第4話「撒いた者」/8
撒いた者/
さっさと身支度を整え、あたしは長く営んでいた場所をを何の感慨もなく、後にする。
正直、これまで上手くいき過ぎだと感じていたぐらいだ。だが、人生それ程甘くはない。
あたしは利用されていただけに過ぎない。そんなあたしがこれ以上ここで商売していても甘い汁を吸い続けられないのは明白だ。
それに、警察も感づき始めている。さっさとあのクスリから足を洗う方が得策だろう。
幸い、客を除いて今日尋ねてきた彼等とあの女以外にあたしの存在を知る者はいない。このまま姿をくらませば、誰もあたしを追ってくることもない。
「ま、ほとぼりが冷めた頃にまた別の場所で始めるとするさ」
あたしは独りごちて、路地を歩き出す。そこに――
「なんだ、もう店仕舞いかい? 残念だなあ」
その男はあたしの行く先に立っていた。
「何だい? アンタは……?」
「なに、あなたに用があってね」
あたしの問い掛けにそう答え、男は不敵に笑う。
男は若かった。まだ二十歳手前か、二十代前半ぐらいだろう。だが、その風格はどこかそれ以上なものを感じさせる。
「用だって? 何だい? アンタもクスリを売って欲しいのかい? 悪いけど、もう売る気はないんだ。他を当たっておくれ」
「まさか。勘違いしてもらっては困るよ。僕はクスリなんてものに興味はない。特にあなたが売ってるようなものにはね」
コイツ……あたしがエクスタシーを売ってることを知ってやがる。つーてぇことは――
「じゃあ、用ってのは何だい? まさかと思うけど、アンタもクスリの元締めの居場所を聞こうなんて思ってんのかい?」
「それこそ、まさかだよ。僕は彼等と違ってそんなことには興味がないからね」
「アンタ……アイツ等の知り合いかい?」
「さて……どうだろうね。あなたがそれを知って何になる?」
違いない。コイツがアイツ等とどういう関わりかなんて、どうでもいいことだ。まして、今からこの街を離れるあたしにとっては特に。
「なら――あたしに用ってのは、どういうことだい? あたしはアンタのような知り合い、客にも友人にもいないんだがね」
「ああ、それはもう当然だ。僕もあなたの事なんて知らないからね。ただ――僕はあなたのした間違いを正しにきただけだから」
「あたしのした間違いを正しにきたって……?」
あたしのした間違い――それは何だろうか? あのクスリを売ったこと? それともあの女の手足にされていたことか? どちらにしろ、この男には関係のない事のはずだ。
「何だい? もうしかして、あたしがあんな外道なクスリを扱ってるからって、成敗しようとでも言う気かい?」
「ふ――あははは!」
男はあたしの言葉に突如として笑い出した。それはとても愉快そうだった。
「な、何が可笑しいんだい!」
「あ、ああ、御免よ。あなたの言った事があまりにも的外れ過ぎて、可笑しくってさ!
成敗、なんて正義の味方みたいな事、僕はする気はないよ。それに、あなたがどんなクスリを扱おうが、外道だろうが僕には興味ないからね。それこそ好きにしてくれていい」
「だ、だったら――」
こいつはあたしの何を正しに来たって言うんだ?
「ああ――まだ分からないのかい? あなたのした間違い、それは――」
その瞬間、それまで薄ら笑み絶やさなかった男から笑みが消え――凍りつくほど冷たい視線が注がれた。
「我の名を騙ったことだ、雑種。〝殺人鬼〟と言う名をな」
「なん……だって!?」
男から紡がれた言葉に思考が真っ白に塗り潰される。
コイツは今何と言った? まさか……まさか……そんな!?
「お……おま……おまえ……は……!?」
「恐怖で言葉を失ったか、雑種? だが、本当に言葉を失うのはこれからだ。雑種の分際で我の名を騙った償い、その身で支払ってもらうぞ?」
男はそう言うと、一歩あたしの方へと踏み出す。
「あ……あ……たす……たす……けて……だれ、か」
助けを求める。自分では叫んでいるつもりなのに、その声は酷く小さい。恐怖と絶望で声がでない。
「くく――まったく哀れだな。奴に良いように扱われ、あげくあの女にまで歯車とされた末が、これか。貴様では道化にすらなれんわ!」
男はゆっくりと手をあたしの方へと伸ばす。
「あ……あ……ああああ……!」
あたしは恐怖のあまり後ろへと走り出した。
訳が分からない。何故――何故こんな事になる。あたしはただ……ただ……!
