最終話「宿命を背負う者」/2
彼女は不敵な笑みを零したまま、俺と怜奈の前に立っていた。それは、俺達の知る役野真希、そのままだった。
「どうしたのかしら? 二人とも、そんなオバケでも見たかのような顔をして」
真希さんはほくそ笑みながらわざとらしく問い掛けてくる。
「どうしたって……それはこっちの台詞ですよ! どうして貴女が――」
こんな所にいるのかと言葉にしかけて飲み込んだ。
このタイミングでする質問としては、あまりに間の抜けたものだ。何故もどうしたもない。もはや彼女こそが今回の事件の黒幕であることは既に先程の会話で明白だ。
「役野――真希……!」
怜奈はその黒幕である彼女を殺意の灯った眼で睨みつけていた。
「どうしたの、怜奈さん? そんな恐い顔して。可愛い顔が台無しよ?」
「っ……!」
怜奈の殺気をひらりと躱すかの如く軽口を叩く真希さん。それに怜奈はさらに殺気立っていく。
「どういうつもり? 貴女、私の父を探しにこの街に来たんじゃないの?」
「ええ――確かに、そうね。私は貴女の父、一ノ宮蔡蔵を探しにこの如月町にやってきた。それは確かよ」
真希さんは怜奈の質問に淡々と答える。そこに嘘偽りがあるようには見えなかった。
「だ、だったら、何でこんなことを!?」
彼女の答えに俺は堪らず疑問をぶつけた。
「こんな事? こんな事ってどんな事かしら?」
「惚けてるんじゃないわよ! 危険なクスリをばら撒いたり、そのクスリで薬漬けした人間を使って、一輝の命を狙ったりしたことよ!」
「ああ――それね」
自身の行いを怜奈によって追及された彼女は、そう短く言い捨てて、不敵に微笑んだ。その微笑みが俺には禍々しいものに感じられていた。
「何故って聞かれてもね。だって、そっちが私の本当の目的なんですもの、当たり前じゃない?」
「なん――」
平然と言ってのける彼女に俺は言葉を失った。
「ああ、でも勘違いしないでね? 怜奈さんのお父さんを探しにきたってのは本当よ。あの探偵さんが信用できないから、私が監視役ってのも嘘じゃないわ。要は、この街での目的が二つあったってだけよ」
「二つ? 三つの間違いでしょう?」
真希さんの発言に対して怜奈が指摘する。
確かに、二つではない。怜奈の父親を探すこと、クスリをばら撒くこと、そして――俺の命を狙うことの三つだ。
だが、それに真希さんは頭を左右に振った。
「いいえ、二つよ。クスリも一輝君を襲ったのも、たった一つの目的の為だもの」
「たった……一つ、の? 何よ――それは一体何なのよ!?」
「ふふ、それを訊かれて答えると思うの、怜奈さん?」
それはそうだろう。これだけの悪行を行う目的を簡単に教えてくれるとは思えない。けれど、それは問い詰めなければいけない事だ。
「……大神」
「――え」
俺が不意に口にしたその名前に怜奈は表情を強張らせた。
「やっぱり、あの男に関係があること、ですよね?」
「へぇ……なんでそう思うの?」
「貴女は大神がばら撒いていたクスリと同じものを同様にばら撒いていた。おまけに売人には大神の後任だとか話したそうですね? それに、さっきの口ぶりだと、大神のことを知っている。だとしたら、貴女の目的は大神と関係ある、と考えるのが自然だ」
「ふふっ――なるほどね。確かにその結論にいたってしまうのは、当然よね」
真希さんは嘲笑うかのように渇いた笑いを零す。それを肯定と捉えていいのか、否定と捉えていいのか、分からない。
「答えてください! 貴女の目的は――」
「一輝君」
その先を言葉にする前に真希さんに遮られる。
「ええ、確かに私は大神さんの後任として、この町にやってきた。彼が死んで、この町であのクスリを作れる者がいなくなってしまった。あのクスリの製造法を知っているのは、大神さんと彼の弟子だけだもの」
「――弟子、だって?」
「ええ、そうよ。弟子――私は彼に魔術を教わったの」
「――」
