第2話「来訪する者」/7
来訪する者/
12月28日 未明。
地面を赤く染め上げる液体、石ころのように散らばった肉塊。そして、カラスにでも食い散らかされた生ごみのような臓腑。
僕はそれらをただ何の感情も感傷もなく、見下ろす。
「これで四人目、か」
一人目を始末してから既に二週間、これで四人目の駆除だ。
「ちぇ!」
つい舌打ちをしてしまう。
これで四人目? 違う、まだ四人目だ。
僕にしては時間が掛かり過ぎた。だが、それも仕方のない事だ。何せ、今回は相手が誰でも良いわけじゃない。
「けど、中々上手くいかないな。今回は三日で見つかったけど、これじゃあねぇ……」
僕は忌々しくなって、足で一番大きな塊を蹴飛ばす。
脆い上に、大した力も持ってやしない。おまけに本能のままに暴れる獣では、まるで意味がないというものだ。
「やっぱり、汚染されてない奴なんていないのかな?」
良いアイディアだと思ったが、〝アレ〟に耐え凌げる人間がいるとも思えない。少なくともこれまでの四人はそうだった。
ともすれば、余興は今宵限りで終わりとなる。
「……ま、たとえそうでも、やることは変わらないわけだけどさ」
そう、変わりはしない。僕がすることは、殺戮だけだ。
どのみち、遠からず僕の目的は果たされることになる。その為に、三度目にわざわざ姿を見せたのだから。
この殺戮行為も彼を僕のところに導くためのもの過ぎない。それでも相手を選んでいたのは僕の暇つぶしと言うか、彼との再会をより面白いものにしたかったという、なんとも俗物的な考えに過ぎない。
だが、それも今日までのようだ。余興にもならないのであれば、殺すのは奴らである必要はない。
「明日からは一日一人ずつってのもいいよね」
幸か不幸か、警察は報道規制をかけて、僕の存在を街に漏らしていない。おかげで、僕は好きな時に食事にありつけるわけだ。
だが、一日一人ともなれば、流石の警察も黙っていることは難しくなるだろう。そうなれば、彼にもすぐに僕の存在が知れることになる。
「なんだ……簡単なことじゃないか。こんなまどろっこしい事、する必要もない」
考え直せば、簡単なことだった。奴らの存在は確かに赦せないし、面白くもある。だから余興にもなると考えた。だが、本来の目的とは遠く外れたものだ。そんな事をしても意味などない。
「あら? もう諦めちゃうの?」
暗い路地に突然そんな声が響き渡る。
「……誰だ?」
僕は声が聞こえてきた方向を見据え、問いかける。路地は暗く、人の姿は見て取れない。
「私が誰かなんて、どうでもいいことでしょ殺人鬼さん?」
声の主は女だ。
何故、女が路地裏なんて場所にいるのかは分からない。だが、声の主は僕を殺人鬼と呼んだ。ならば、彼女はここでの僕の行為を見ていたのだろう。
けれど、それでも疑問は残る。
僕のことを殺人鬼と認識しておきながら、何故僕に声を掛けるなんて馬鹿な真似をする?
それに――僕が人の気配を今に至るまで感じ取れなかったのもおかしな話だ。
「もう一度訊くよ。何者だ?」
女は問いに答えない。その代わりに、カツンカツンと足音が近づいてくる。
暗闇から黒いシルエットだけが浮かび上がる。
「そんなに私の事が気になる? 不思議ね。貴方なら出会った瞬間、バラバラに切り刻むはずでしょう? どうしてかしら?」
「な――に?」
言われてみればそうだ。いつもの僕なら、何の躊躇いもなく切り殺している。何故、それを忘れてまで、この女が何者かなんてことに拘るのか。
「ふふ。その疑問、私が晴らしてあげる」
カツン、と女は一歩前に踏み出す。
いまだに黒いシルエットが見えるだけ。だが、そこに二つの蒼い光が燈る。
「――きさ、ま――!」
闇に浮かぶ蒼い輝きを放つ双眸。それはじっとこちらを眺めている。
知っている――この眼を。この瞳を。この輝きを。こいつは――
「ク――ククク――! ハハハハッ! そうか、そういうことか!」
笑いがこみ上げてくる。感情が溢れだしてくる。こんな昂ぶり、久方ぶりだ……!
