第3話「襲いくる者」/3
鼻の奥を突くような硫黄臭さに鼻を覆う。
鎮火したとはいえ、それも今朝のことだ。まだそれほど時間が経過していないのだから当然と言えば当然だ。
火災跡には真っ黒な瓦礫が残っているだけで、住宅街でなければ、そこに家があったとは思えない程だ。
「ひどいな……これは……」
俺は鼻を覆いながら素直な感想を漏らした。
「ええ、そうね。私、火事って初めてだけど、ここまで燃えちゃうものとは思わなかったわ。何もかも消し炭にしちゃうなんて、ホント恐ろしいわね」
そう感想を漏らしたのは真希さんだ。俺の隣で同じく手で鼻を覆っている。だが、その表情は至って平然としている。
「恐ろしい……ですか。とてもそう思っているとは思えませんけどね」
「そう? そんなことないんだけど、ね。ま、私ってそういうの鈍いところあるからかな?」
言いながら彼女は人差し指を顎にあてがい、うーんと考え込んでいる。
まったく……なんで俺はこんな場所で、こんな人と一緒にいるのだろう?
探偵事務所で留守番しているはずだったのに、それを彼女によって半ば無理やり連れてこられた。おかげで事務所はいまやもぬけの殻だ。ごめんなさい、新一さん……。
「で、これからどうするんですか? 調べるって言ったって、まだ火事現場には入れ――――って、あれ?」
隣を見ると、いるべきはずの人物の姿がなかった。辺りを見渡してみても、彼女らしき人物の姿はない。
「……どこ行っちゃったんだよ……」
俺は大きく溜息をついた。
ここまで無理矢理連れてきておきながら、勝手に姿を消してしまうなど、まったくどこまで勝手な人間なんだか……。
「……いいや。帰ろう」
俺は如月町に向かって歩き出した。
もはや俺の役目は終わっている。ここまで送ってきたんだ。余程の方向音痴でさえなければ、独りで帰って来れるだろう。
だから、大丈夫。俺がいなくても彼女は何も困らないだろう。いや、困ったりなんかきっとしない。しない、はず。はず――
「……はあ。ったく、仕方ないなあ!」
頭を掻きながら、その歩を止める。そして、元いた火災現場に引き返した。
「真希さーん! どこですかー?」
現場近くで俺は彼女の名前を叫ぶ。だが、彼女が姿を現すことも、返事が返ってくることもない。
「くそっ! 一体どこまで行ったんだ?」
勝手に動いて、迷子になるなどやめてもらいたい。
現場近くだけでなく、少し範囲を広げて探した方がいいだろうか?
「いや……そもそもここには火事の原因を調べにきたんだから、絶対この辺にいるはずだよな?」
ひとりごちて、考えを改める。
再び彼女の姿を求めて、辺りを見渡す。すると、その途中で俺はおかしなものを見つけてしまった。
それは住宅街を走る道路を照らす何の変哲もない街灯だ。けれど、その街灯は光源やそれを覆うカバー諸共割れていた。
「どうしたんだ、これ? 火事のせい……じゃないよな?」
その街灯があった場所は火災現場から道路を挟んで真向いに位置している。ここまで火の手が及んだとも考えにくいし、この壊れ方は火事によるものではない。
見ると、街灯の真下には光源やカバーの破片らしきものが落ちていた。ということは、壊れたのは昨日今日の話だろう。
火事と関係ない、とは思えないのだが……。
「でも……なんで火事で街灯が割れるんだ? しかも、こんなのところのが……」
言葉に出して考えてみたところで、答えなど出ない。それに火災現場の近くなのだ。何かの拍子に物が飛んできて、壊れたってこともあるだろう。
「あ、一輝君! やっと見つけたわ!」
「え――?」
名前を呼ばれて後ろを振り返る。そこには、真希さんが立っていた。
「真希さん!」
「うんもう! どこに行ってたのよ! 探したのよ?」
真希さんは頬を膨らませ、何故か怒っている。
「探したって……それはこっちの台詞ですよ!」
