第2話「来訪する者」/4
「いやー、長旅お疲れさまでした。ささ、こちらでどうぞおくつろぎ下さい」
新一さんはいつもの営業スマイルで役野小蔵と真希をソファに座るように促す。
役野小蔵は俺と出会った時から変わらず、不機嫌そうなままソファに座った。役野真希の方といえば、何が珍しいのか、ソファに座った後も事務所の中をキョロキョロと見渡し、落ち着きがない。
「あ、一輝君。お疲れのところ悪いけど、二人にお茶を出してくれるかな?」
「あ、はい。分かりました」
新一さんに言われ、俺は事務所の奥の給湯室に引っ込む。
あの事故の後、俺は車を間島探偵事務所へと走らせた
事故の事が気にならなかったわけではない。だが、依頼人を送り届けるのが今回の仕事だったので、俺はそれを優先させた。
道中、短い時間ではあったものの、車内は半端なくギスギスして重苦しいものだった。責任の一端が自身にあるとはいえ、逃げ出したい思いで一杯だった。
もう我慢の限界、というギリギリのところで何とか事務所に辿り着き、新一さんの顔を見た時には半泣きになりそうだった。
俺を見た新一さんの驚いた顔はきっとこの先忘れられないだろう。
そんなこんなで、現在に至るわけである。
俺はお茶を入れる準備をしながら、新一さん達の話に聞き耳を立てる。
「本日は私自らがお出迎えに行けず、申し訳ございませんでした」
「ふん。そこまで言うならば、次からはあんな若造ではなく、お主本人が来てもらいたいところじゃな」
「おや? うちの真藤が何か失礼なことでもしましたか?」
ギクリとする。
事故の一件が役野の二人から漏れてしまうのは、ちょっと拙い。
いくら新一さんでも、依頼人と問題を起こしたと知れば、いい気はしない。たぶん、この件に俺を関わらせないようにするだろう。最悪、すぐに帰れと言われても仕方がない。
「いいえ、真藤さんに落ち度は何もありませんでした。むしろ、真藤さんのおかげで楽しかったくらいです。ね? おじいちゃん」
「ふん、まぁの」
え……何で……?
意外すぎてお茶の入れる手が停まる。
役野真希が俺を擁護していることもそうだが、あの頑固な上に曲者の小蔵までもがそれに同意するなど、意外と言うしか他にない。
「そうですか。それは何よりです」
「ええ、良い御弟子さんを取られているようですね。さすがは間島探偵です」
「い、いやあ、そんな風に言われると照れますねぇ」
新一さん本当に照れてる。その証拠に口調が普段と変わらなくなってきている。
それにしても気色悪い。役野真希が俺を擁護したこともそうだが、俺にはあれだけ馴れ馴れしかった彼女が敬語を使っていることに違和感しかない。
「こ、こほん!」
新一さんと役野真希が談笑していると、それに割って入るように、役野小蔵が咳払いをした。
「あ……こ、これは失礼しました」
「もう良いかの? そろそろ依頼の話をしたいんじゃが」
「は、はい。それで依頼内容をお聞かせください」
どうやら、やっと話題が本格的に依頼の方に向き始めたようだ。
そろそろ頃合いか。そう思い、俺はお茶汲んだコップを二つお盆に乗せて運んでいく。
俺は小蔵と真希の前にそっとコップを差し出した後、新一さんの右後ろに立つ。
それを見計らったように役野小像は語り出した。
「実はの、お前さんにはある人物を探して欲しいのじゃ」
「ある人物……ですか?」
「うむ、そやつは一週間前に我が役野家の家宝を盗みおった不届き者じゃ」
そう言う役野小像は眉をひそめた。そこからは、不届き者と口にするように、その人物を心の底から嫌悪しているのが窺える。
「盗まれた、ですか……それは穏やかではないですね。ちなみに警察には?」
「ふん、あのような奴らに訴えたところで盗まれた物は戻ってはきやせん。無意味というものじゃ」
「む、無意味って……」
黙っていようと思っていたが、役野小蔵の口ぶりに俺は思わず口を開いてしまった。
この老人はまるで警察が無能のような言い方をしている。それは刑事の親戚を持つ俺としては聞き流すことのできない言葉だ。
だが、その感情の変化を察したのか、新一さんは俺の方に振り向き、「一輝君」と一言だけ言って諌める。その眼は落ち着きなさいと言っている。
「す、すみません」
落ち着け、俺。こんなところで感情的になっても仕方のないことだ。
「失礼しました。話の続きをしましょう。それで、その盗まれた物とは一体どんな物なのでしょう?」
「それは言えん」
「は……? 言えない……のですか?」
思いもよらぬ返答に新一さんは戸惑っている。
だが、そんな新一さんを見て、老人はほくそ笑んでいた。
そろそろ新一さんも役野小蔵の癖のある性格を理解してきた頃だろう。
「そうじゃ。言うわけにはいかん。もとより我が家宝は誰の目にも触れさせてならぬ代物。早々、部外者に教えるわけにいかんな」
「し、しかし、盗まれた物が分からなければ、それを探せと言われても……」
「勘違いするではない。さっきも言ったように、お主には家宝を盗んだ男を見つけ出して欲しいのじゃ」
「で、ですからその男を見つけるためにも――男?