その言葉に眩暈がした。大神から魔術を教わった。それはつまり、奴と同じように――
「ああ、勘違いしないでね。私は教わったのは基礎的な魔術よ。彼のように高度な魔術は私には使えないわ。だから、一輝君が心配しているようなことにはならないわよ」
つまりは、大神のように錬金術や生体錬成などという魔術は、彼女には使えないということか。
だが、大神の弟子であるという時点で、彼女の目的が大神と同じものではないかという疑惑は拭いきれない
それを察してか、彼女は俺達が思いも寄らない言葉を続けた。
「それにね、一輝君。私は彼に魔術を教わったけど、彼のことを尊敬はしてなかった。彼の思想、理想は、私には戯言としか思えなかったもの。だから、私は彼の事、人としても、魔術使いとしても、能力者としても、軽蔑していたわ」
吐き捨てるように、切り捨てるように、何の抑揚もなく、冷徹に彼女は言い切った。そこに嘘はないように思える。
「それじゃあ、話の辻褄が合わないわ。だったら、貴女はどうしてクスリをばら撒いたりしたの? 一輝の命を狙ったのは何故? 大神がやろうとしたことを貴女もしようとしてるからじゃないの?」
怜奈からの詰問に真希さんは冷ややかな眼で怜奈を睨む。
「勘違いしないでくれるかしら、怜奈さん。私は、あんなくだらない妄執に囚われたりしない。ましてや、大神さんの敵討ちなんて考えたこともないわ。あの人の意志を継ぐなんてまっぴら御免よ」
大神の野望、それは世界から争いを失くし、恒久平和を作り出すこと。それを実現するために奴は人々から意志を奪う手段を取った。その為に奴は一ノ宮の血に目を付けた。異能を後世に継がせ、発現させる一ノ宮に血に。そして起きたのが三カ月前に事件だ。大神は怜奈を我が物にしようとしたのだ。
だが、その大神の野望を目の前の女性はくだらないと切り捨てた。奴が命を賭してやりきろうとしたことを。
彼女の言葉通り、彼女は大神の意志を継いでなどいないのだ。
「だったら、貴女の目的は何ですか、真希さん。何故、大神の後任なんて立場で、あのクスリをばら撒いたんですか?」
「ふふ。随分とあのクスリが気になるのね、一輝君? いいえ、貴方が気にしてるのは、あのクスリで大神さんが、何をしようとしていたのか、でしょう?」
完全にこちらの考えを見透かされている。
そう――大神があのクスリで何をしようとしていたのかが重要なのだ。
俺達の前に現れた大神の目的はハッキリしていた。狙いは怜奈だ。では、あのクスリは何のためか。
エクスタシーは、使用した者の感覚に作用し、あらゆる刺激を快感に変換するクスリだ。そんなクスリが大神の野望に関係しているように思えない。
「あのクスリは一体になんなんですか? あんなもので一体に何をしようとしてるんですか? それにあの赤いクスリ。あれも貴女の目的と関係あるんですよね?」
「そっか。あの赤いのも知ってるんだったわね。君からすれば、アレとエクスタシーがどう関係するか、もちろん気になるところよね」
真希さんは俺の質問を聞くと、表情が晴れやかになった。それはまるで俺と会話を楽しんでいるようだった。
「いいわ、教えてあげる。君の想像通り、エクスタシーは、ただ快楽の虜にするようなクスリじゃないわ。そんなクスリ、大神さんにとって役に立たないもの」
やっぱり、そうか。つまりは他に何か意味があるか、別の効果があるということだ。
「あのクスリはね、次の段階に進めるための準備みたいなものなのよ」
「次の……段階?」
「ええ、そうよ。あれは刺激を快楽に――つまりは、痛覚を麻痺させる。あれを使い続けるとね、痛覚だけが麻痺して、痛みを感じない体になるの。もっとも、痛みを認識するのは脳だから、脳に作用して、痛みを認識できない脳になるって言った方が正しいかな」
意気揚々に話す真希さん。その内容に俺は寒気がした。
痛みを感じない。それは危険なことだ。