というか、俺はずっと火災現場前にいたのに探す必要がどこにあるのか。
まさかと思うが、本当に迷子になっていたのだろうか、この人は……。
「な、何よ……その呆れ顔は?」
「い、いえ、何でもないです」
「ホントかしら……」
真希さんは疑いの目を向けてくる。それに俺は目を逸らした。
「ふうん……まあ、いいわ。それよりも興味深い事が分かったんだけど、聞く?」
「興味深い事?」
「ええ。ちょっと近隣の人に聞き込みしてみたんだけど――」
「近隣に聞き込み!?」
こっちが心配して探してたっていうのに、そんなことをしていたのか、この人は……。
「何よ……悪い?」
「あ……いえ、別に……」
「そ、なら続きよ。それで、聞き込みしてみたら、火事の時間帯にこの辺一帯が一時停電になったらしいのよ」
「停電、ですか……」
ふむ、と考え込む。
確かにそれは興味深い。ニュースでもやっていなかった新事実だ。けれど、それだけだ。
「でもまあ、そういうこともあるんじゃないですか? 火事のせいで停電になることだってあるでしょう?」
「馬鹿ね。ちゃんと話を最後まで聞きなさいよ。その停電なんだけどね、正確な時間がなんとあの火事が起こるちょっと前だったみたい」
「火事が……起こる前?」
ちょっと待て。なんだそれは……?
火事が起きて停電になるなら分かる。だが、火事が起きる前に停電になるなど、どう考えてもおかしい。
一戸宅の電化製品がショートしたぐらいで、まさか辺り一帯が停電するわけがない。
では、何故停電は起きたのか?
偶然? いや、違う。そんな偶然が起きるはずがない。これには何か理由があるはずだ。それこそ、今回の火事が起きる原因になるような何かが。
「これは、あれね。火事が原因で停電が起きたんじゃなくて、停電が原因で火事が起きたって考えた方がいいわね」
さも当然のように彼女は俺が考えていたことを口にした。
停電が原因で電化製品がショートして発火した? なんだか混乱してくるが、だが考えとしては間違っていないような気がする。後はそれをどう結びつけるかだが……。
「火事の前に停電……ショートした古い電化製品……壊れた電灯……」
なんだ……この違和感は?
何かが頭の中で引っ掛かっている。
「――――、――くん、――きくん、一輝君ってば!」
「え!? な、何ですか?」
大きな声で真希さんに呼ばれて、俺は我に返った。どうやら考えに耽りすぎたらしい。
「もう! 何度も呼んでるのに無視しないでよ!」
「す、すみません」
「いいわよ、もう。それより携帯鳴ってるわよ?」
「え!」
俺は慌てて胸ポケットからスマホを取り出す。彼女言う通り、着信が来ている。
画面には『間島新一』と表示されていた。
「げっ! し、新一さん!?」
しまった。事務所を空けたことがバレてしまったか。
俺は慌てて、電話に出た。
「はい、もしもし?」
『あ、一輝君? 良かった出てくれて。君、いまどこにいるの?』
「ええっと……実はですね……」
『事務所じゃないよね?』
答える前に言われてしまった。やっぱりバレてしまっていたらしい。
「す、すみません!」
『あ、いいのいいの。どの道、今日は君に真希さんの相手をしてもらうつもりでいたから。一緒なんでしょ? 真希さん』
「え、ええ、そうですけど……」
『だったら問題なしだ。うん、仲良くできてるようで安心したよ』
いや、安心しないでほしい。俺達を監視するって言っている人と仲良くなんてできるわけないだろうに。というか、今日一日俺に真希さんを押し付けるつもりでいたのか、この人は……。
『あ、そうそう。一輝君に伝えておかなきゃいけないことがあったんだった』
「え? 何ですか?」
『ほら、年末に僕にお願いしてきたでしょ? あれだよ。先方の都合がついたみたいで、明日の午後4時に会いたいってさ』
「午後4時? 随分と遅い時間帯ですね?」