「……え?」
気づけば、あたしの地面に突っ伏していた。
走って逃げなくてはいけないのに、体は地面に倒れている。起き上がらなくていけないのに、下半身の間隔がなくて起き上がれない。
だが、幸い上半身の間隔だけはあった。あたしは腕の力だけで上半身を起こし、後ろを振り返る。
「――は?」
あまりにも浮世離れした光景に気の抜けた声が漏れる。
「あは……はは……な、何だよ……これ? どうなってんのさ? なんで……なんであたしの……!」
あたしは気が触れてしまったのだろうか?
振り返った先に目にした物、それはあたしから少し離れた場所にある自分の下半身だった。
「たわけが。誰が逃げても良いと言った? 貴様に赦されるのは、〝死〟だけだ。大人しく、バラバラにされろ」
「いや……だ。 おね……がい……たす、けて……。おね、がい。あた、あたし、は」
あたしはただ――
「消えろ」
ただ愉しく生きていければ、それでよかったのに――。
◆
暗い路地に溢れかえる血の匂い。眼下にはバラバラになった女の死体があるのみ。これで、今宵も殺人現場の出来上がりだ。
「……ん? この匂い……」
血の匂いに混ざって一緒に漂ってきた、明らかに血とは違う匂いに気づく。
この匂いには覚えがある。あのクスリの匂いだ。おそらくは血液中に含まれているクスリのせいだろう。
「なるほどね。反応が薄いわけだ。ま、痛みを感じようが感じまいが関係ないけどね」
死を前にして痛みなど関係ない。どんな状態であれ、どんな人間であれ、〝死〟に恐怖を感じない者はいないのだから。
そして、その恐怖こそが僕の愉悦でもある。
「さて、と。次を探しにいくとするか」
僕は死体をそのままに路地を歩き出す。すると――
「そうはいかん。これ以上の好き勝手を見逃すことはできん」
「なに……?」
突然の背後からの声。それには僕は振り返る。
「――――へぇ」
そこに立っていたのは、僕にとって忘れることのできない人物だった。
「今更、僕の前に現れるなんて、どういう風の吹き回しですか? お父様」
忘れるはずもない。憎んでも憎んでも憎み足りない、殺しても殺しても殺し足りない、かつてはそれ程の憎しみを抱いた男――我が父であり、一ノ宮家現当主の一ノ宮蔡蔵だ。
彼は険しく重苦しい顔つきでこちらを見つめている。
「……貴志、私はお前を殺しにきた」
「僕を? 貴方が? フ――」
「何が可笑しい?」
「いえ。ただ、十数年ぶりに出会えたっていうのに、息子に掛ける言葉がそんな戯言だと思わなかったんでね」
「戯言……か。戯言かどうか、私の力をその身で受けて確かめるといい、貴志!」
それは決して戯言なのではない。この男の眼には、本気の殺意が灯っている。我が父は本気で僕を殺す気でいる。殺せる気でいるのだ。
この期に及んで、まだそんな勘違いするなんて――
「――なんてバカな人だ」
「ああ……そうだな。お前の言う通りだ。私がバカだった。あの時、私が全てを終わらせていたならば、こんな事にはならなかった。全ては、私の撒いた種だ」
「……あの時、ね」
それは悔恨の言葉に他ならない。けれど、それこそお門違いというものだ。何時だって、貴方のする選択は間違いだらけだというのに。
「貴志、覚悟はいいか?」
そう言い放つ我が父。それはもはや僕には滑稽に映っていた。
「覚悟? さて……貴方の言う覚悟とは何の覚悟ですか? 貴方とここで戦う覚悟ですか? それとも――貴方をここで殺す覚悟ですか?」
その挑発に眉を潜める我が父。その反応が少し面白くて、さらに挑発してみることにした。
「ああ――すみません。それは尋ねる必要のないことでした。だって、貴方が僕の前に姿を晒した時点で、僕はどちらの覚悟もできていますから」