まさかとは思いますが、盗んだ人物が誰なのかお分かりになっているのですか?」
新一さんの質問に役野小蔵はこくりと頷いた。
まさか、盗んだ人物が分かっているとは……。
しかし、分かっているなら、何故でそれを探せなどいう依頼を持ち込んできたんだ?
「悔しいかな、その男の所在が我々には掴めん。故にお主にこうして依頼してるわけじゃ」
なるほど。どうやらその盗みを働いた人物は雲隠れしてしまったようだ。それで新一さんに依頼をしてきたのか。
けど、何故新一さんに?
彼らは他県の人間だ。その土地の探偵にでも頼ればいいだろうに。
「事情は分かりました。それで、その男とは一体どんな人物なんでしょう? 名前は?」
「……ふむ」
役野小蔵は新一さんと俺の顔を交互に見た後、ニヤリと怪しく笑った。
なんだ、この薄気味悪い笑いは……?
まるで新一さんの質問が来るのを待っていたと言わんばかりだ。
「あの……役野様?」
新一さんも老人の怪しい気配に気づき、戸惑っている。
何か――何か良くない。この老人が言う事を耳にしてはいけないような気がする。聞けば、何かが壊れて取り返しがつかないことになるような、そんな気がする。
だが、これが依頼である以上、聞かないわけにはいかない。それにこちらが聞きたくないと言っても、この老人はその名を口にするだろう。いや、口にしたくて堪らない、そんな顔だ。
「我が家宝を盗み出した賊の名――」
ゴクリと息を飲む。その名が口にされる緊張の一瞬。
「それは〝一ノ宮蔡蔵〟じゃて」
「「え――!」」
役野小蔵から出た名に俺と新一さんは驚愕するしかなかった。
思わぬ名、その名がこの老人の口から発せられるなど、予想だにしていなかった。
一ノ宮蔡蔵――一ノ宮家現当主にして、怜奈の父親。そして、現在行方不明でもある。そんな人物の名が何故、役野小蔵の口から出てくるのか。
いや、それ以前に蔡蔵さんが盗みを働いたとは一体……?