『ま、先方も忙しい身みたいだからね。仕方ないよ。指定された場所と連絡先、あと相手の名前だけど――』
「はい……はい、はい。分かりました」
新一さんが言う言葉を俺は手帳にスラスラと文字に起こしていく。
「ありがとうございます。助かりました」
『いやいや。可愛い助手の頼みだから、聞かないわけにはいかないでしょ』
「か、かわいいって……」
まるで俺を女みたいに言うな、この人は……。そっちの気はなかったはずだが……今度から警戒しておこう。
『そうだ、君に聞きたいことあるんだけどさ?』
「え……な、何ですか?」
不意に新一さんの声が真面目なものに変わる。それに俺は只ならぬ雰囲気を感じた。
『怜奈君、最近の様子はどうだい? 特に変わったこととかないかい?』
「え……怜奈ですか? いえ、別に変わったことはないですよ? 年末年始も彼女と過ごしましたけど、いつも通りでしたし」
『…………そっか、ならいいんだ』
そう口にした新一さんの声はいつもの調子に戻っていた。
「あの、怜奈がどうかしたんですか?」
『いや、何でもないよ、本当に。君が気にする事じゃない』
「は、はあ……」
何か腑に落ちない。新一さんが尋ねてくるくらいだから、何か理由があるはずなのだが……。
だが、こういう時の新一さんはこっちが何を訊いても答えてくれない。それを分かっている以上、追及しても意味がない。
『それじゃあ、真希さんの事よろしくね。間違っても、喧嘩しちゃダメだからね?』
「わ、分かってますよ」
『ハハ、なら安心したよ』
笑いながら、新一さんは電話を切ってしまった。
「ふぅ……」
俺は手帳に書いた指定場所を見て、俺はほっと息を吐いた。
良かった、皐月町内だ。これで他県とかになると結構大変なことになっていたが、これなら余裕を持って指定場所に行ける。
「あの探偵さん、何て? 何かメモとってたけど?」
真希さんは俺の手帳を覗き込もうとしてくる。俺はすぐにその手帳を閉じた。
「いえ、特に何も。それにこれは僕の個人的な興味みたいものなので、真希さんには何ら関係のないことです」
「……そ、ならいいけど」
どうやら、真希さんは俺の説明に納得いったようだ。すぐにメモへの興味を失くしてしまった。
俺は手帳をバッグに閉まった。
「それで、これからどう――――ん?」
言い掛けて、何か違和感がした。
背後から感じる、何か言い知れない感覚。
視線――それは間違いなく、誰かがこちらを見ているような視線だった。
「っ!」
俺は堪らず背後を振り返った。だが、そこには誰もいない。俺に注がれていた視線も消えていた。
気のせい――か?
「どうしたの、一輝君?」
「え!? あ、何でもないです」
怪訝そうな顔をしている真希さんに俺は何事もなかったように振る舞う。
そう、気のせいだ。事実、俺を視ている人間などいなかった。
「そ。なら、早く帰りましょ」
「え? 帰るんですか!?」
「ええ、そうよ。もうここにいたって大した情報は手に入りそうにないし、それにいい加減冷えてきたじゃない」
「冷えてきたって……」
俺は呆れるしかなかった。
自分で言いだしておいて、もう根を上げるとか、勘弁して欲しい。付き合ったこっちとしては付き合い損というものだ。
「……わかりました。それじゃあ、先に帰ってもらっていいですか? 俺、他も回ってみたいですし……」
火災現場はここだけでない。まだ過去4件の場所も残っている。この現場だけでは、これが事件とも事故とも判断がつかない。
「何言ってるのよ! 貴方、風邪ひきたいわけ? そんなのいいから、早くあの事務所まで連れてってよ!」
「…………」
決定。この人、やっぱり方向音痴なんだ。
「な、何よ?」
「いいえ、なんでもありません。それじゃあ、帰りましょうか」
俺は苦笑しながら、如月町に向けて歩き出した。
 