「……そうか。もはや言葉を交わすことも無意味だったか。ならば致し方ない」
父はさぞ残念そうに頭を振った後、背負っていた荷物をその場に降ろす。そして、その荷物から長細い得物を取り出した。
「……刀? そんなものを取り出してどううしようと言うのですか?」
それは見るからに典型的な日本刀だった。
「知れたことを。これでお前を――斬る!」
父はそう断言すると、鞘から刀を引き抜く。
闇夜の中、ギラリと輝きを発する刀身。それは切れ味の鋭さを連想させた。
父はその刀身にさらに風を纏わせる。
「刀に風を纏わせ、さらに切れ味を高める……か。なるほど、確かにそれなら単なる風の刃なんかよりも殺傷能力は増すし、こちらの刃も、防御膜も切り裂けるだろうね」
「ああ。お互いに同種の力を使うならば、より強い力の方が勝つ。それが道理と言うものだ。そしてそれが分かったところで、丸腰のお前には打つ手はない」
「確かに、ね」
父の言葉は真実だ。同じ力の者同士で戦った時、その勝敗は純粋なる力の差で決まる。そう、力の差で決まるのだ。
「行くぞ、貴志!」
父は刀を構える。流石は一ノ宮家当主。様々な武道を習得しているだけはある。彼の殺気はこちらに刺さりそうな程鋭い上に、その様は一寸のスキも無く、完全なる剣客を彷彿させる。
対して、僕は構えることも何もせず、無防備まま、
「ええ、何時でもどうぞ」
そう言って、彼の殺気を軽く受け流す。
だが、その一言を返している間に、父は僕との間合いを一瞬にして詰めていた。
振り上げられた刀。その刀が振り下ろされた時、僕の体は頭のてっぺんから股下まで真っ二つになることだろう。そして、もう僕にはその刃を躱す時間は残されていない。
「許せ、貴志。さらばだ」
父のその言葉と共に、刀は振り下ろされる。
振り下ろされた迅速の刃。だが、その担い手にとってそれは思いも寄らぬ形で停止する。
「な……に!?」
父は驚愕の声を漏らすと共に、信じられないとでも言いたげな表情に顔を歪める。
それもそうだろう。彼の渾身の一太刀を僕は右手だけで受け止め、掴んでいたのだから。
受け止めた刀は未だに風を纏い、僕の右手を切り裂こうとしている。だが、それを全く意に介さず僕は刀身を掴み続けた。
そして、その刀身に触れたことで、僕は気づいた。
「……へぇ。そうか、そういうことか」
僕はこの刀の真実に気づいてしまった。彼が何故この僕を殺せると思ったのか、何故この刀で僕に挑んできたのかを。
「ば、馬鹿な!? な、何故……」
何故――彼の疑問はもっともだ。この刀でなら、僕を殺せると彼はそう踏んでいたのだから。
「驚きましたか? 実は三年前に右手を失いましてね。ある技師に特別製の義手を作ってもらったんです。なんでもバズーカをを受けても壊れないらしいですよ」
「そ、そんなことはどうでもいい! 何故だ、何故これを受け止めることができる! 例え義手でも、これに触れては……」
まったく……息子の右手が義手になっているのに、どうもいいだなんて相変わらず酷い人だ。
だが、今の発言でハッキリした。この人はやはり今になっても勘違いしたままだ。
「貴方はそうやってずっと間違ったまま、その間違いにも気づかず、その生涯を終えるのですね」
「なん、だと……?」
哀れな男、愚かな父。こんな人間が全てを始め、全ての元凶だったなんて、冗談のようにしか思えない。
それでも――この男が元凶であったことは、変えようもない事実だ。
「――目障りだ。これ以上、我の邪魔は許さん。消えろ」
僕は右手で刃を握ったまま、左手を振り上げる。
「さらばだ、我が父よ。貴様の過ちはこの我が正してやる。安心して死んでいけ」
「――貴志、お前は――!」
父の言葉を遮るように、僕は左手を振り下ろした。
/撒いた者