「くく、はははは――はーはっはっは!」
何がそんなにおかしいのか、役野小蔵は突然高笑いを始めた。
「良い――良い顔じゃ! 驚きのあまり声を失い、硬直させたその顔、傑作じゃ!!」
高揚した老人は大声でそうのたまい、そしてまた高笑いを始めた。
まるでこちらを馬鹿にしているようにしか思えない。
だが、そんな老人を諌めたのは、他でもない孫の真希だった。
「おじいちゃん、そんな言い方失礼よ。こっちはお願いきている立場なんだし。それにほら、二人とも驚いちゃってるじゃない」
「んん? おお、それは悪かった」
謝罪の言葉を口にしながらも、その老人の口元はいまだに笑っている。悪かった、などとこれっぽっちも思っていない顔だ。
「じゃが、驚くのも当然じゃろうて。特に探偵のお主にとっては、あの男は雇い主同然じゃからな。いま何処ぞで何をしているかも分からん主人が盗みを働いたと聞いて、驚かぬわけにもいかんじゃろうて!」
「な、何故それを……!?」
新一さんは役野小蔵の発言に驚きを隠せない様子だ。無理もない、俺だって驚いている。
新一さんが一ノ宮家専属探偵であることは表向きには伏せられている事実だ。間島探偵事務所は世間では一介の私立探偵としか認識されていないはずなのだ。
それを、その事実を何故この老人は知っているのか――。
「知っているとも。あの男とは昔個人的に懇意にしておったからな。あの男が何者で、どういう存在かも知っておる。もっとも――あの男とは21年も前に袂を分かったがの」
「21年前……」
なるほど、21年前では新一さんが彼らの関係を知らないのは当然だ。新一さんが間島家の養子に来たのが17年前、蔡蔵さんと役野小蔵との関係は既に終わっている。
だが、これで役野小蔵が警察に頼ることが無意味と発言した意図が理解できた。
一ノ宮家は元財閥という家柄と彼等が持つ力の特異さ故に、現在に至っても多方面に顔が効く。無論、政界や警察などでも例外はない。そんな名家の現当主が盗みを働いたなどと警察に訴えたとしても、揉み消されるのがオチだ。けど、だとしても――。
「とにかく、じゃ。あの男が我が家宝を盗んだのは疑いようのない事実じゃ。探偵であるお主には、奴を見つけてもらいたい」
「……ひとつ、よろしいですか?」
「ん、なんじゃ?」
「何故、私に依頼を? 一ノ宮専属の探偵である私に依頼するなど、正気の沙汰とは思えません。それこそ、揉み消す危険性があると思いませんか?」
新一さんの言う通りだ。揉み消されることを危惧しているなら、新一さんに依頼すること自体間違いだ。
そんな事が分からない老人とも思えない。一体、何が目的なのか。
「なんじゃ、そんなことか。そんな心配は無用じゃ。お主はわしの依頼を受け、必ずやあの男を探し出す。いや、そうせざるおえまいて。何せ、お主はあの男に会って、真実を聞き出さなければ気が済まんじゃろうからな」
「――――」
「新一さん……?」
新一さんは役野小蔵の言葉に再び言葉を失ったようだった。
その言葉の真意がどこにあるのか分からない。けれど、それが今回の件とは別であることだけは俺でも分かった。
「それにじゃ、別にお主を全面的に信用するつもりは毛頭ない」
「……それはどういう意味でしょうか?」
「なに、大した意味はない。わしは明日には地元に戻る。じゃが、孫の真希には、この街に滞在してもらう」
「……なるほど」
そう頷いて、新一さんは役野真希の方を見る。俺もそれに倣って彼女を見た。彼女は涼しげな顔で「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。それが全てを物語っていた。
つまりは、彼女は俺達の監視役ということだ。
「……分かりました。その依頼お受けします」
「し、新一さん!?」
「いいんだ、一輝君。それに、これは避けては通れない道のようだからね」
避けては通れない――確かに、蔡蔵さんの所在は一ノ宮家にとって、それに俺にとっても重要なことだ。あの人は怜奈や俺が知りたい真実を唯一知っているかもしれない人物でもあるのだから。
「理解してくれて、嬉しいわい。では、奴の所在が掴めたら連絡くれい。奴とはこっちで話をつけるからの」
「分かりました」
「うむ」
新一さんの返事を聞いた役野小蔵は納得したのか、ソファから立ち上がった。
「では、今日のところはこれで失礼しようかの。近くにホテルをとっておるのでの。行くぞ、真希」
祖父に声を掛けられた役野真希は、すぐに立ち上がるかと思われた。だが、彼女からは返ってきたのは思いもよらない返事だった。
「おじいちゃん、悪いけど先にホテルに行っててくれるかな?」
「……なに?」
それは役野小蔵にとっても思いもよらない返事だったのだろう。彼は目を細め、怪訝そうな顔をしている。
「だって、私はしばらくこの街に滞在することになるんでしょ? だったら、この土地の管理者に挨拶しに行かないと失礼じゃない?」
なんて、とんでもない事を言い出した役野真希に、俺と新一さんは呆気に取られるしかなかった。