痛覚――それは人体に設けられた危機回避機能の一つだ。痛みという警告があるからこそ、人は自身の限界や限度を知る。命の危険というものを察知できるのだ。どんな酷い怪我しようが、どんなに血を流そうが、痛覚という機能が壊れてしまえば、人間は自分の生命の危機というものを認識できなくなってしまう。
俺を襲った少年を思い出す。彼はどんなにボロボロになろうが、お構いなしだった。クスリのせいで痛覚がなくなっていたのだろう。怜奈に両腕を切られ、腕が動かせなくなった時に初めて自身の生命の危機に気づいたようだった。あれがなければ、彼はきっと死ぬまで俺達に向かってきていたはずだ。
「まさか……そういう人間を作り出して、利用するのが目的だったとか言わないでしょうね?」
怜奈も真希さんの話から想像したのだろう。どんなに傷を追っても、倒れない敵の姿を。それはさながら無敵の兵士と言ったところだろう。
けれど、真希さんは頭を左右に振った。
「まさか。そんなものに意味なんてないでしょう? 死なない兵士ならまだしも、痛みを感じないだけの兵士なんて、兵士として欠陥じゃない。私も大神さんもそんなものに興味はなかったわ」
「だ、だったら……」
何故、痛覚を麻痺させるなんて状態を作り出すというのか――。
「言ったでしょ、次の段階に進めるための準備だって。それね、大抵の人間は痛覚が麻痺した状態にまで行った段階で、自我を失っちゃうの。このクスリが脳に作用するせいかな。余程、自我を強く保ってないと、末期までいくと、快楽を貪るだけの廃人なるのよね。ま、そういうのは失敗作なわけだけど」
「し、失敗作、だって?」
「ええ。ま、人選を誤ったともいうけどね。私が欲しているのは、このクスリを投与されても、自我を失わない人間だから。それ以外は失敗作よ。ま、もっとも――大神さんにとってはどっちでも良かったみたいだけど。そこら辺は、私と大神さんとで目的が違うせいね」
真希さんは淡々と表情を崩さぬに話していく。
失敗作――彼女はそれを躊躇うことなく口にした。つまり、彼女にとってあのクスリを使って、痛覚麻痺に陥らせることは、実験を行っているようなものなのだろう。
そして、それは単に被験者を増やすための行為に過ぎず、彼女の言う通り、次の段階に進むための準備――つまり、本当の実験に移るための実験材料の選抜でしかなかったということだ。
つまり、次の段階というのは――
「自我を保てた人間は、貴女の言う次の段階に進むわけですね。それがあの赤いクスリですか?」
「ご名答。さすが、一輝君ね。あの赤いクスリはね、エクスタシー未投与の普通の人間に投与しちゃうと、その激痛に耐えられず、それだけで死んでしまうの。だって、身体を作り変えてしまうんですもの、当然よね」
「身体を作り変える、だって……? どういう意味ですか?」
「言った通りの意味よ。そうなった人間を君も見て、そして実際に戦ったでしょ? どうだったかしら彼は?」
「……え?」
彼女は嫌な笑みを浮かべながら、真実を突きつけてくる。
あの赤いクスリを投与された人間を俺は既に見ていて、実際に戦っていると彼女は言った。それは先日俺を襲ってきた少年に他ならなかった。
それはいい。あの少年の持っていた注射器は既に使用済みだった。つまり、赤いクスリを使ったということだから。
だが、問題はそこじゃない。赤いクスリを投与されたあの少年が、彼女の言う作り変えられた人間だとしたら、彼はどう作り変えられたのか。彼は俺達の前で何をしたのか。
そこに辿り着いて、やっと真希さんの言っている意味が理解できた。
「ま、まさか……」
「う、嘘、でしょ? そんなことって……」
怜奈もその事実に気づき、その事実を許容できずにいる。当たり前だ。俺だって嘘だと思いたい。けれど――
「ご想像の通りよ。あのクスリは、人間を能力者に作り変えるの」
真希さんにそう告げられた途端、それは嘘でなく、真実であることを思い知らされた。
 