「ふふ――やっぱり、貴方は他とは別格ね。私の眼を視ただけで、私が何なのか気づけるなんて」
女も何を思ってか笑っている。おそらくは、僕と同じなのだろう。
「フ――それで? 我に何の用だ?」
「何の用とは、とんだご挨拶ね。せっかくこの街に来れたから、わざわざ貴方に挨拶に来たっていうのに」
「挨拶、か。そんな出まかせ、我に通じると思っているのか?」
「ふふ――あはははは――!」
女は笑う。烈しく、高らかに。その笑い声が僕には不愉快そのものだった。
「――れ」
「凄い! 凄いわ、貴方! そこまで解るのね! そこまで変われるのね!」
その声は歓喜に満ちている。それと同時に、そこには黒い感情が窺い知れる。
「――まれ」
「流石、唯一の成功例! 流石、禁忌の存在! 流石、一ノ宮と――」
「黙れ!」
女が口する言葉を遮り、叫ぶ。これ以上は聞くに堪えない。
「痴れ者が! それ以上くだらぬ事を口にするならば、切り刻むぞ」
それは脅しではない。本気で僕はこの女を殺したいと思っていた。だが、女はそんな事を意に介さず、笑っている。
「――ふぅん、やっぱりそういうこと? 貴方ですら、まだ……なんだ?」
女は残念そうに溜息を吐く。
「貴様……! もういい。この場で切り刻んでくれる!」
僕は右手を振り上げ、風を纏わせる。
「わ! 待って待って! 私は貴方の手伝いがしたいだけだから。必要なんでしょう? 手駒にできる血に堕ちた獣が」
女は慌てて取り繕うとする。だが、その言葉に僕は力を緩め、振り上げた手を下す。
「貴様……一体何が目的だ?」
「目的? 何を言っているのよ? そんなの、貴方と同じに決まってるじゃない」
「同じ、だと?」
「そう、同じ。だって、私の目的も彼だもの。彼を目覚めさせることだから」
「――ああ、なるほど。そういうこと、か」
女の言葉に嘘はない。
彼を目覚めさせる。女が口にするそれは間違いなく、僕の目的と同一のものだ。
だが、女のそれと僕のそれとでは決定的に違うものがある。
僕が果たそうとしている事と彼女が果たそうとしている事は、必ずお互いの意に反するものになる。それこそ、最後には殺し合わねばならない程に。
だが、それだけのくだらない話だ。
「それで、どうなの? 私の協力受ける気はあるかしら?」
その問いかけに、僕はをいつもの僕で答える。
「……一つ聞くけど、君なら奴らを見つけて言う事を聞かせるようにできるのかい?」
「残念だけど、それはできないわ。どこかの魔術使いさんならできるでしょうけど、自我を持たない獣を従わすなんてこと、不可能よ」
「だったら、どうやって手駒にするって言うんだ?」
「簡単よ。彼らの中から、まだ自我が残ってる奴を手駒にすればいいのよ。大丈夫、貴方と違って私は奴らを見つけることができるから」
「へぇ……そりゃすごい。流石は純血種、といったところか。混血に対して鼻が利くようだね?」
「混血? 馬鹿言わないで。あんな奴ら、混血種ですらないわ。奴らは害虫よ」
女は吐き捨てるように言い切った。
この女の事は気に食わないが、その意見には同感だ。少なくとも、奴らはこの世で僕と同じ空気を吸って良い存在ではない。
「で? いい加減、答えを聞かせてくれない? ここは臭くて堪らないの」
「ああ、そうだね。僕もいい加減ここから離れたい」
この女がどういう人間か、信用できる人間かなど解らない。解りたくもない。だが、目的を同じくする者だと言う事は理解できる。
このまま余興を終えることも、この女をこの場で殺すことも簡単なことだ。だが、それでは面白くない。
三年も待ったのだ。彼との再会はより愉しいものであらねばならない。
「――いいだろう。その申し出、不本意ながら受けてあげるよ」
「決まりね。それじゃあ、手駒を見つけるまで少し時間を頂戴。それまで貴方の好きにしてくれていいわ」
「ああ、そうさせてもらうよ。暇つぶしになりそうな奴らなら、幾らでもいそうだからね」
その返答に女はふっと笑い、いままで輝かせていた蒼い双眸を閉じる。
「それじゃあ、準備が出来たらまた会いに来るわ。またね」
その言葉を残し、女の気配は消えた。
「ふん、一瞬で気配を消すなんてね。まるで猫みたいだ」
今宵は思わぬ人物に遭えた。あの女が何処の誰なのか分からない。分かる必要もなければ、知りたいとも思わない。
だが、一つだけ確かなことがある。
「血を受け継ぎし者、か――」
今宵の来訪者、あれは僕と同じ、血を受け継いだ者。そして、僕とは決定的に違う存在だ。
「いいさ。出し抜けるものなら、やってみろ、雑種」
そして、僕は既に意味のなくした殺人現場にまたも〝痕跡〟を残して、その場を後にした。
/来訪する者




