。そのせいで怜奈は大神に付け狙われることになり、そして、いまはその血が役野真希に利用されている。
怜奈は突き付けられた事実にショックを受けたのか、黙ったまま俯いてしまっている。
俺もショックを受けなかったわけではない。人間が全て能力者になる可能性があるなど到底受け入れられるものではない。けれど、その事実を認めた上で、俺は彼女にどうしても聞いておくことがあった。
「真希さん、貴女は仮説を実証して何をしようとしているんですか? 人間を能力者に変える。そんなことをして一体何になるって言うんですか!?」
「良い質問ね、一輝君。人間を能力者に変えることの意味。その目的が重要なことよね。何をするにも目的が大事ですもの。人間を能力者に変えることは、その目的を達するための手段でしかない。
大神さんはね、能力者を作り出して、怜奈さんへの当て馬にするつもりだったみたいなの。その方が能力者を探し出して、操るより楽だと考えたみたい。ま、中々上手くいかなくて、しびれを切らしちゃったようだけど」
その結果が、荒井恵や聖羅ちゃんが利用される事になったということか。
「けどね、私は違う。そんな目的のためじゃない。だって、私の目的はこのクスリを完成させることだから」
「クスリを完成させる……だって?」
「ええ、人間を完全に変貌させることが出来るクスリにね。
あのクスリは未完成だったの。クスリを投与されて変貌に耐えられず、死んでしまう人間も珍しくなかったわ。上手くいっても、自我を失った怪物に成り果てるの関の山。貴方も見たでしょう? そうなった人間を」
俺を襲った少年を思い出す。あの少年の行動は理にかなっておらず、とても正気とは思えなかった。あれはクスリの影響によるところが大きかったのだろう。
「あれじゃあ意味がないの。怪物と変わらないんじゃ、私が求める存在じゃないからね。だから、実験を重ねたのよ。自我を保ったまま、先祖還りするためのクスリを完成させるためにね」
「先祖還り……」
先祖還り。その言葉を聞いた瞬間に、言い知れぬ不安に襲われた。彼女からその言葉を聞くことは何かとても不吉に思えた。
「色々おしゃべりが過ぎたわね。そっちが質問ばっかりしてくるから、つい答えちゃったわ。だから、そろそろこっちも聞いていいかしら?」
「聞く? 何をですか?」
「決まってるじゃない? ここまでの話を聞いたあなた達が私をこれからどうするかよ。できれば、私としてはこのまま見逃して欲しいのだけれど」
「っ……!」
何も悪ぶりもせず、平然と言う真希さんを俺は思わず睨みつけた。
「……その反応、答えはノーってことでいいのかしら?」
俺はその問いにも答えることなく、彼女を睨み続ける。もはや、俺から彼女にかける言葉などない。それにこの問いに答えるのは俺の役目ではない。
「ええ、その通りよ。貴女は逃がさない。絶対に逃がしはしないわ。今日、ここで自分がしたことを後悔させてあげる。この私がね!」
怜奈は殺意を灯した眼で真希さんを睨みながら、憎悪をぶつけるが如く、言い放つ。
それを真希さんは涼しげにいなすようにふっと笑みを零す。
「それ、宣戦布告と捉えさせてもらうわ。ま、もっとも――私も貴女を逃がす気なんてないけどね?」
そう言う彼女の口元には、くっきりとした三日月に浮かんでいる。それは俺が彼女にぶつけていた憎悪など吹き飛ばしてしまうほど、身も凍る笑みだった。
「もういいわよ、出てきて!」
彼女は誰かを呼ぶように声を張り上げる。
すると、彼女の背後から――倉庫の奥からカツン、カツンと足音が聞こえてくる。
「もう一人いたのか!?」
その事実に驚きながらも、俺と怜奈は身構える。
「もう――いいのかい?」
姿は見えないが、男の声が聞こえてくる。
「ええ、待たせたわね。やっとあなたの出番よ」
真希さんがそう答えた時、見知らぬ顔の男が荷物の陰から姿を現した。
男はにこやかな表情で俺達の前に姿を晒している。その姿は至って普通の青年だった。手には何も持っていないし、何か武器になるような物を身につけている様子もなく丸腰だ。おまけに、それほど屈強そうにも見えない。むしろ、痩せていて、軟弱そうにも見える優男だった。
彼は真希さんの側まで寄っていくと、彼女の前に立ち、俺達と向かい合った。
「それじゃあ、遊ぼうか?」
張り付いた能面のような笑顔で男はそう言った。
「……誰、だ?」
突然現れた男に俺はそう問いかけるしかなかった。
「うん、僕が誰かなんてどうでもいいことだよ。ただの雑兵とでも思ってくれ」
男は自身のことを雑兵と切り捨てる。取るに足らない存在であると、自信を蔑んだ。けれど、そう言う男の顔は依然として笑顔のままだ。
「あんた……一体何言って……?」
「待って、一輝! こいつ、何かおかしい」
「え……?」
怜奈の言葉に俺は男を注視する。けれど、奴の姿にどこもおかしな所はないように見えた。だが――
「ああ――いい目してるね、お嬢さん」
そう口にした男は歪んでいた。
「なん……!?」
男の姿に俺は驚きのあまり息を飲んだ。
男は歪んでいた。その言葉通りぐにゃりと歪んでいたのだ。足も胴体も腕も頭も、原型をとどめないほど歪んで揺らめいていた。
いや――男だけではない。、よく見れば、男を中心に半径1m程が歪んでいた。
「能力者……!」
男のその姿を見て、怜奈は断言した。
怜奈の彼を見る目は既に殺意が灯っている。
「その通りよ、怜奈さん。貴女が狩るべき能力者よ、彼は」
男に代わって、真希さんが怜奈の言葉を肯定する。そして――
「そして、貴女の血で生まれた能力者でもあるわ」
その事実を平然と彼女は言ってのけた。
「怜奈の血って……」
だとすれば、いま目の前にいる男は、あのクスリで生み出された能力者だということか。
けれど、それだとおかしい。目の前の男は至って普通だ。自我を失っているとは思えない。彼女自身が言っていたではないか、あのクスリを使うと、自我を失った化け物になってしまうと。
「どういうことだ!? クスリは未完成だって――」
言い掛けて、思い出す。先程の会話を。真希さんが何と言っていたかを。彼女は〝クスリは未完成だった〟と言った。だった――過去形だ。
「まさか、完成していたのか……?」
その言葉に彼女は口元を三日月に吊り上げた。
「その通りよ、一輝君。私、成功しちゃったの」
その成功を心底喜ぶ顔がそこにあった。それは背筋が凍るような冷たい笑顔だった。




