第3話「襲いくる者」/0
「ふーん、君があの彼の教え子? へぇ、君が、ねぇ」
頭頂部が寂しい初老の教授は、値踏みをするような目でこちらを見てくる。
「それで? 彼の紹介ってことだけど、何? 僕に教えて欲しいことでもあるの? え? 鬼について教えて欲しいだって? 君、そんなのに興味があるの?」
「え、ええ、まあ。教授ならそういった事を良くご存知だろうと、あの人が」
「うん、そりゃあね。だって僕、これでも民俗学と考古学を専攻してる上に、特にそういったのが僕の専門だしね。ま、そのおかげで周りから変人扱いを受けてるけどさ。おかげで、最近は僕のゼミに入りたいって学生がいなくってさ。まあ、落ち着いて研究できるのは良いけど、手足なる人間がいないのは痛いかな、ハハ」
「あ、あの、それで鬼の話についてなのですが」
「ああ、そうだね。うん、でも鬼って言ってもねぇ。色々な伝承があるから。
一般的な民俗学上だけで言えば、鬼はその土地の祖霊や地霊のことだし、宗教上で言えば、夜叉や羅刹、邪鬼とかも鬼に分類されるんだよ。あ、天狗も鬼って説もあったりするんだよね。これらは、善悪はともかく神様扱いを受けてるんだ。
それと、妖怪の鬼ってのもあるかな。ほら、頭に二本の角が生えてて、体がでかくて金棒を振り回してるイメージのやつ、あれだよ。あれが最も近いかな。こういったのは、人間に化けて人を襲う奴らもいるね。こっちは大抵、悪鬼って呼ばれているよ。
あとは――ああ、そうそう! 忘れちゃいけないのがあった。凶悪な人間の事も鬼って言うよね。ほら、言うでしょ? 殺人鬼ってさ。
で、君はどの鬼について知りたいわけ?」
「どの、と言われましても……その、人知を超えた力を持った鬼とかいたりするのでしょうか?」
「人知を超えた力? ははん、そっち系が知りたいのか。だったら、神様系の鬼だね、それは。彼等はなんたって神様だから、基本なんでもありだし。悪鬼とは格が違う」
「えっと、そんなに違うものなのですか? イメージだけだとあまり変わらないように思えるのですが……?」
「違う違う、そりゃあ全然違うよ! 妖怪の方はそりゃあ人間より力は強いかもしれないけど、知性は劣っているし、できて人の命を奪う事ぐらいでしょ? それだったら、ちょっと人間離れした人間と変わらないよ。
対して、神様――鬼神って呼ばれてるんだけど、そっちは人の命を奪うなんてことだけじゃ留まらない。やろうと思えば、天変地異だって起こせちゃうからね。彼等、自然そのものだし」
「はあ……自然、ですか。でも、どうもピンときません。自然そのものとは一体どういう意味ですか?」
「言った通りの意味さ。彼等が一度僕等人間に牙を剥こうものなら、人間なんて太刀打ちができない。人間は絶対に自然には勝てないからね」
「それって、鬼は自然を操るってことですか?」
「うん、そうそう。そうだねぇ、一番ポピュラーなやつって言ったら、あれからな。風神と雷神かな」
「あの屏風になってる……?」
「そう、それ。でも、あれって人間が勝手にイメージした姿だから、あれが本当の姿かってのは怪しいけどね。
風神は読んで字の如く風の神様だ。風を操り、強風を巻き起こす鬼だよ。
それに対して、雷神は雷の神様。雷を操り、雷鳴を起こす鬼だ。
この二神はもう天災のレベルだから、人間は尊敬と畏れを抱き、神として崇め、信仰した結果、あの屏風のようになったってわけだよ」
「でも、それって昔の話ですよね? 今なら太刀打ちできないってわけじゃないですよね? 人間だってやろうと思えば、科学の力で風や雷を起こせるわけですから」
「それは違うよ。君の言ってるのはあくまで起こせるって話でしょ? でも、鬼にとって、それは僕等が息をするのと同じなんだ。つまり当たり前ってこと。彼等の真価は、自然現象を自由自在に操れるところにある。人間には無理でしょ? 自然をコントロールするなんて」
「そう言われると確かに。では、鬼とは……」
「人間では到底なしえない神秘、自然すらも凌駕する超自然的な奇跡の力、それらを持つ超越者を僕等は〝鬼〟と呼ぶんだ」
「なるほど……では、教授。鬼は実在するとお思いですか?」
「それさ、伝承や伝説が本当で、鬼が実在したかってことを聞いてる? それとも、いまも鬼が存在しているかってことを聞いてる? え、両方? そりゃ結構。
それじゃあ、前者についてだけど、今のところ鬼が実在したっていう証拠は発見されてない。だけど、いなかったっていう証拠も見つかってない。結論から言うと、いたかどうか分からない、と言った方が正しいね、学術的に。でも、僕の個人的な意見だけで言えば、実在したと思うよ」
「えっと、それは何故ですか?」
「鬼に関する伝承や伝説、文献なんかは多種多様でね。それはもう、土地の数だけ存在してる。固形無形のものも多いけど、それにしたって、古くからその存在を示す記述が多すぎるんだよ。おまけに、その半生やその子孫まで語られているものもある。最古のものの中には夫婦だったとされる鬼もいるんだ。要は、具体的すぎるんだよ。存在しない架空のものにしてはね。それが僕の鬼が実在したと信じてる理由だよ」
「なるほど……では、現在はどうなのでしょう? 鬼は存在してると思いますか?」
「そりゃあ、君、いるに決まってるでしょ。ほら、言うじゃないか。人の中には鬼が凄んでいるって」
「いえ、教授、そういった事を聞きたいわけでは……」
「分かってる分かってる。君が聞きたい事は分かってるよ。別に僕はふざけてるわけじゃなく、それが重要な意味を持つんだ。
いいかい? 太古の昔、鬼は確かに実在したと仮定しよう。けど、そんな鬼は現代ではどこにもいないように見えるよね? 誰も見たことがあるわけじゃないし。では、その鬼はどこに行ってしまったのか? 何故、人間の前から消え去ってしまったのか? それを説明する上で、もっとも合理的で納得のいくものが一つだけあるんだよ。それ、何だか分かるかい?」
「一つだけ、ですか……やっぱり絶滅しちゃったとかでしょうか?」
「はは! 実在することを証明しようとしてるのに、それじゃあ本末転倒じゃないか。だけど、悪くない回答だよ。
そう、絶滅だ。彼等はどんなに神格化されようとも、この星に根を下ろす生命体であることに変わりはない。故に寿命だってあるし、滅びてしまうこともある。彼等の不幸は、人間と違い、その繁栄数の少なさだった。種族として多種多様でも、数が少なければ、いずれ終わりがやってくる。要は種の保存ができなくなったわけだ。
そこで彼らは考えた。如何にして己が種を後世に残していくかを。その答えとして選んでしまった方法が、皮肉な事に人間の前から鬼が姿を消してしまう結果になるわけだけど、ね」
「それって、まさか……人間と鬼が……?」
「そう、交配したんだよ。どのような経緯で、人間がそれを受け入れたのか知れない。でもまあ、神様の言う事だから従わざる負えなかったのだろうね。そして、人間は鬼と交わった。結果、人間と鬼の混血種が生まれてきた。そんな事が何度も何度も繰り返され、気づけば姿形は人間のそれと変わらないものへと彼らは成り下がったわけだ。
つまりはね、いま僕等人間の中には、鬼の血が混ざっている、ということだよ。ほら、どうだい? 人の中には鬼が凄んでいる、だろう? ま、もっとも、これは僕の仮説に過ぎないけどね」
「教授……その仮説が事実だとして、私達人間の中に鬼として目覚めてしまう者がいるものなのでしょうか?」
「ん……それ、隔世遺伝のことを言っている? それは無理だと思うよ。鬼が人間と交わってしまってる時点で、神様じゃなくなってしまってるからね。人間は神様にはなれないでしょう? まあ、たとえ何かの弾みで鬼としての力を持って生まれてきたとしても、それを自由自在に扱うなんてことは人の身では無理だし、第一魂魄がもたないだろうね」
「魂魄……ですか?」
「そ、魂魄。魂とは精神や心を司る氣の事を言い、魄とは肉体的生命を司る氣の事を言う。要は、この世界の生きとし生けるものは魂魄から成り立ってるってことさ。
だけど、この魂魄はそれぞれ生命体によって形や容量が決まっていてね。人間には人間の、鬼には鬼の魂魄があるんだよ。で、大抵は神に近い存在の鬼の魂魄は人間のそれよりも上位のものとされる。だから、人間の魂魄のままで、鬼としての魂魄が必要となる力を使おうとすれば、必ず人間としての容量をオーバーして、自壊するに至るわけだよ」
「それでは、人間が鬼になることなどありえない、という事ですか? どんな手段を使っても無理だと?」
「いや、そういうわけでもないよ。さっきも言ったでしょう? 人間の魂魄のままだと無理だって。だったら、その魂魄を人間のそれから鬼のそれに変えてしまえばいい」
「お、鬼に変える? そんな事ができるのですか?」
「うん、だって僕達人間の中には鬼としての血も混ざってるわけだから。だから、その血を起こしてやれば可能だと思うよ」
「でも、それだけだと変わるのは魂魄の内の魄だけですよね? つまり肉体だけでは?」
「ああ、確かにそうなんだけどね。これがまた不思議と言うか、自然の摂理と言うか、魂魄ってのは二つで一つなんだよね。つまり、どちらかが変容すれば、もう一つの方もそれに合う形に変わってしまうんだ。つまり、魄だけを完全な鬼に変えてしまえば、その影響で魂も鬼のそれに変わっちゃうって話だよ。無論、逆も然りだよ。でもねぇ、これにも問題があってさ」
「どんな問題ですか?」
「魂魄ってのがそれぞれ生命体で決まってるって話したでしょ? 魂魄ってのは、僕達の肉体と一緒でね。傷つけば治ろうとするし、変容しようとすれば元の形に復元しようとする力があるんだ。だから、時間をかけて少しずつ鬼に変えようしても、人間に戻っちゃうってことだよ」
「それじゃあ、やっぱり無理ってことですか?」
「いやいや、それは早合点だよ。言ったでしょ? 少しずつ変えようとしても戻るって。これは、その復元力の方が勝ってるからなの。つまり、その復元力も追いつかない程の速さで変容させれば、完全な鬼に変えちゃえるってわけさ」
「それ……可能なんですか? というか、どうすればいいのでしょう?」
「そうだねぇ……魂を変えちゃうなら、魂そのものを鬼のそれと入れ替えちゃえばいいかな。これ、無理そうに聞こえると思うけど、降霊術とか使えば結構簡単かもね。
それと、魄を変えようとするなら、これは肉体を物理的に変えてやるしかないね。例えば、人間の血を鬼の血で入れ替えちゃうとか、遺伝子を組み替えちゃうとか、さ」
「たったそれだけなんですか?」
「そだよ。吸血鬼を知ってるかい? 彼等は血を吸った対象を同族の身体に組み替えちゃうの。それと同じことをすればいいだけ。意外と簡単でしょ? ま、だけど、それをやろうって人はいないよね。降霊術にしろ、鬼の血や遺伝子にしろ、そう簡単には手に入らないから。それに、もし手に入れることができたとしても、今度は被験者の適正が試されることになる。魂魄の組み替えにその被験者の肉体や精神が耐えられなきゃ、自壊したり廃人になったりしちゃうからね。でも、もしそれらの条件をクリアしたとして、それを実行しようとする者がいたら、そりゃあもう、大問題だろうね。だって、神様を甦らせちゃうわけだから。さながら、その人は神に仕える神官ってところかな。なに? 君、もしかして甦らせたいとか?」
「い、いえ、そうではないです。個人的な興味があるだけですから」
「だよね。もしそんな事を考えていたら、僕より変人扱いされちゃうもの。でもなぁ、彼ならそこまでやっちゃいそうだったなぁ」
「教授、本日は貴重な話ありがとうございました。とても参考になりました」
「あれ? もういいの?」
「はい、そろそろお暇しようと思います」
「あ、そう? 御免ね、なんだか一人で長々と話しちゃって」
「いえ、とても良い勉強になりました。またお聞かせくだされば幸いです」
「いいよいいよ、彼の教え子だっていうなら、いつでも来てくれていいから。なんたって彼、僕が唯一後を継がせても良いとさえ思えた人間なんだからさ。それでさ、彼――大神君は元気してるかい?」




